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66話 嵐の前の静けさ

「二人ともそう畏まらず顔を上げてくれ」



 その言葉に従い顔を上げると、三日月形の愉し気な濃青の瞳と目が合った。

 その瞬間、ジュリアス殿下は確かに私に対し、見逃しかねないほど小さく頷いた。だが、その愉しげな瞳は、直ぐにマティアス様の方へと向いた。



「それにしても、マティアス卿……実に素晴らしい現場指揮だったと聞いたよ」

「っ! ありがとうございますっ……」

「礼を言うのはこちらの方だよ。いやぁ、君の手腕は興味深い。良ければ、男性陣で集まって話をしないか? 実はもう、君の話を聞きたい人たちが集まっていてね。どうだ?」

「もちろん行かせて……あ……」



 少し興奮気味で乗り気だったマティアス様が、突然言葉を詰まらせた。かと思えば、ジュリアス殿下から私へと視線を移し「今日は妻が……」と声を漏らした。



 その声が聞こえた瞬間、私は考えるよりも先に言葉を放っていた。



「どうぞ行ってください! 皆、マティアス様のお話をお聞きしたいのでしょう」

「だが……」

「錚々たる面々が集まっているんだぞ? それに、今日はシーシャも用意したんだ。気にならないか?」



 シーシャと言えば、最近貴族男性の間で嗜みとして流行っているものらしい。ということは知っているが、マティアス様が興味を持っているかは分からない。



ーー苦手な方もいるらしいと、聞いたことはあるけれど……。



 なんて考えていると、ふとジュリアス殿下が悪戯な笑みを浮かべてカリス殿下を見ていることに気付いた。そのため、ジュリアス殿下の視線を辿って見ると、珍しく片眉を上げたカリス殿下がそこにいた。



 だが、カリス殿下は私の視線に気付くと、すぐに社交スマイルを浮かべ、マティアス様に声をかけ始めた。



「私もぜひ話をお聞きしたいです。エミリア様は私たちが無事帰宅できるよう手配いたします。ですので、よろしければマティアス卿には参加していただきたいです」



 この言葉はマティアス様に刺さったのだろう。普段の険しい彼を連想できないほどの照れ笑いを浮かべた。



「では……その席に参加させていただきます」

「そう来なければな! では、さっそく移動しようではないか。マティアス卿の栄誉を皆で語らおう!」



 そう言うと、マティアス様と私が話す間もなく、ジュリアス殿下はマティアス様の肩に腕を回した。そして、そのまま二人でどこかへと歩いて行った。



 こうして、嵐のようなビオラたちが去り、マティアス様もジュリアス殿下に連れて行かれ、この場には私とカリス殿下の二人だけが残った。



「エミリア、帰りの手配は済ませている」



 凛とした笑みを浮かべ、カリス殿下がそう告げた。



「あ、ありがとうございます」

「ううん、お礼は良いよ。僕が全部勝手にしたことだから。むしろ勝手にここまでしてごめんね。早いけどもう帰る?」

「はい。そうさせて頂こうと思います」

「そうか、分かった。本当は僕が送りたいところだけど、流石に今日は無理そうだ。使用人に伝えておくよ。それじゃあ、また明日会おう」

「っ! はい……。ありがとうございました」



 そう感謝の言葉を告げると、カリス殿下は軽く頷き私を笑顔で送り出してくれた。こうして、私は一人で馬車に乗って帰ることになった。



 馬車の中は一人の空間で、本当に心が休まった。やっと一人になれた、そんな感情が一気に湧き上がったのだ。

 しかし、そんな思いは私の心の浮き沈みの元凶を思い出したことで直ぐに掻き消えた。



――今日のマティアス様は、本当に別人のようだったわ。

 嵐の前の静けさじゃなければ良いのだけれど……。



 そんなことを考えているうちに馬車は進み、あっという間にカレン家に辿り着いた。そして帰り着いた私は、真っ先にお義父様の部屋を目指すことにした。



 ◇◇◇



「あ、エミリア様、お帰りでしたか」



 お義父様の部屋の前に行くと、ちょうど部屋の中から出てきたある人物と鉢合わせた。



「ロベル卿。夜遅くまでお疲れ様です」

「いえいえとんでもございません。もしかして、旦那様に御用ですか?」

「はい。今、声をおかけしても大丈夫でしょうか?」

「大丈夫ですよ。どうぞお入りください」



 そう言うと、ロベル卿が書斎のドアを開けてくれた。すると、中で紙とにらめっこをしていたお義父様がドアの開く音に気付き、顔を上げ私の姿を確認するや否や、慌てた様子で駆け寄ってきた。



「エミリア! 今日はマティアスと共に行ってくれて本当にありがとう! 心から感謝するっ……。 ところで、マティアスは……」

「マティアス様はジュリアス殿下のお誘いで、貴族男性たちと歓談しております」



 その言葉を聞くと、お義父様は眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をした。



「お義父様……?」

「あ、ああ、すまない。いや、今日はエミリアと一緒に居るべきだと思うが、殿下からの誘いだったのかと思ってな……。エミリア、すまないな」



 その言葉に、なんと返したら良いのかが分からない。そのため、苦笑いは返したものの、お義父様の言葉を最後に、部屋中を沈黙が支配した。

 だが、お義父様が言葉を続けたことにより、その沈黙は破られた。



「このタイミングで悪いが、私からもエミリアに話があるんだ。まあ、座ってくれ」



 このソファはふかふかだぞと言うお義父様の誘導もあり、私は言われるがままにソファに腰を下ろした。すると、お義父様は対面にある小椅子に足を広げて座り、肘を膝に突いて話を始めた。



「実は、明日カリス殿下が家に来るんだ。だが、私は王城に行かねばならない。そこでだ、エミリアにはマティアスと一緒にもてなしを頼みたい」

「それについてですが、陛下から明日はお義父様と共にマティアス様も王城に来るようにとお達しがありました」

「そうなのか……。では、一人になるがエミリア、もてなしを頼めるだろうか?」



――頼めるも何も、引き受けるしかないでしょう。

 それに、カリス殿下は私の証明を聞きに来るんだもの。

 ああ、本当に困ったわ……。



 そう思いながらも、お義父様に引き受ける旨を伝えた。すると、お義父様はこれでもかと感謝の言葉を伝えてくれた。

 そんな中、私の心は証明についてどうしようかということでいっぱいいっぱいになっていた。



 その後、今日は早く休むと良いというお義父様の言葉を受け、私は自室に戻った。



 ◇◇◇



「……どうしてここに?」



 自室に入ると、ソファで転寝しているジェリーが目に入った。そのため、思わず声を漏らしたところ、ティナが私に近付き、コソコソと小さい声で説明を始めた。



「エミリア様の無事を確かめたいと部屋の前におられましたので、お部屋にご案内いたしました。そして、ソファに座って待っていたのですが、お眠りになられて……。勝手なことをして申し訳ございません」

「別に怒ってないわよ。廊下に居たら風邪をひいてしまうもの。むしろ入れてくれてありがとう。でも、そう……。ジェリーがそんなことを……」



 私のために居てくれたというジェリーの寝顔を見つめると、出がけに『リアのことちゃんと待ってるよ!』と言った、ジェリーの声が脳内再生された。



――いつも支えてもらってばかりね。

 あなたがいるから、耐えられているのよ。



 そう思いながら、私はソファの前に座り込み、眠るジェリーに目線を合わせ彼の頭をそっと撫でた。



「頼りなくてごめんね……。あなたのためにも、もっと強くならないとね」

「ん…………リア?」



 思わずドキッとした。だが、どうやら彼は寝ぼけているだけで、私の独り言は聞こえていなかったらしい。

 こうしてホッと胸を撫で下ろしながらも、半分覚醒している今がチャンスだと思い、私は気持ちを切り替えジェリーに声をかけた。



「ジェリー、ただいま。待っていてくれてありがとう」



 そう声をかけると、寝ぼけ眼が突然覚醒したように開かれた。かと思えば、先ほどまで眠っていたのが嘘のように、飛びつくような勢いでジェリーが抱き着いてきた。



「リア……大丈夫だった?」

「ええ、大丈夫だったわよ。ほら、こうして帰って来られたでしょう? あなたのお陰よ」



 ジェリーの声は微かに震えていた。だからこそ、心配をかけまいと明るさを意識して彼に声をかけると、ジェリーは抱き締めた腕をほどき、私の顔を確認した。



「良かったぁ……」



 数秒の沈黙の後、ジェリーがホッと息を吐き出すように呟いた。その光景に心が痛んだ。

 しかし、再び睡魔が襲って来た様子のジェリーを見て、ふと我に返った。



「ソファで寝たら身体に良くないわ。ジェリーの部屋のベッド行きましょう」



 覚醒した今を逃したら、きっとジェリーはこのまままたここで眠ってしまう。そう思い、ジェリーに手を差し出すと、彼は眠そうにしながらも、嬉しそうに微笑んで私の手を掴んだ。



 こうして、私はジェリーと手を繋いで移動をし、ジェリーをベッドに寝かせることに成功した。ジェリーはというと、ベッドに入るなり熟睡モードに入った。



 そのため、私は音を立てないように部屋から出て、自室に戻った。そして、着替えを終え、明日をどう乗り越えようかと考えていた。



 だが、時計を見ると明日ではなく今日になっていることに気付き、焦燥に包まれ何が正解かも分からないまま眠りについた。

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