65話 鈍感さと回避能力
私の心境に気付いていないであろう三人組は、ビオラを筆頭に私たちの元へとやって来た。そして、その中でも案の定、真っ先にビオラが声をかけてきた。
「お姉様! お義兄様ったらすごいのよ! 軍営育ちと言っていたのに、ダンスがとってもお上手なの!」
マティアス様と私を交互に見ながら、ビオラがはしゃいでそう告げた。すると、何を張り合っているのか、お兄様がビオラの言葉に突っ込みを入れた。
「まあ、俺ほどではないがな」
全身が凍り付く感覚がした。本人を目の前にして、普通そんなことを言うだろうか。いくら侯爵と辺境伯令息といえど、それらは発言の許容度に一切関係ない。
今のお兄様の発言は、矩を踰えていた。
「ちょっと、お兄様。お言葉に――」
気を付けて、そう注意しようと思ったが、そんな私の声は空しくもビオラの声によってかき消された。
「もう! お兄様ったら、嫉妬はよしてちょうだい」
ぷんぷんと怒った様子でお兄様にそう言ったかと思えば、ビオラはすぐに笑顔に戻り、マティアス様に向き直った。そして、正面に立ったマティアス様の両手を、自身の両の手でそっと包み込むように掴んだ。
「アイクお兄様がごめんなさい。お義兄様とのダンスは楽しかったわ! また踊りましょうね!」
ニコッと花の咲くような笑顔で、マティアス様に微笑みかけたビオラ。そんなビオラを見て、私はもう眩暈がしそうだった。
決して嫉妬のせいではない。貴族令嬢として、男性との距離の取り方を間違い過ぎていることを痛感したからだ。だから、私はビオラの言動に対して注意することにした。
「ビオラ、節度は弁えなさい」
「エミリアの言う通りだ。ビオラ、気軽に俺以外の男に触れるな!」
ビオラに怒られてフリーズしていたお兄様も参戦した。すると、ビオラはため息をつき、マティアス様から手を離した。
その間、マティアス様は声を発するでもなく、ずっと困り笑顔を浮かべているだけだった。
しかし、そんな煮え切らない表情にも変化が訪れる時がやって来た。その要因となったのは、お兄様とビオラの会話だった。
「ビオラ、いい加減にしろ。マティアス卿はエミリアの夫なんだ。それに、よその男だ。俺になら良いが、必要以上のボディタッチはしないでくれ。お兄様の心臓が持たないっ……」
「やーね、アイクお兄様! 何を勘違いしているの? 確かにとっても顔はかっこいいけれど、お義兄様は全っ然タイプじゃないわよ!」
「タイプって、えっ、どういう……」
ビオラの発言により、場が凍り付いた。お兄様に至っては、衝撃を受けた表情でうわ言のようなものを繰り返し、言葉も紡げない状態になってしまった。
だが、ビオラはその様子を気にすることなく、今度は私に向き直って話しかけてきた。
「お姉様も安心してね。お義兄様はお姉様の夫ということをのけても、絶っ対に選択肢には入らないわ!」
「ビオラっ、そんな言い方は止めなさい」
マティアス様の顔を見るのがとても怖い。だが、視界の端に強い視線を感じるため、恐る恐るそちらに顔を向けると、きまり悪そうな表情で上げた口角をピクピクと震わせているマティアス様と目が合った。
――お、怒ってるわっ……!
あれは、怒ってるわよね!?
思わず、バッと目を逸らした。少なくとも彼は良い感情を持っていないだろう。それだけは分かる。だからこそ、ビオラの何の気なしの発言により、私の心には絶望の波が襲い掛かってきた。
しかし、この絶望のきっかけとなった人物は、周囲を一切気にする様子を見せず、元気に言葉を続けた。
「じゃあ、私はもっと素敵な方を見つけてくるわね〜!」
恐るべき鈍感力。そんなことを思っていると、ビオラは人ごみに向かって移動を始めた。
すると、そのビオラの声に反応したのか、アイザックお兄様がハッと我に返った。そして、ビオラに待ってくれと言いながらも、私たちに向き直り声をかけてきた。
「じゃあな、エミリア。久しぶりに聞くと、エミリアの小言も可愛いらしいものだ。また顔を見せてくれ。それと、カリス殿下。きちんと挨拶もせず、申し訳ございませんでした。無礼は承知ですが、これにて失礼いたします」
「ああ、気にしないでください。早くビオラ嬢を追うと良い」
「はい! ありがとう存じます!」
そう言うや否や、お兄様は「ビオラぁ……!」と言いながら、ビオラを追いかけるため、人ごみの中に紛れて行った。
よって、ここには私とマティアス様、そしてカリス殿下の三人が残った。
「エ、エミリア。迎えに来たぞ。あなたの妹は、その……女性にしては破天荒だな。アイザック侯爵もなかなかのものだ」
誰から見ても無理やり作り出したような笑顔で、マティアス様が声をかけてきた。その顔を見て、私は急いで彼に謝罪をした。
「大変申し訳ございませんでした。兄と妹には忠告いたします」
「いや、もういい」
ばっさりと切り捨てるようにそう言うと、マティアス様は私から視線を外し、カリス殿下にその視線を向けた。
「カリス殿下、御御足を止めてしまい申し訳ございません。見苦しいところをお見せしてしまいました」
「お気になさらず。ビオラ嬢はあなたと踊れて相当楽しかったのでしょう」
「そのように言っていただけますと幸いです」
カリス殿下の言葉を聞くと、マティアス様は安心したような表情を浮かべた。そして、一呼吸置き言葉を続けた。
「遅ればせながら、この度は私の妻が大変お世話になりました」
「お世話だなんて……楽しい時間でしたよ。明日もお会いしますし、お話しできて良かったです」
この言葉を聞き、先ほどまであった余裕感がマティアス様から消え失せた。
「明日……ですか? なぜ……」
間髪入れずにカリス殿下に質問を投げるマティアス様。そんな彼に、カリス殿下はそれは上品な様子で説明を始めた。
「実は、明日カレン家の王都の邸宅にお邪魔する予定なんです。辺境伯とはもう話も付いていますよ」
そこまで聞くと、マティアス様が探るような視線で私を一瞥した。それにより、とても気まずく重苦しい空気が私の周りで流れ始めた。
そのときだった。突然、後方から声がかかった。
「マティアス卿、ここにいたのか」
驚き振り返れば、声の聞こえた方向の先にはジュリアス殿下が立っていた。
――そう言えば、さっきカリス殿下がジュリアス殿下に協力を仰いだって言っていたけれど……。
もしかして、このことだろうか。そう思いながらカリス殿下をチラッと見やれば、私の視線に気付いた彼はこっそりとウインクをした。
――まあ、見ておけということよね。
そう判断付け、私はマティアス様と共にジュリアス殿下に礼の姿勢をとった。




