58話 カレン家の唯一の救い
「うわぁ~! いつも可愛いけど、今日のリアはすっごく可愛い! それにとっても綺麗! ドレスもリアに似合ってて素敵だよ!」
舞踏会用のドレスに着替えメイクを終えたところで、ジェリーが部屋にやって来た。そして、開口早々そう告げるなり、花の咲くような笑顔でジェリーが私の腰元に抱き着いてきた。
「ジェリーったら褒めるのが本当に上手ね。ありがとう」
――昨日泣いていたから心配していたけれど、明るく振る舞うどころか、明るい気分にさせてくれるなんて……。
ジェリーは私にとって、カレン家での唯一の救いだわ。
そんな風に思いながら、抱き着いてきたジェリーと一度離れ、共にソファまで移動して座った。
すると、ジェリーはソファに座るなり、両手で掬い上げるように私の左手を掴んだ。そして先ほどとは一転、悲しそうな表情をし、上目遣いで話しかけてきた。
「ねえ、リア……」
「どうしたの?」
「お兄様じゃなくて僕がリアと結婚してたら、僕がエスコート出来たのに……」
そう言うと、ジェリーは両腕を軽く私の左腕に絡ませた。直後、こてんと私の上腕に頭を預けてきた。
その瞬間、ジェリーには悪いが私の心には一気に癒しが舞い降りた。そのため、私は思わず笑みを零しながら、ジェリーの顔を覗き込み言葉をかけた。
「あなたが結婚相手だったりエスコート役だったりしたら、きっと楽しいわね。ふふっ」
そう伝えると、ジェリーは一瞬喜びの表情を見せたものの、すぐに真剣な表情になり言葉を返して来た。
「本気だよ!? こんなに可愛くして、舞踏会に行く相手がお兄様なんておかしいよ。本当に行かなきゃだめ? 僕と一緒に居ようよ……」
他の誰でもないジェリーにこんなことを言われると、思わずそうしたくなる。
しかし、行かない訳にはいかないため、私は「そうしましょうか」という言葉は引っ込め、彼に大人の事情を告げることにした。
「あなたといる時間が一番好きだけれど、今日は王室舞踏会だから行かなきゃいけないの」
「僕もリアといる時が一番大好きだよ! でも、僕はまだ子どもだから、王室舞踏会とかそんな難しい話分かんないっ……」
本当は絶対に分かっている。だが、分からないふりをしてでも私を引き止めたいジェリーの気持ちが伝わり、心苦しくなる。
けれど、私は舞踏会に参加しなければならないもう一つの理由がある。それをジェリーに伝えることにした。
「今日はね、お義父様が国王様に任された仕事があって参加できなくなったの。だから、カレン家の代表として、尚更私たちが参加しないといけないのよ」
そう言うと、賢いジェリーは嫌でも行かなければいけない状況を理解したのだろう。ハッと悟ったような表情になり、言葉を返してきた。
「そっか……そうだったんだ……」
「ええ、そうなの。でも――」
今日は出来る限り早く帰ってくる。そう言おうとしたが、その前にジェリーがいつも何かお願いごとをするときの表情になって、声を被せてきた。
「じゃあ、僕も一緒に行っちゃだめ?」
その言葉を聞き、私の心は荒らいだ。
――連れて行けるのなら、どれだけ連れて行きたいことか……!
何なら、ジェリーとだけ出席したいくらいよ。
子どもだろうが何だろうが、エスコートもマティアス様よりジェリーの方がずっと良いわ。
ジェリーが大人だったらどれだけ良かったか……。
そんな気持ちが心の中で源泉のごとく湧き上がったが、それらを言えるはずもない。そのため、私は極めて現実的なことをジェリーに伝えることにした。
「ジェリーはまだ参加できる年齢じゃないの。行けるなら、私もジェリーと一緒に行きたいのだけれど……ごめんなさい」
そう告げると、ジェリーは慌てた様子で口を開いた。
「リアが謝ること無いよ! ただ……僕はリアをお兄様と一緒にしたくない。またお兄様がリアのことを傷付けちゃうよ」
そう言うと、ジェリーは絡ませた腕をほどき、私のお腹に手を回して抱き締めてきた。
その締める強さがジェリーの気持ちを物語っているようで、大人なのに何をしているのかと自身の不甲斐なさに心が痛んだ。
また、ジェリーの言葉に対する返事が見つからなかったため、私は抱き締め返すことしかできない。そんな自身の無力さを痛感し、情けなさで思わず涙腺が緩みかけた。
すると、私がそんな心情になっている最中、ジェリーは抱き締めたままポツリと独り言ちた。
「本当にいるんだったら、神様は意地悪だ……」
そのジェリーの呟きには、悔しさが滲み出ているようだ。そんなジェリーの感情を目の当たりにし、私の心にももどかしさが込み上げてきた。
そのときだった。ジェリーが突然、現在の沈んだ空気を振り払うように、少しはにかみながら力強い声で話しかけてきた。
「だけど、僕だけはいつでもリアの味方だよ。お兄様なんて放って、いつでも帰って来て良いからね。リアのことちゃんと待ってるよ!」
いつでも帰って来て良い。それだけで、グッと心が救われたような気持ちになった。
――相手はもうすぐ七歳の子どもだというのに、どれだけジェリーに助けられているのかしら。
そう自身を情けなく思いながらも、思わず有難みと嬉しさが込み上がってきた。
そんな私はジェリーの想いを深く噛み締め、これ以上暗い雰囲気にならないよう彼に言葉をかけた。
「ジェリーは本当に頼もしいわね。ありがとう。あなたの言葉だけで元気が出たわ」
「リアが元気なら僕も嬉しい!」
この言葉を聞き、私の胸は思わず嬉しさでときめいた。しかし、そんな私たちの会話を微笑まし気に見ていたティナが、突如気まずそうに話しかけてきた。
「エミリア様、そろそろお時間の方が……」
そう声をかけられたため、私は後ろ髪を引かれるような思いでジェリーと別れた。
そして、鈍い身体を動かし行動を開始した。
◇◇◇
「……リラード縫製の服か?」
沈黙が広がる車内で、おもむろにマティアス様が声をかけてきた。
「はい。左様です」
そう答えると、マティアス様は取り繕ったような笑顔を貼り付け言葉を返してきた。
「エ、エミリアによく……似合ってる」
「無理に褒めなくても構いませんよ」
「本当に思って言っている。っ信じてもらえないだろうが……」
この言葉にどう返したらよいのか分からない。似合っているという言葉を今の状況で言われても、世辞だとしか思えない。
恐らく今の私は、ただただ困惑した表情をしているだろう。
すると、私の反応を見てさすがのマティアス様も黙り込み、車内は再び沈黙に包まれた。かのように思えたが、それから数分後、独り言ちるようにマティアス様が話しかけてきた。
「……エミリアが一緒に行ってくれて嬉しい」
この発言を聞き、私の心は怒りと戸惑いの感情が入り乱れた。どの口がそのような言葉を言っているのかという思いが一気に湧き上がったのだ。
そのため、マティアス様に対する恐怖心は残るものの、思わず彼の独り言のような言葉に言い返した。
「醜聞を避けるために行くだけです。嬉しいなどと、そのようなことは仰らないでください」
そう言葉を返すと、マティアス様は誰の目から見ても明らかなほど傷付いた顔をした。狙ってしている表情ではないだろう。
しかし、こんな表情をされては良心が苛まれるからこそ、狡いと思ってしまう。
すると、そんな私の心情を知らないであろうマティアス様は、傷付いた表情のままに言葉をかけてきた。
「すまない。負担な言葉だったな」
そう言われて、そこまで分かるのなら言わないでほしかったと、がっかりした気持ちになった。だが、今この場でマティアス様にこの思いを言い表すことは出来なかった。
昨日だってそうだ。
お義父様に実家のことを手伝ってもらっている以上、不必要な刺激になってはいけないと思い、私は強い意見を言えなかった。
しかも、お義父様は結局マティアス様の味方だと気付いた時点で、尚更言えなくなってしまった。
マティアス様が怖くて、後先考えない発言も出来なかった。このあいだのように怒鳴り返されることを想像するだけで、とにかく怖くなるのだ。
そのうえ、お義父様はマティアス様のバックときた。
それは、私の言動次第でブラッドリー領に影響を及ぼし得る可能性があることを示していた。
私の心さえ殺せれば、きっとことを荒立てることなく収まるところに収まる。このままじゃ本当は駄目だって分かってるけれど……。
――どうして私はこんなに無力なの……?
そんな暗い気持ちを抱えたまま、私たちの乗った馬車は、とうとう舞踏会の舞台である王城へと辿り着いた。




