52話 大切な人だから
馬車に乗り込むと、先に乗っていたジェリーの切なげで心配を孕んだ視線を浴びた。その瞳からは、私の心を読み解こうとする気配も感じる。
そのため、座席に座り馬車が進みだしたタイミングで、私からジェリーに話しかけることにした。
「ジェリー」
名前を呼ぶと、彼の表情には緊張が走った。私が珍しく笑っていないため、何を言われるのかと構えているようだ。
だが、私はそのジェリーの心境を察してなお、言葉を続けた。
「何でカリス殿下にあんなことを言ったの? いくら勢いでも、言っていいことと駄目なことがあるわ」
自身の兄が妻をいじめていると他人に言うことは、ジェリーにとっても非常にリスキーなことだ。
今回の言動は、ジェリーにとって完全に自滅的な言動。もし、今回のようなことを繰り返しでもしたら、社会的に取り返しのつかないことになってしまう。
そう思うと居ても立っても居られず、私は切実な思いでジェリーに訴えかけた。しかし、彼からは予想外の言葉が返ってきた。
「わざとだよ」
「えっ……」
わざとだという彼の表情を見ると、自分は間違ったことをしていないという強い意志が滲んでいる。その様子を見て、本当に確固たる意志に基づいて、あのような発言をしたのだと痛感した。
だからこそ、なおさら危険だと思った。したがって、私はジェリーの真意を確かめるべく、一度深く息を吐き、気持ちを落ち着けて彼に問いかけた。
「どうしてわざとそんなことを言ったの?」
「僕には何の力も無いから……」
ポツリと呟くと、ジェリーは途端に目に涙を溜め始めた。しかし、流すまいと必死にそれを堪えながら、ジェリーは言葉を紡いだ。
「僕じゃ、力が無くてお兄様を止められない。だけど、カリス殿下ならリアを助けてくれると思ったんだっ……」
「――っ!」
「カリス殿下は王子様でしょ? それに、お話しするたびに、優しいし一番頼れる人だと思ったから……」
ジェリーの立場を考えると、カリス殿下にそんな発言をした理由も頷ける。
だが、それらの言動はすべてジェリーの犠牲の上で成り立つ。それに、カリス殿下にも余計な負担をかけてしまうことにもなる。
そう思った私は、ジェリーを諭すように言葉を返した。
「あなたは私を想って言ってくれたのよね? ありがとう、ジェリー」
「うんっ……」
「でもね、こういうお家のことでカリス殿下に迷惑はかけられないの。それに、今日みたいな発言は、ジェリーが自分で自分の首を絞めていることになるのよ?」
「っ僕は別にどうなっても良いもん! それに、カリス殿下はそんなこと――」
ジェリーの発言は途中だった。しかし、聞き捨てならない言葉が聞こえ、私の中で何かがプツンと切れた。
そのため、私はジェリーの言葉を遮り、声を荒らげはしないものの、強めの語気で言葉を放った。
「どうなっても良いわけないでしょう」
「え……」
「ジェリーは私の大切な人よ。どうなっても良いなんて言わないでっ……」
「で、でも……」
「言動にはあなたの将来がかかってる。私のために、大切なあなたが犠牲になるなんて耐えられないわっ……」
私たちのせいで、ジェリーをこんなにも追い詰めてしまった。そのことが、情けなく、申し訳なく、本当につらい。
守るべき大切なジェリーにこんなことをさせてしまうなんて、自身の頼りなさに嫌気が差す。
――私がもっとしっかりしていたら、ジェリーを巻き込まずに済んだのに……。
こんなに大切だと思っているのに、私ったら何も守れていないじゃないっ……。
そんな自己嫌悪に苛まれながら、私はどうかこの想いが伝わって欲しいと願い、ジェリーを見つめた。
すると、ジェリーは溢れんばかりに溜めていた涙を、ついに流し始めた。かと思えば、移動中であるにも関わらず、対面に座った私に飛びつくように抱き着いてきた。
「僕だってリアが大切なんだ! 全部リアのためだったんだもんっ……! 僕もリアを守りたかったんだっ……」
私の首元に顔を埋め、絞り出すように声を漏らすジェリー。そんな彼の震える身体を、私は堪らず抱き締め返した。
「ジェリー……本当にごめんねっ……」
「リアは何も悪くないのに、謝ったら駄目だよっ……」
そう言うと、ジェリーはより強い力で抱き締め返してきた。そんな中、私はあることを懸念していた。
――言ってしまったものは、もうしょうがない。
ただ、問題はカリス殿下よ。
彼はきっと、子どもの戯言だと聞き流したりなんかしてくれない。
明後日どうしましょう……。
カリス殿下がどう出てくるのかが、まったく分からない。そんな私は、ジェリーを膝に抱いたまま、帰路を辿った。
◇◇◇
カレン家に帰りついた頃には、ジェリーは泣き疲れたのか今にも眠りそうな状態になっていた。そのため、夕食の前までジェリーは寝かせることにした。
そして、今ようやくジェリーを寝かしつけ、ジェリーの部屋を出たところで、ティナが話しかけてきた。
「エミリア様、今から例のお話をしても大丈夫でしょうか?」
そう訊ねられ、帰ってきたら話したいことがあると言っていたティナの発言を思い出した。ティナには悪いが、ジェリーのことで頭がいっぱいになり、すっかり忘れていた。
そのため、少しのタイムラグが生じたものの、ティナに話を聞くと返事をし、一緒に割り振られた自室へと移動した。そして、着座したところで、おもむろにティナが口を開いた。
「エミリア様、マティアス様についてお話しておきたいことがございます」
マティアス、その名前を聞き、私の心臓がドクンと跳ねた。
だが、話を聞かない訳にはいかず、私はティナに話を続けるよう促した。
すると、ティナは話し辛そうに顔を歪め、眉間に皺を寄せて神妙な面持ちで話し始めた。
「実は、マティアス様がエミリア様を妻として認めないと仰っていた理由が分かりました」
その言葉を聞き、頭を殴られたかのような衝撃が走った。それと同時に、身体がスゥーっと冷める感覚と共に、鼓動が早まったのを感じた。
「ど、どうしてティナが知っているの!? 何が理由なの!?」
さまざまな疑問が湧いてくる中、最も気になることをティナに訊ねた。すると、ティナは苦苦しい表情で説明を始めた。
「ミア・オルティス。彼女が結婚する前まで、彼女はマティアス様と深い関係だったようです」
――えっ……。
あのミア・オルティスとですって!?
信じられない話を聞き、私の周りだけ時が止まったかのような感覚に陥った。




