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42話 四面楚歌〈マティアス視点〉

 約束をしたのに、エドと接触をしていた彼女の姿を見て、俺は怒りをこらえきれず話をするため彼女を書斎に連れて行った。



 そして、彼女のある言動で、俺の思考が一瞬停止した。



『今のそんなあなたを好きになるような女性は、この世に存在しないと断言できます』



 こう言ったときの彼女の目は、以前彼女に向けられた視線を彷彿とさせた。そして、この視線の既視感の理由も同時に判明した。



 ……あの(ひと)に似ているんだと。



 また、この言葉も言葉で俺の心を最大級に抉るものだった。ある意味、核心を突いた言葉だったからだ。

 そうして気をとられているうちに、彼女は嫁ぎたくて妻になったわけではないというニュアンスのことを言い始めた。



 そのため、だったら嫁いで来なかったら良かっただけじゃないか。そう思い言葉を返したところ、彼女は普段の姿からは想像できない今にも泣き出しそうな顔をしながら、悲鳴にも近い叫びをぶつけてきた。



 そして、なりたくて妻になったわけではない、思い上がるな、そう言った後、大嫌いだと……そう言って書斎から飛び出していった。



――じゃあ、何で嫁いできたんだ?

 俺の方が悪いみたいじゃないかっ……。

 何がどうなってる……!?



 そんなこと思っていると、断りも無くジェロームが書斎に入ってきた。そして、打ち捨てられたように椅子にへたり込み座った俺に話しかけてきた。



「マティアス様、奥様に何てことを仰るんですか!? 奥様によって、ヴァンロージアがどれだけ救われたか資料もお渡しし、説明したからご存じでしょう!? それに、結婚に関しての仔細の手紙が、そろそろ大旦那様から届くということもお伝えしたはずです」



 確かにそれはその通りだ。だが、今回は彼女がエドに接触したことが爆発の発端だ。そのため、俺はジェロームに説明しようと口を開いた。



「……っ彼女は約束を破りエドに会ったんだ。それに、俺はこの結婚を一切望んでいなかったし、結婚はしないと常々言っていたはずだ。さっきの話を聞いて何か理由があったようだとは分かったが、結局はあいつが勝手に嫁いできただけだろう!」



 そう言うと、ジェロームは悲嘆の表情を浮かべ、泣きそうな声で訴えかけてきた。



「不敬は承知ですが、この際言わせて頂きます。本気でそのように考えていられるのでしたら、奥様にあんまりです……。ティナがいたとはいえ、十七歳の少女にとっては心細かったはずです。ですが、領民やマティアス様のためにと気丈に振る舞っておられました」



 その話を聞き、どんなにきつく当たっても俺に向かい笑みを浮かべていた彼女が脳裏を過ぎった。

 その表情を見て、彼女は俺に少なからず好意があると思っていた。だが、そうではなかったと今なら分かる。

 だからこそ、ジェロームが繰り出す心細いや気丈な振る舞いという言葉を聞き、彼女が何を考えどう思っているのかが分からなくなった。



 すると、そんな俺にジェロームはなおも話を続けた。



「都と違い不便な土地だというのに、奥様は一つも文句を言ったことはありません。それに、ジェラルド坊ちゃまや使用人のことも、とても気にかけてくださっております。そのうえ、ヴァンロージアを繁栄に導いてくださいました」

「――っ!」

「勝手にご自身の結婚が決まってお怒りになる気持ちは分かります。ですが、そこまでしてくださっている方に対して、酷いとは思わないのですか!? 帰って来て、一つでも労わりの言葉をおかけになられましたか!?」



 まるで、頭を殴られたような感覚になった。ジェロームにこんな風に怒られたのが初めてだからと言うわけではない。



 俺を好きではない。にもかかわらず、彼女がここまでのことを成し遂げていたという事実を再認識したのだ。どうしてそこまでのことをするのか、理解が出来なかった。



 ただ、ヴァンロージアに来て、大人しく閉じこもっていることも出来た。すべてをジェロームに丸投げにすることも出来た。

 そのはずなのに、なぜ、ここまでヴァンロージアのために見返り無しに動くのか、まるで理解できなかったのだ。



「俺は――」



 ジェロームに言葉を返そうとした時だった。突然、書斎の扉が轟音を立てて開けられた。そして、ある人物が無遠慮に部屋の中に入ってきたかと思うと、俺の眼前へとやってきた。



「ティナ……!」



 目の前にいる女を見て、ジェロームが驚いた声を出した。だが女は気にすることなく、ただひたすらに俺を恨みの籠ったような目で見つめ、低い声で声を漏らした。



「エミリア様にあんな顔をさせるなんて、許せないっ……」



 そう言ったかと思うと、ティナという彼女の侍女は怒りに震えた様子で語りを始めた。



「奥様はお父上をご病気で亡くされました。そのお父上の最後の願いが、盟友である旦那様のお父様と約束した通り娘を旦那様に嫁がせるということだったのです」



――父親との約束を守るためだけに利用されたのか?

 じゃあ、納得のいく理由じゃないじゃないかっ……。



 そう思い、怒りが込み上げそうになったその瞬間、侍女は話を続けた。



「ただ、これは約束を守ると言うだけではありません。こうして奥様が嫁ぐことで、領民に領主が亡くなったことの不安や負担をかけないようにしたのです」

「は……?」

「この結婚において、奥様の希望は一切ありませんでした。全て周りが奥様をこの結婚をすることに追い込んだと言っても過言ではありませんっ……」



 そう言うと、侍女は怒りを浮かべたその目から、涙を零し始めた。だが、本人はそれを気にするでもなく、俺を睨み続けながら言葉を続けた。



「望んでした結婚でもないのに、婚儀にはあなたがおらず他の貴族たちから笑われ者になっておりました。そのうえ、今回のシーズンで王都に戻った際、夫婦仲に関して御夫人方から散々なことを言われておりましたっ……」



 その言葉を聞き、俺の心臓はまるで凍りついたような感覚になった。



――彼女はそっち側の人間ではないのか……?



 一気に指先が冷えていくのを感じる。そんな俺に、侍女は更に言葉を重ねた。



「奥様は不可抗力で結婚したんです。それなのに、奥様ばかりが悪者になって、旦那様に責め立てられるなんてあんまりです!」



 そう叫んだかと思うと、侍女は思いもよらぬ言葉を俺にぶつけてきた。



「結婚の打診も、元はと言えばそちらからじゃないですか!?」

「はっ……何だとっ……?」



 心に激震が走った。こちらからの打診というのなら、彼女が勝手に押し掛けるように嫁いできたと言うわけではなくなる。



――今の話が本当だとすると、俺は彼女に……。



 先ほど彼女にぶつけた言葉の数々が蘇り、気管が狭まり呼吸が苦しくなり始めた。すると、そんな俺に侍女は怒りに任せて叫びつけてきた。



「そんなに誰かを責めたいのであれば、ご自身のお父上を責めたらいい! 生きているんですから! この結婚を取り仕切ったのも全てあなたのお父上じゃないですか!」



 そう言うと、彼女はなおも俺に真実だけを突き付けてきた。



「……妻だと認めないと散々辱め傷つけておいて、ご自身は一週間家を空けられましたよね? その間、誰がこの家を回していたか分かっておいでですか?」



 浮かれていた自分が酷く恥ずかしく思え、俺は反射的に割れそうなほどに歯を食いしばった。すると、侍女は無理矢理絞り出した呆れ果てたような声で、泣きながら答えを告げた。



「……っ……エミリア様ですよ? 妻と名乗るなというくせに、本っ当に無責任ですね。言動にも統一性が無いですし、とても軍で指揮官をしていたとは思えませんっ……」



 そう侍女が言ったところで、またも扉が開いた。すると、ものすごい勢いで近付いてくるなり、その人物は俺の頬を拳で殴りつけた。



「……っイーサン」

「兄上、自分が何をしたのか分かってるのか!?」



 もう何から口に出していいのか分からず、俺はイーサンの問いに答えられなかった。すると、イーサンは絶望的な言葉を突き付けてきた。



「エドワード卿にはすべて説明したぞ」

「なにっ……」

「いい加減現実を見ろ! いつまで過去に囚われてるんだ!」



 もう、すべてが終わった。そんな感覚に陥った。すると、イーサンはそんな俺の胸倉を掴み、初めて見るほどの怒りの形相で言葉をぶつけてきた。



「兄上、ミア・オルティスはもう死んだんだ! エミリアさんが何で兄上と一緒にここに来たか分かるか!? 全部ジェラルドのためだ! そこまで考えてくれる人なのに、まだ分からないと言うのか!? 兄上はもう病気だ!」



 そう言うと、イーサンは胸倉を掴み持ち上げた俺を、そのまま椅子に叩き付けた。そして、「エミリアさんに近付くな」と言い扉を開けた。



 すると、その扉の前にはなぜかジェラルドが立っていた。かと思うと、その後ろで必死に頭を下げて謝るジェラルドの世話係のデイジーがいた。



「マティアスお兄様……リアに何したの……?」



 そう呟くジェラルドの声が、静まり返った室内に響いた。



 ……その質問に俺が答えられるわけが無かった。



 だが、ジェラルドは室内にいたイーサンや、ジェロームと侍女の顔を見回し何かを察知したのだろう。いつもは可愛らしいその顔を怒り一色に染め、俺に向かって怒鳴りつけてきた。



「酷いよ! リアはいつも僕たちや領民のために色々してくれてるのに、お兄様がそのリアのことを一番傷付けるなんて最低だ!」



 ナイフで貫かれたかのよう心が痛んだ。

 最低という言葉を認めたくないが、認めざるを得ない現実があるということに気付いたからだろうか。いや、それだけではないだろう。

 しかし、自分でも何が原因かは分からない。とにかく、複雑な感情が入り混じり心に鋭い痛みが走った。



 すると、俺に対して訴えかけるような、独り言つような、そんな話し方でジェラルドが涙を流しながら言葉を続けた。



「もっと僕が大きかったら、僕がリアと結婚したっ……。グスッ……僕がリアと結婚したかった。……っ……何でお兄様がリアと結婚したの? こんなんじゃ、っリアが可哀想だ!」



 そう言ったかと思うと、ジェラルドはそのままどこかに走り出した。



 そしてイーサンはそんなジェラルドを追いかけ、彼女の侍女は何故かイーサンを追いかけるようにして部屋から飛び出して行った。

 こうして、その場にはジェロームただ一人が残った。



「マティアス様、どうか、今一度エミリア様についてお考え直し、謝罪をなさってください」



 そう声をかけられ、俺は謝罪をパフォーマンスと言われたことを思い出し、ギュッと胸が苦しくなった。そして、ジェロームの厳しい視線を浴びながら、一人自室へと歩いて行った。



 ジンジンと痛む頬。口内に広がる血の味。それらのせいか、先ほどぶつけられた叫びや怒りがずっと脳内をリフレインしている。



 そして部屋に戻り、一人の空間で頭を抱えた。



――俺はどうしたら良かったんだ?

 勝手に結婚して、あいつらとの約束を守れなかった……。

 それに彼女のことも傷付けて、ジェラルドたちのことも傷付けた。



 あまりにも最悪過ぎる状況に、為す術が考えられない。もう本当にどうしたら良いのかが分からない。



 そんな時だった。部屋の扉がガチャっと開き、そこからエドが顔を覗かせた。



 ◇◇◇



「ジェラルド!」

「お待ちください。イーサン様!」



 ジェラルドを呼び止めようと声をかけ追いかけ始めたところで、後ろから俺を呼び止める声がかかった。



 いつもだったら絶対にそんなことをしないエミリアさんの侍女だからこそ、俺は緊急事態かもしれないと思い足を止めた。

 すると、彼女は憤怒の表情で俺に詰め寄るようにして、あることを訊ねてきた。



「ミア・オルティスとマティアス様がどのような関係なのか、詳しく説明してください」

あともう一話、マティアス視点です。

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