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40話 強引な人

「俺……やっちゃったかも……」

「え……」



 イーサン様と目を見合わせた直後、私の口からも声が漏れた。するとその瞬間、エドワード様が私たちの存在に気付いたようで、こちらに向かって声をかけてきた。



「あっ! イーサンじゃないか!」



 その声を聞いて反射的にエドワード卿の方を見ると、エドワード卿は大きく手を振りながら、私たちの元へと駆け寄ってきた。

 すると、卿はイーサン様が抱っこしていたジェリーにも話しかけた。



「ジェラルドも一緒か! 俺が六歳の頃は、そこら中駆け回ってたぞ~。抱っこされてるなんて、ジェリーは相当甘えん坊なんだな!」



 そう言うと、エドワード卿はおもむろにジェリーの頭を撫でようとした。



 だが、そこまで親しくないも大人に突然話しかけられたうえ、頭に手が伸びてきて驚いたのだろう。ジェリーは怯えたようにイーサン様の服を掴んだ。少し傷付いたような表情もしている。



 すると、流石にエドワード卿も何か感じたのか、ジェリーの頭を撫でる前に手を引っ込めた。



「お……驚かせてしまったみたいだな。悪い……ごめんな?」



 そう言って、エドワード卿はジェリーに謝った。すると、ジェリーはうんと頷きを返した。

 その様子を見て安心したのだろう。エドワード卿はいかにもホッとした表情を見せ、いきなり話を切り替えた。



「ところでイーサン」



 突然、卿がイーサン様に視線を向けた。そして、申し訳なさそうにしていた顔が、みるみると楽しそうな笑顔に変わっていった。

 そして、彼は少しニヤニヤとした様子で、イーサン様に言葉を続けた。



「イーサンも隅に置けないな。もしかして……婚約者か?」



 そう言うと、エドワード卿は初めて私に視線を向けた。ばっちり目が合った彼は、まるで真夏の太陽のような笑顔を向けてきた。悪いが、眩しすぎてつい目を背けたくなる。



 すると、突然左手の小指に何かがツンツンと軽く触れる感触がした。そのため、左隣にいたイーサン様の顔を見ると、イーサン様が声には出さず「ごめん」と口を動かした。

 かと思うと、エドワード卿に向き直り口を開いた。



「エドワード卿。彼女は俺の婚約者ではありません。エミリアさんは俺のお義姉さん。つまり……兄上の妻です」

「えっ……彼女が噂の……」



 そう言うと、エドワード卿は力が抜け切った様子になり、ただただ純粋に驚いたというような表情に切り替わった。



――私の噂……?



 どのような噂か非常に気になる。だが、聞いてもまともな答えが返ってきそうにないと思う程、彼は状況を飲み込んでいる途中というような顔をしていた。



 そのときだった。エドワード卿の背後から怒号のような声が響いた。



「おい!!!!!!」



 その声が聞こえた瞬間、イーサン様は素早くジェリーを地面に下した。ジェリーも空気を察知して、私の服の裾を思わずと言った様子でギュッと掴んだ。

 そのため、私は守るような気持ちでジェリーの肩に手を添え、私の方へと引き寄せた。



「ジェリー、私がいるからね」

「うんっ……」



 心配そうな顔をしたジェリーに声をかけ顔を上げると、先ほどの怒号の主であるマティアス様がちょうど私たちの元へとやってきた。

 そして、来るなりマティアス様はイーサン様の胸倉を思いきり掴んだ。



「イーサン、お前っ――」



 誰が聞いても分かるほど、本気で怒っていることが分かる声だった。

 一方怒りをぶつけられているイーサン様はというと、ニヒルな表情のまま冷めた目でマティアス様を見つめ、されるがままになっていた。



 そんな目の前の光景に衝撃を受けていた時だった。怒りに染まった視線が、私を射貫いた。ギロリと向けられた双眸に、私は思わず後退りしそうになった。



 すると、そんな私にマティアス様が話しかけてきた。



「付いてこい……」



 そう言われても、ついて行きたくない。怖くて、思わず足がすくんでしまう。そのときだった。



「リアをいじめないでよ!」



 そう言いながら、ジェリーが私とマティアス様の前に飛び出した。そんなジェリーを見て、マティアス様の表情からほんの一瞬怒りが抜け落ちた。

 だが、すぐに複雑そうに眉間に皺を寄せ、必死に怒りを堪えた様子でジェリーに説明を始めた。



「いじめてるんじゃない。話したいことがあるんだ」



 そう言うと、突然マティアス様は手を伸ばして、力任せに私を自身の胸元へと引き寄せた。そして気付けば、力に抗えなかった私の目の前はマティアス様の天突(てんとつ)だった。



――どうしてこんなことを?

 こんな態勢じゃ話も出来ないわ。



 そう考え、私はマティアス様から離れようと彼の胸を押したがビクともしない。それどころか、マティアス様は私が逃げないよう左手を背中側に回し、私の右肩を抑えるようにして掴んだ。



「兄上、エミリアさんを放せ。エミリアさんに乱暴するな」



 マティアス様を制止するイーサン様の声が聞こえた。すると、もう一人声の主が増えた。



「おい、マティアス。奥さんだろ? そんなっ……」

「エドは何も気にするな。気にしなくていいんだ」



 そう言いながらも、マティアス様はエドワード卿から何かを感じ取ったのか、私を解放した。だがその直後、マティアス様は私の手首を掴み、耳元に口を寄せて囁いた。



「今すぐ書斎に行くぞ。ジェラルドが見てるから、怖がった顔を見せるな」



――有り得ないわ。

 この期に及んでそんな心配?

 人を何だと思っているの?



 そんな思いが込み上げ、私の心は恐怖よりも怒りが勝った。



 そして、マティアス様は耳元から離れると、私を引っ張って歩き出そうとした。だが、そんなマティアス様の腕をイーサン様が掴んだ。



「エミリアさんを連れて行くな。話したいことがあればここで話せばいい」

「黙れ。これは俺たち二人の問題だ」

「そんなわけあるか。行くというのなら、俺も一緒に行く」

「お前が居たら話し合いにならん。行くぞ、エミリア」



 初めて、マティアス様に名前を呼ばれた瞬間だった。なんて最悪なことだろうか。

 そんなことを思っていると、イーサン様が声をかけてきた。



「エミリアさん、行かなくていい」



 そう言うと、イーサン様はマティアス様に掴まれてない方の手を握ってきた。だが、マティアス様がすぐにそのイーサン様の手を払いのけた。



――ジェリーの前で、もうこれ以上争う姿なんて見せられない。

 もう行くしかないわ。



 そう腹を括り、私はイーサン様に声をかけた。



「大丈夫です。お話しするだけですから。近くに使用人たちもいますので」

「そんな……」



 イーサン様は悲痛に満ちた表情をしたが、致し方ない。そして、私はマティアス様に声をかけた。



「マティアス様、行きましょう」

「ああ」

「イーサン様は絶対にジェリーと一緒にいてください」



 そう言うと、マティアス様はチラッとジェリーに視線をやった。その視線の先には、固まったまま動けなくなっているジェリーがいたはずだ。



 すると、そんなジェリーを見たためか、マティアス様が私にグッと顔を近付け、周りには聞こえない声で話しかけてきた。



「ジェラルドに見られてる間は、仲の良いふりをしろ」

「手遅れですよ」

「っいいから、言う通りにしてくれ」



 一方的にそう告げてきたかと思うと、マティアス様はエスコートをするように右手で私の右手を掴んだ。



――これで騙せたつもり?

 本当に馬鹿な人……。



 そんなことを思っていると、マティアス様はさらに私の左肩に左手を回した。こうして、私たちは本当に仲の良い恋人同士かのような態勢で、屋敷内へと歩みを進めた。



 そして、ジェリーが確実に見ていないというところまで来ると、マティアス様は私を軽く突き放すかのようにバッと離れた。それ以後は、距離を取って無言のまま書斎へとただひたすら歩いた。

天突は左右の鎖骨の間(中央部)にある窪みのことです。

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