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39話 弟たちの気遣いと胸騒ぎ

 マティアス様が唐突にオルティス領に行ってから六日後、彼は本当にエドワード卿を連れて帰ってきた。



――本当に連れて来るだなんて……。

 勝手な人だわ。



 そんなことを思いながらも、一応女主人としての体裁を守るべく、私はマティアス様たちを出迎えに玄関に向かった。



 ちなみに、イーサン様とジェリーは乗馬に行っている。私も誘われたが、いつ帰って来るか分からないうえ客人が来るかもしれないということもあり、念のために屋敷に留まっていたのだ。




 そして玄関に到着し、二人が入ってくるのを待っていた。

 すると、マティアス様は真っ先に家の中に入って来るなり、急いだ様子で私に駆け寄って話しかけてきた。



「大事な話がある。書斎に来てくれ」

「でも、先にエドワード卿に挨拶を――」

「良いからっ、とにかく来てくれっ……」



 あまりにもピリピリとした様子で言うものだから、困惑しながらも、一応マティアス様と書斎に向かった。



 そして、書斎に入り扉を閉めたところで、マティアス様は訳の分からない発言を始めた。



「絶対にエド、っエドワードには会わないでくれ。それか仮に会ったとしても、絶対に妻だと言わないでくれ」

「何を仰っているんですか? この社会において、妻が客人に挨拶をしないだなんて、マナー違反ですし相手の方に無礼です。世間は私とあなたの結婚を知っているんですからっ……」



 家の中でなら、妻と認めないと好きなだけ言えばいい。だが、他の家門の人間の前では、そういう訳にはいかなかった。

 そのため流石に言い返したのだが、マティアス様は頑として意見を譲ろうとはしなかった。



「だから認めてないってっ……あぁもう! あいつは無礼とか気にしない。とにかく絶対にあいつにだけは言わないでくれ!」

「なぜですか? そんな非常識な願い、理由も分からず簡単に受け入れられません」

「なぜあなたに説明しないといけない!」

「私の人としての矜持が傷付けられるからです。認めるか認めないか、そう言う話ではありません」



 そう言うと、マティアス様は苦渋の表情を浮かべ、必死な様子で声を絞り出した。



「とにかく、どうしても事情があるんだ! 頼む……お願いだから……」



 そう弱気な声を漏らすマティアス様は、あまりにも切羽詰まったような顔をしていた。そんな彼を見て、私は完全に呆れ果てながら答えを返した。



「もうお好きにどうぞ」



 そう言うと、彼はハッと私の顔を見つめてきた。初めてきちんと正面から顔を見たような気がする。なんて思っていると、彼は途端に軽快な様子になり、扉を開けた。



 そして、「本当に頼んだからな」と念押しするように言うと、そのまま部屋から出て行った。



 そんな彼を見て、私は呆れるを通り越して、無になりそうだった。人の痛みなんて関係ないというような自己中心的な彼に、心底嫌悪が募る。



――あれが人にものを頼む態度なの?

 それに、私がエドワード卿と会ってはいけない理由とは何?



 そんな怒りと謎を抱えながらも、私は自室に引き籠ることにした。今日部屋の外に出る用事が、ディナー以外無かったからだ。

 そして当然の流れとして、今日のディナーは自室で食べるとティナに言伝を頼んだ。



 こうして部屋に戻ってから一時間が経過した。時刻はちょうど、ディナーの時間だ。



――そろそろ、持って来てくれるかしら?



 そんなことを思っていた時だった。

 ディナーを運んできた使用人が扉をノックする音が聞こえてきた。

 しかし、そのノックの音には少し拙さを感じた。



――もしかして、ジェリー……?



 そう思いながら、ティナに声をかけ私が自ら扉を開くと、そこには予想通りジェリーが立っていた。



「ジェリーどうしてここに? ディナーの時間でしょう?」

「うんっ、そうだよ!」

「そうだよって……」



 なぜジェリーがいるのか分からず戸惑った。しかし、不意にジェリーの背後に、二人分のディナーを載せたワゴンがあることに気付いた。

 すると、ジェリーは私の視線に気付いたのだろう。一度ワゴンに視線をやった後、嬉しそうに私を見上げながら口を開いた。



「リア、今日は一緒に食べよう!」

「それは嬉しいけれど……ジェリーは他の皆と一緒に食べなくていいの?」

「僕はリアと一緒に食べるのが一番好き! 冷める前に早く食べよう!」



 そう言うと、ジェリーは私の手を引っ張り部屋の中に入った。そして食事中にジェリーは、「二人で食べると美味しいね」「今日は僕がリアを独り占め出来て嬉しい」「リアと話すのが一番楽しい」なんて言ってくれた。



 温かい言葉ばかりかけてくれる上、心を閉ざしていた子が二人で食べると美味しいなんて言うものだから、グッと想いが込み上げそうになった。

 とっさに近くにいるティナに目をやれば、マティアス様には氷よりも冷たい目を向ける人とは思えないほど、温かく優しい微笑みを見せている。その目には、ほんのりと涙が溜まっているようだ。



――ジェリーがこんなに優しい子で本当に良かった。

 でも、良い子過ぎるから、心配をかけないように気を付けないと……。



 そんなことを思いながら、私はジェリーとの楽しい食事の時間を過ごした。



 ◇◇◇



「ねえ、ティナ」

「どうされましたか?」

「マティアス様って、普段からあんなに笑う人だったのね」



 次の日、部屋の窓から外を見ると、マティアス様と恐らく客人であろうエドワード卿が目に入った。

 マティアス様は、見たことが無いほど楽しそうな笑顔を見せている。その表情からは、いつも私に見せる不機嫌さや怒りなど、まるで想像がつかない。



 そんな彼を見てやるせない気持ちになり、私はふと机の上に置かれた花瓶の花と箱を見た。



 花瓶の花は、今日の朝食前にジェリーとクロードが届けてくれた花だ。

 そして隣の箱は、先ほどリラード縫製から届いた、マティアス様とイーサン様に贈る予定のぺリースだった。



――はあ……このぺリースを渡せる日が来るのかしら。

 出来は本当に完璧なのに……。



 そんなことを思いながら、私は自室で昼食を済ませた。すると、しばらくし部屋の扉がノックされた。そしてティナが扉を開けると、そこにはジェリーとイーサン様が居た。



「どうされましたか?」



 イーサン様までいるとは思っていなかった。

 そのため、どうしたのかと訊ねると、イーサン様は爽やかな語りで、ある誘いをしてきた。



「ずっと部屋にいたら息が詰まるだろ? 俺らと一緒に、ちょっと庭で散歩でもしない?」

「しない?」



 ジェリーがイーサン様の言葉を真似た。そんなジェリーのかわいさに、思わず笑みが零れた。



 そのため、いつもの調子で行くと言いかけたが、瞬発的に私の理性がそれを制止した。

 そんなことをしたら、二人がマティアス様に怒られてしまうのではないだろうかと、心配になったからだ。



「良いんですか? マティアス様に――」



 そう言うと、ジェリーが言葉を被せてきた。



「ここはリアの家なのに、ダメなわけないよ!」

「そうだよ。それに、兄上たちは今出かけたんだ」



 それを聞き、ならば大丈夫だろう。そう判断した私は、安心して二人と散歩することにした。

 そして、行くと返答したその直後、ジェリーがある提案をしてきた。



「そうだ! 僕がリアをもっと可愛くしてあげる! さっきイーサンお兄様で練習したんだ!」



――一体どういうこと?

 イーサン様で、可愛くする練習?



 そんな疑問が湧いてから十分後、ジェリーが私の髪で細めの三つ編みを完成させた。すると、その三つ編みを見てティナがある提案をした。



「今日のお嬢様はハーフアップですので、この三つ編みでお花を作ったら可愛いですよ」



 そう言われ、ジェリーは興味津々でティナの案に乗り、指示通り三つ編みを弛ませた。

 そして、仕上げはティナが引き受け、その三つ編みをクルクルと器用に巻き止めた結果、私の後頭部に恐らく三つ編みで作った花が完成した。



 それから、私は満足した様子のジェリーとイーサン様と散歩を始めた。ジェリーは私の髪型を見たいと、イーサン様に抱っこをされた状態だった。


 

 こうして私たちは、和やかな雰囲気で他愛のない話をしながら、庭の方に向かって歩みを進めていた。



――何だか、イーサン様の方がよっぽど私の夫みたいだわ。

 凪のような人ね……。



 そんなことを思った時だった。イーサン様が少し遠い目をしながら、ポツリと呟いた。



「……エミリアさんには悪いけどさ、俺たちが夫婦って方がまだ自然だね」



 そう言われ、私は一瞬心を見透かされたのかと思った。だが、そんな訳はない。

 私はイーサン様のこの発言に苦笑を返し、ジェリーも含めた三人で、また新たな話に花を咲かせた。



「じゃあ、庭の井戸のところで折り返そうか」



 そうイーサン様が提案した。私もちょうど良い距離だと思い、それが良いだろうと返事をした。



 そして、井戸まで歩みを進めていたそのときだった。井戸の近くに、ある一人の人影が見えたのだ。



――あれはもしかして……エドワード卿?

 どうしてここに居るのかしら?



 そう思い隣にいたイーサン様を見たところ、イーサン様はいかにもまずいという顔をして、声を漏らした。



「俺……やっちゃったかも……」



 そう言うと、イーサン様は私と目を見合わせた。

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