35話 知っているからこそ〈マティアス視点〉
俺は戸惑っていた。ジェラルドと彼女が、何故あんな反応をしたのかが理解できなかったからだ。
別におかしなことを言ったとは思っていない。だが、あの二人の反応を見る限り、俺らが何か言ってはいけないことを言ったのだろう。あの表情は、それを如実に物語っていた。
「イーサン……。ジェラルドは、ライザの話であんな反応をしたのか?」
「さあ……。でも、あの反応を見るにきっとそうだと思う。だけど、何でだ? まるで見当がつかないよ……」
イーサンも理由が分からないらしく、俺と同様に困惑している。
――いったいどうしたというのか……。
ジェラルドたちの反応の理由を考えていた時だった。突然、使用人の一人がダイニングに入って来たかと思うと、困った顔をして話しかけてきた。
「お食事中に失礼します。実は、マティアス様の客人だという方がいらっしゃっているんです。しかし、執事長は客人ではないと言っておりまして……。ただ、私はマティアス様とイーサン様の乳母だから、もし追い返したら当主一家が許すわけがないと言われ、皆、手が出せないのです。来てくださいませんか?」
――まさか、ライザかっ……!?
「イーサン、行くぞ」
「ああ」
使用人の言葉を聞き、俺らは即座に玄関に向かった。すると、最後に会ったときからは想像できない程、酷くみすぼらしい姿をしたライザが視界に入った。
「あぁ! マティアス様、イーサン様! 来てくださったんですね! どうか私の話を聞いてください!」
そう言うと、ライザは俺の身体に縋るように服にしがみ付いてきた。
「ライザ……どうしてこんな姿に……。何がどうなってる?」
「全部あの女のせいです! あの女が、私を追い出したんですっ……!」
――あの女とは、エミリアのことか?
さっきのジェラルドの様子も気になる。
話を聞こう。
そう判断したタイミングで、イーサンがライザを談話室に通しては? と提案してきた。そして、俺はその提案を飲んだ。
すると、提案者のイーサンは「少しジェラルドたちの様子を見て、話を聞いてくる」と言った。
そのため、俺はイーサンに許可を出し、ライザを談話室に通して、イーサン抜きでライザの話を聞くことにした。
談話室に移動すると、ライザはおいおいと一層涙を流し始めた。その様子が、母上が亡くなった時のライザの姿を思い起こさせ、俺は胸がツンと痛んだ。
「それで……ライザ。何があったんだ?」
そう問いかけると、ライザは悲憤に満ちた表情で、ハンカチを目元にあてがいながら、声を発した。
「エミリア・ブラッドリー! あの女が、私を陥れたんです! あの性悪が私を嵌めて、ジェロームまでも騙して丸め込んだんです!」
そう言うと、ライザはより強い泣き声混じりで喋りを続けた。
「私は……うぅ……っどうしようも出来なかったのです……! 立場が下だからっ……。あの女は、私をいたぶり殺すと言いましたっ……。それでっ……うっ……今までずっと逃げて生きて来たんです。助けてくださいっ!」
その話を聞き、ふと様々なことが脳内を馳せた。
丁寧にまとめられた資料、マークや領民たちから聞いた話、クロードやジェロームをはじめとする使用人たちの話、そして、決めつけないでと言った彼女の言葉……。
そして、気付けば自然と言葉が口を衝いて出た。
「……いや、エミリアはそんなことを言う人間じゃない。あいつは、そんな不誠実なことはしない」
そう告げると、ライザは化け物を見たかのように驚いた顔で俺を見て、慌てたように言葉を返して来た。
「なっ! まさか、マティアス様も騙されたのですか!? ジェロームも騙されて、唯一の救いだと思っていたのに……どうして!?」
ライザは、いつも俺やイーサンに優しく接してくれて、面倒を見てくれた。言うなれば、母よりも母のような存在だ。
そんなライザの泣き顔を見ていると、とても嘘をついているとは思えない。
だが、エミリア・ブラッドリーという女の人間性を少しだが知った以上、そんなことをする奴とは思えなかった。追い出しはしたとしても、いたぶり殺すなんて言う姿は考えられない。
――それに、ライザの名前を出した時のさっきのジェラルドの反応……。
きっと、ライザと何かあったことには違いない。
そう思い、俺は近くにいた使用人にイーサンを呼んでくるよう頼んだ。すると、すぐにイーサンは談話室へとやってきた。
「イーサン、何か分かったか?」
そう訊ねると、イーサンは顔を曇らせ、言いづらそうにポツリと呟いた。
「それが……ライザがジェラルドを虐待をしてたみたいなんだ……」
頭を殴られたような感覚がした。信じられなかった。
俺とイーサンは、ライザの愛情を受けて育ったも同然。虐待なんてされた覚えは一切無いし、そんなことをする人だと思ったことも無い。
そのため、俺はイーサンに急いで質問を投げかけた。
「虐待……だと? いったい何をしたと言うんだ!?」
そう訊ねると、イーサンは先程よりもずっと言いづらそうに言葉を発した。
「ジェラルドに……っ人殺しだと言っていたらしい」
その発言を聞き慌ててライザを見ると、ライザは声を発せないというように口をパクパクとしながら俺らの元へと近付いてきた。
「そ、そ、そんなのっ嘘よ!」
そう言うと、泣きながら必死の形相でライザは言葉を続けた。
「ジェラルド様は賢いから、あの女に籠絡されて操り人形になって、私をこんな風に罠にかけようとしているんです!」
そう言ったかと思うと、ライザは再び椅子に座り泣き啜りながら、俺らに怒りをぶつけるように声を発した。
「帰って来てまだ三日目ですよね? 何で何年も赤子の頃から一緒にいた私じゃなくて、たった三日しか過ごしていない、よく知らない女を信じるの!?」
そう言われ、本当にその通りだと思った。自分でもおかしいと思う。何でよく知りもしない、会って三日の女の方をライザより信じているんだろうと。
でも、どうしても彼女のここに来ての行動を知ったら、彼女を信じる方がライザを信じるよりは正しい道のような気がした。
そのため、俺は念のための確認も込めて、ライザに最後の質問を投げかけた。
「ライザ、本当に彼女がライザを陥れたというんだな?」
そう問いかけると、ライザは闇の中に光を見つけたというような表情で、俺の顔を見上げ口を開いた。
「はい! そうです!」
そう言った瞬間、ライザは親指の爪を人差し指で隠した。長年居るからこそ分かる。
ライザが嘘をついた証拠だった。
だが、俺がその嘘に気付いたと知らず、ライザは途端に意気揚々と言葉を続けた。
「エミリア・ブラッドリー。あの人は本当に恐ろしい人です。あの性悪女が――」
「彼女は性悪なんかじゃない。性悪はお前だ」
「え……? 何を言っているんですか? マティアスさ――」
「そんなやつとは思っていなかった。俺たちへの態度を信じてジェラルドを託したんだっ……。それなのに、ジェラルドを傷付けるとは! そんなやつと思ってなかった……。信じた俺が馬鹿だった!」
そう叫び、俺は即座にイーサンに指示を出した。
「イーサン、衛兵を連れてこい!」
そう告げると、イーサンは衛兵を呼びに行き、彼らはすぐに到着した。そのため、俺は衛兵たちに指示を出した。
「ライザをステュカイア拘置所に移送しろ」
「なっ、なぜです……。マティアス様……!? マティアス様っ……!」
そう言いながら、ライザは衛兵に連れて行かれた。
そして、ライザが完全に屋敷の外に出たことを確認し、俺は思いきりため息をついた。すると、近くにいたイーサンがショックを受けたように独り言ちた。
「本当にライザが……。なんてことだ……」
信じたくはないが、信じざるを得ないだろう。その思いから、俺はイーサンに問いかけた。
「お前もライザの親指を見ただろう?」
「ああ、完全に隠してた……。やっぱりそうなんだろうな……」
そう言うと、イーサンはとてつもなく落ち込んだ様子を見せながら、トボトボと自室に戻って行った。
俺も今日はかなり神経を摩耗した。
だからこそ、イーサンのようにすぐに部屋に戻りたかったが、ジェラルドの様子が気がかりだった。
そのため、様子を見てから部屋に戻ることに決め、ジェラルドの部屋へと歩みを進めた。
◇◇◇
「――っ! まだいたのか……」
ジェラルドの部屋に入ると、ベッド脇の椅子に座り、ジェラルドの手を握ったままベッドに突っ伏している彼女が目に入った。
――夜はまだ冷える。
風邪をひくかもしれないというのに……。
ジェラルドに移されでもしたら困る。
そう思い、俺は近くにあったブランケットを、起こさないよう気をつけながら眠っている彼女にかけた。
そして、ジェラルドの安心しきった寝顔を確認し、俺はそっと部屋を出た。
――彼女が妻でなければどれだけ良かったか……。
でもまあ、今回はジェラルドを助けてもらった功績がある。
一応、今日のライザの話はした方が良いだろう。
そう思っていると、ジェロームが俺に近付いてきた。するといきなり、俺に謝罪を始めた。
「私だけで止めきれず申し訳ございません。また報告もしておらず、大変申し訳ございませんでした」
「……俺らにライザのことを報告出来る状況じゃなかったことは分かってる。もう謝るな」
「ですが――」
まだ謝罪を続ける気なのだろう。そう思い、俺はジェロームの言葉を遮って頼みごとをすることにした。
「明日……エ、エミリアにライザのことを報告する。ティータイムのセッティングを頼む」
そう言うと、ジェロームは呆けたような顔をして俺を見つめてきた
だが、ジェロームはすぐに表情を引き締め「承知いたしました」と凛々しい返事を返してきた。
こうして、俺はようやく自室に戻った。
次話、エミリア視点に戻ります。
ストレス注意報発令です。




