第五十話 舞台裏の一幕
──最悪です。
わたしはセシル元帥との間に右手を入れたまま睨みました。
あやうく唇が触れるところでした。
左手では彼の胸にナイフを突きつけています。
「調子に乗らないでください。口づけまで許すと誰が言いました?」
「恋人の振りをするならこれくらいやったほうがいいんじゃない?」
「それを決めるのはわたしです。今すぐ離さないと刺します」
「僕を殺したら君は社会的に死ぬよ」
「推し以外に唇を許すなら死んだほうがましです」
セシル元帥は──いえ、もうこの際敬称は要らないですね。
この正論お化けのセシルは肩をすくめて離れました。
「徹底的にやったほうがいいと思うけどね。中途半端にやるよりさ」
「口先だけで何もしていないあなたは黙ってください。不愉快です」
「……君みたいに行動出来たら、どれだけよかっただろうね」
セシルは眩しそうに目を細めました。
ちらりと舞踏会場に視線をやり、寂しそうな顔をします。
「せめてギルに説明くらいしてあげてもいいんじゃないかな」
「説明をしたら、ギル様は死にます。この国も滅ぶでしょうね」
「第八魔王の手によって、かい?」
「はい。アレを倒せるのはギル様だけなので。説明をしたでしょう」
「まぁ……君の計画を聞いたから、僕もこうして協力してるんだけどさ」
セシルは肩を竦めました。
「アミュの視線が痛いんだよなぁ」
「愛のない婚約者だから心が痛まないと言っていたのは誰ですか」
「そのはずだったんだけど……僕は思ったよりアミュが好きみたいだ」
「それなのにわたしの唇を奪おうとしたんですか。クズですね。死んでください」
「僕は正しいことをしようとしただけだよ」
……本当にこの正論お化けは嫌いです。
わたしは相手にするのが馬鹿らしくなって舞踏会場を出ることにしました。
「もう行くのかい?」
「目的は果たしました。あとはギル様がすべて何とかしてくれます」
「何も言ってないのに?」
「あの人はわたしの推しですからね」
わたしの意図が伝わるとは思っていませんし、伝わらないほうがいいです。
でも、ギル様は為すべき時に為すべきことを為せる方です。
それだけの力が彼にはありますし、彼はもう、一人じゃありません。
「君はそれでいいの?」
「良いに決まってます。今さら何を言ってるんですか」
「そうかい……じゃあなんで、君は泣いてるのかな?」
…………涙?
わたしは思わず目元に手をやりました。
濡れています。拭いても拭いてもあふれ出して邪魔くさいです。
「君のそれが、答えじゃないのか?」
わたしはセシルの頬をかすめるようにナイフを放り投げました。
何やら話しかけたそうなアミュレリアの横を通り過ぎ、その場を後にします。
夜の闇を街灯の明かりが押しのけ、スポットライトのようにわたしを照らします。
──今日の一件でギル様は完全にわたしを嫌ったでしょう。
約束をすっぽかし、わたしを庇護したい彼の想いを踏みにじってセシルに近付いたのです。命令違反と時間無視はギル様が最も嫌うことだったはず。
いくらわたしを仲間と認めてくれても、愛想を尽かしたに違いありません。
「だから、頼みますよ。ギル様」
わたしは瞼の裏に推しの顔を思い描き、祈りを捧げました。
「──どうかあなたが、正しい選択をしますように」





