春が来た (2)
「皇太后のインタビューですか……クルト、君が行ってみますか?」
「俺?」
思いもかけぬ指名に、クルトは目を丸くする。
「尼僧院ですから、男の私より、子どものクルトのほうが出入りもしやすいでしょう。いかがです?」
イザークは笑顔で頷き、それが本気の提案であることが分かった。クルトも目を輝かせ、やります、と威勢よく返事をする。
「皇太后のいる尼僧院には、俺が送ろう。気楽に居場所を教えてよい相手ではないからな。だからわざわざイザークに持ちかけたんだ。俺が選んでもいいと、宰相からも許可をもらった」
「私も行きたい」
話すグライスナー参謀に、ルティが急いで口を挟む。ルティの主張には、全員が目を丸くして彼女を見た。
視線が集中する気まずさは感じながらも、ルティも怯まず参謀を見上げる。
「おじいさまの落胤だなんて、そんなデタラメ許せないの。絶対に、おばあさまから証言をもらってくるから!それに……私、あの人と話もしてみたい」
果たしてまともに話をしてくれるかどうかも分からないが、前の時は、何も聞けなかった。何を聞きたいのか正直はっきりとした考えがあるわけじゃないけれど、巻き戻り前にやらなかったこと、今度こそ心残りのないようやり遂げておきたい。
何もしなかったことを、また後悔するのは嫌だから。
「……殿下のご同行については、私の一存でお返事することはできません。こればかりは、陛下に直接申し上げてください」
うん、とルティは頷いた。
ユーリにお願いすべき、というのはその通りだ。彼女抜きで決めていい話ではない。
ユリウス二世の落胤と噂されるラグランジュの聖女の話を聞いた時、例によって例のごとく、ルティはフェルゼンを呼んで話し合った。
ユーリの妹は巻き戻り前の世界でも登場し、当時のルティはその話を聞いて大きなショックを受けた。
それもそのはず。巻き戻り前のルティはユーリの血の繋がらない妹となっており、皇帝の妹という地位にすがるしかなかった自分にとっては、本物の妹の登場なんてものは、天地がひっくり返るほどの大問題であった。
「……でも、巻き戻り前の世界だと、腹違いって単語はついてなかったような」
ユリウス二世の落胤なのは同じだが、今回ははっきりと、異母姉妹となっている。
些細な違いのようにも思えたが、なぜはっきり違っているのか、ルティは不思議がった。
簡単なことだ、とフェルゼンが説明する。
「今回は皇太后ドロテアが存命だ。いくらなんでも、それで同母妹を主張することはできまい」
「そっか。おばあさま、巻き戻り前の世界ではとうに亡くなってたんだった」
それで、死人に口なしとばかりに好き勝手主張したが、今回はそうはいかなかった。ユリウス二世の落胤で、腹違いの妹というのが精一杯。
……でもそれって、何か変わるのだろうか。
「大きく変わる。例えユリウス二世の血を引いていようとも、皇后の子でないのならば、ラグランジュの聖女に皇位継承権はない。ただの庶子でしかなく、皇女ではないのだから」
結婚は、絶大な力を持つ契約だ。正式な結婚で結ばれた后の子でなければ、例え皇帝の子でも皇子にはなれない。
だからこそ、ルティやエディはわざわざミーナの子となったのだ。ユリウス三世の后ミーナの子となったから、ルティはようやく皇女の身分を得た。
つまりラグランジュの聖女は、ユリウス二世の子であろうと帝国に大きな影響は与えない。
……ということだろうか。
「そういうことだ。大きな変化だろう」
「そうなの……かな?」
首を傾げるルティに、フェルゼンがぽつりと呟く。
「皇太后からの証言が得られれば、ユリウスの立場がよりいっそうはっきりするのだがな……」
とりあえず皇太后に会いに行く予定を決めた後、クルトたちと別れ、ルティは城へと戻ってきた。グライスナー参謀に送ってもらって。
「私がおばあさまに会いに行くなら、きっとペルも一緒じゃないと許してもらえないよね」
「そうですね。ご自身の化神を随行させることが絶対条件となることでしょう。そのための大紋章ですし」
参謀の言葉に、ルティはしゅんとなる。
彼の言うとおり、ルティを守るために宿した紋章だ。こういう時こそ、その力が必要になる。だが、いまのペルは大きな問題を抱えていた。
「ペル……まだ目が覚めないの」
カリラ湖の城から戻ってきて数ヶ月。ペルはまだ眠ったまま。
「初めて力を使ったから、ペルも加減がよく分からず、無駄に消耗してしまったのかもしれませんね。あれから殿下もしっかり学び、成長しておられますから、次はきっと、力を使いこなせます」
参謀のフォローにうん、と頷きつつも、次が来るためには、ペルが目を覚ます必要があるという事実を思い知らされてうなだれる。
部屋に戻って、いつものようにクッションに寝かせてあるはずのペルに会いに行って、ルティは悲鳴を上げそうになった。
「ペル!?そんな――ペル、どこにいったの!?」
ペルが眠っているはずのクッションから、ペルの姿が消えている。クッションはペルが乗っていた形にへこみ、まだあたたかい。ついさっきまで、ペルがそこにいたと分かる状態だ。
なのに、ペルだけがいない。
呼びかけ、部屋中を探し回ってもどこにもいない。嫌な予感しかしなくて、泣き出したくなるような気分で部屋の中をひっくり返していると、失礼します、という声が聞こえてきた。
「リーゼロッテ殿下……ああ、帰っていらしてたんですね。ちょうど良かった」
部屋を訪ねてきたのは、財務官ザイフリートだった。
手に、ペルを抱えている。ペルは愛くるしい瞳を向け、尻尾をふりふりしていた。
「ペル!」
「いつの間にか私の執務室に来ていまして」
財務官の手からペルを受け取り、ぎゅっと抱きしめる。
ふわふわでいつもなら真っ白な毛は、いまは口元が茶色っぽくなっている。なんだか甘い匂いもするような。
「キーゼルのお友達用に準備しておいた菓子をむしゃむしゃと……。お菓子は自由に食べてもらって構わないんです。ただ、ペルくんは化神であって本物の犬ではないので大丈夫だとは思いますが、チョコレートを食べちゃったみたいで……」
苦笑する財務官に、もう、とルティは呆れたようにペルを見た。
「ペルのために、ご馳走ちゃんと用意して待ってたんだよ。他の人のを盗み食いしちゃだめ」
たしなめてもう一度ぎゅっと抱きしめれば、ペルは分かっているのかいないのか、無邪気に尻尾をふりふりしていた。
ペルが無事に目を覚ました翌日、珍しくフェルゼンのほうからルティのところへやって来た。
皇太后に会いに行くのか、と。
ユーリから許可をもらったことを、もう聞き付けたらしい。
「コンラート様とクルト、それからペルとシャンフを護衛に連れて、一緒におばあさまのところへ行ってくるわ。有力な証言が得られればいいんだけど……具体的に、何の質問したらいいと思う?」
「彼女が何人、子を生んだか」
フェルゼンが即答し、ルティは目を瞬かせた。
その質問をしてこい、ということだろうか。
「重要な答えだ。皇后が生んだ子どもは娘一人だけ――その答えが得られれば、ユリウスこそがローゼンハイム帝国唯一の跡継ぎであることが確定する」
フェルゼンの言葉が理解できず何度も首を傾げているルティに、フェルゼンが説明を付け加えた。
「前の世界で問題になったのは、皇后が何人、子を生んだか分からなかったからだ。ユリウスも、ラグランジュの聖女も、ユリウス二世とその后が生んだ子ども。ならば、ユリウスの正統性は問題にならない。ユリウスも本物であることは間違いないのだから。だがもし、皇太后が生んだ子が一人だけならば、正統なる子どもは一人だけ――どちらかが偽者だと言われて、ユリウスのほうを疑う者は少なかろう」
「そっか。どっちも本物っていう前提の話と、本物はどっちかだけっていう話じゃ、全然違う」
フェルゼンの提案どおり、その質問は真っ先にすることにしよう。絶対に答えをもらってこなくちゃ。
「……今回、私はおまえについて行けない。やるべきことがある」
「分かってる。戦に向けて、お母様たちと一緒に準備するんでしょ?そっちのほうが大切なんだから、私のことは心配しないで」
ローゼンハイム帝国とエンデニル教団との戦の時が、迫ってきている。巻き戻り前の世界でも起きた戦だが、今回は大きく違っていることがある。
「枢機卿クレイグ・ローヴァイン……ものすごく強い軍人さんなんだよね?その人が……今回は敵になった」
フェルゼンが頷く。
戦争のことは詳しく知らないが、巻き戻り前の世界では、彼は帝国側の味方となって一緒に戦った。そんな人が敵に回ってしまって。
「勝てる……?」
「今回ばかりは、私も答えることができぬ。必ず無事に帰って来ると、そう約束することすら……」
フェルゼンの声は真剣そのもので、重苦しさがあった。今度ばかりは、先の見えない運命だ。ルティは、ギュッと自分の手を握り締める。
「ナーシャはお母様と一緒にいるし、オレーク・カルロフっていう、すごく強いオルキスの将軍も味方になってくれてるから、勝ち目はあるよね?」
「ユリウスは勝利を信じている」
いつだって、ユーリは勝利を信じて戦に出ていた。当然だ。彼女は皇帝で、大きな責任があり、敗けるつもりで戦をするはずがない。
もちろん、無意味な確信ではない。勝つ術を、いつだって考えていた。どんなに絶望的な状況でも。
フェルゼンも、今回はできる限り情報を渡すつもりだ。
話すことのできない巻き戻り前の情報――何とか話してみないと。
「みんな無事に帰ってきてほしい。フェルゼンもよ」
「――その前に、おまえもだ。ラヴェンデル尼僧院でのようなことは起きぬだろうが、気を付けて行け。皇太后がどんな女なのか、私もよく知らぬ」
うん、とルティは素直に頷いた。
たしかに、ラヴェンデル尼僧院での出来事を思い出すと、ちょっとだけ不安になってきた。




