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持つ者の責任 (1)


疲れ果てていたのだろう、ルティとミーナは程なく眠り、すやすやと寝息が聞こえてきた。

落ち着いた様子で眠っている二人の寝顔を眺め、ユーリは微笑む。起こさないようそっと立ち上がり、セレスに近付いた。

セレスの腕の中でも、すやすやと眠るエディが。


「エディもよく眠っている。落ち着いているようだ」


眠るエディの顔が見えるようにしながら、セレスが言った。エディを起こさないようキスをし、愛らしい寝顔を撫でた。


「マティアスのところへ行ってくる」


ユーリが言えば、分かった、とセレスが相槌を打つ。

眠るルティたちのことを任せ、ユーリはまた天幕を出た。


天幕の外は、見張りの兵たちもうろうろしているし、フェルゼンもこちらを見守っているのが見えた。

この季節は日が昇るのも遅い。まだ真っ暗な空を見上げて白い息を吐き、マティアスのいる天幕へ向かった。


マティアスも城を逃げ出した時の寝衣から防寒用の衣服にとうに着替えており、ストーブの前でぼんやりとしていた。

ユーリが入ってきたことにシャンフが先に気付き、マティアスも腰かけていた寝台から立ち上がる。


「楽にしてくれ。キミの様子を見舞いに来ただけだ――キミもこの季節に外をうろつくには薄着だったからな。身体はしっかり温めたかい?」

「おかげさまで」


マティアスに近付き、彼の了解もなしに手を取って、手袋をはぎ取った。


「まだ少し冷たいじゃないか」

「やせ我慢はユーリといい勝負だろ」


シャンフが口を挟み、マティアスがじっと睨む。シャンフはおどけたように笑い、外に出てる、と言っていそいそと天幕を出て行った。


ユーリはきっちりと留めた服を緩め、マティアスの手を自分の服の中に入れた。脇に挟んで、マティアスの手を温める。

掌に伝わる柔らかい感覚に、マティアスは顔をしかめた。


「……ユリウス様。そういったことを気軽になさらないよう、何度も申し上げているはずですが」

「指が動かなくなったら大変だろう。キミだけでなく、帝国にとっても大損害となる。ノイエンドルフが泣くぞ」


マティアスは顧問官として皇帝を補佐し、書類仕事も行っている。マティアスが働けなくなれば、それだけ捌くべき書類が増えるわけだが……宰相の仕事を増やすのではなく、ユーリが頑張ればいいだけでは。

そっちの発想がまったくないユーリを、マティアスは無言で見つめる。


「……リーゼロッテ様たちのご様子は?」


色々と言いたいことはあったが、とりあえず何よりも気になるのはルティのこと。

ユーリに尋ねてみれば、よく眠っている、とユーリが答えた。


「明るくなったら、あの子たちは近くの尼僧院に避難させる。戦が終わってから、ボクたちと共にグランツローゼへ帰る予定だ。尼僧院の外には兵を待機させるし、尼僧院内にはセレスをつかせる。二度と危険のないよう、守りは固めさせる」

「私はシャンフを連れ、先にグランツローゼへ戻ります。ノイエンドルフ公に報告する必要もございますので」

「頼む。城で起きた出来事を正確に報告できるのはキミだけだからな。道中、気をつけるように」


不意に、マティアスが抱き寄せてくる。おや、と驚きの声をあげてユーリはマティアスを見上げた。

目を丸くしていたが、自分を見つめるマティアスにふっと笑い、目を閉じる。


互いの唇がゆっくりと離れた後、マティアスの大きな手がユーリの頬を撫でた。マティアスの胸にもたれかかりながら、今夜はダメだ、と呟く。


「気持ちは分からなくもないが……というか、正直ボクも残念だなとは思うが、さすがに身体がもたない」


いくらなんでも出産から一週間しか経っていない。ユーリも、意地や強がりでなんとかなる体調ではないと認めるしかなかった。


「当たり前です。私も、そこまで獣ではありません――本当は、サルダーニとの戦にユリウス様が出陣なさるのも反対です」

「キミがボクにはっきり反対意見を唱えるなんて珍しい」


内心で反対していたことはあるだろうが、基本的にマティアスはユーリに従順だ。ユーリの提案や行動に異を唱えたことはない。

特に、皇帝として決定したことについては。


マティアスは自分の胸にしなだれかかるユーリを、改めて抱きしめる。


「必ず、ご無事に戻ってきてください。リーゼロッテ様たちと共に。グランツローゼにてお待ち申し上げております」




明るくなり、昼近く。ルティ、ミーナ、エディは、セレスを始め護衛に守られて近くの尼僧院へと送られた。

尼僧院なので、男の兵士たちはもちろん入ることはできない。尼僧院の外で、密かに見張りと護衛の任に就く。


セレスと、眠ったままのペルだけが尼僧院内でのルティたちの護衛だ。


「エディは男の子だけど、入ってもいいの?」

「救いを求めてやって来た幼子を、男だからという理由で寒空の下に放り出すほど、私も鬼婆ではありませんよ」


ルティの疑問に、尼僧院の院長はころころと笑いながら答えた。


こうしてユーリたちの戦が終わるまで、ルティたちは尼僧院で世話になることとなった。


ラヴェンデル尼僧院で恐ろしい目に遭ったから少し緊張したが、ここの尼僧院はおおらかで優しい尼僧ばかりで、ルティやミーナをあたたかくもてなしてくれて、ルティもすぐに打ち解けることができた。

滞在のお礼に、ボロボロになってシミだらけの壁にルティが絵を描いてあげたら、尼僧は大喜びしてくれた。


ミーナはシェルマン王国にいた頃も何度か尼僧院で生活したことがあるらしく、とても馴染んだ様子で、尼僧たちの奉仕活動を手伝うこともあった。

尼僧院内の古くなったカーテンに綺麗な刺繍を施したり、タペストリーを編んでみたり。


セレスは化神ならではの剛力で、女性だけでは難しい力仕事を担っていた。こんな感じで、滞在している間、三人ともそれぞれの仕事をして過ごした。

ペルは一度も目を覚まさず……エディは、初日だけ何度も泣いていた。


最初の日はエディに乳を与えられる人がいなかったので、牛の乳をもらって飲ませていたのだが、飲み慣れていないからたくさんは飲めず、しょっちゅうお腹を空かせて泣いていた。

その日の夕方、ユーリが手配した新たな乳母が来てくれたので、無事に解決したが。


そして三日後。

フェルゼンが来ている、とセレスから教えられた。


フェルゼンは尼僧院に足を踏み入れることをかなり躊躇っていたが、ユーリたちのことを聞きたいルティとミーナの両方から強く懇願され、尼僧院に入ってきて、近況を報告した。


「戦況はほぼ確定した――最初に話した通り、サルダーニの戦力は大したことはなかった。戦が始まって一時間程度でこちらの勝利が揺るぎないものとなり、サルダーニ軍は撤退を始めた。戦況が決定したのを見て、ユリウスの許可ももらい、私は一足先におまえたちのいる尼僧院に向かうことにした。誰がどう見ても、こちらが優先されるべきだからな」

「じゃあ、お母様たちは無事なのね。良かった」


フェルゼンがここにいることが、何よりもユーリの無事を証明している。ルティはホッとし、ミーナも安心したように笑った。


「サルダーニ軍は去年の内に、国境近くに小さな城を建築し、そこを拠点としていたらしい。サルダーニ側がほぼ全軍引き上げたことが確認されたので、二度と利用されないよう、帝国軍は城を潰しに行っている。ゴルトベルク公も城に残っていると聞き、彼の捕縛も兼ねて」

「誰……?」


ルティが首を傾げる。


まだ勉強中の身だが、ゴルトベルク公なんて名前は聞き覚えがない。サルダーニ王国の王でも、王子たちの名前でもないはず。


「ユリウス二世の叔母の夫のいとこの孫。遠縁だが、おまえたちの親戚となる。ローゼンハイム帝国について、皇位継承権も持っている」

「では……今回の戦は、帝位を求めて……?」


ミーナが言った。フェルゼンが頷く。


「ディートリヒの離脱により、いま、ローゼンハイム帝国は直系の後継者を失っている状況だ。近隣諸国の王族は、家系図をたどればどこかで繋がっている。サルダーニ王国にも、皇位継承権を持つ人間がもちろんいる」


それでサルダーニの王子の一人が、皇位継承者を担ぎ出して帝国と戦争なんて馬鹿げたことを思いついてみたというわけだ。

帝国から領土でも奪い取れれば良し、もっと上手くいって、自分が担ぎ出したゴルトベルク公がローゼンハイム皇帝にでもなれば、サルダーニの王は決まったも同然――ローゼンハイム帝国に対する主導権を握って、自分がサルダーニ国王に。


実現すれば途方もなく素晴らしい夢だが……いくらなんでも現実的ではなさ過ぎだ。


「ゴルトベルクってどんな人……?」


サルダーニとの戦争は、巻き戻り前の世界でもあったらしい。なら、ゴルトベルク公という人とも、巻き戻り前の世界では何らかの関りがあったはず。

……なのに、自分は何も覚えていない。何も知らない。


「ヴォルフガング・エーデルトラウト・ゴルトベルク。齢七ヶ月」

「……え?」


聞き間違えた?とルティが目を瞬かせる。


「間違いではない。ゴルトベルク公は、この世に生れてまだ一度目の誕生日も迎えていない赤ん坊だ――おかしな話ではないだろう。サルダーニの王子にとっては、対ローゼンハイムとの戦争に大人しく担ぎ出され、傀儡の皇帝となることを了承してくれる相手であるほうが都合がいいのだから」


そんな、とルティは青ざめ、酷いやり方だと眉を潜めた。ミーナも悲しそうな顔をし、それが王家の血を引くということ、と呟く。


「自身の意思とは関係なく、大きな運命の流れに翻弄され、利用されてしまうものなのです……。王位継承権というものは、決して、人を幸せにはしないんですよ」


ミーナもシェルマン王国の王族に生まれて、大きな運命に翻弄されて帝国へとやって来た。自分たちはユーリに守られているから、幸せでいられるだけ。

皇族として生きることがどれほど大きなものを背負うのか、ルティは改めて思い知らされたような気がした。


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