夜中の遭遇戦 (1)
シャンフの後を追うのは、ペルに頼らずともそう難しくはなかった。侵入してきた敵と戦っているのか、シャンフが暴れているような派手な物音が聞こえてくる。
壁もいくつか壊れていて、ルティたちは壊れた壁を通り抜けることもあった。
やがて、廊下の向こうからおくるみを両手でしっかりと抱きかかえるミーナの姿が見えた……。
「ルティ!」
ミーナもこちらに気付き、急いでルティのほうへ駆け寄ってくる。ルティを抱きしめ、怪我の有無を確認して。
それからまた、ルティを抱きしめた。ルティもミーナを抱きしめ、ミーナが抱くエディの無事を確かめた。
「……化神の気配がする」
ルティとミーナから離れ、小さな声でシャンフはマティアスに話しかける。マティアスはルティたちを見ていた。
「アンタとルティだけなら、オレが担いで連れて行くこともできるが、ミーナ……それに生まれたばかりの赤ん坊を抱えてちゃ、いくらなんでも無理だ」
「皇后陛下と殿下も連れて行く。それは絶対だ」
「分かってるよ。ミーナとエディもルティにとっては大事な家族だ。オレだって見捨てられる相手じゃないって」
即座に反論するマティアスに苦笑しつつ、でも、とシャンフも考える。
敵にも化神がいるのなら、自分一人では守りきれない。戦って勝てる自信はあるが、相手に勝つこととルティたちを守ることは別だ。
せめてもう一人、一緒に戦える化神がいないと。
シャンフは、ルティの足元で尻尾をふりふりしているペルに近寄った。
「ペル。ユーリたちはこの城を発って半日程度。陣を張って休んでるだろうから、化神のアンタの足ならすぐに追い付ける距離にいるはずだ」
ペルを抱き上げ、窓際に置く。細い窓の桟に、ペルは器用に立っていた。
「セレスたちの気配を追って、異変を知らせに行ってくれ」
ペルはじっとシャンフを見上げ、それからルティを見る。くるりと外に向いて、ぴょんと窓から飛び降りた。
階下のバルコニーに器用にぴょんぴょんと飛び移り、地面に着地すると、白いもふもふとしたものは茂みに駆けて行った――ごそごそと茂みが動いた後、垂直の城壁を駆け上がり、ペルは姿を消した……。
「よし。オレたちも急いで城を出るぞ」
今度はシャンフに先導され、ルティたちは急いだ。
城はもともと人が少なかったこともあって、不気味なぐらい静かだった。ルティたちの足音が廊下中によく響くぐらい。
シャンフがもうやっつけてしまって、敵は残っていないのかも――そんなことを、ルティは考えていた。だが、シャンフが急に立ち止まり、マティアスもルティをかばうように前に立ちはだかった。
廊下には誰もいない。
マティアスの後ろから前を見たルティは、そう思った。
次の瞬間、轟音と共に壁が破壊され、粉塵の煙で何も見えなくなる。ようやく視界が戻った時、シャンフは誰かと戦っていた。
長い髪に、自身の背丈を越える大きな鎌を振るっている。シャンフも、武器を持って鎌を防いでいた。
シャンフが武器を持っている姿は、ルティも初めて見たかもしれない。
「おたく、なかなか珍しい武器を使うね。戟なんて、こっちじゃあんまり見かけないものだよ」
鎌を振るう男は愉快そうに笑いながら言った。
武器の動きが速すぎて何をしているのか正直ルティにはさっぱりだが、金属のぶつかり合う音や、時折見える火花で、攻防が続いていることだけは分かった。
よく見ると、二人が立っている場所の壁や床、天井にものすごい勢いで傷が増えていってる。二人の武器の刃先が、あちこちを掠めているらしい。
「リーゼロッテ様。皇后陛下、エドゥアルト殿下と共に先に城を出てください」
ルティを背に、振り返ることなくマティアスが静かに言った。
ルティはすぐに動くこともできず、返事もできなかったが、マティアスが続ける。
「あの者は私とシャンフで足止めします。殿下たちを連れ、早く」
「で、でも――」
「私たちもすぐに追いかけます」
「ルティ様」
ミーナにまで言われ、ルティは行くしかなかった。何度もマティアスたちに振り返りながら、エディを抱えたミーナと共に走る。
「あーあ……オレの仕事って、おたくと戦うことじゃないんだけど……ま、さっさと片付ければいいか」
鎌を振る男は逃げ出すルティたちを見てそう言うものだから、シャンフが激怒していた。
「それはこっちの台詞だっての!てめぇなんか五分でぶっ倒してやる!」
「倒すことが目的ではない――」
マティアスの冷静な声に続いて爆発するような音が聞こえてきて、それきり何も聞こえなくなった。たぶん、かなり遠ざかった――あの鎌を持った男も、追いかけてきてる気配はない。
二階へと降りて、長い廊下を進めば一階へ続く階段がある。フロアによって階段が分かれてるなんて、いざという時のことを考えていない不便な設計だ。
先を確認しながら前を走っていたミーナが、急につまづいたようなぎこちない動きをした後、うずくまってしまう。
どうしたの、とルティは駆け寄り、そう言えば、と気付いた。
「足、痛いの?もうすぐシャンフたちが追いついてくれるから……」
ミーナは足に難を抱えていて、負担がかかり過ぎると酷く痛み、動かすのが難しくなる。
全速力で走って、階段を駆け下りて……ミーナの足は限界なのだ。痛みに耐えるミーナの顔は青ざめている。
「ルティ」
意を決したような表情で、ミーナは顔を上げてルティを見た。
エディをおくるみに包み直し、ルティに差し出してくる。
「エディを連れて、あなた一人で行って。私のことには構わず」
「いや!」
エディを受け取りつつも、ルティはすぐに首を振った。けれど、ミーナも険しい顔で首を振る。
ミーナが正しく、自分が駄々をこねているだけなのはルティも理解していた。
エディを連れて自分だけでも逃げる――劇場での火事とはわけが違う。ミーナも一緒じゃなきゃ嫌だなんて、言っている場合じゃない。
状況も、自分の立場も何もかも変わっているのだから……皇子のエディを連れて、皇女の自分は生き延びないと。
そうと分かっていても、いやいやと首を振った。
「ミーナ、立って!私、手伝うから!」
ミーナを支えようと必死で彼女の腕をつかむが、いくら女のミーナが相手とはいえ、幼い自分の体格ではとても支えられるはずもなくて。
ルティ、とミーナが言い聞かせるように声をかけてきたが、ルティは聞こえないふりで必死で彼女を支えようとした。
足音が聞こえ、ルティはハッと息を呑んだ。
「ミーナ、こっち……!」
足音は、間違いなくこちらへ向かっている。ミーナを引っ張り、ルティは近くの部屋へと向かう。
ミーナも這うようにしながら歩き、なんとか部屋に入って扉を閉めた。
足音は、この部屋に近づいている……。
ルティは急いで部屋の中を見回した。
部屋の奥にある寝台……シーツをめくってみれば、下のほうに隙間がある。自分たちぐらいなら入れそう。
ミーナを軽く引っ張り、エディをぶつけないよう気を付けて寝台の下に潜り込む。ミーナも潜り込んできて、ルティにぴったり寄り添い、守るようにぎゅっと抱きしめた。
扉が開く音がして、ルティもミーナも息を呑む。
部屋に人が入ってくる。
……マティアスじゃない。
マティアスが履いていたのは室内用の、柔らかい布の靴。
でもこの足音は……硬い軍靴だ。
ルティは身動ぎひとつせず、無意識に呼吸も止めて、必死に祈る。
――お願い。何も気付かず出て行って……!
ミーナも、ルティのことを抱きしめる手に力がこもっていた。ちょっと痛いぐらい。
きっと彼女も無意識にやってしまっていたことだろう。痛いことに、ルティもまた気付いていなかった。
二人とも、ただひたすら外の気配に集中し、物音も気配もさせないよう身を固くしていた。
理不尽な痛みに、ルティの腕に抱かれていた赤ん坊は耐えきれなかった。
「ふぇ……ええぇぇ……」
腕の中から聞こえてきた泣き声に、心臓が止まるかと思った。
ルティたちが強く抱きしめ合ったせいで苦しくなり、エディが泣き始めてしまった。
泣き声は静かな部屋に響く――急いであやそうと頑張ってみるが、焦っているルティでは泣き止んでくれるはずもなくて。
ミーナもエディの機嫌を取ろうとしたが、それよりも先に、ルティたちを隠すシーツがばっとめくられるのを感じた。
見つかった。
ルティは堪らずミーナに抱きつき、ミーナもルティをかばう。
「ルティ!ミーナ!」
聞き覚えのある女性の声。
女……。
ルティはハッと顔を上げ、自分たちを覗き込む相手を見た。
「セレス!」
寝台の下にいるルティたちを見つけたのは、セレスだった。涙目になりながら這い出て、セレスに抱きつく。
セレスもルティを抱きしめた。
「間に合ってよかった。君たちを迎えに来たんだ」
セレスが言い、セレスのそばでペルが尻尾をふりふりする――ふわふわの毛を、ボサボサにして。
「ミーナ……エディも。無事で本当に良かった。さあ、出ておいで」
エディを片手に抱き、ミーナも寝台から這い出てくる。ルティは、改めてエディを受け取った。
「ミーナ、足が痛くて歩けないの。セレス、お願い」
「私なら――」
遠慮しようとするミーナを、セレスが抱きかかえる。セレスが一緒なら、もう大丈夫だ。
ルティはぼさぼさになったペルを撫で、先導するように歩き出したペルを追って部屋の外へ出た。
カリラ湖の城から百キロほど先で陣を張り、ユーリたちは休息を取っていた。
もっと進んでおきたかったのだが、冬だから暗くなるのが早い。ユーリの体調がまだ回復しきっていないという事情もあって、夜が明けるまでもう行進はなしだ。
眠る前に、ユーリたちは中央にある天幕に集まって話し合っていた。
「この季節に侵攻してくるなんて、正気じゃない」
サルダーニ軍が国境に集結しているという話を聞いてから、ナーシャはそのことを考えていた。
雪も積もった冬に戦争だなんて、まずあり得ない話だ。何か罠があるのではないか、と不安そうでもあったが、フェルゼンが首を振る。
「単に焦っているだけだ。サルダーニでは国王が病に倒れ、意識不明の状態が続いている。王子たちは、父王の生死よりも王冠が誰の頭に載るのか気になって仕方がないらしい」
「それで箔付けに帝国に攻めてきたと?」
セレスが言った。フェルゼンが頷く。
サルダーニでは国王が倒れたことによって後継者争いが本格的に始まり、王子の一人が、功績欲しさに帝国を攻めてきた――それは、最初の世界でも起きたことだ。
エンデニル教団との関係の変化やディートリヒたちの離脱といった後押しもあったが、最大の理由はそれだった。
だから、こんな季節にもかかわらず無謀な侵攻は決行された。
「ということは……サルダーニの国軍と言っても、全軍が来ているわけではない?」
ナーシャが言い、フェルゼンがまた頷く。
あくまで王子の一人が始めた独断の戦争だ。兵士たちも大してやる気はなく、おかげで帝国側は苦戦しなかった。
……苦戦はしなかったが、それでも非常に迷惑なことではあった。こんな季節に戦争をやる羽目になって、帝国も無駄に疲弊したし。
今回はユーリの状態がよろしくない。速やかに終結させなくては。
フェルゼンが何とか最初の世界での経験を説明しようとした時、ヒスイとセレスが険しい空気をまとい、振り返った。その理由は、フェルゼンも即座に分かった。
化神にだけ分かること……。
「ヒスイ?」
化神の変化にナーシャも気づき、呼びかける。
化神がいる、とヒスイが短く言った。




