会議は踊る されど (4)
「来月、エンデニル教団のクレイグ・ローヴァイン枢機卿が帝国へと訪ねてくる」
処刑を待っていたオレークは、自分の牢を訪ねてきた宰相ノイエンドルフからそう言われ、大いに戸惑った。
すべての罪を被って刑に処されることが自分に残された役目と思っていただけに、宰相がそんなことを言い出したこと――もっと言えば、わざわざ自分に会いに来たことが意外だった。
冷徹だが宰相としては有能な男だ。
自分に情をかけるとか、説得にくるとか、そんなことをするとは思いもしなかった。
戸惑うオレークを無視し、宰相は話し続ける。
「奴はユリウス陛下に執着している。陛下の美貌がどれほど男を狂わすかはおまえも知っているだろう――オルキスの王太子も、彼女の虜になっているのだからな」
「殿下への侮辱は許さぬぞ」
反応すべきではないと分かっていたが、アナスタシウスを嘲るような言葉につい反論してしまった。
だが、王太子がユーリに抱く想いを茶化されるのは我慢できない。
両親も故郷も滅ぼされ、叔母といとこのユーリだけが唯一の拠りどころだった。悲しみや絶望からナーシャをすくい上げてくれたのがユーリだったのだ……彼の苦悩を、他人から馬鹿にされたくない。
宰相はオレークの反論などなかったような態度で話を続ける。
「陛下がいまどのような状態にあるかはいまさら説明する必要もあるまい」
オレークは返事をしなかった。
ユーリはいま、ナーシャの子を身ごもっている。その状態で、ユーリに執着する枢機卿が接近してくる――枢機卿の接近がどういう意味を含んでいるのかは、聞く必要もない。
彼女はローゼンハイムの皇帝でもあるが、敬愛する内親王ドロテアの娘でもあるのだ。オレークにとっては、やはり敬意を払うべき相手。
……ドロテアも、望まぬ相手に肌を許すしかなかった。
あの人にとってそれがどれほどの屈辱であったか……娘まで、同じ道を歩む羽目になっていたとは。
「王を殺した男に、王太子の子まで奪われたくないであろう」
「貴様……どこまで知っている!?」
オルキス王のことを持ち出され、オレークは顔色を変えた。宰相の表情からは何も読み取れない。
真意を読ませない術に長けていると言うより、知ったような素振りがうまい男だ、とオレークは思った。
恐らく彼も真実を知っているわけではないのだろう。知っているふりをしてこちらの反応を探り、真実を引き出そうとしている。
長く宰相を務める男だけあって、やはり老練だ。
「帝国に仕えろとは言わぬ。貴公の忠誠を求めるなど、あまりにも白々しい――だが生き残った王太子のため、教団への復讐のために残りの命を使いたいと言うのなら、大いに支援してやろう。貴公と枢機卿殿が共倒れになるのなら、帝国にとってこれ以上有難いことはないからな」
「なかなか悪辣な男だ」
ナーシャのため、そして教団に一矢報いるため、と言われては、さすがのオレークも決心が揺らぐ。
エンデニル教団の枢機卿ローヴァイン――やつを討つ機会など、ローゼンハイム帝の時以上に存在しないだろう。
化け物のようなあの男に、たどり着くことさえできないのがいまの自分だ。
「……他の者たちは」
「主犯たる貴公と皇太后を生かしておきながら、他の人間を罰するわけにもいくまい。貴公たちを我々の都合で動かすためにもな」
つまり、自分が宰相の要求を飲むのなら、他の者たちも釈放してくれるという訳か。驚くほど破格の条件だ。あまりにもこちらに都合が良すぎて、疑念しか出ない。
そうは思っても、他に選択肢など存在しないのだが。
「――相分かった。私に不満はない。宰相閣下の恩情に深く感謝し、今後は心を入れ替え、誠心誠意アナスタシウス殿下……もとい、レナート・フォン・リンデンベルク伯にお仕えすると約束しよう」
帝国の宰相に頭を下げることも、王太子アナスタシウスをリンデンベルク伯などという帝国の名で呼ぶことも、本当は甚だ不愉快だ。
しかし王国の後継ぎを……血筋を守るためなら。あの男を討つために必要だというのなら。多少の屈辱には耐えるしかない。何を優先すべきか、これ以上間違えてはならない。
「貴公の身柄は、一旦我が甥に預ける。信頼が買えたわけではないことは分かっているだろう――互いに。目的が果たされるその日までは、目立つような振る舞いは避けるように」
オルキス人の仲間たちと連絡を取るな、と脅しをかけている。
そう分かったが、オレークは従順に頷いた。
枢機卿クレイグ・ローヴァインと対峙するのであれば、下手に仲間を呼び寄せないほうがいい。
ローヴァイン卿との戦いだけは、味方が増えることが決してプラスにはならない。
オレーク・カルロフとの面会を終えた後、色々と片付けをしている宰相を、法務官ディーゼルは他人事のように眺めていた。
カルロフの処刑諸々についての業務は本来なら彼の役目であるので、ディーゼルもやらなければならないことが山積みである……が、自分以上に手回しをし、書類の書き換えに追われている宰相を見ているのが面白かったもので、つい。
「おまえの言い分は一見理にかなっているようでもあるが、やはり面倒なことをしているものだ」
自分の視線にとっくに気付いているくせに無視を決め込む宰相に向かって、法務官が言った。
やはり宰相はディーゼルを無視し、黙々と書類を片付けていく。
「つまるところ……おまえは、意外と本気で陛下に入れ込んでいるのだな」
「私ほど有能で献身的な忠臣は存在せぬ――有能さならば、先の宰相も劣らなかったがな。だがやつは宰相として仕えることより、己の良心に仕える男だった」
書類から顔を上げることもなく、ノイエンドルフが言った。
先の帝国宰相――エルメンライヒ侯爵。マティアスではなく、その先代……彼の父親。
有能だが、人間らしい人物であった。生憎と、ユリウス二世は人間らしい人間ほど付き合うことのできない主君だ。仕えた主君が――仕えた時期が悪かった。
「いまのユリウス陛下にお仕えするおまえも、ずいぶん人間らしく見えるがな」
法務官の言葉に、宰相は初めて書類の手を止めて彼を睨んだ。
その反応が、法務官の言葉が正しいと物語っている。ディーゼルはニヤッと笑った。
「おまえをそこまで虜にする陛下の魅力を、ぜひ私も知りたいものだ」
宰相の睨みに、今度は激しい敵意が含まれるのを感じてディーゼルはさらにニヤニヤと笑う。
――この男と、女を取り合うなんてことが起きるとは思わなかった。
「――冗談だ。おおいに興味はあるが、おまえと修羅場を演じるなど御免こうむる。おまえが陛下に振り回される様を傍観して満足しておこう」
苦虫を噛み潰したような顔で宰相は舌打ちする。だからこの男に借りを作るのは嫌なのだ。
余計なことを頼むと、その分だけ向こうも余計なことに首を突っ込んでくるから。
ローゼンハイム帝国に夏が来た。ローゼンハイムの夏は暑いが天候の良い日が続き、一年の中では比較的過ごしやすい季節である。
ただ、今年の夏は特に暑くて、ルティもちょっとバテ気味であった。
「暑いね、ペル。いつもだったら、セレスが氷を作って、それで甘いお菓子を作って食べるんだけど、今年はちょっと無理みたい」
今年の夏、セレスは紋章の力を無駄に使えない。宿主であるユーリに、できるだけ負担をかけないようにするため。
最近のユーリは、伏せっていることが多い。
「お姉様、大丈夫?辛い?私にできることある?」
ユーリの部屋の、お気に入りの長椅子で。ユーリは今日も横になっている。
城の中でならユーリから離れ、ミーナの護衛に回りがちなセレスも、最近はずっとユーリに付き添っていた。
「大丈夫だよ。ありがとう――ルティは本当に優しい子だね。ルティのような心優しい姫君に愛されて、ボクは幸せ者だ」
心配するルティに微笑みかけ、頭を撫でる。体調の悪いユーリに、自分が気遣われている場合じゃないのに……。
「お姉様。キースリングへの訪問は、やめることはできないの?」
キースリングは、ローゼンハイム帝国南方にある大都市で、ユーリは来月、そこへの訪問を予定している。
キースリングに祀られている聖人に関わるお祭りがあるのだが、毎年、ローゼンハイム帝はそれに参加することになっているのだ。
昔のローゼンハイム帝がキースリングの聖人に誓いを立てて、帝国と皇帝の繁栄を恩恵を授けてもらったから、以降、歴代のローゼンハイム帝は彼に義理立てしなくてはならないらしい。
要するに、特別何かしないといけないことがあるわけではなく、礼儀として挨拶に行くだけ。疎かにすると、帝国民からの印象も悪くなるし。
「枢機卿殿も訪ねてくるそうだから、ボクが行かないという選択肢はないんだ。心配はいらない。つわりのピークもそろそろ終わる頃。来月には、ボクもいつもと変わらぬ輝きを取り戻しているさ」
ユーリの不調は、妊娠が原因だ。ユーリは経験者だから、ルティよりもずっと自分の体調のことを理解しているのだろうけれど。
やっぱり不安で、ルティは眉をぺしょんと下げる。
「私の時も大変だった?」
「……そうだね。キミの時も、伏せてしまう日が何度もあったな。未熟だった分、いまよりきつかったかもしれない。そして苦しみの果てに、キミという人生で最高の幸福を得た」
ユーリがまたルティの頭を撫で、幸せそうに笑った。
「――だから耐えられる。ボクはもう、この苦しみを耐えれば、新しい幸せをこの手に抱くことができるという喜びを知っているのだから」
ユーリの手が自分を軽く押しているような気がして、ルティはちょっと考え込んだ後、ユーリにぎゅっと抱きついた。ユーリも、ルティを抱きしめてくれた。
「赤ちゃん生まれたら、私もたくさんお世話する」
「きっとこの子も喜ぶ――男の子と女の子。ルティの希望はどちらかな」
「うーん、どっちでも。お姉様と赤ちゃんが元気だったら、男の子でも女の子でも嬉しい」
二人のやり取りを黙って聞いていたセレスがかすかに笑う声が聞こえてきて、ルティは顔を上げた。
最近のセレスは、ずっと人形サイズの小さな姿だ。少しでもユーリの負担を減らすため、力を使わないようにしているらしい。
「すまない。ついこの前まで赤ん坊だった君が、赤ん坊の世話をするまでに成長したのだと思うと、何とも不思議な気分になってね。ユーリも、もうすっかり母親だ」
「セレスは、私のことも、お姉様のことも、お世話してきたのよね」
セレスはユーリが物心つく前から彼女の化神となっている。ナーシャから聞いたことがあるのだが、赤ん坊のユーリの世話をしていたのもセレス。
もちろん、ユーリがルティを生んだ時も世話をしてくれているはず。
「そうだな。これで赤ん坊の世話をするのも三度目になる。時の変化――人間の成長というものは、実に目まぐるしく過ぎ去っていくものだ」
変化と成長を続ける人間に対し、化神のセレスには変化がない。
いつか、ルティも彼女と同じぐらいの背丈になって……彼女よりも、年上になる日が来るのだろうか。
実年齢ではなく、あくまで見た目の話で、だが。
「セレスが初めて会った時……お姉様……それに、ナーシャもセレスよりずっと年下だったんだよね」
「ああ。初めて会った時のナーシャは、いまの君と同い年ぐらいの少年……ヒスイよりも背が低かった」
「そっか。ヒスイより年下だったんだ」
セレス以上に、ヒスイは幼い外見をしている。見た目だけなら、ユーリやナーシャのほうがずっと年上だ。でも最初に会った時は、ナーシャのほうが幼く、ヒスイよりも小さい少年だった……想像できない。
「ルティもいつか、ユーリのように美しく成長して……今度は、君の子を世話する日が来るのだろうか。何もかも楽しみだな」
「ルティの成長も子どもも楽しみだが、お嫁に出すのは嫌だ」
笑いながら話すセレスに対し、珍しくユーリが顔をしかめた。セレスがクスクス笑っている。
自分が成長して、いずれ誰かと結婚し、子どもを。
……考えたこともなかった。巻き戻ってきて、ユーリたちの運命を変えるのに必死で。
巻き戻り前の自分は、十四歳で人生が途切れている。そこから先を、考えるという発想すらなかった。
ユーリの運命を変えられなければ、来るはずもない未来だし……。
ルティは何も言えなくて、ぎゅっとユーリの手を握る。ユーリは笑顔に戻り、また愛しそうにルティの頭を撫でていた。




