会議は踊る されど (2)
「お母様を処刑するなんて、そんな恐ろしいことはどうかおやめください、陛下」
ユーリの意見を求めて静かになった場に、皇后ヴィルヘルミーナの声はよく通った。
ミーナは、隣に座るユーリの手に自分の手をそっと重ねる。
「ドロテア様が犯した罪は、たしかに、決して軽くはございません。けれどお優しいユーリ様ならば、慈悲の心を持ってお許しになると、私は信じております。彼女に己の罪を悔い改める機会を与えるためにも、どうか今回ばかりは」
「……ミーナがこんなにはっきり出しゃばってくるなんて、珍しい」
フェルゼンの頭の上で、ヒスイがぽつりと呟いた。
「あえて出しゃばっているのだろう。皇太后処刑を回避するために――結局のところ、皇太后を擁護する理由は感情面の部分が大きい。とはいえ、議論の場で感情論の意見など述べられるはずもなく、ヴィルヘルミーナがその役割を引き受けようとしているのだ」
「お母さん殺すなんて可哀想って言い出す役をやってるってことか。皇后の嘆願なら、ユーリがそれに同意して、皇太后を許す流れを作りやすくなるもんな」
シャンフの言葉に、そういうことだ、とフェルゼンは頷く。
「でも、何かあった時ぐちぐち言われるのは結局ユーリなんでしょ?」
ヒスイが言った。
ヒスイの言う通り、何かが起きれば結局責任を問われるのはユーリだ――危険に晒されるのも、尻拭いをさせられるのも。
しかしそれを危惧して皇太后を裁いたところで、ユーリが苦しい立場に追いやられるのは同じ。
「女で、しかも自分の生みの母を処刑したとなれば、世間はユリウスを母親殺しの冷酷帝と罵るだけだ」
「処刑しても悪く言われ、恩赦を与えてもあれこれ言われ……大変だね、ユーリも」
まったくだな、とシャンフもヒスイに同意した。
どちらの選択をしても苦しむのなら、今回はユーリの心に寄り添った選択でいい、とフェルゼンは考えている。
最初の世界――ユーリは、母親殺しの悪名を背負う羽目になってしまった。
彼女たちはユーリをはっきりと襲い、返り討ちに遭ったというだけなのに。手を下したのは、枢機卿ローヴァインだったのに。
世間は、皇帝を貶める噂に夢中になった。悪虐帝という異名は、この一件から生まれたのだ。そして時を経て、歴史に刻み込まれるほどのものに……。
「皇太后の処遇について、キミたちの意見はよく分かった。彼女を始末してしまうのは簡単だ。ボクが執行書にサインすればいいだけなのだから――ミーナの涙に免じ、今回だけは執行書を握りつぶすことにしよう」
沈黙して意見を聞いていたユーリが、ついに口を開いた。
「オルキス人たちの反乱は大過なく終わった。しかしここでオルキスの内親王まで処刑してしまうと、様子見を決め込んでいたオルキス人に不要な決意をさせる恐れがある。帝国は多くの外敵を抱えているのだ、この上、わざわざ帝国内の敵まで増やす必要はあるまい」
冷静な皇帝の意見に、多くの者が賛同するように黙したまま頷く。
宰相は反応しなかったが、反論しないというのが何よりの意思表示であった。反対ならば、はっきりと口にする男だ。
「それでは――最後のオルキス人について。彼は、城から追放すべきです」
宰相の主張に、自分の頭の上でヒスイが身じろぐのをフェルゼンは感じた。
最後のオルキス人。もちろん、これはナーシャのことだ。
「妥当な意見だ。今回の陛下への襲撃事件も、リンデンベルク伯が大きな影響を与えているのは間違いないのだから、城に置いておくのは危険であろう」
宰相の意見にすぐに同意したのは、法務官のディーゼル。ノイエンドルフ公爵の同輩であり、彼は宰相寄りの意見を述べることが多い。宰相と仲良しというより、考え方が似ているらしい。
「というか、彼も共犯として始末したほうが手っ取り早いんですがね。生かしておくメリットがないとは言わないが、リスクも抱えている方ですから」
「あれ、誰?」
宰相、法務官に続いて口を挟む若い男を睨みながら、ヒスイが言った。
監察官だ、とシャンフが説明する。
「ガブリエラ・フォン・シュミット」
「誰かと間違えてない?それ、女性名でしょ」
「いや、本当にこういう名前らしい」
シャンフの言うとおりだ、とフェルゼンもフォローした。
監察官のガブリエラ・フォン・シュミットは、この議会場の中でも特に若い。皇帝と皇后を除けば、最年少である。
彼もまた、宰相寄りの意見が多い。宰相に忖度しているわけではなく、彼も、考え方が宰相と似ているのだ。
「メリットやリスクで人の生死を決めるのは嫌いだ!そんなもので考えるのだというのなら――彼は何度も帝国を救い、陛下をお守りしてきた功績がある!それで多少の疑惑など帳消しになるはずだ!我が軍の兵士たちは、おまえたちよりよほどリンデンベルク伯のことを信頼し、尊敬している!」
バックハウス隊長が即座に吠え、反論する。
戦場で軍隊を指揮する男だけあって、声はよく通り、迫力がある――議会場に居合わせた貴族たちは、彼の大声にちょっと気圧されているようだ。宰相含む一部の者はまったく動じていないが。
グライスナー参謀も口を開き、バックハウス隊長を擁護した。
「リンデンベルク伯は稀少な化神持ちの紋章使いだ。彼を失うのは、帝国にとって間違いなく大きな損失です。陛下はいまリンデンベルク伯の子を宿しており、彼には陛下を裏切らない理由もある――前線に出て、多くの兵士の命を預かる身としては、リスクなどという主観的な意見のために生き残れるはずだった命が失われるのは御免だ」
「そうだ!誰がどう考えたって、大幅な戦力ダウンではないか!軍部は断固として反対だぞ!」
バックハウス隊長とグライスナー参謀も、城では強い権限を持つ人間だ。戦争の多い帝国では、軍部の発言力は時に皇帝すら凌ぐことも。
大貴族の宰相や法務官たちと真っ向から意見が対立してしまうと、なかなか厄介である。
「なら私も、反対させてもらおうかな。いつも叔父上の腰巾着をしてると思われるのも嫌だし」
財務官のザイフリートが言った。
「リンデンベルク伯の化神は、うちのキーゼルの友人でもあるからねえ。私個人としては、彼は信頼できる人間だと考えてますよ」
そう話す財務官はニコニコとしていて、食えない笑顔だ。どこまで本気で言っているのか……。
「いっそ評決を取りますか。リンデンベルク伯の処遇については、一部の意見で決めていいものではないでしょう」
そう言ったのは監察官のシュミットだ。
彼は自分の隣に座る貴族に視線をやり、男はわずかに気まずそうに視線を逸らした後、自分の唇を舐め、宰相閣下の意見に賛成です、と答えた。
そして次の貴族に視線をやると、彼は軍部の意見に賛成の意を示した……。
「何この茶番」
貴族たちが順番に意見を述べていくのを眺めながら、ヒスイが呆れたように言った。
「宰相派と軍部派で、意見が綺麗に分かれていってるな」
貴族たちは順番に、宰相と軍部、それぞれの意見に賛同していっている。ヒスイたちの目からすれば、とんだ茶番に見えることだろう。
……実際、これは茶番だ。
「他人の意見を聞き、ちょうど半分になるよう考えて発言しているのだ」
「ちょうど半分……」
議会場にいる人間をざっと見やり、ヒスイが呟く。
「半分になるのは不可能だ、と言いたいのだろう。奇数だからな――最後の一人は、確実にどちらかの意見につかなくてはならない。彼の意見ではっきりと分かれることになる」
それが誰になるか、フェルゼンには予想がついていた。卓の並びを考えれば、誰が最後になるかは明らかだ。偶然ではなく、意図的に……監察官も、彼が最後になるよう図った。
監察官の右隣から始まり、一周して。すでに意見を表明している宰相、法務官ディーゼル、帝国兵団隊長と参謀を除けば、残りは……。
「あなたのご意見は?エルメンライヒ顧問官殿」
監察官が、最後の一人に呼びかけた。マティアス・フォン・エルメンライヒ侯爵に視線が集中し、マティアスは表情を変えることなく口を開く。
「……私は幼少期から陛下にお仕えし、成長を見守って参りました。その私よりも長く陛下にお仕えしているのがリンデンベルク伯です。陛下に仇なす腹づもりなら、とうの昔に正体を現していたことでしょう。いまさら――陛下が自分の子を身ごもったいまになって、裏切る理由が存在しません」
冷静なマティアスの意見には説得力があった。
いまになって、ユーリを裏切る理由があるか――そう問われると、たしかに。ユーリに危害を加えるつもりなら、機会はいくらでもあった。
それこそ、戦場で……直接手を下す必要すらない、彼女を見捨ててしまえばいいだけ。
「バックハウス伯、グライスナー伯のおっしゃる通り、リンデンベルク伯という戦力を失うのは、あまりにも大きすぎる損失かと」
「私も、コンラート様たちの意見を支持します」
ミーナが言った。
「ユーリ様のお腹には、ナーシャ様の御子が宿っているのです。ローゼンハイムとオルキスの未来を繋ぐ、大切な宝物……ナーシャ様には、陛下をお守りする理由しかありません。追放する理由のほうが存在しませんわ――陛下も、そう思われませんか」
「……そうだな。ボクはお腹の子を、ローゼンハイム皇帝の子どもとして慈しみ、大切に守り育てるつもりだ。この子を守るのに、やはり父親の力は必要だろう」
ユーリが決断を下し、貴族たちは彼女に注目する。
「母上を許した以上、リンデンベルクを罰するのは道理に合わない。そしてリンデンベルクは、ボクからの信頼を勝ち得るに足るだけの行動をすでに示してきている。ボクも帝国も、彼を失いたくはない」
「我らが皇帝陛下は、愛する后に甘くいらっしゃる」
揶揄するように監察官がそう言ったが、それ以上、反対する声は上がらなかった。
ナーシャの処遇もこれで決まりだ――フェルゼンたちにもそれは分かった。監察官も最後にちょっと嫌味を言ってみただけで、本気で反対するつもりはない。
フェルゼンの頭の上で、ヒスイがこっそり安堵の溜め息をついていた。




