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王国の生き残り (3)


ルティが目を覚ました時、そこは尼僧院ではなくどこかの宿だった。

ベッドに横になっていて、ユーリがすぐそばにいる。ルティを見て、ホッとした顔で笑っていた。


ここは、と問いかけようとしたけれど、声が出なかった。顔が引きつって――頬が冷たくて、まるで凍り付いているみたいで。痛くてルティが顔をしかめると、ユーリが優しく髪を撫でてくれた。


「頬の傷は消えたが、まだ痛みが残っている。傷を負ったダメージも……さっきまで治療していたから、氷も残っているんだ」


ユーリが説明している間も、ルティの頬がちくっと痛んだ。よく見るとナーシャもいて、ルティを心配そうに見ている。

ルティはもぞもぞと起き上がり、ユーリに抱きついた。ユーリは寝台に腰かけ、自分の膝にルティを座らせる。


あれからどうなったの、とルティが問うと、ユーリがその後のことを簡潔に説明し始めた。


「ラヴェンデル尼僧院を出て、ボクたちは町へ戻って来た。ここはその宿――尼僧院は、ノイエンドルフが部下たちを寄越してきたから、彼らに見張らせている。とは言え、尼僧や化神相手にノイエンドルフの部下だけでは対応できないから、母上はセレスが、母上の化神はヒスイ……オレーク・カルロフというオルキス人の化神をフェルゼンがそれぞれ見張っている」


そう言われて見れば、部屋には、いつも自分たちのそばにいるセレスやヒスイ、フェルゼンがいない。彼らは化神たちを見張りに行ってしまっているのか……。


「明日にはグライスナーが部下を引き連れてこちらに到着するはずだ。それを待って、男たちと……母上をグランツローゼまで連行する。首謀者は自分で、尼僧たちは昔馴染みの自分を憐れんで手を貸してくれただけだとオレーク・カルロフは主張しているが、さすがに母は見逃せない」


そう話すユーリの声には、わずかに苦々しいものが含まれていた。

交流の希薄な関係と言っても、やはり母娘だ。実の母を罪人として城へ連行する――どんな想いを抱いているのか、ルティには想像することもできない。

ただ、ユーリにぎゅっと抱きついた。


それから、ちらりとナーシャを見る。


「……僕の身の上についても、ユーリに説明していたところだ。もうあの尼僧院でも喋ったから、知っているとは思うけれど……」


困ったように笑い、ナーシャが大きくため息を吐く。改めて事実を打ち明ける重みに、ナーシャも苦しんでいるようだ。


「僕の本当の名は、アナスタシウス。父は亡きオルキスの王で……僕は王太子だった。ドロテア様は、実の叔母だ。ユーリとも、本当はいとこ同士ということになるね」


ナーシャが、本当はオルキスの王子様。ルティは驚いて何も返事が思い浮かばず、ぱちくりと目を瞬かせるばかり。

ユーリは気付いてたみたいだけど、とナーシャは付け加える。


「ただ者ではないだろうと昔から思ってはいたけれど、最近、キミの耳を見る機会があったおかげでね。その特徴的な耳の形を見れば、誰だって予想はつく」

「……やっぱりそうか。見られた時に、まずいなとは思ったんだ」


ユーリが笑いながら言い、ナーシャは苦笑して自分の髪をかき上げて耳を見せた。

ナーシャの耳を見ながら、ルティは自分の耳に触ってみる。ユーリを見れば、ユーリも髪をかき上げ、自分の耳を見せた。

……本当に、自分たち三人は耳の形が同じだ。


ナーシャの正体を、昔から疑っていた……だからユーリは、髪を短くしていたのだろうか。

髪が長いと、たいていの貴婦人は公の場に出る時に髪を束ねるものだ。そうなれば必然的に耳が見える髪型になるし、特徴的な耳の形をみんなが目にする。

特にルティが生まれてからは、二人の親子関係は一応隠していたし……。


「帝国との戦争の際、僕は母と共に城を離れていたから、戦禍を免れることができて……子ども一人だけなら、敵にも見つからないかもしれない――それで当時七歳だった僕は大紋章を宿し、一人で帝国へと逃げ込んだ。叔母のドロテア様はローゼンハイム帝に連れられてグランツローゼの城に捕らわれていたから、彼女を頼りに……」


七歳……いまのルティと同じぐらいの年。

そんな年に、ナーシャは両親も故郷も失って一人ぼっちで敵の国に身を潜めに来た。どれほど心細く、苦しい旅だっただろうか。

そんな顔しないで、と落ち込むルティをナーシャが励ました。


「ヒスイもいたし、グランツローゼではドロテア様にかばってもらっていたから。きっと、僕はとても恵まれていた。ドロテア様は、恩人なんだ……本当に」


でも、ユーリのために彼女も切り捨てることになった。皇太后ドロテアのことを話すナーシャの顔には、やはり陰りがある。


……道理で、巻き戻り前の世界ではユーリのもとを離反してしまったはずだ。

たった一人の肉親となってしまった甥を守りたかった内親王ドロテア。彼女が仇であるはずのユリウスの后になることを了承したのも、ナーシャを守るためでもあったのだろう。


屈辱にも耐えて自分を守ろうとしてくれたドロテアを、ナーシャは見捨てることができなかった。


今回はユーリが自分の子を宿したから、ユーリのほうの比重が増したのだ。

それでも……ナーシャにとっては、苦しい選択であることに変わりはないけれど。


「……怖い目に遭わせてしまって、本当にごめんね。今回のことは、僕のせいだ。僕が不用意にドロテア様に手紙を送って、状況を教えてしまったから、帝国への復讐を考えていたオルキス人たちに機会を与えてしまった」


ルティは首を振った。

ナーシャは何も悪くない。そもそも自分が、大紋章が欲しいなんて安易なことをねだったから。

ナーシャが助けに来てくれたから、自分も、ユーリも無事だった。同胞や恩人でもある肉親に、剣を向けさせてしまった……。


「話はこれぐらいにして、キミはもう少し休んだほうがいい。大丈夫。今夜はボクたちがついている――怖いことなど、もう二度と起きないさ」


そう言ってルティを寝台に戻そうとするユーリに頷き、ルティはまた横になった。

尼僧院に向かうために朝早くに起きたし……すごく疲れたかも。


自分に寄り添ってくれるユーリのぬくもりを感じながら、ルティは眠りに落ちた。




エンデニル教団の枢機卿クレイグ・ローヴァインを伴ってラヴェンデル尼僧院へとやって来たユーリは、凄惨な光景に美しい顔も陰っていた。

異変に気付いて尼僧院へと飛び込んだナーシャもその光景に唖然としている。


ナーシャから、ユーリがローヴァイン卿と共に尼僧院を訪ねることをしたためた手紙を受け取り、オルキス人たちは密かに集結していた。


いかにローゼンハイムの皇帝……エンデニルの枢機卿と言えど、護衛を引き連れて敷地内に足を踏み入れることはできない。かなり警備が手薄な状態で、やって来るはず。


憎い仇を揃って討ち取ることのできる、またとない好機。彼らはついに、復讐を決行した。

……そして、圧倒的な強さを誇るローヴァイン卿によって全滅した。


「ドロテアの遺体を護送車に乗せ、教団本部へ送れ――やつの化神が、紋章を引きはがされることを抵抗しておる。化神の消滅を待って、紋章を取り出す」


ローヴァイン卿の手には、すでに斬り落とされたオレーク・カルロフの左腕があった。

カルロフを殺し、彼の大紋章は回収できたのだが、皇太后ドロテアはそれができなかった。


間違いなく彼女も死に絶えたのだが、彼女の化神が最後の力を振り絞って彼女の身体を凍り漬けにし、紋章を宿した左腕を斬り落とせないように抵抗している。

冷たくなって横たわる宿主にしがみつき、渡すものか、と言わんばかりにこちらを睨む。


……しかし、宿主による回復がなくなった以上、いつまでも少女も力を使い続けることはできない。

やがては力尽き……放っておいても、自ら消滅する。


トドメを刺しても構わないのだが、この尼僧院に隠してある大紋章を探すほうが優先だ。

何もしなくても消え去る化神など、いちいち相手にしていられない。


皇太后の遺体は連れてきた自分の部下に任せ、ローヴァイン卿は自分が殺した人間たちを一瞥することもなく尼僧院内の捜索に当たった。


行くぞ、とユーリに声をかける。

ドロテアの遺体を静かに見下ろしていたユーリはやはり何も言わず、ローヴァイン卿についてその場を去った。


ナーシャは……血にまみれた尼僧院に押し入ってくるローヴァイン卿の部下たちが、敬意を払うこともなく皇太后を運んで行くのを、呆然と見送っていた。




その日の夜、エンデニル教団本部へと向けて進む護送車を、オルキス人の集団が襲撃した。


彼らはローゼンハイム帝と枢機卿への復讐計画には参加しなかった者たちだ。

復讐なんて大それたこと……上手くいくわけがない、と反対していたのだが、あまりにも悲惨な結果に衝撃を受け、せめて内親王の遺体だけは取り返せないかと動いた。


とは言え、護送車についているのはローヴァイン卿の部下。

叩き上げの軍人で、戦場で生き抜いてきた男の下につく人間たち。彼らだって腕は立つ。ドロテアの遺体を取り返しにくることはとっくに予想されていたから、向こうも万全の態勢であった。


化神持ちの紋章使いも二人いて。

犬死は必至だと、誰もが覚悟した襲撃だった。頼みの綱だったオレーク・カルロフは死に、教団とまともに渡り合える戦力なんて残っていないはずだった……。

それが、一人の男の乱入によって戦況がひっくり返った。


「アナスタシウス様!」

「王太子殿下だ!殿下が、我々の加勢をしてくれたぞ!」


雷を帯びた刀を持つ少年が、一振りで紋章使いを倒す――彼も弱かったわけではないのだが、不意打ちの攻撃に、なすすべもなかった。彼の死が理解できず、混乱しているもう一人もその後すぐに。


化神の中でも、ヒスイの強さはやはり別格だ。

ナーシャの乱入にオルキス人たちの士気が一気に上がり、教団の人間たちは恐れおののいて逃げ出した。


なんとか踏みとどまった者たちもナーシャが斬り捨て、護送車の扉を蹴破る。

車内は、わずかに冷たい空気が残っていた。


彼女の化神ルナは、すでに消え去っていた。宿主を失っては、彼女もいつまでも顕著していられない。ただ、宿主を教団に渡すまいと必死に抵抗して、その命は潰えていた。

車内には、氷が溶け始めたドロテア一人。


「ドロテア様!」


呼びかけても、もう彼女が反応することはない。虚ろな瞳は、何もとらえない。

心優しく美しい女性だったのに、王国が滅んで以降、彼女が人間らしい表情をすることはほとんどなくなった。そしていま、彼女の顔からは完全に生気が消え去っていた。


「ドロテア様……」


石のように冷たく、硬くなってしまった身体を抱きしめる。


しばらく、彼女の胸にすがりついてナーシャは泣いた。

幼い頃に散々泣きじゃくって、とうに涙は枯れてしまった――そう思っていたのに、自分の中にはまた、涙が生まれてきていたらしい。

護送車に入ってきた他のオルキス人たちも、内親王の死に慟哭している。


……そう遠くない内に、彼女が逝ってしまうだろうということは分かっていた。

ユリウス二世が死んでから、いつも彼女が死に場所を探し、求め続けていたことに気付いていたから。


皮肉な話だが、皇帝ユリウスへの敵意が彼女をこの世に繋ぎとめていて、彼の死により、それはぷっつりと切れてしまった……自分が生きる意味を、ドロテアは見失ってしまっていた。

だから、こうなってしまったことを……ドロテアは誰も責めたりしないだろうけれど……。


「馬車を出せ」


顔を上げることもなく、ナーシャは言った。

オルキス人たちが頷き、護送車はそのまま闇へと消えていく。誰もいなくなった車内に、いつの間にかヒスイがいた。


ナーシャのそばに立ち、ぽつりと呟く。


「……行くんだね?」


どこへ、とは問わなかった。それは……答えられないと思ったからなのか、答えを聞いても仕方がないと思ったからなのか。

ナーシャ自身、分からないまま頷いた。


――さようなら、ユーリ。

心の中で、ナーシャが呟く。


どんな時も自分を明るく照らしてくれた太陽に背を向け、彼は闇へと向かう。その道の先は見えず……闇の中へと消えてなくなってしまうと分かっていても。




レナート・フォン・リンデンベルクこと、オルキスの王太子アナスタシウスが教団の護送車を襲撃した事実はすぐに帝都グランツローゼにも知らされ、こうしてナーシャはローゼンハイム帝ユリウスの敵となった。

これが、最初の世界――ユーリとナーシャの道が分かたれた瞬間であった。


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