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王国の生き残り (1)


ユーリたちを見送った後の帝都グランツローゼにて。


帝国兵団隊長ラファエル・フォン・バックハウスは、皇帝の政務室でうろうろと歩き回っていた。

ナーシャだけを伴いラヴェンデル尼僧院へ行ってしまったユーリたちのことが心配でならないのだろう。

……それは勝手にやっていればいいが、わざわざここに来てやるのはいただけない。


でかい図体でうろうろとされては、非常に目障りである。

宰相ノイエンドルフは見ないふりを決め込んでいたが、そろそろ我慢も限界を迎えようとしていた。


「落ち着け、ラファエル。そううろうろされると邪魔だ」


グライスナー参謀も、自分にくっついて来た友人がそろそろうざくなってきているところであった。

ユーリがいないのが落ち着かなくて、彼女の政務室に思わず……気持ちは分からなくもないが、うっとうしいものはうっとうしい。


「心配なのだ!リンデンベルグ伯も、お二人の化神たちも強いのは承知しているが、それでも……!ああ、やはり俺もついていくべきだったか……」

「いくらおまえでも、尼僧院に押しかける度胸はないだろう。リンデンベルク伯に任せるしかあるまい」


恐れ知らずのバックハウス隊長と言えど、皇太后が生活する尼僧院では、腰が引けてしまうもの。それが普通の神経である。


「……おまえに気を取られ、話の腰が折れてしまった。どこまで話したか……」

「ラングハイム城の事件にて、首謀者と思わしき男を逃がしたオルキス人に、見覚えがあると」


沈黙し、傍観につとめていたマティアスが言った。


「そう――そうです。あの時はすぐに思い出せなかったのですが、あれから考えて……心当たりにようやく気付いたのです。あのオルキス人はオレーク・カルロフだった」

「オレーク・カルロフ?オルキス王国の将軍の?王の右腕とまで言われた、あの?」


参謀の言葉に、バックハウス隊長が真っ先に反応する。

参謀や隊長が戦場に出るようになった頃には、とうに姿を消してしまっていた男ではあるが、オルキス王国の名高い将軍のことは彼も知っていたらしい。

参謀は頷き、バックハウス隊長にイライラしていた宰相もそのことを忘れ、話を聞いていた。


「じゃあリンデンベルクは、カルロフ将軍と顔見知りだったってことか?彼はオルキス人らしいから、有り得ないことでもないだろうが……」

「彼に呼びかけていたが、あの唇の動きからするに、レナートではなかったように見えた」


彼らが対峙している姿をムートを通して遠くから見ていただけなので、声までは拾えていない。辛うじて見えた唇の動き……グライスナー参謀も、自信はなさそうだ。


「レナートは帝国語読みかもしれん。オルキス語だと、また発音が違うのかも――それは珍しいことではあるまい」

「――アナスタシウスではないか」


宰相が口を挟む。参謀と隊長は彼に注目し、バックハウス隊長が首をかしげる。


「アナスタシウス……聞いたことがあるような」

「亡国オルキスの王太子の名だ。帝国との戦争の際、王太子は身重の王妃と共に城を離れており、戦禍を免れた。王妃は死産と同時に自分も命を落としたことが確認されているが、王太子は消息不明のままだ――当時七歳。生き延びている可能性は低いと見なされていた」


参謀の説明に、バックハウス隊長もむっすりと黙り込む。嫌な予感が胸を占めていたが、それを言葉にするのはさすがに憚れて。

そんな隊長に代わって口を開いたのは、宰相だった。


「以前から、やつの素性については訝しんでいた。それであることを知ったのだ。オルキスの王太子アナスタシウスは、ある愛称で呼ばれていたことを。ごく一部の親しい者だけが、そう呼んでいたそうだ――ナーシャと」


参謀と隊長が互いに顔を見合わせる。それがどういう意味か、確認する必要もなかった。




朝早くから町を出発して、ラヴェンデル尼僧院に到着したのは昼過ぎ。清廉な白い外観に、小さな白い花がたくさん植えられた美しい尼僧院だ。


尼僧院という施設を訪ねるのはルティも初めてなのだが、ここは他にはない、なんだか独特な空気があるような気がする。

落ち着かなくて、ルティは無意識の内にユーリの手をぎゅっと握った。


皇太后ドロテアとは、いったいどんな人なのか。尼僧が姿を現すたび、あの人かな、とルティはきょろきょろと観察した。


結局、自分たちを出迎えた尼僧も、奥へと案内する尼僧も皇太后ではなかった――彼女は、一目でこの帝国で最上位の女だと分かった。

尼僧の衣装はみんなと同じだけれど、まとう雰囲気が違う。その雰囲気は、ユーリと同じ……ユーリは父親と生き写しだと聞かされていたが、思っていたよりずっと母親似かもしれない。


尼僧院奥の祭壇の前で、彼女はユーリとルティを待っていた。水の入った器を持った少女が、彼女のそばに。


「ご無沙汰しております、母上。息災そうで安心いたしました」


いつもと変わらない美しい笑顔で、ユーリが静かに頭を下げた。でも、普段の彼女にしては礼儀正しい――よそよそしく、おおよそ、親しい人に対する態度ではない。

やはり、ユーリにとっても複雑な相手なのだ。


皇太后がユーリを見る表情は……何の感情もうかがえない。二十年ぶりの母娘の再会だろうに……。

ルティは握っていたユーリの手を、さらにぎゅっと強く握った。


「陛下におかれましてはご機嫌麗しく。大紋章を求め、このような辺境の地まで訪ねていらっしゃったとお聞きしました――その子が?」


皇太后の視線が自分に向けられ、ルティはドキッとする。

ユーリの手を、思わず両手で握った。


「こちらへ」


皇太后が祭壇の手前へと促す。

ルティはユーリをちらりと見、ユーリはルティを見つめ返して頷いた。


「陛下はそちらでお止まりください。適性を見るのに、陛下が近付くと正確な判断ができません」


ルティと共に動きかけたユーリを、皇太后が制止する。さすがのユーリも、わずかに動揺した様子で自身の化神を見た。

セレスも、少し不安そうにユーリを見ている。


ドキドキと、ものすごく緊張しながら皇太后のそばへと近寄った。

祭壇手前に立つ少女の前へ――とても特徴的な衣装を着た、真っ白な少女。衣装の系統がヒスイと似ている。きっとこの少女は化神だ。


でもヒスイと違って、彼女はお人形のように感情が見えなくて。

彼女とは仲良くするのは無理かな、と思いながら、少女が持つ器をじっと見つめた。


「器の中に、紋章球があります。それに一つずつ触れて御覧なさい」


皇太后が言い、ルティは皇太后を見た後、もう一度器を見た。

水がたっぷり入った器の中に、丸いガラス玉のようなものが六個入っている。


「私の紋章は水を司る力……万一何かが起きた時、水の中ならば御しやすいゆえ」


裾をおさえ、ルティは器の中に手を入れた。

冷たい水の中で、ガラス玉がゆっくりころころ動いている。一つ……二つ……と触れてみるけれど、何も起きない。

適正ないのかな、とルティがちょっぴりがっかりしていると、三つ目のガラス玉が光を放った。四つ目と五つ目も何ともなかったけれど、六つ目もちょっとだけ光っている。


「どうやらあなたには、火と水の大紋章の適性があるようですね」


皇太后が静かに言った。


火と水。まさに、マティアスとユーリが持っている紋章だ。両親の適性を、ルティはちゃんと受け継いだらしい。

嬉しくて、ルティはユーリに笑顔で振り返った。ユーリも笑っている。


ルティのそばに、別の尼僧がそっと近付く。タオルを持っていて、ルティに差し出していた。




ナーシャはヒスイと共に、建物の外――尼僧院の庭で待機していた。

いまさら……ではあるが、尼僧院だし、男の自分は入りにくい。皇太后ドロテアと向き合っていると、何かボロを出してしまうのではないかと心配で。


ユーリは薄々察しているんじゃないかと思ってはいるけれど――彼女は真意を読ませない。態度にすぐ出てしまう自分とは大違いだ。


「フェルゼン」


庭をふらふらと見て回っていたヒスイが、足を止めて姿を現した化神を見た。


「それは……?」


フェルゼンが担いでいるものに、ナーシャは眉を潜める。

男の遺体――殺されている。見覚えはあるような気がした。というか……その男が誰なのか、ナーシャには思いっきり心当たりがあった。


「ノイエンドルフがここを見張らせていた男だ。この者だけでなく、全員が殺されていた」


ラヴェンデル尼僧院は、宰相ノイエンドルフによって監視されている。

皇太后はオルキスの内親王で、大紋章を所有している。監視は当然で、そのことはナーシャも最初から気付いていた。

それが……全員殺されているだなんて。


「フェルゼン、君がここにいるなら」


遺体は無視して、ヒスイはまだフェルゼンを見ている。


「建物の中にいるもう一体の化神は誰?」

「ルナじゃないのか?」


皇太后ドロテアの化神。常に宿主のそばに寄り添い、尼僧院で共に暮らしている。

違う、とヒスイは即座に否定した。


「あいつのことはちゃんと分かってる。それを含めても、一体多いんだよ――君がこっそりついて行ってるんだと思った」


だからヒスイも、ユーリたちからあっさり離れたのだ。フェルゼンがついてるなら、離れてもいいかと。

いまのユーリから、できれば離れたくないのに。


ナーシャも黙り込み、すぐに踵を返して建物の中に入ろうとした。フェルゼンとヒスイも共に。

だが建物全体を白い霧が包み、次の瞬間には巨大な氷で覆われていた。


「これは……!?」

「ドロテア様の紋章の力だ。彼女も水や氷を」


フェルゼンの問いに、ナーシャが言った。

ドロテアも化神持ちの紋章使い。やはり親子だからか、ユーリと同じ力を持っている。この凍り漬けになった尼僧院は、彼女の仕業だ。


「ヒスイ、氷を破壊して中へ――」


紋章によって作り出された分厚い氷を壊すのは容易ではない。ヒスイに出入り口をこじ開けさせようとしたが、ナーシャを阻むのは皇太后の氷だけではなかった。


「オレーク……」


オルキス王国にいた頃からの、旧知の相手。ドロテアとなんとなく繋がっていることは知っていたが、このタイミングで姿を現すなんて。

……単なる偶然ではないはずだ。


飛び掛かってきた化神に、ヒスイはすでに刀を抜いていた。オレーク・カルロフの化神――鎌のような前足を持つイタチ。小さいがヒスイ並みにすばしっこく、小回りが利くのでヒスイも戦いづらそうだ。


「宰相の監視を殺したのはおまえか」


フェルゼンも武器を抜き、オレークと向き合う。

聞く必要もない、とナーシャが険しい声で言った。


「ユーリが来ることは、僕が手紙で知らせていた――ドロテア様もグルか。僕を利用して、ユーリを……他の連中はもう建物の中か!?一人じゃないだろう!」


たまたま来たわけではない。ユーリが護衛もなしに……ルティという弱みまで連れて無防備にやって来ると知って、計画した。

……甘かった。皇太后が味方だとは思っていなかったが、こうもはっきり、ユーリの敵に回るだなんて。


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