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帝国の後継者 (2)


「私……お姉様のこと、お母様って呼びたい」


そんな甘い考えで皇女になっていいものではないということは、ルティにも分かっていた。

ルティが皇女になることは、ユーリの重荷を増やすだけになってしまうかもしれない。それでも……。


それでも、巻き戻り前には許されなかったこと。公然の秘密になりつつあるけれど、堂々と、ユーリを母と呼びたい。

必死の思いで訴えるルティを、ユーリはじっと見つめる。


そして、困ったように笑った。


「……そうだね。兄弟に皇族としての権利を与えておきながら、キミをいつまでも日陰者にしておくのは、あまりにも酷な仕打ちだ――ミーナ。キミの申し出にボクは感謝しよう。お腹の子とルティをキミの養子にし、二人を皇族として迎え入れる。公にするのは、ボクが出産してからになる」


そう言って、ユーリはルティの髪を優しく撫でる。

ルティはパッと顔を輝かせ、ミーナに振り返った。ミーナも笑っている。


ルティはユーリをぎゅっと抱きしめた。


しばらくの間、ルティはユーリに抱きしめてもらって、とても幸せな気分に浸っていた。

やがてセレスが声をかけて、部屋に人が来たことを知らせた。


恐らくナーシャだ、とセレスが言った。きっと化神の気配を感じたからそう言ったのだろう。

セレスの言ったとおり、部屋にやって来たのはナーシャだった。


「邪魔してごめんね。どうしても気になっちゃって……」

「構わない。入っておいで」


女性ばかりの部屋に入ることを、ナーシャも気後れしているらしい。


ユーリはナーシャを招き入れ、ルティも座っていた場所をちょっとズレて、ナーシャに譲った。

気を遣わないで、とナーシャは遠慮したが、お腹の赤ちゃんだって父親がそばにいて欲しいはずだ。いいから、とルティがお姉さんぶる。


「子どものことは、ボクの出産が終わるまで秘密にする。出産を終えた後はミーナの子としてローゼンハイム皇族に迎え入れ、この子とルティには皇位継承権を――出産前後に、ボクはミーナやルティ……親しい者たちだけを連れてカリラ湖の別荘に行こうと考えている。そこで生んで、帰ってきたらすべて公表だ」

「カリラ湖の別荘、ナーシャも一緒に来て。お姉様、いいよね?だって、ナーシャは赤ちゃんのお父様なんだから」


いまだったら、ナーシャも誘っていいはずだ。ナーシャの子どもを妊娠してるんだから、ナーシャだってそばにいたいだろうし。

マティアスとは色々と複雑な関係みたいだけど……そこは子どものために、頑張ってもらうことにしよう。


「子どもたちを皇族に……。なら、ルティも皇女になるのか」


ナーシャが驚き、戸惑った表情でルティを見る。でも、反対しているような雰囲気はなかった。


「とても素晴らしいことだ。我が子へのプレゼントと一緒に、皇女になる君にも贈り物を考えないと」

「贈り物か。そうだな。確かにそれは考えるべき大事だ」


ナーシャの言葉に、ユーリが真っ先に反応する。

何か欲しいものはないかい、とルティを見た。


「何でもねだってごらん。ローゼンハイムの皇帝が、持ちうるすべての力を使ってキミの願いを叶えてみせよう」


欲しいもの。ルティはぱちくりと目を瞬かせ、すぐに思い浮かんだ。

思いついたことを、とっさに口にしてしまう。


「紋章が欲しい!あの――もちろん、適性があればだけど」


言ってしまってから、さすがに図々しかったかと思い、急いで付け加えた。

ユーリとナーシャは目を丸くし、ルティを凝視している。気まずさに、ルティは身を縮こませた。


そんなルティをフォローしてくれたのはセレスだった。


「紋章か……。たしかに、ルティなら適性がある可能性は高い。皇女になるなら、彼女を守る化神も必要だ。試してみてもいいのではないか」

「そうだね。いままでは僕たちで手分けしてたけど、皇女になるなら、ルティも自分のための化神はいたほうがいいと思う」


ヒスイも言い、ルティは期待を込めた目でユーリを見つめる。でも、とナーシャは難色を示した。


「ルティはまだ幼い。オルキスでも、大紋章を宿すのは十歳になってからだった」

「別に十歳って年齢に根拠があるわけじゃないんでしょ。君だって僕の宿主になった時は七歳だったじゃん。ルティは次の誕生日で七歳だ」


さりげなく反対するナーシャに対し、ヒスイがさらにフォローする。


大紋章――巻き戻り前の世界では、考えたこともなかったもの。

大紋章は遺伝の要因が大きいと言われているから、出自が分からないルティでは適正について調べることもなかった。リスクも大きいし、ルティ自身、欲しいと思ったこともなかった。


でも、今回は両親ともに化神持ちの紋章使いだったことが分かったから、ルティも適性がありそうだし。大紋章があれば……何か、ユーリの助けになれるかも。


じっと自分を見上げるルティに、ユーリは笑いかけた。


「ルティに大紋章を与えることについては、ボクも異論はない。もう少し大きくなったら……と思っていたが、皇女誕生の祝いは、たしかにもっとも相応しいタイミングかもしれないな。分かった。前向きに考えよう」


やった、とルティは喜び、ユーリを抱きしめる。それからナーシャをちらりと見て、お部屋に戻るわ、と言った。


「明日から紋章についてのお勉強も増やさなくちゃ」


長椅子を降りて自室へ戻ろうとするルティに、私も一緒に、とミーナも立ち上がる。セレスもついて来て、おやすみ、とみんなでユーリに挨拶した。


残ったユーリとナーシャを、ヒスイはじっと見つめ……やがて、大きくため息を吐く。


「心配だけど、ここは空気読んで僕も出て行くよ。ユーリに危ない真似させちゃダメだからね」


不審そうな目を自分に向けてくるヒスイに苦笑いし、ナーシャも彼が出て行くのを見送った。

今度こそ二人きりになり、ナーシャはどこかそわそわとしている。


「あの……触ってもいい?」

「どうぞ。ルティが譲ってくれたんだから、キミも座りたまえ」


おずおずとナーシャはユーリの隣に座り、ユーリのお腹にそっと触れる。まだお腹に変化はなく、それでも嬉しそうに顔を綻ばせるナーシャに、ユーリも笑った。


「まだ侍医にも分からないそうだ。だがセレスとヒスイがあの反応だし、間違いはないだろう。セレスはルティの時にも同じ気配を感じ取っているし、言われてみれば、シャンフもいまのヒスイみたいな様子だった」


医者でも断言できない程度の妊娠初期。化神にしか分からない変化。

すでにルティという前例があるから、きっとそうだ。ユーリにも確信はあった。


「……当たり前みたいに話が進んでるけど……生んでくれるんだよね?僕の子を」

「もちろんだとも。ボクが、ボクを選んでくれた天使を拒絶するわけがないだろう」

「そうだね――ごめん。君がそんなことするわけない。ただ……色々と……僕も驚き過ぎて、混乱してるみたい」

「無理もない」


ユーリが笑い、マティアスも同じだったさ、と言った。


「時間はたっぷり与えられているのだから、その間に、キミも父親としての準備をしておくといい」


ナーシャも笑い、ユーリを抱きしめる。


「とても嬉しいよ。それは本当だ。僕が父親になれるなんて……そんな幸福を与えてくれた君とお腹の子に、心から感謝してる。すごく幸せだ……」

「良い笑顔だ。ボクがいままで見てきた中で、一番魅力的な笑顔だな」

「僕ってそんなに分かりやすいかな」


抱きしめ合ったまま二人でくすくす笑い、ユーリがちょっと考え込むように黙った。


「……大紋章か。エンデニル教団に頼んでみるべきなんだろうな。ローヴァイン卿は、快諾してくれるだろうか……」


無意識に、ユーリは自分のお腹を撫でた。


枢機卿を招くのなら、やはり彼を歓迎しないわけにはいかないだろう。いまの自分で、彼を十分にもてなせるのか――この子を危険に晒すのは、非常に気が進まない。いまは男に触れられたくはないというのが本音だ……。


本音は心の内に押し隠したままユーリがそんなことを考えていると、ナーシャも考え込んだ様子で言った。


「教団に頼まなくても、大紋章を手に入れる方法がある。僕に心当たりが」


ユーリは顔を上げ、ナーシャの腕の中から彼を見上げる。

ナーシャも、あまり気は進まないようだ。


「ラヴェンデル尼僧院……君の母上にお願いする。ドロテア様は大紋章を保管しているはずだ」

「母上が……?」

「オルキスとの戦争の後、王国が所有していた大紋章を、ユリウス二世――君の父上は教団に渡さず、帝国で管理していた。彼の死後は、遺言によって后であるドロテア様に」


知らなかった、とユーリが呟く。


「おかげでルドルフ帝とは険悪な仲だったから、あまり公の話題にはならないんだよ。ルドルフ帝は教団との関係を改善するためにオルキスから回収した大紋章を献上したかったのに、ドロテア様はユリウス二世の遺言を盾に断固として拒否したから」

「そうだったのか。しかし……譲ってもらえるかどうか」


ほとんど記憶にない、母のこと。

ローゼンハイム帝の権威を振りかざしても、彼女には通用しないだろう。この帝国で唯一、ユーリの上に立つことができる相手。


そんな関係の相手に、いきなり大紋章をくれと言ってみても……。


「僕からもお願いしてみるよ。大紋章のことは、僕が口添えしたぐらいでどうにかなるレベルじゃないとは思うけど……ルティが喜ぶ顔も見たいからね」


最後は少し茶化し気味に、ナーシャが言った。ユーリも笑い、分かった、と相槌を打つ。


「ラヴェンデル尼僧院へ行こう。ボクも行って、きちんと話すべきだろう――尼僧院だから、ルティとセレスは問題ないか。護衛はキミだけにしたほうがいいだろうな。いくらなんでも、男性は連れて行けない」


皇太后のいる尼僧院だ。豪胆なバックハウス隊長でも、さすがに腰が引けるだろう。

特に治安の悪い地域でもないし、馬車でも三日あれば――セレスとナーシャたちがいれば、護衛はそれで十分だ。


「母のことは何も覚えていないんだ。正確に言えば、父のことも覚えてはいない。肖像画で見て、顔を知っているというだけで」


ナーシャの胸にもたれかかりながら、ユーリがぽつりと言った。


二歳で父帝ユリウスは崩御し、夫の死後程なくして皇后ドロテアも尼僧院へ。

ユーリは辺境の地へと追放されてそこで暮らし、以後、母親との交流は一切ない。記憶にある限り、顔を合わせたことすらない。


「……母上には、ボクとルティの関係は?」


ナーシャは首を振る。


皇太后ドロテアがそんなことを気にするとは思えなかったし、どこかから情報が漏れると困ると思って、ユーリとルティの関係は、皇太后にも話していない。

ユーリが命よりも大切にしているものを、いくらドロテア相手でも軽々しく話す気にはなれなかった。

……それぐらいの分別は、ナーシャにもある。


「説明しておくべきだろうか……。ボクの出産が終われば、公にもなることなのだし」

「いや」


悩むユーリに、ナーシャが即座にまた首を振った。


「やはり、君の出産が無事に終わるまでは、できるだけ口外しないでおくことにしよう。僕は……ドロテア様のことは尊敬しているし、恩もあるけれど、君の味方になってくれる人だと思って接したことはない」


そう話すナーシャの口調は、きっぱりとしたものだった。


自分よりずっと彼のほうが、皇太后ドロテアの人柄については詳しい。だから、ナーシャの意見を聞き入れるべきだ。

ユーリは頷き、こうしてラヴェンデル尼僧院へ――母に会いに行くことが決まった。


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