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分断 (3)


凍り付いてしまったバックハウス隊長を温めるため、ユーリは自身の身体を差し出しているのだ。


脇の下に挟んだ隊長の手の冷たさにユーリも顔をしかめながら、それでも隊長に寄り添って、彼の全身をできるだけ温めようとしていた。

主君であり、守るべき女性でもある彼女に、なんという真似をさせているのか――そうは思っても、いまは彼女のぬくもりにすがる以外に術がなくて、バックハウス隊長も震えながらユーリを抱き寄せた。


疲労を自覚すると立っていることもままならず、適当な場所に腰かける自分の膝に、ユーリも座り込んだ。


「セレス、彼らは追ってきているか?」

「いまのところ、こちらを追う気配はない。このまま、自分たちの本陣へ戻るだろうか」

「そうであってほしいものだ。追撃されると、かなり厄介なことになる」


化神持ちの紋章使いが二人。どちらも手練れで、対するこちらは紋章を使えるのはユーリだけ。ユーリはバックハウス隊長の部隊を逃がすために力を消耗し、バックハウス隊長もまた体力を著しく損なっている状態で……。


「……ユーリ」


セレスに呼びかけられ、ユーリは彼女の視線の先を追った。

スリムな白い文鳥が、こちらに向かって飛んでくる――セレスが手を差し出すと、ふわりととまった。


「陛下。ご無事ですか」


白い文鳥から声が聞こえる。グライスナー参謀の声だ。

文鳥が喋っているわけではなく、文鳥を通して音が聞こえているような状態である。


手に乗せたムートを、セレスがユーリに近づける。


「ムートを通してすべて見ておりました。ディートリヒ殿下のことも……」

「――そうか。そちらの状況は?バックハウスの部下たちを、キミに合流させに向かったが」


ディートリヒのことは、ひとまず置いておくことにしたらしい。いま論じても仕方のないことだ。

いまのユーリたちは、他に考えなければならないことがあるのだから。


「撤退した彼らを迎えに行くよう、私の部下に指示済みです。ほどなく合流できるかと。ディートリヒの反逆が確定した瞬間にリンデンベルク伯にはカルタモ本陣への攻撃を中止し、こちらへ戻るよう伝えております」

「実に的確な判断だ。キミの采配に感謝する」


そう言いながらも、ユーリは何やら考え込んでいる。


「……グライスナー。すまないが、ナーシャにボクたちを迎えに行くよう頼んでくれないか。バックハウスも疲弊し、ボクもかなり力を使っている。あの紋章使いたちの追撃の可能性も考えると、ボクたちだけで行動するのは非常に危険だ」

「承知いたしました。リンデンベルク伯もこの場におりますので、すぐに向かわせます」


うむ、とユーリが頷くと、白い文鳥がぱっと顔を上げ、小首を傾げてユーリを見上げた。

どうやら、グライスナーとの通信は切れたようだ。


「ヒスイと……恐らくフェルゼンもこちらへ来るだろう。むしろ二人に来てもらわなければ連中には対抗できないだろうから、困るのだが……ただ、化神がどちらも二体となれば、判別は難しいだろうな」


考え込むセレスに、バックハウス隊長が目を瞬かせる。困惑する隊長の視線に気づき、セレスが説明を付け加えた。


「化神は化神の気配を感知することができるが、識別できるわけではない。いまは何となくの方角で区別が付くが、両者が迂回して移動してしまったらどちらが味方で、敵か、分からなくなってしまうことだろう」




帝国軍の本陣から十キロほど離れたグライスナー部隊が待機していた中継地点。すでにナーシャたちも引き返して合流しており、参謀から仔細を聞かされていた。


「信じられない……ディートリヒが、帝国を裏切るだなんて」


ナーシャが、少し血の気の引いた顔で呟く。

彼のその言葉に、参謀も内心同意した。不審な様子に見張っていた自分ですら、本当に裏切るとは思わなかった、というのが正直な感想だ。


「ディートリヒ殿下――いえ、ディートリヒは、父帝ルドルフが陛下によって謀殺されたと主張しておりました。エルメンライヒ候と手を組んだ、簒奪者だと」


ナーシャは何も言わず、ぎゅっと唇を結んでいる。

その反応に、彼も薄々勘付いていたのだな、と参謀は察した。あるいは、ユーリからすでに聞かされていた。

……いまは、真実などどうでもいいこと。


ローゼンハイムの皇帝はユーリであり、例えディートリヒの言い分が正しかったとしても、外国と手を組んで帝国の皇帝を弑逆しようとした彼を許すことはできない。


「理由を考えるのは後にしろ。ユリウスの救出が優先だ」


フェルゼンが言い、ナーシャもグライスナー参謀も頷く。

彼の言う通り、ユーリを失うわけにはいかない。




ヒスイはユーリたちのいる方向――セレスの気配が感じられる方向を見つめ、ナーシャの合図を待っていた。

ナーシャはまだ、グライスナー参謀と救出について話し合っている。


「……あっちの化神は二体。ちょっとまずい感じ」


自分に近づくフェルゼンに、ヒスイがぼそりと言った。フェルゼンも無言で頷いた。


ユーリたちを追う敵の化神は二体。助けに向かう自分たちも二体。

化神同士の気配が感知できるために、セレスは大いに混乱するに違いない。


「恐らくユリウスたちは、どちらが我々なのか把握できなくなるだろう。それに対し、ユリウスが同行させている化神は一体……やつらは、真っ直ぐにユリウスへと向かっていく」

「うん。距離的に、あっちのほうが先にユーリたちのところに着く。こういう場所だと、僕も最高速出しきれないし」


フェルゼンももう一度頷く。

さすがに、あちらのほうがユーリたちに近いはず。


――また、思いもかけぬことで展開が変わっている。

バックハウス隊長とグライスナー参謀がユーリを助けに行ったのは意外だった。おかげで、かえって状況は悪くなってしまった。


最初の世界。ディートリヒの裏切りに対し、セレスだけを伴っていたユーリは、さっさと逃げ出している。自力でグライスナー部隊のいる中継地点へと向かい、合流していた。

だが今回は、バックハウス隊長の乱入によって彼と彼の部下たちを救うために留まってしまった。

この変化が、いったいどのような影響をもたらすか……。


「ヒスイ、待たせたね。グライスナー参謀との打ち合わせも済んだ――急ぎ、ユーリたちを追おう」

「たぶん、向こうのほうが先に着くよ。さすがの僕も、これだけ差があると追い越すのは不可能だ」

「分かっている。だから……理想は先にユーリたちのもとへたどり着くことだが、場合によっては、ユーリたちを追うより向こうに攻撃を仕掛けるのを優先することになるかもしれない」


ナーシャの提案にはフェルゼンも納得した。

回避すべきは、ユーリが敵と対峙する展開だ。いっそ矛先を変え、攻撃を仕掛けてこちらへ引き付けてしまうのも有用な手だろう。

どちらにしろ、相手に追いつかなくてはならないのだが。


ナーシャが馬に乗るのを確認すると、ヒスイは走り出した。フェルゼンも二人の後ろについて走った。




「うん……両者とも動き出したな。恐らく、北からこちらへ向かっているのがヒスイたちで、西に回ろうとしているほうがさっきの連中だろう……と、思うのだが」


気配を探りながら、セレスが言った。

いかがしましょう、とバックハウス隊長はユーリを見る。


「俺たちも、リンデンベルクのほうへ向かいますか?」


とは言え、どちらがナーシャたちなのか。万一にも間違った相手に向かっていたら、取り返しのつかない事態になってしまう。

化神同士が気配を察知できるのなら、向こうもセレスの動きは分かっているはず。


迂回したところで、待ち構えていた連中に行く手を阻まれたら……結局、こっちから向こうに近付いてしまうことに……。


「……うむ。ボクたちは、ナーシャからも敵からも逃げることにしよう」


ユーリが言った。ユーリの選択にバックハウス隊長は目を瞬かせるが、ユーリは言葉を続ける。


「バックハウス。たしか、この先に川があったな?」

「は――はい。ここからですと……およそ十キロほど」


斥候部隊による調査と地図を思い返しながら、隊長が答えた。


「ボクたちにとって最悪の状況は、ナーシャたちと合流する前に敵と遭遇してしまうことだ。そして実に残念なことに、その可能性のほうが高い。グライスナーのところからこちらへ向かってくるのだから、いくらなんでもナーシャたちのほうが遠い。あの虎は足も速そうだったし……となれば、最悪の事態を想定してボクたちも動くべきだろう――敵には追いつかれてしまう。その前提で、ボクたちも備える」

「それで……川へ向かうということですか?」


ユーリがわざわざ尋ねてきたということは、そういうことだろう。隊長の問いに、ユーリが頷く。


「水辺は水を操るセレスにとって有利な場所だ。追いつかれてしまうのなら、せめてそこまで移動しておこう。バックハウス、体力はどうだ?」


はっとバックハウス隊長が我に返り、ずっと抱きしめていたユーリから慌てて離れ、ビシッと立ち上がった。


「陛下のおかげで!この通り!」


威勢よく立ち上がったものの、まだ万全の状態からは程遠い状態だ。

ただでさえ人間よりもはるかに強い化神を相手に、この状態の自分がどこまで役に立てるか……。


バックハウス隊長の膝から滑り降りたユーリも立ち上がり、少しよろめいて、セレスが急いで彼女を支えている。

ユーリも、自分以上に虚勢を張っている――紋章は使えないが、友人でもあるグライスナー参謀を見てきたから分かる。人智を超えた力を使っていて、生身の人間がタダで済むわけがない。

……ユーリも、本当は限界寸前……いや、もしかしたらとっくに……。


「セレス殿。先ほどの剣――もう一度俺にお貸しいただけないだろうか。図々しい頼みと分かってはいるが、頼む!」


外した装備はもう着けていけない。

すでに体力を大幅に失い、これから十キロ先まで全力疾走、その後化神相手に戦うことを考えれば、重い防具は捨て、少しでも温存しないと。

そしてあの化神と戦うのなら、まともな武器では渡り合うこともできない。


じっとバックハウス隊長を見た後、セレスはユーリに視線を移し、ユーリが頷いた。


「……分かった。両手を出してくれ」


バックハウス隊長が差し出した両方の手にセレスが触れ、ユーリの左手の紋章が光りを放つ。隊長の両手も同じ色の淡い光に包まれ、光が収まると、両手は長い剣を持ち、装備を解いたはずの両腕には真っ白な手甲が装着されていた。


「これは」

「それがあれば、剣の冷気にも多少耐えれるはず」


目を丸くして手甲を見るバックハウス隊長に、ユーリが説明する。

ありがとうございます、と隊長は深く頭を下げて彼女の気遣いに感謝した。


自分のために、ユーリの負担をまた増やしてしまった――身命に代えても、必ず彼女を守り抜かなくては。


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