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異変と始まり (2)


ユーリが不調で伏せっている。

グランツローゼの城に戻ってきたフェルゼンはそれを知り、考え込んでいた。


……思いもかけないところで、最初の世界と違いが出ている。

そういうこともあるのだな。


もっとも、体調というものは最も不安定な要素であり、どの運命でもまったく同じと考えるほうが危険なのかもしれない。特に、女性の月のものなんて……フェルゼンには、未知すぎて予想もできないし……。


「フェルゼン、帰ってたんだ」


自分に呼び掛けるルティの声に、フェルゼンは振り返った。


「劇場の火事から助け出してくれたこと、ちゃんとお礼言えてなかったから探してたのに、ずっとどこかに行っちゃってるんだもん。帰って来るの待ってたんだよ」


城どころか帝国からも離れていたのだが、さすがにそれは話せない。

ぷう、と可愛らしく頬を膨らませていたルティはすぐにいつもの笑顔に戻り、お帰りなさい、と改めて言った。


「ご飯ちゃんと食べてた?フェルゼンは宿主のいない化神だから、自分でご飯食べて体力補給しないと危ないんでしょ?回復だってセレスたちほど素早くはないから心配だって、お姉様たちも気にしてたよ」

「気を付けてはいる。目的を達する前に餓死では、笑い話にもならないからな――グランツローゼは、何か変わったことはなかったか」

「うーん。悪い金貸しの人を捕まえたことぐらいかな」


ルティは何気なく話したが、もしかしてクラーゲンのことか、とフェルゼンが反応するのを見て、目を丸くする。


「フェルゼンも、クラーゲンのこと知ってたの?」

「貴族の間でも悪名高かった高利貸しとして、名前だけだが。直接の面識はない」


面識もないし、関わったこともない。ただ、そういう男がいる、ということだけフェルゼンも知ってはいた。

本当にそれだけの相手なのだが、今回は思いもかけずに接点が生まれたらしい。


ルティが簡単に説明してくれたことを聞きながら、この変化がどういう展開をもたらすか、フェルゼンも考えた。


「赤烏新聞社のクルトか。たしかに、その名前も聞いたことがあるな。ユリウスの悪評を散々書き立てていた記者だ」

「そう。お姉様のことをとにかく悪く書けばいい!みたいな酷い記事書いてたんだよね。帝国の悪いところは全部お姉様のせいにされてた」


そう話すルティの声には、かなりの恨みがこもっている。それも無理はないか。


「……仲良くするの、やっぱりよくないかな?」


どうやらルティは、そのクルトと少し打ち解けたらしい。巻き戻り前の彼を許したわけではないが、いつまでも起きてもいない未来にこだわって、目の前の彼を否定することはやめたのだろう。

それが良いことなのかどうかは、フェルゼンにもまだ分からない。


「どうだろうな。だが……もしかしたら、クラーゲンが逮捕されたことといい、おまえと関わったことでクルトという少年にも変化が起きたのかもしれない」

「私?」

「金貸しクラーゲンのことは詳しくはないが、やつの逮捕は初めて聞いた話だ。最初の世界では、起きなかったことと言ってもいい。ならばなぜ、今回やつは逮捕されたのか――」


クルトはバルテル氏を尾行しなかった。

……恐らく、尾行はしたのだろうが、結果が出る前に放棄してしまった。だからクラーゲンの悪行も明るみになることなく、この時点での逮捕は起きなかった。

そしてなぜクルトが尾行を止めてしまったのかと言えば……むしろ、粘り強く続けた今回が立派だった。


何かと自分につっかかってくるルティへの意地と対抗心から続け、見事にバルテル夫人の死の真相を暴いた。そしてクラーゲンを逮捕させた。


「そっかぁ。クルト、とっても頑張ったんだね」

「そうとも言える。最初の世界では幼かったこともあって途中放棄してしまった張り込みを成功させ、結果を得た――手痛い経験にはなったが、真実を追い求める困難さや重要さを思い知ったことだろう。これが、ジャーナリストとしての成長に繋がればよいが」


フェルゼンが言えば、きっとそうなったよ、とルティが笑顔で言った。


「クルトがちゃんとした真実を追求する記者になるんだったら、私も応援したいな。真実を伝えるお仕事は大事だもんね」


ニコニコ笑顔で話すルティに、フェルゼンも反対する気にはなれなかった。


「ルティ、こんなところにいたのか。そろそろ行かないと、授業に遅れるぞ」


フェルゼンと話し込んでいるルティを見つけてセレスが声を掛ければ、あっ、とルティが慌てる。


「そうだった。私、授業へ向かう途中だったんだ――また後でね、フェルゼン」


教室へ急ごうとするルティについて行きながら、足を止めてセレスが振り返った。

右腕はどうだ、と短く問いかけてくる。


「問題はない。おまえたちのおかげで、正常通りに動いている」

「そうか――確認する間もなく城を出てしまっていたので、どうなったのか気にしていた。あとでユーリにも顔を見せてやるんだぞ」


そう言って、セレスはすぐにルティを追って行った。彼女たちを見送った後、フェルゼンも移動する。


ユーリにも顔を見せてやるべき……というセレスの言い分はもっともなのだが、自分もやるべきことがある。




訓練場も兼ねた庭は、ディートリヒ以外誰もいなかった。

もう日も暮れ始めている。さすがに、この時間まで訓練をしている者はいない。それを狙って、あえてこの時間にやって来た。


訓練用の人形を相手に、稽古用の剣を振るう。

モヤモヤする気持ちを振り払うように、ちょっと八つ当たり気味に。


「剣筋が荒れている。ユリウスの色香に惑わされたか」


投げかけられた言葉に、手元が狂った。

力加減を誤り、稽古用とは言え、頑丈な剣が人形相手に無様にへし折れてしまう。飛んできた剣の破片を、フェルゼンは手甲で軽くはねのけた。


「おまえ――いまの台詞はどういうつもりだ」

「その問いかけに意味はあるのか?いままさに、身を持って実感していることだろうに」


ぐ、と黙り込む。認めたくはないが……認めるべきではないのに、フェルゼンの指摘になぜか反論できなくて。


「どうやらユリウスは、父親譲りの美貌を活かす才能も持ち合わせていたようだ。女だけに、その美貌は父親以上に発揮されている」

「妙な言い方をするな!あいつはたしかに女だが――ローゼンハイムの皇帝として私心を殺し、帝国のために尽力している!妙な物言いは相変わらずだが……」


傲慢な物言いは多いが、本当に人を見下しているわけではない。

むしろ、率先していつも美点を見出して。彼女が、人を貶めるようなことを口にしている姿を見たことがない。


ディートリヒは、そんなユーリを尊敬していた。

彼女は、誇り高いローゼンハイムの皇帝だ。得体の知れない者に侮辱されるいわれはない。


「……どうかな。知った気になっているだけで、おまえはユリウスのことを何も知らない。そうだろう?」

「それは……」

「ユリウスは幼少のほとんどを辺境の地で過ごし、グランツローゼには数年に一度やって来るだけ。おまえと顔を合わせた日数など、数えるほどしかない。彼女が皇帝となって一年ほど過ぎたが、互いに多忙で、依然何も知らないまま」


それについてはディートリヒも否定できなかった。

確かに、自分たちが共に過ごした時間は短い。幼少からの知り合いではあるが、グランツローゼで生まれ育った自分と、ほとんど辺境の城で過ごしたユーリ――あまりにも距離があり過ぎた。

そしていまも、皇帝と臣下として、距離は埋められないまま……。


「……でも。なら、いまからでも埋めればいいだけだ。俺たちはこれからもずっとこの城で暮らす――時間はいくらでもあるんだから」


自分で言ってみて、その通りだ、と思わず納得してしまう。

一人で勝手に気にして、気になるくせに何もせずモヤモヤして。気になるのなら、行動に出てみればよかった。彼女と話をして、自分の下らない悩みを笑い飛ばしてもらえばよかっただけ。


そうだそうだ、と一人頷き、ディートリヒは稽古用の剣もフェルゼンのことも放り投げて、訓練所を出て行こうとした。

――ユーリに会いに行こうと。


「それはおすすめできないな。彼女に近づけば、おまえも彼女に籠絡されるだけ――すでにその色香に惑い始めているというのに、自ら深みへ落ちるつもりか」

「おまえは、いったい何が目的なんだ。さっきから……」


さっきから、ユーリへの不信感をあおるようなことばかり。この化神は、ユーリの味方ではなかったのか。

ディートリヒはフェルゼンを睨む。


「何も見えていないおまえが、滑稽なだけだ。ユリウスに近付く男はことごとく彼女に籠絡され、次はおまえとなる――それを知らず、無防備に近づこうとする姿は実に憐れだ」


顔を覆う兜の下から、くぐもった笑い声が聞こえてくる。


「マティアス・フォン・エルメンライヒ――ユリウスに近付き過ぎた男がどうなったか、確かめてくるといい。ユリウスのためならば悪魔に魂も売った男の愚行をな」

「エルメンライヒ候?あいつが、ユリウスのために何を――」


言いかけて、不意に思い出す。あの時の会話……父ルドルフが亡くなった時のこと。


――宰相殿は、エルメンライヒ候をお疑いということかな。

――いや……ただ、はるかにそちらのほうが有り得るというだけだ。


どうして急にそのことを思い出したのかは分からない。

……本当は、ずっと気になっていたからかもしれない。


誰が、皇帝ルドルフの命を奪ったのか。その真実が。


「そんなバカな……あり得ない。あり得ないと、みんな言っていた……」


それはフェルゼンへの反論というより、自分に言い聞かせているようであった。

あり得ない、そんなはずはないと。そう信じたくて、必死で。


だって……マティアスが皇帝ルドルフを害した真犯人だというのなら、ユーリは……。

彼女が、知らないはずがない。ユーリの目の前で行われ、他ならぬ彼女がすべてを証言した。だから、マティアスは無罪となった。


「私が何を言おうと、判断するのはおまえ次第。同様に、おまえが何を知ろうと、目を逸らそうと、真実も変わらない。好きなほうを選べばいい」


はっと振り返った時、訓練場からフェルゼンの姿は消えていた。姿を消したどころか、最初から彼がここにいたことが嘘のように、あたりは静寂で。


いったいあの化神は何者なのか――何を企んでいるのか……。いま、本当に話をしていたのか。

まるで白昼夢のように消えてしまった。残ったものは、どうしようもない疑念だけ。


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