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連鎖に囚われた男 (3)


恐らくここでは、誰かと出くわすだろうと思っていた。自分たちの大切な命綱なのだ、見張りを置いていないわけがない。

だから、その誰かが、城門の上でユーリと直接やり取りをした男であったのは、むしろ幸運なことであった。


「だ、誰だ!?おまえ――どうやってここに……!?」


ナーシャの姿を見て、男は恐れおののき、わたわたと武器を構える。実力の差を感じているのか、ナーシャと対峙しながらも腰が完全に引けていて、その姿にナーシャは嫌悪と怒りが余計に燃え上がった。


「捕えた子どもたちはどこだ。おまえに人間としての良心が少しでも残っているのなら、いますぐその子たちを解放しろ」


かつてオルキス王国で使われていた、王国公用語でナーシャは男に訴える。


王国の公用語は、帝国語と大きな差はない。微妙なイントネーションの違いなぐらい。

それだけに、そのわずかな差をきっちり使い分けることができている、というのは、彼が王国民である証でもあった。


「あ、あんた……オルキス人なのか!?オルキス人のくせにローゼンハイムなんかで城仕えして……!帝国の犬に成り下がったのか、この売国奴め!」


予想通り、オルキス人の男はナーシャを裏切り者と罵るが、ナーシャもありったけの蔑みを込め、男を睨んだ。


「僕が犬だというのならば、君たちは犬畜生に劣る浅ましい獣だ。抵抗もできぬ子どもを殺し、年端もいかぬ少女を寄ってたかって凌辱して」

「あ、あいつらが、先にやったんだ!俺たちの国を滅ぼして――あいつらだって、俺の家族を殺した!無抵抗の子どもだって殺したし、女だって犯してきた!それをやり返しただけで、何が悪い!」

「この家族が直接手を下したわけではないだろう!復讐という大義名分を掲げ、平和に暮らしていた家族を、君たちがズタズタに引き裂いただけじゃないか!」

「うるさい!あいつらは帝国の人間だ!天誅が下っただけだ!」

「天誅だと――どこまでもふざけた思い上がりを!」


ナーシャも容赦なく男を罵倒するが、男も罵られ、だんだんとヒートアップしていた。痛いところを突かれ、激高している。


「ナーシャ、もういいよ。こんなやつ、真面目に相手するだけ無駄」


自分の刀を取り出し、ヒスイが口を挟む。少年の体格には不釣り合いなほど長い刃――バチバチと雷光を帯び、氷のように冷徹な表情で、ヒスイが男と向き合う。


「あんたがクズで良かったよ。僕だって良心ぐらい持ってるからね――クズだと、何のためらいもなく斬れていい。同胞のよしみで、一思いに終わらせてあげる」

「お、おまえ……化神……!?」


ヒスイの正体を、男はすぐに察したらしい。オルキス王国は紋章の研究が盛んだったから、一般にもその存在は広く知られている。

……かつてのオルキス王も、人の姿をした化神を連れていた。だから、目の前の少年が化神であることが、すぐに分かったのだろう。


「雷……?あんた……あんた、まさか――」


ヒスイの正体と共に、ヒスイの宿主の正体にも、男は心当たりを浮かべる。それを口にするよりも先に、ヒスイが動いた。


光の残像だけが残り、目にもとまらぬスピードで刀が男の首元を狙う。

――だが、首を斬り落とすことはできなかった。


ヒスイの刀を防ぐのは、鎌のような爪。五十センチぐらいの大きさのイタチで、鎌のようになった前足で、雷光を帯びた刀を押し返そうとしていた。


「化神……こいつも、紋章使いだったの?」

「違う――!」


カマイタチとつばぜり合いをするヒスイに、ナーシャが呼び掛ける。ナーシャも、飛び込んできた男の剣を防ぎ、つばぜり合いとなった。

飛び込んできた老齢の男は左手の甲に紋章が描かれており、その気迫も剣筋も、いままでの男たちと一線を画していた。


「オレーク、君まで……こんな愚かな復讐に加担していたのか!」


オレークと呼ばれた老人は、お久しぶりでございます、とナーシャに挨拶する。その剣は収めないまま。


「折に触れてはドロテア様からご様子をうかがっておりましたが、こうして直接顔を合わせるのは何年ぶりになるでしょうか。ご立派になられて――その成長を、喜んでいる状態で再会できなかったことは、まことに残念でございます」


悲し気に眉を寄せる老人に、はぐらかすな、とナーシャは一喝した。


「その男をかばうということは、君も仲間なのか?君がいながら……戦えない城主と子どもを殺させ、少女たちへの暴行を許したのか!?」

「いいえ。私もラングハイム城での暴挙を聞き、駆け付けた次第にございます。彼らも、共に身を寄せ合って生き延びていた仲ではありましたが」


自分の後ろで腰を抜かし、呆然と成り行きをみることしかできない男にちらりと視線をやりながら、オレークが言った。


「あなた様のお怒りもごもっともでございます。この男の始末は、必ず私がいたします――このような愚か者であっても、帝国の手にかけさせるわけには参りません。見逃してはいただけませんか」


年を取っていても、かつてはオルキス王国に仕えた将軍だけあって、いまのナーシャでは容易く勝てる相手ではない。

ヒスイも、疾風のごとく動き回るカマイタチと戦って、ナーシャの援護には回れなかった。


「アナスタシウス様」


老人が、静かに呼びかける。


「……どうしようもない愚か者ではありますが、これが、全てを失った人間の末路なのです。失うものが何もない……守るべきものを失くした人間の、成れの果て……」


老人の言葉に、ナーシャも反論することができなかった。


――分かっている。自分は、守りたいものを得ることができて。

それに支えられているから、いまもこうして、人としての良心を捨てることなく立っていられる。何かが違えば……その男が自分の姿でもあったことは、分かっている……。


カマイタチが甲高い声を上げ、老人の紋章が光る。


しまった――彼の言葉に一瞬気を取られ、警戒を怠った。ナーシャが自分の油断を立て直す間もなく、突風が吹き荒れ、目を開けていることができなくなった。

視界が戻った時には老人も、あの男の姿もなく、完全に逃げ去られてしまっていた。


「ナーシャ」


刀を収め、ヒスイが呼ぶ。彼の視線を追ってみれば、近くの扉がちょっとだけ開いていて、怯えたような少年と目が合った。

少年は慌てて逃げ出そうとしたが、一緒にいた男の子とぶつかって二人で転んでしまい、ナーシャは彼らにそっと近付く。


「僕は帝国側の人間だ。敵じゃない――君たちを助けに来たんだよ」


近付くナーシャから弟をかばうように、少年の一人が小さな男の子をぎゅっと抱きしめてナーシャを見上げる。

泣き出しそうなほど怯えていて、ナーシャの言葉が本当なのか、一所懸命見極めようとしていた。


「ほら、君たちのお姉さんも助けられている。行こう。君たちの無事な姿を見せてあげないと」


窓からは、グライスナー参謀が部下を連れて、操作室から籠城していた女性たちを助け出す光景が見えた。少年たちもそれを見て、ようやく警戒心を解いたらしい。


こくんと小さく頷き、ナーシャが差し出す手をぎゅっと握った。もう一人はまだ歩くことも覚束ないほど小さな子で、ナーシャはその子を抱っこし、二人を連れて下へと降りていった。




裏庭で姉弟は再会し、少し遅れて、憔悴しきった様子の母親もやって来る。家族は互いの無事と再会に涙を流し、帝国の兵たちはそれを見守った。


「助けてくださって、ありがとうございました」


母親と幼い弟たちは疲弊しきっていたから、すぐにそれぞれの部屋へ行ってしまった。城主の娘でもある少女が残り、ユーリたちに深々と頭を下げる。

彼女だって傷つき、疲れ果ててボロボロのはずだが、そんな雰囲気はおくびにも出さず、真っ直ぐにローゼンハイム皇帝と向き合っていた。


「二度とこのようなことが起きぬよう、ボクが選りすぐった兵を置き、城を守らせよう。許されざる蛮行であったが、それが解決したのはキミたちの強さと聡明さのおかげだ。ボクに礼など不要」

「このような辺境の地にまで足をお運びくださって……私たちを助け出してくださったばかりか、そのようなお気遣いまで……。御恩は一生忘れません」


そう言った少女の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。ローゼンハイム帝に、心から感謝しているようだ。

少女は、ユーリの隣に並ぶセレスを見た。


「セレス様は、陛下の化神とお聞きしました。陛下は女性であらせられながら、男たちの中にあってもお強く、気高くいらっしゃる……。私も、陛下のような強い女になれるよう、精進してまいります」


うん、と頷いて少女を力づけるように、ユーリは彼女の肩を叩く。ナーシャはそれを、苦い思いで見つめる。


男たちによって傷付けられ、苦しめられた少女。若い身には、あまりにも辛過ぎる経験だ。

それでも彼女は立ち上がろうとしているが、その目には、男への強い敵意のようなものも浮かんでいた。


――僕……大きくなったらおにいさんみたいな強い男になって、あいつらみんなやっつけてやるんだ……!


姉のもとへ連れて行く道すがら、少年が呟いたことを思い出す。

あの少年も、悲劇を受けて強くなろうとしている――今度は自分の力で、敵を倒すと。復讐心をばねに踏みにじられても立ち上がろうとしている。


復讐が間違っていると言うつもりはない。それが心を強く支えてくれるのなら、他人のナーシャがとやかく言うことではない。

……でも、帝国への復讐から始まった蛮行の末に、新たな復讐心が植え付けられて。


その連鎖を目の当たりにして、解決して良かったと笑えるほど、ナーシャも能天気にはなれなかった。




その日の夜は、ナーシャたちもラングハイム城に泊まることになった。朝を待って、帝都へと帰る。

城の窓からは、城門の外で燃える炎が見えた。


リーダー格の男は逃がしてしまったが、城に乗り込んできたならず者たちはほとんどが始末され、遺体は炎の中へと投下された。

土葬が基本のこの地域で、火葬は、重罪人にのみ行われる方法である。


彼らは、その蛮行に相応しい、当然の報いを受けた。ナーシャもそう思ってはいるのだが、窓の外を見ないようにし、どさりと寝台に腰かける。

頭を抱えて、重苦しいため息を吐く――コンコン、と部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。


「ナーシャ、入ってもいいか」


そう問いかけると同時に、扉が開く。返事を待つという選択肢のない彼女に苦笑いしつつ、ナーシャもいまさら咎めたりはしなかった。

ユーリは、ぼすんとナーシャの隣に座る。


「功労者のキミを労いに来た――万事解決とは言えないが、最悪の事態は防がれて良かった」

「うん……そうだね」


すべてを助け出せたわけではないが、できうる限りで、助け出せてよかった。ナーシャは素直に頷き、ユーリの笑顔に釣られて笑う。

明るく笑っている彼女を見ると、それだけで、ナーシャの心もちょっと軽くなったような気がした。


「……ユーリ。助け出した男の子たちのことだが」


ぽつりと、ナーシャが切り出す。


「あの子たち、何か言ってた?」

「何か……特に気になることはなかったと思うぞ。兄弟で塔に閉じ込められて、一番上の兄が連れて行かれた時以外は、ほとんど放置されていたらしい。大きな物音がして気が付いたら出入り口の鍵が開いており、こっそり覗いてみたらキミと出くわした――そう証言していた」


そう、と相槌を打つ。


あの子たちは、何も聞いていない――その事実に、心の中で密かにホッとする。オレークとの会話を聞かれていたらと思ったのだが、杞憂に終わりそうだ。


ふと顔を上げてみれば、じっと自分を見つめるユーリと視線が合う。澄んだ瞳に真っ直ぐに見つめられると、何もかも見透かされそうで。

目を逸らしたい衝動と、このまますべてを忘れて、彼女の瞳に吸い込まれていたいという愚かな感情がぶつかり合い、ナーシャもユーリを見つめ返した。


「キミも、ゆっくり休みたまえ。疲れただろう……何も考えない時間というのも、存外大事だぞ」

「そうだね。ユーリの言う通りだ。時々、ぐずぐず悩み続ける自分を捨て去ってしまえればいいのに、と思うよ。いつも答えを出せないくせに、考えることがやめられなくて……」


言葉を切り、ため息を吐く。もう一度、自分を見つめるユーリの瞳を見つめて。

……無意識に、彼女と距離を詰めてしまっていた。


「ナーシャ」


戸惑いながら自分を呼ぶユーリの声に、ナーシャははっと我に返った。

目を見開いて、困惑するユーリの表情――それに気付き、ナーシャは血の気が引く思いだった。


急いで寝台から立ち上がり、彼女から距離を取る。


「ごめん――僕……今夜はどうかしてるみたいだ。頭を冷やしてくる――」


ユーリの視線から逃れるように背を向けたまま、ナーシャは部屋を出て行こうとした。

扉を開けようとした途端、自分の手がつかまれて。


恐るおそる振り返ると、すぐそばにユーリが立っていた。ナーシャを見上げ、優しく微笑む。


「ナーシャ。いまのキミには、ボクが必要なんだろう?」


ぐ、とナーシャが言葉に詰まる。


彼女は自分が何を言っているのか、分かっているのだろうか。

でも、他ならぬ彼女がそう言ってくれているのだから、甘えればいいじゃないか。


相反する気持ちがぶつかり合い、ナーシャは頭がクラクラしていた。

やっぱり……自分は部屋を出て行ったほうが……いまの自分は、まともじゃない。ずっと封じていたのに……それをしたらあの男と一緒だと、言い聞かせて……。


「構わない。ナーシャ、言ったじゃないか。ボクはキミのことが大好きだと。キミが苦しんでいるのを見て、自分にできることがあるのなら……それを選ばない理由がない」


ナーシャの頬に手を伸ばし、ユーリが背伸びしてくる。

また彼女の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてきて……ナーシャは、それに吸い寄せられていった。


ユーリの言う通り、いまの自分には彼女が必要で。彼女が差し出すものに、すがりつかずにはいられなかった。


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