連鎖に囚われた男 (2)
「先ほどのやり取りで分かった。彼らとの交渉は不可能だ」
陣に戻ると、ユーリが短く結論を述べる。その声はどこまでも冷静で、子どもの死に憤る兵たちをなだめるようでもあった。
「どうやら彼らの計画は、かなり行き当たりばったりなものだったのだろう。帝国への復讐にラングハイム城を襲って城主を殺し、一家を人質に取って立て込んでみたものの、次の展開を考えていなかった。とにかく帝国民を襲い恐怖を与えるという復讐に囚われ実行に移したが、それが目的となってしまって、その後のことまでは思い至らず、彼ら自身、自分たちの身の振り方を見失っている」
ユーリの言葉に、グライスナー参謀も頷く。ナーシャも同感だ。
復讐を実行したは良いが、その後をどうするのか――それを、彼らはまったく考えていなかったに違いない。
「そうと決まったら、ボクらは速やかに行動に出るべきだろう。ラングハイム城内に侵入し、人質を救出しつつ侵入者たちを制圧する――彼らは破れかぶれになって反撃してくるだろうから、生け捕りにしろとは言わない。生死は問わず、迅速に事態を収束させるように」
そこまで一気に説明すると、ユーリはグライスナー参謀を見た。
「さて、城内に侵入するとなれば、侵入経路の確認だな。グライスナー、この城、やはり崖側から登るしかないか?」
「ムートに偵察させましたが、監視の目の緩い崖を登って城内へ侵入するのが、もっとも確実かつ現実的な経路と思われます。人間の力で、あの壁を登るのはほぼ不可能でしょうから」
「うむ。人間の力ではな」
彼女の相槌がどういう意味なのかは、確認せずとも誰もが察した。ユーリの説明を聞きながらも、みなの視線は自然と彼らに集まっている。
「セレス、ヒスイ、城内への侵入はキミたちに任せるぞ」
「もちろんだ。あのような卑劣な男、許すことはできない」
セレスが頷き、ヒスイは何も言わなかったが、彼女に同意しているのはその態度からも一目瞭然だった。
「レナート。ヒスイ、セレスを連れ、キミも城内へ侵入を。人質の救出と、あの城の門を開けさせてほしい。ボクたちは開門を待ち、正面に控えている」
「陛下、侵入役に俺も!」
バックハウス隊長が口を挟んだ。
「あの程度の崖、俺ならば余裕で登ってみせます!卑怯な敵を前に、じっと待っていることなど俺にはできません!」
だろうな、と一同が心の中で同意する。
子どもを人質に取って親の前で殺すような卑劣漢を目の前にして、じっと待っている、なんてことがバックハウス隊長にできるわけがない。あの崖も、本当に軽々と登ってしまいそうだし。
「キミの気持ちはよく分かる――だがここは堪え、ボクと共に正面を突破するメンバーに加わって欲しい。レナートが城へ侵入している間、ボクたちは敵を引き付ける役割も担っている。バックハウスの姿がなければ、敵も不審がるだろう。キミには、ボクの隣にいてもらう必要がある」
「……はっ!陛下のご命とあらば!」
ちょっと残念そうにしていたが、すぐに切り替え、バックハウス隊長はユーリの命令を承諾する。
この切り替えの良さも、彼の強みのひとつだ。
「リンデンベルク伯、ムートも連れて行ってください。そちらの様子が私たちにも分かるようになりますし、ムートは索敵にも長けておりますので、必ずお役に立てるかと」
「ありがとうございます。ムート、よろしく頼むよ」
「ちゅん!」と胸を張ってムートが鳴き、ナーシャの肩にとまる。ヒスイ、セレスを連れ、ナーシャは城の裏側、崖へと向かった。
見れば見るほど、人の足では登れそうにもない崖だ。さすがにここは、警備の目もほとんどない。
ムートが飛んで先に城の様子を確認してから、セレスとナーシャを背負ってヒスイは一気に駆け上った。
高い城門の上まで軽々と駆け上がって跳び、勢いをつけて城門から城へと飛び移ったヒスイは、ムートの偵察であらかじめ把握しておいた見張りを斬る。セレスも別の場所へと着地し、もう一人の見張りを瞬時に斬り捨てていた。
ムートが今度はセレスの肩にとまり、セレスが合図を出す――ヒスイに連れられてナーシャもそちらへ行き、窓から城の中へと侵入した。
「人質って、どこにいるんだろう」
「塔だろう。城のてっぺん――こういった城には、たいがい作られているものだ。出入り口は一つしかなく、外への脱出も容易ではないから、下手な牢屋よりもよほど人を閉じ込めるのに向いている」
きょろきょろと城の中を見回すヒスイに、ナーシャはすぐに答えた。
自分だったらどうするかということを考えれば、答えは明白だ。
「ということは、とにかく上を目指せばいいということだな」
セレスが視線を上にやりながら言い、ムートがナーシャたちを先導するようにゆるゆると飛び始めた。
外の騒がしさが、ここにも伝わってくる。
ナーシャたちが城内に侵入したことを察し、ユーリたちも陽動を始めたのだろう。あの陽動は、長く続けると危険だ。
――あれだけ脅しておけば、すぐに人質を殺すことはないだろう。だが、追い詰められれば連中も行動に出る。
別れる直前、ユーリはナーシャに警告していた。
正面の扉を押し開けようとするふりをして、敵の警戒を引き付けるが……長引くと、向こうも破れかぶれになって行動に移す可能性がある。なるべく早めに、人質の身を確保してくれ、と。
ユーリたちが引き付けてくれているおかげで、移動している間、敵と出くわすことはほとんどなかった。
ムートが索敵能力を駆使して回避してくれたのもあるだろう。いくつか階段を登って、また長い廊下を走り……曲がり角の直前で、ムートがナーシャに飛びついてきた。
ナーシャもヒスイもセレスも急停止して、角の手前で気配を殺し、そっと向こう側を覗く。
部屋から、オルキス人らしい男たちが出てくるのが見えた。
彼らは何だか不快になるような笑みを浮かべており、時々衣服を直している。
飛び出したセレスが彼らを凍り付けにして、彼らは像のようにぴたりと動かなくなった。
「この部屋に、何かあるのかい?」
ムートがソワソワしているのを見て、ナーシャが言った。
扉越しに様子をうかがってみれば、部屋の中からは複数の人の気配。すぐに武器を取り出せるよう身構え、ナーシャはそっと扉を開けた。
扉が開くのに気づくと、中にいた女性たちはびくっと身をすくませ、一人の少女を守るように取り囲んだ。
怯えた女性たちの姿……彼女たちの衣服も乱れていて、侍女の腕に抱かれた少女は、痛ましい涙を流している。
「……セレス、ヒスイ。君たちが、彼女たちに声をかけてくれないか」
何が起きたのか、想像する必要もない。吐き気が催しそうなほど胸がムカムカし、ナーシャはため息を吐きながら二人に頼んだ。
……男の自分は、彼女たちに近づかないほうがいい。女子供の姿をしたセレスやヒスイに、この場は任せるべきだ。
二人がナーシャと同じことを考えたかは定かではないが、セレスが頷き、跪いて彼女たちに目線を合わせ、警戒心を与えないよう話しかけた。
「私はローゼンハイム皇帝ユリウスの命を受け、君たちを救出しに来た。彼は帝国兵団の騎士だ。君たちに危害を加えたりしない――もう奴らの思い通りにもさせない。必ず守ると、約束しよう」
女性だてらに軍服を着用しているセレスに戸惑いつつも、女のセレスに、彼女たちもいくぶんか怯えが和らいだようだ。セレスの言葉に、何人か頷く者もいる。
「正面の門を開けたい。どこで開けられる?」
「門を開けるのなら、一階の西棟に操作室が」
涙の跡を残したまま、少女が言った。
身なりこそ乱れているが、力強い眼差しと、幼いながらに気品を感じさせる彼女は、恐らく城主の娘だ。彼女は乱暴に涙を拭い、立ち上がった。
「そこへは、私が案内します。お願い、弟たちも助けてください!同じ西棟の最上階の塔に、弟たちが閉じ込められていて――」
「僕たちがここに来る前、少年が一人、城門から突き落とされてたけど、それとは別の子?」
ヒスイが、淡々とした口調で聞く。
少女の弟――城門で殺されていた男の子が、きっと……。
彼女たちはその事実を知っているのか、いないのか。残酷な追究ではあるが、確認しておかないわけにはいかなかった。人質の人数は、正確に把握する必要があるのだから。
女たちの何人かがワッと泣き出し、少女も何かに耐えるように唇を噛み締めた。
――どうやら、彼女たちも憐れな少年のことは知っているようだ。
「……存じております。弟のクリストフは、奴らの手にかかり、すでに……」
さすがにそれ以上を口にすることはできないのか、少女は黙り込む。涙が零れ落ちるのを必死に堪え、少女は大きくため息を吐いた。
「私には、まだ二人、弟がいるのです。あの子たちも助け出さないと」
「分かりました。必ず助けます」
懸命に平静に努めようとする少女に、ナーシャははっきりと答えた。
少女は漏れかけた嗚咽を飲み込み、お願いします、と頭を下げる。
「西棟への案内をお願いできますか。いま、正面の城門前で仲間が敵を引き付けておりますから、城内の見張りはかなり手薄になっているはずです。急いで行動すれば、これ以上の犠牲は……」
言いかけて、空々しい慰めごとを口にするのをナーシャは止めた。
彼女たちはすでに多くのものを失い、傷ついている――これ以上の犠牲を減らしたところで、彼女たちが負った傷は深く……他人の自分が気休めの言葉をかけるのは躊躇われた。
そんなことをしている暇があったら、行動で示すべきだ。せめて、生き残っている弟たちは助け出さないと。
城の女性たちを連れ、ナーシャは西棟へと到着した。城の窓から、小さな離れ――城門を操作する部屋が見えた。一旦城を出て、裏庭を突っ切ってあの建物の中へ……。
「セレス、彼女たちを連れ、操作室へ向かってくれ。そしてユーリたちが来るまで、あそこで籠城してほしい。下手に連れ回すより、あそこで救助を待つ方が安全だ」
特に、セレスの能力は籠城に向いている。
建物の壁や入り口を凍り付けにしてしまえば、外からの侵入は容易にできなくなる。残りの人質がいる最上階を目指す間、さすがに彼女たちを連れてはいけない。
「分かった。君とヒスイは、塔へ向かうのだな?」
「ああ――ムート。この状況を、改めてユーリたちに伝えてくれないか」
「ちゅん!」と鳴き、丸っとした白い文鳥は飛び立っていく。
宿主のもとへと戻り、ナーシャたちが二手に分かれていること、セレスたちが操作室にいること、ナーシャが、残りの人質の救出に向かったことをすべて伝えてくれることだろう。
セレスは女性たちを連れて階下へと向かっていき、ナーシャも、ヒスイと共に最上階を目指した。立ちはだかる敵は、すべて斬り捨てていく覚悟で。
――同じオルキス出身……同胞であっても、ナーシャはためらうつもりはなかった。




