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炎の中で (4)


あたりは火の海と化し、進むことも、退くことも不可能な状況であった。

そして、自分をかばった兵に突き飛ばされて倒れたショックで脚が痛み出し、ミーナは動けなかった。


「誰か……誰か、助けて……」


なんとか逃げ出せないか這ってみるが、重いドレスが邪魔をして、すぐにまた動けなくなってしまう。


――ルティは気付かなかったが、最初の世界と巻き戻り後の世界では、こういった差異も生じていた。

ミーナの脚を気遣うユーリによって、動きやすい衣装を選ぶよう女官たちに指示が出されていた巻き戻り後と違い、最初の世界では、皇后に相応しい豪奢なドレスを着せられていたため、ミーナへの脚の負担は比較にならない状態であった。


「誰か……」


呼びかけても、返事はない。

返ってくるはずがない――みな、物言わぬ姿へと変わってしまっているのだから。


舞台に飽きたルティは先に客席を離れており、正面ロビーから劇場を出たらしい。ミーナは他の客たちも火事に気付いてから知らされたため、混雑を回避しようと裏口からの脱出を提案された。


護衛の兵たちと共に、支配人に案内されてバックヤードを進んで、扉を開けたら……巨大な炎が噴き出し、扉を開けた支配人はもちろん、皇后を守ろうとした兵たちも火に飲み込まれて行った……。


一人、生き残ったけれど。

ミーナももう、動くことはできない。自分を取り囲む火……逃げ場所もない。


恐怖に震え、涙が零れ落ちた。


生まれてきた時から、自分は歓迎されない存在だった。弟が生まれてからは、疎まれるようにまでなってしまって。

母も、兄弟たちからも、家族として認めてもらえず。唯一の理解者だった父も亡くなり、一人、異国へと追いやられて。


ローゼンハイム帝国でも、ミーナは受け入れてもらえなかった。自分の居場所はどこにもない。

……このまま、炎の中へ消えてしまったほうが。


そのほうが楽に……。


「――おい!おい、あんた!」


目を瞑ってしまった自分を、誰かが呼んでいる。顔を上げれば、見慣れぬ衣装を着た青年が自分を抱き起こしていた。


「あんたが、皇后のヴィルヘルミーナだな?助けに来たぜ――ほら、しっかりつかまってろ!」


彼はシャンフという名前で、マティアス・フォン・エルメンライヒ侯爵の化神だそうだ。

後日、礼を伝えに言いに行ったミーナに向かって人懐っこく笑ってくれて。


「ルティも、あんたが悪いやつじゃないことは分かってるよ。でもあいつも小さくて……ユーリしか、頼れる相手がいないからな。ヤキモチ妬いちゃってるんだろうな。どうしてもしんどかったらユーリに言えよ――あんたは后なんだから、遠慮なんかしなくていいんだぜ」


彼はそう言ってくれたけれど、ミーナはユーリにルティとの関係を相談しなかった。

たった一人、自分を理解してくれる家族。頼れる相手を失いそうになって、それを奪おうとするミーナを敵視するルティの気持ちもよく分かるから。


皇后として何の役にも立てない自分は、せめてユーリの負担を増やさないようにしなくては。

年の変わらぬ女の子が一人、国を背負う重圧に耐えているのだ。

……ルティに信頼されない情けない自分のことなど、相談できるはずがなかった。




「シャンフ、ユリウス様は」


ルティから離れることなく、マティアスは自分の化神に尋ねる。燃え上がる劇場を見ながら、まだ中だ、とシャンフが答えた。


「この火事は紋章が原因じゃないかって考えて、調査してくるってさ」

「……すぐに陛下のもとへ向かえ」

「分かってる――あんま無理すんなよ。まだ本調子じゃないんだから」


そう言って、シャンフは劇場へと飛び込んで行く。

ふう、と大きくため息を吐くマティアスを、ルティは心配しながら見上げた。ぎゅっと手を繋げば、彼の手はやっぱり熱い。


マティアスはルティの手を握り返し、劇場を見ているミーナに声をかけた。


「皇后陛下。馬車を回しますので、リーゼロッテ様と城へお戻りください」


ミーナは振り返り、いいえ、と静かに首を振る。


「ユーリ様は、必ず戻ってくると約束してくださいましたもの。私たちも、あの方のお帰りを待たなくては」


ね、とミーナがルティに笑いかける。ルティも頷き、マティアスが少し困ったようにまたため息を吐くのを感じた。

でも、マティアスもそれ以上反対はしなかった。


「承知いたしました。では……もう少しだけお下がりください。焼け落ちたものが降ってきて、ここは危険です」


マティアスの指示に従い、ミーナとルティは劇場から離れる。炎に包まれた劇場は、徐々に崩れ落ち始めていた。




紋章の力に守られながら炎の中を進み、ユーリは地下を目指していた。

途中で見つけた見取り図を頭の中で浮かべながら、地下へ降りる階段を探す。焼けてあちこちの状況が変わっているから、果たして自分の考えている通りに進んでいるのか、ユーリも確信はなかった。


「この先を抜けて右に曲がれば、下へ降りる階段が――」


突然足元が崩れ落ちて、地下への階段を探す必要はなくなった。

地下に落下するユーリに飛びつき、セレスがしっかりと腕に抱いて着地する。地上階もすでに火の海だったが、地下はもっとひどい。もう、人がいられるような場所ではなくなっている。


セレスはユーリを抱きかかえたまま、化神の気配を追って探した。

これほどの炎では紋章での加護も効かないから、ユーリもセレスから離れられない。彼女の腕から下りたら、さすがの自分も丸焦げだ。


「セレス、あそこだ!影が――誰かいる……!」


炎の向こうに蠢く影。ユーリでもはっきり目視できるほどの。

……影は、複数あるように見える。一つはかなり大きい。


「フェルゼン!?」


剣を抜いて何かと戦っているのは、全身を甲冑に包んだフェルゼン。彼と対峙するのは美しい青年――たしか、ウラジミールという名の、このバレエ団のダンサー。

はだけた服の胸元から、紋様が見える。紋章が光っていて……。


「まさか、この火事はこの青年が――」

「セレス、避けろ!こいつの化神は、炎の中に潜んでいるぞ!」


フェルゼンの警告に、セレスも危険を察して身をかわす。

近くの火が弾け、ユーリたちに飛び掛かってきた。


飛び掛かってきたように見えたものは、炎のように鱗を揺らめかせる、真っ赤な蛇だった。

これがあの青年の化神だ。


紅い蛇はセレスに飛びつき損ねた後、すぐに火の中に飛び込んで姿を消した。


「貴様、何が狙いだ!?」


セレスが紋章使いの青年のほうを睨むが、青年は奇妙にゆらゆら動き、何も言わない。

まるで踊っているようにも見えるが、表情はうつろで、先ほどまでの舞台の上での姿とは違って、その動きに才能は感じられなかった。


「そいつに話しかけても無駄だ。何も答えない――やつは、化神に操られているだけだからな」

「化神に?宿主が?そんなこと、あり得るのか?」


青年の代わりにフェルゼンが答え、セレスが眉を潜めた。ユーリも、注意深く彼を観察する。


自分の意思と関係なく、動いている――紋章も、彼ではなく化神が宿主を利用して勝手に……。

紋章も化神も、まだまだ謎が多い。もちろんユーリも全てを知っているわけではないから、それも可能なのかもしれないけれど。


少なくとも、青年の姿を見ていると、フェルゼンの答えに納得しかない。

操り人形が糸で動かされているかのように、青年は不自然な動きをしているし、人間らしい表情をしていない。舞台に立っている時の彼は、神秘的ながらも、もっと生を感じさせる顔つきをしていた。


もしかしたら……肉体的に生きているだけで、彼はもう……。


セレスが急に動き、彼女にしがみつくユーリの思考は打ち切られた。

また火の中から蛇が飛び出してきて、ユーリたちを襲う。すぐに火の中へ消えてしまうから、フェルゼンも追撃しきれずにいた。


チッと、兜の下からくぐもった舌打ちが聞こえてくる。


「セレス、おまえの力で火を消せないか」

「消せて一瞬だぞ。ユーリももう、ここまでにかなり力を使っているんだ。逃げ出す分だって残しておく必要がある」


セレスの力を使えば、一時的に火を消すぐらいのことはできるだろう。でも、ここまで火の海に囲まれていては、焼け石に水――恐らく、消えてもすぐに次の炎に包まれるだけ。


ユーリは、もう一度青年を見る。

ここまで燃え盛っていては、人間の彼も危うい。彼は……彼の化神は、宿主を守るつもりはないのだろうか。


「消せないなら、塗り替えればいいだろ!炎でオレに勝てると思うなよ!」


シャンフの声が聞こえてきて、細長いものが飛んでくる――跳べ、とセレスが叫び、フェルゼンと共に大きく後ろへ飛び退いた。


あれは戟という、東国で用いられる武器だ。シャンフに、そう教えられた。

切る、薙ぎ払う、突く――様々な攻撃が可能で、矛や槍の前身となった武器。あの長さのものは両手で扱うのが普通だが、シャンフは平然と片手で扱っている。


戟が飛んできたと同時に爆風が起き、青年が吹っ飛んだ。炎も奇妙に爆ぜて一瞬色が変わり、悲鳴のような甲高い鳴き声を上げて蛇が飛び出してきた。


シャンフの炎に耐えきれず逃げ出してきた蛇に、シャンフがすかさず強烈な蹴りを食らわせる。壁に叩きつけられた蛇に、フェルゼンが剣を振り下ろした。

蛇は長い身体を燃え上がらせて牽制しようとするが、セレスの力で凍り付けにされ――氷はすぐに解けたが、一瞬の隙を突き、フェルゼンは蛇を一刀両断した。


「……終わりだな。宿主のほうがああなっちゃ、もう回復はできないだろ」


少しだけ苦渋をにじませ、シャンフが言った。

シャンフの視線の先には、火のついた床に転がって、無表情に肉体を焼かれていく青年の姿が。

苦痛に悶える様子もなく、青年は火に飲み込まれて行った……。


「紋章を回収したかったのだがな……」


フェルゼンが、ぽつりと呟く。燃え盛り、崩れ落ちていく部屋の中で、それを聞いた者はいなかった。


「出よう。ユーリも建物も、もう限界だ」

「ああ。これ以上は、マティアスにも負担がかかり過ぎる」


ユーリを抱えたままのセレスはシャンフたちの返事を待たずに駆け出し、シャンフもすぐに外へ向かった。フェルゼンも剣を収め、後ろからついて来る。


出口を探す必要はなく、シャンフがぶち壊して進んできた先を引き返し、最後は目の前の壁を軽々破壊して、一同は外へ飛び出した。


「お姉様!」


飛び出してきた自分たちを見て、ルティが叫ぶのが聞こえる。マティアスやミーナも。

ユーリは手を振り、すぐに彼女たちのもとへ向かった。


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