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炎の中で (2)


「でも……これも、運命を変えるのは簡単だよね?私がバレエを観に行かなければいいだけだもん」


火事の原因は分からない。さすがに、これを変えることはできないだろう。

なら、劇場へ行かなければいいだけだ。ルティが行きたいと言ったから行くことになったんだし、すごく簡単に変えられる――ルティはそう思った。


「……そうだな。おまえたちが劇場へ行かなければ火事に巻き込まれることもなく、火災の犠牲者は増えることだろう」

「なんで!?」


さらりととんでもないことを言われ、ルティは目を丸くする。

あくまで推測だが、と前置きし、フェルゼンが語る。


「あの火災……劇場を焼き尽くすほどの大規模なものだったにも関わらず犠牲者が少なかったのは、軍隊まで出動し、速やかに救助が行われたからだ。そこまで大規模かつ迅速な救助隊が結成されたのは、その火事におまえと皇后が巻き込まれたから――おまえたちが不在となって、果たして救助がどのようなものになるか……」


皇后と、皇帝が溺愛する妹。

その二人が巻き込まれたとなったら、やはり救助のレベルは変わるだろう。特に、あの時は皇帝が帝都を離れていて。

帰って来てみたら妻と妹が、なんてことになったら皇帝がどのような反応を示すか――城にいる者たちはみな血の気の引く思いで救出に向かったことだろう。


ルティも、フェルゼンの推測は正しい、と認めるしかなかった。


「うう……じゃあ、私……やっぱりバレエを観に行かないといけない……?」


助け出されることは分かっているのだし、我が身可愛さに劇場へ行く大勢の人たちが命を落としても構わない、と見捨てられるほどルティも非情にはなれなかった。

ミーナがシャンフに恋をしたのは、孤独で一人ぽっちだったからで……いまはルティともユーリとも仲が良いのだから、同じ状況になってもミーナの気持ちは変わる……はず?


悩むルティに、フェルゼンは黙り込んでいる。

やがて、何かをルティに差し出してきた。


「……これ、何?」


ゼームリングクーヘンと書かれた箱を見つめ、ルティが尋ねる。土産だ、とフェルゼンが言った。


「ユリウスから、おまえに土産を買っておくよう言われた」

「フェルゼン、ゼームリングに行ってたの?あれ、お姉様たちは?」


ユーリはミーナ、宰相と共にゼームリングに行っている。フェルゼンは、きっとそれを追って自分もゼームリングへ行ったのだろう。

それでなぜか、自分一人だけまた帝都に帰ってきた。


「あの者たちもこちらへ帰ってきている途中だ。皇后の足のことを考え、馬車で帰ってきているからな。先に一人で出発した私のほうが、早く着いた」

「そっか。お姉様たちも、もう帰ってきてくれるんだ」




フェルゼンの話した通り、その日の夜の内にはユーリたちも城へ帰ってきてくれた。

嬉しくて、帰ってきた二人に抱きつき、優しく抱きしめ返してくれたユーリと一緒に、ユーリの部屋でお喋りすることになった。


ユーリはマティアスの屋敷から持ってこさせたお気に入りの長椅子にゆったりと座り、ルティも隣に座らせた。

ミーナはそんな二人を微笑ましく見ながら、セレスが淹れてくれるお茶を飲んでいる――お茶は、宰相ノイエンドルフおすすめのものらしい。これもゼームリング土産だった。


「そう言えば、ルティ、メルクーリーバレエ団が来ていることは聞いたかい?」


ユーリもお茶を受け取りながら、ルティに言った。

蜂蜜入りのホットミルクを飲んでいたルティは、目を丸くした。


「シェルマンでも、評判のバレエ団なんですよ。私も幼い頃に観て、とても感動しました」

「それを聞いたら、ボクもぜひ観に行きたくなってね。というわけで、ルティも一緒に行こう」

「お姉様と……?」


うん、とユーリが笑顔で頷く。

ユーリとミーナと、三人で。ユーリが来るということは、当然セレスもついてくる。


――どうしてこうなったのだろう、とルティは首を傾げる。

バレエを観に行く。その運命は変わっていないけど、今回は、それにユーリが加わることになる。この変化はいったい……。


巻き戻り前の世界……この頃は、ユーリはまだ、ゼームリングから帰ってきていなかった。

なかなか帰ってこないユーリにルティはまた癇癪を起こし、手が付けられないほど泣きじゃくって……それで、メルクーリーバレエ団のことを教えられたのだ。少しでもルティの気が逸れればと思った女官たちによって。


そして、城に残っていたミーナと一緒に行くことになった。

たぶん、ミーナはこの機会に少しでもルティとの関係を改善できたら、と思っての同行だった。


今回はユーリももう帰ってきているから、バレエを観に行くのは同じでも、その同行者に変化が起きたのだろう。

ユーリとセレスも一緒なら……。


「うん、観に行きたい!お姉様と、ミーナと一緒に」

「決まりだな」


元気に頷くルティに、ユーリとミーナも笑った。




ユーリが提案した翌日には、ルティたちはバレエを観に行くことになった。格調高い劇場へ行くのだから、当然ドレスを着て。

劇場で何が起きるか考えると、動きにくいドレスを着るのはものすごくためらいがあったけど、ドレスを着ないで済む方法も思いつかないし、できるだけ動きやすいものを選んで着用する。

靴は、走りやすいものを選んだ。これだけは絶対に譲らなかった。


ユーリとミーナも、そこまで派手で重い衣装にはしていなくて、ルティはホッとした。

馬車に乗り込みながら、自分たちを見送る人の中にマティアスの姿はなくて、どうしたんだろうとじっと窓の外を眺める。


ルティの疑問を察したように、ユーリが言った。


「マティアスなら今日は休みを取っている。なんでも体調を崩したんだそうだ。さすがにあれは休ませてやってくれと、シャンフにまで頼み込まれてね」


ユーリに仕事を押し付けられ……もとい、任されて、城で一番忙しい人になっていたことを思い出し、ルティは苦笑いする。

巻き戻り前とはちょっと違った理由になったような気もするが、今回も、マティアスが自分の屋敷にいる展開なのは同じみたい。


帝都グランツローゼに建てられた国立大劇場。

由緒ある美しい建物で、いまは世界的な人気を誇るバレエ団が公演中だから、特に賑やかだ。


劇場のロビーは華やかに着飾った人たちで溢れかえり、その中でもユーリは一際美しく輝いていた。美しい皇帝は人々の注目を集め、劇場中の視線が一身に受けながら、それを意に介する様子もなくユーリは支配人に案内されるがまま、貴賓席へと進む。


ミーナは笑みを絶やさず、自分たちに注目する人たちに手を振っていた。

自分もそういうことが自然とできるようにならなくちゃいけないな、とルティも学びつつ、精一杯の笑顔でミーナの真似をして手を振った。


「いまのメルクーリーバレエ団には、ウラジミールというバレエダンサーがいるらしい。神に愛された、美しき天才バレエダンサー……ずいぶん若いな。ボクたちより年下だ」


もらった宣伝用のパンフレットを読みながら、ユーリが説明する。


ウラジミールというのは、聞いたことがある名前だ。

巻き戻り前の世界でも、彼は評判のバレエダンサーだったと思う。その評判を聞いて、ミーハーな自分は観に行くことを決めたような記憶がある。


評判通りの美しいバレエダンサーに巻き戻り前のルティもうっとりしたが、バレエそのものには興味がわかず、すぐに飽きてしまって。


それで、舞台が終わるとすぐにロビーに出てた――カーテンコールがまだ残っていたのに。

お客のほとんどは客席に残っている状態。もちろん、ミーナも。


それから火事の知らせを聞いて、ロビーに出ていたルティは先に避難することになった。

ちょっとの差だったけれど、大勢の客たちも一斉に避難を始めて混乱していた分だけ、ミーナはずいぶん遅れてしまうことになって……。


ということは、火事が起きるのは舞台もほとんど終わった頃。公演は、のんびり観ていても構わないだろうか。


「楽しみですね。今日の公演は、新作だそうですよ」


ミーナが、にこにこと笑顔で言った。


いまのルティも、バレエにはそんなに興味がない。

でも、今日の演目はルティでも知っている神話をモデルにした踊りらしく、ストーリーはルティでもなんとなく分かった。

ストーリーが分かれば、何となく観ていられる。ルティがバレエに見入っていると、ユーリがそっと声をかけてきた。


「ミーナ、ルティ、落ち着いて聞いてくれ――火事が起きたらしい。静かに、ここを出るぞ」


声が漏れそうになったのを慌てて口を押さえ、ルティは目を丸くしてユーリに振り返った。

暗くてよく見えなかったけれど、自分たちのボックス席に劇場の支配人が来ていて、顔色が悪いような気がした。


下の客席では、客たちは舞台を夢中で見ている。

まだ、彼らには知らされていないのだ。


もう火事が起きたなんて――巻き戻り前は、もっと後だったはずなのに。

そんなことを考えながら、ルティはユーリたちと一緒に席を離れた。客席を出てみると、外には護衛のためについて来ていた兵たちが集まっていて、ユーリはすぐに彼らに指示を出す。


「ボクたちの護衛は化神のセレスがいれば十分だ。キミたちは一般客の避難誘導を手伝ってきてくれ。この劇場には客とスタッフ、合わせて千人近い人がいる。容易な作業ではない――キミはすぐに城へ行き、ノイエンドルフの指示を仰げ」


一人の兵はユーリの命令を受けて、すぐに駆けて行った。きっと、火事を知らせに城へ行ったのだろう。知らせを受けた宰相が、軍隊を出動させる。これで、劇場の人たちも巻き戻り前と同じぐらいは助かるだろうか……。


「皇帝陛下。皆様方は、こちらの関係者用の通路から外へ」


血の気の引いた顔で、声を裏返しながら支配人が言った。彼も、相当焦っている。


「いささか遠回りにはなってしまいますが、これから他のお客様たちにも火事を知らせますので……そうなれば、正面玄関は混乱した人々で殺到することにもなるでしょう。裏口からのほうが速やかに避難できるかと――入り組んでおりますので、私がご案内いたします」

「分かった」


ユーリは頷き、もう一度兵たちに振り返る。聞いての通りだ、と彼らに呼びかけた。


「ボクたちは裏口から出る。キミたちはボクらに構わず、他の客を逃がすことに専念してくれ」


兵たちは声を揃えてユーリに敬礼し、正面のロビーへと向かっていく。

こちらへ、と支配人が小走りに案内し始めた。


「行きましょう、ルティ様。ユーリ様やセレス様が一緒ですから、きっと大丈夫ですよ」


ルティと手を繋ぎ、安心させるように笑い掛けながら、ミーナが言った。


うん、と頷いて、ルティもミーナの手をぎゅっと握り返す。

――今度は、この手を離したりしない。絶対に。


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