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炎の中で (1)


ユーリとミーナがゼームリングの町へと赴いている頃、ルティはコンラート・フォン・グライスナー参謀をお供に、帝都へと遊びに出かけていた。


セレスはユーリの護衛について行ってしまったし、ナーシャとヒスイは休みを取って帝都を離れている――たぶん、ラヴェンデル尼僧院へ行ったのだと思う。ナーシャとの奇妙な噂のある、ユーリの生母がいる尼僧院に。

どこへ行くと告げなかったけれど、詳細を明かさずに休みがほしいとユーリに頼んでいる時の様子から、ルティはなんとなくそう感じた。


マティアスとシャンフは、ちょっと出かけてくる、と言ってゼームリングまで行ってしまったユーリに代わり、執務室にこもりきりで政務中。

……だって宰相も皇帝も不在となったら、マティアスしか働ける人がいないし。さすがにいまの彼を遊びに誘えるほど、ルティも大物にはなれない。


そういうわけで、町へ出るが一緒にどうか、と誘いに来てくれたグライスナー参謀の厚意に甘え、お出かけをしている。

今日も楽しそうな雰囲気を醸し出す通りを歩き、赤烏新聞社へと向かう。


「いらっしゃいませ、リーゼロッテ様。本日はコンラート様と一緒なのですね」


以前と同じように、参謀の知人でもあるイザークが笑顔で出迎えてくれた。こんにちは、とルティも挨拶をし、新聞の並ぶシェルフに近付く。


「何か、新しいニュースは入ったのか」


シェルフを眺めるルティの後ろで、参謀が尋ねる。もちろん、とイザークは頷いた。


「戴冠式のことで、いまはどこの新聞社もそればかりですよ。皇帝と皇后の姿絵は大人気ですから、絵師たちも連日徹夜で描き上げているところで」

「お姉様とミーナの絵なら、私も描いたわ」


自慢げに胸を張り、ルティは持ってきたスケッチブックを見せる。何気なくルティの絵を見たイザークは、顔色を変えた。


「これは……なんと素晴らしい!」


興奮して大きな声を出すイザークに、社内の記者たちの視線が集まった。イザークは周囲に目もくれず、ルティの絵を見ている。


「実に精巧に、皇帝と皇后の姿が描かれている!これを、リーゼロッテ様が?」


ルティが頷くと、感情をあらわにすることなんてなかったイザークが、感動を抑えられずに驚愕していた。

赤烏新聞社に勤める似顔絵師たちも、寄ってきてルティの絵を眺める。


「こいつはすげえ。俺たちじゃ分からなかった衣装の詳細も、きっちり描き込まれてやがる」


皇帝と皇后が纏った戴冠式の豪華な衣装――当日はきっと、見ている余裕もないだろうから、事前にユーリたちが着用する姿をこっそり見学させてもらった。だから、戴冠式を観衆に混ざって見ただけの人たちでは見えない部分も、ルティははっきり描くことができた。

妹ならではの特権だ。ちょっとした優越感に、えへへ、とはにかむ。


「しかも、エルメンライヒ候にリンデンベルク伯、バックハウス隊長……グライスナー参謀の絵まで!こりゃ帝都の人気をかっさらうぞ!」

「コンラート様たちもとってもかっこよかったよ」


彼らの絵も描いたことを思い出し、ルティはグライスナー参謀に話しかけた。

ありがとうございます、と参謀は頭を下げる。


「ムートまで描いてくださったのですね」


似顔絵師たちの横からスケッチブックに視線をやりながら、参謀が言った。参謀の肩で、彼の化神の文鳥が「ちゅん!」と鳴く。心なしか、誇らしげに胸を張って。


「ムートもおしゃれしてて可愛かった」


羽根飾りのついた帽子をかぶった姿を思い出して、ルティは笑う。よかったな、と参謀は自分の化神を見た。


「本物より、九割増しぐらい凛々しく見えるぞ」


ムートはまた「ちゅん!」と鳴いたが、今度は語尾に「?」が付いていたような気がする。


「リーゼロッテ様、これを我が社に売って頂けませんか!」

「え、これを?」


イザークの申し出に、ルティは目を丸くする。

絵といっても、キャンバスに絵の具を使って描いたような立派なものではない。暇つぶしに、落書き程度の気楽さで描いたものだ。とても、お金を受け取るような代物ではないと思うのだが……。


「いけませんよ、リーゼロッテ様。こういう場合は、しっかりと報酬をもらうべきです。タダほど恐ろしいものはありませんから」


お金なんか、と断りかけたルティを遮るように、グライスナー参謀が口を挟む。

そういうものなのかな、と首を傾げつつ、ルティは彼の助言に従った。イザークたちは、それでも大喜びだ。


「この絵で、うちの新聞社の売り上げは大幅に伸びるぞ!今月のトップは赤烏新聞に違いない!」


なんだかよく分からないことで盛り上がっているけれど、自分の絵が役に立ったのならいいか。

そう納得して、ルティは改めて新聞を手に取る。


「新しいの、読んでもいい?」

「もちろん――ああ、お茶を用意するのを忘れていましたね。クルト、お客様にお茶を……今回は大事な寄稿者ですから、特別良いものをお出しして」


皇族であることよりも新聞の売り上げに貢献する人のほうが丁重に扱われるとは。

なんだか面白くて、ルティはくすっと笑った。


新聞は、ユーリの戴冠式のことがドーンと一面に載っている。皇帝特集に、皇后にちなんでシェルマン王国特集が二面……次の紙面は、ローヴァイン卿とエンデニル教団のこと。

それ以外に大きなニュースがないということは、ローゼンハイムは今日も平和ということだ……。


クルトがやって来て、ルティの前にあるテーブルにお茶とお菓子を並べる。

今日は……なんだか様子がおかしい。どこか緊張した様子で、ルティと目が合うと、慌ててイザークの後ろに隠れてしまった。

目が合うと石にでもされると思ったのだろうか。失礼な。


イザークが、意味ありげに笑う。


「この子も、戴冠式を見に行ったんです」

「お姉様とお姉様のお嫁さん、とっても綺麗だったでしょ」


クルトが緊張する理由が分かったような気がして、ルティもニヤニヤ笑いをしながら言った。

ユーリの偉大さを、彼もようやく思い知ったらしい。


「それもありますが……クルトが緊張している理由は、リーゼロッテ様にもあるのですよ。戴冠式でのお姿があまりにも美しく、圧倒されまして……それで、このように気後れしているようで」

「ふーん……?」


褒められているのだろうが、戴冠式当日の自分のことはほとんど覚えていないので、ルティは実感がわかなかった。とにかく音楽をしっかり聞いて、教えられたことを守って歩かなくては、ということで頭がいっぱいで。


ユーリたちも褒めてくれたし、たぶん、上手くやれたのだろうとは思うけれど……。


「イザークの言う通り、大変ご立派でしたよ。さすがはローゼンハイムが誇る皇帝陛下の御妹君だと、城でも評判です」


グライスナー参謀も絶賛する。えへ、とルティは照れた。


巻き戻り前の世界では、絶対にあり得なかったこと――あの頃の自分では、泣き出すことなく、あの重いドレスを着て戴冠式で歩くなんてこともできなかっただろう。ユーリがゴリ押すことも不可能なぐらい、自分は幼な過ぎた。

今回は戴冠式に参加できて……すごく緊張したし、とっても疲れたけれど、ユーリたちの美しい姿をこの目でみることができて、とても幸せだ。名画のような一場面だった。


「……あ。ここはお姉様の戴冠式の記事じゃない」


新聞をめくったルティは、紙面に載る絵が明らかにユーリのものではなくて、その記事に目をとめた。

美しい少年が描かれている。見覚えがあるかも……記事によると、彼は北の国からやって来た、美しいバレエダンサーらしい。メルクーリーバレエ団……。


「グランツローゼの大劇場で公演をしているバレエ団のことですよ。世界的に有名で、諸外国でも人気がある」

「めるくーりー……」


初めて聞く名前……のはず。でも、自分は知っている……昔、この美しい少年の評判を聞いて、観に行きたいとワガママを言った……。


パチンと頭の中で何かが弾け、記憶が流れ込んでくる。

――そうだ。自分はこのバレエ団を知っている。巻き戻り前の世界で、これを観に行った。

観に行って、でも、とても恐ろしい目に遭って。


いまのいままで、すっかり忘れ去っていった。




ルティが城に戻ってきた時、ずっと姿の見えなかったフェルゼンを見つけ、大急ぎで彼に声をかける。

思い出したの、と焦るルティに、彼は察してくれたようだ。


いつものように部屋に呼んで、ルティは急いで話し始めた。


「メルクーリーバレエ団!私、これを劇場に観に行って、火事に巻き込まれたの!それで途中でミーナと別れて……私はすぐに助け出されたけど、ミーナはしばらく取り残されてた!そうなんでしょう?」


相変わらず、思いついたことをそのまま口に出すものだから、ルティの話していることはめちゃくちゃだ。でもフェルゼンはすべてを理解し、頷いた。


「おまえがヴィルヘルミーナと共にこのバレエを観に劇場へ行って、そこで火事が起きた。足に難を抱えるヴィルヘルミーナは途中で動けなくなり、おまえを先に逃がして自分は残った。その後すぐに、おまえは助けにやって来たシャンフによって救出された」

「そう。シャンフが助けに来てくれたの!マティアスが一番最初に、劇場に駆け付けてくれたのよね?」

「あの日は休みを取って、自分の屋敷にいたからな。町での騒ぎを聞き、城から救助隊が派遣されるよりも先に到着することができた。おまえが観劇に来ていることは知っていたから、すぐにシャンフを向かわせ、シャンフがおまえを救出した。助け出されたおまえはヴィルヘルミーナが取り残されていることを訴え、意識を失った――そして目を覚ました時には、火事はおろか、バレエ団のこともすっかり忘れていた」


フェルゼンが、順序立てて説明する。うん、とルティも頷いた。


幼い自分にはとても恐ろしい出来事で、助け出されてすぐに気絶した後、目を覚ました時にはすっかり忘却の彼方へと追いやってしまっていたらしい。

幼い頃に劇場で火事に遭ったことは、大きくなってから、実はこんなこともあって、と聞かされて知っていた程度。


だから、いままで本当に覚えていなかった。新聞でメルクーリーバレエ団の名前を見て、急に記憶が蘇ってきた……。


「……あの時、助け出されたおまえが何よりも先にヴィルヘルミーナの身を案じたことを覚えていたら……その後のすれ違いは起きなかったかもしれぬ。忘れてしまったおまえのため、火事のことは話題にしないことになっていた。そのせいで、ヴィルヘルミーナもおまえが自分を心配してくれていたという事実は知らないままだった。すれ違いは平行線のまま、おまえたちの関係が改善されることはなかった……」

「そっか……もし覚えてたら……」


当時のミーナとのわだかまりも、解消されていたかもしれない。関係をやり直すチャンスだったのかもしれなかったのに……自分はすっかり忘れてしまって、そのチャンスも消え去ってしまった……。


「ヴィルヘルミーナがシャンフに想いを寄せるようになったのも、この出来事がきっかけだ」


フェルゼンが言い、ルティは顔を上げて彼を見た。


「一人炎の中に取り残されていた皇后を救出したのが、他ならぬシャンフだったのだ。シャンフには他意はなかった。おまえに頼まれて、皇后を救いに向かっただけ。しかし孤独な皇后の心に、強い感情を抱かせるには十分な出来事だった。以降も彼女はシャンフを気にかけるようになり、機会があればやつに声をかけるようになった――シャンフの人懐っこさが禍して、皇后の想いを強めてしまい……傍目には、マティアスのもとに足繁く通うようにも見えてしまった」

「それで、ミーナはマティアスとの姦通罪を疑われてしまったのね」


シャンフに会いに行くとなれば、当然、マティアスとも接触することになる。まさか化神のほうに恋慕しているなんて思わないから、周囲は、皇后の執心相手はマティアスだと勘違いして……。

化神のシャンフにミーナの恋心なんて分かるはずもないし、マティアスも感情を理解できない人間だったから、自分たちが危うい状況になっていることに気付きもせず、放置してしまった。

そして、最悪の結果へと……。


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