彼女が選ぶ覇道 (1)
薬がまだ残っているのか、身体から熱が消えていない。そんなユーリの身体をローヴァイン卿は容易く引き戻し、剥き出しになった肩に噛みついてくる。
思わず漏れてしまった甘い声に、ユーリは激しい嫌悪感を抱いた。
あの男に挑戦的な態度で媚薬の入った飲み物を渡され、ユーリはそれを口にした。引き下がる選択などなかったから、覚悟を決めて――そのつもりだったけれど、甘かった。
女として未熟な自分はいとも簡単に薬に翻弄され、ユーリの感情に反して身体は従順に反応してしまった。
心までは蹂躙されまいと抗っているが、その反抗すら、この男は楽しんでいる。
いっそ、すべて手放して、楽になってしまえば……。
……自分にそれができるわけないと、ユーリは一人自嘲する。
どうすればいいのか答えが見つからないまま、ユーリはただ、男のされるがままとなっていた。
泥沼と化してしまった関係の先に、大きな絶望が待ち受けているとも知らず。
――それが、ユリウス三世が最初に辿った運命である。
ゼームリング大聖堂で皇后ヴィルヘルミーナの姿を見たローヴァイン卿は、露骨に不機嫌そうな表情をしていた。
筋金入りな彼に、ミーナは思わず感心してしまう。
「ローヴァイン様の執着は、本当にユリウス様お一人だけに向けられているのですね」
「陛下の美貌も、なんともまあ厄介なものであることか」
皇后に同行していた宰相ノイエンドルフも、大きくため息を吐く。
ユーリから、皇后が名代としてお披露目式に出席すると聞かされ、さすがの宰相も同行を申し出た。
皇帝が来ないのなら、今度は皇后を――その可能性を考えてのことだったが、ローヴァイン卿の執着は予想以上で、どうやら杞憂に終わりそうだ。
ゼームリングの司祭は善良な聖職者で、祝いに来てくれた皇后と枢機卿をあたたかく歓迎してくれた。ゼームリングの民も喜び、ささやかな式は、終始和やかな雰囲気であった。
ローヴァイン卿はあからさまに皇后ヴィルヘルミーナを無視していたが、ミーナはそんな態度を取られるのが慣れっこで、動じることなく優しい微笑をたたえて自分たちを歓迎する人々に応えていた。
――その様子に、まずいな、とノイエンドルフは密かに危機感を抱いた。
皇后が狙われる心配がないのは良いが、ローヴァイン卿のユーリへの執着がそこまでのものだったとなると……このまま、穏便に終わるわけがない。
今回はミーナを矢面に立たせることで事なきを得たが、いつまでもこの誤魔化しは通用しないだろう。
いずれ均衡は崩れ、帝国と教団は対立する――教団を敵に回せば、ここぞとばかりに諸外国も帝国を狙って行動してくる。
ローゼンハイムの強さを誇りに思っているが、果たして世界中を敵に回すことになっても勝ち残れるかと問われれば。
……ローゼンハイム皇帝にどのような選択をさせるか、ノイエンドルフも気軽に答えを出すわけにはいかなかった。
その夜、一同はゼームリングにある宿に泊まった。
大きな町だから貴賓のための宿もあり、ローヴァイン卿は豪華な部屋を与えられたが、機嫌は治らなかった。
枢機卿をもてなすため、さりげなく女が用意されてはいるが……いまさら、ありきたりな女になど興味はない。
皇后ヴィルヘルミーナは美しく、昔ならば彼女にも興味を抱いたかもしれないが、いまのローヴァイン卿は王の妻になどとうに飽きていた。
地位が上がるにつれて、抱ける女が上等になっていく。若い頃は、自分より高貴な女がたくさんいたから、飽きることなどなかった。
しかし権力を極めてしまい、いまとなっては、自分より地位の高い女のほうが珍しくなってきた。
そしてローゼンハイム皇帝は、間違いなく、ローヴァイン卿が知る限り最上位の女である。
美しい女皇帝――予想通り男慣れしていなかったが、男の望む振る舞いはしたくないと、生意気にも反抗する姿にはそそられた。
そのやせ我慢がどこまでもつのか。ぜひとも堪能してみたいと思った。
自分が飽きるか、彼女が堕ちるか、そのどちらかが訪れるまで。
上着を放り投げ、どさりと乱暴に椅子に腰かける。肘掛けの部分に上着のポケット――ポケットの中身がぶつかったらしく、コツンと音が鳴った。
……あの薬瓶は、割れてしまっただろうか。使うあてもなくなったことだし、別に構わんが……。
用意された酒を、杯にうつすこともなく煽る。
最高級の酒のようだが、この味にも飽きたな……。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。また自分に女を宛がおうと、ゴマすり人間がやって来たのだろうか。
大帝国の美しい皇帝を抱くつもりでいたローヴァイン卿に、他の中途半端な女など邪魔くさいだけだ。
ドン、とテーブルに足を放り出し、誰だ、と横柄に声をかける。
相手も返事をせず、いきなり扉を開けた――何もかも予想外で、ローヴァイン卿も酒瓶に口を付けたまま思わず呆然となった。
なにせ、枢機卿の部屋に許しもなしに勝手に入ってきた人物は……。
「やあ、クレイグ。ゼームリング大聖堂の新しい姿は、気に入ってもらえただろうか」
たったいままで自分が焦がれていた相手――ローゼンハイム皇帝、その人。
ラフな寛衣姿で、自らローヴァイン卿の部屋に。さすがに、意を突かれた。
そんなローヴァイン卿にユーリは笑い、彼のそばにある寝台に腰かける。
「皇后に任せる予定だったのだが、やはり自分でも美しく生まれ変わったゼームリング大聖堂が見たくてね。実に見事だった――式に参加できず、残念だ」
組んだ足の先が、ローヴァイン卿の膝を掠める。脱がせやすい布の靴……かかと部分はすでに脱げ、つま先にだけ引っ掛けている状態だ。
細い足首をわしづかみにすれば、靴は落ちて、白い足が露わとなる。
ニヤリと、ローヴァイン卿も笑った。
足首をつかんだまま上に引っ張れば、ユーリは仰向けにベッドに倒れた――そのままズボンの裾を思いきり引っ張ってしまえば、今度は丈の長いシャツから白い太腿が覗く。
ユーリは動じることなく、じっとローヴァイン卿を見上げている。
「うーむ。男物の下履きに興奮するタイプか?フェチだな」
「男色の気はない」
ローヴァイン卿は短く言い捨てた。
エンデニル教は同性愛をタブーとしているし、ローヴァイン卿自身、長く軍隊に務めているだけあってそういったことと無縁でいられず、うんざりであった。
「違うのか。皇后やボクが用意した女たちには反応しないから、てっきりそうなのかと」
ユーリの異変に気付き、ローヴァイン卿はじっと彼女を観察する。
いままでは自分に敬意を払い、皇帝らしい口調と態度で接していたというのに、いまの彼女は、ずいぶん気安い。この態度の変化は、いったい何を意味するのか……。
権威に物を言わせて、彼女を屈服させているのだ。好かれていると自惚れるほど、おめでたい頭はしていない。
女が自分に媚びだすのはよくあることだが、彼女はそんなつまらないことをするタイプではないはずだ。
ならば……主導権を、自分が握っているつもりなのだろうか。
……面白い思い上がりだ。
男をほとんど知らないくせに。それで、クレイグ・ローヴァインを格下扱いできると思っているのだろうか。
身の程知らずの小娘の鼻っ柱をへし折ってやる――とても愉しい趣向だ。
ローヴァイン卿は上着を手に取り、ポケットから入れっぱなしにしていた小瓶を取り出す。
わざと見せつけるように、杯に中身を注ぎ、酒を入れてユーリに差し出す――飲め、と無言の圧力で。
男の挑戦に、逃げ出すような女ではあるまい。
逃げるのなら、それでも良い。無理やりにでも飲ませてやればいいだけ。それも面白そうだ。
仰向けに倒れていたユーリは上体を起こし、差し出された杯を受け取る。
じっと杯の中身を見つめた後……開いた自身の胸元に、杯を傾けた。
紫がかった赤い水が、白い肌と服に広がっていく。
わずかに目を見開くローヴァイン卿に、ユーリは笑う――鼻持ちならない、勝利を確信した傲慢な微笑。それは堪らなくローヴァイン卿の征服欲を刺激し、ぞくりと背筋を駆け巡った。
「……どうかしたのかい?ローゼンハイム帝たるボクが、最高級の酒を振舞っているというのに」
まだ酒の雫が残る胸元を、ユーリが指でなぞる。
思わず、ごくりと唾を呑む。サイズ自体は並程度の大きさだが、彼女の胸は、いままで見てきたどの女よりも魅力的に見えた。
ローヴァイン卿は、ユーリに飛びついた。
ローゼンハイム帝の肌と共に、酒を貪り、味わう――男の首に腕を回すユーリに誘われるまま。この酒に仕込んだもののことも、自分の目的も放り出して。
「服は破らないでくれ。着替えは忘れた」
笑いながら、ユーリがそう話すのが聞こえる。
しかし、酒と媚薬と、ユーリの肌に酔い始めたローヴァイン卿は、その言葉をほとんど聞いていなかった。
久しぶりに味わう、極上の美味。
これを知って、いまさら他の女になど関心を抱けるわけもなかった。
あの酒をローヴァイン卿に飲ませたのは正解だった。
重い身体を起こしながら、ユーリはため息を吐いて隣で眠る男を見る。
直接飲み干すことは回避できたが、肌に染み込み、男の唇越しに多少口にすることになってしまって、媚薬の効果はユーリにももたらされた。
ずいぶん乱れてしまったが……まあ、いいか。
男のほうはユーリの比にもならないほど翻弄されたようだし、あれに付き合うのなら、むしろ薬の効果はユーリの助けになった。
……素面だったら、耐えられなかったのではないだろうか。薬が快楽に変換してくれたから、乗り切ることができたような気もする。
快感も、時には自分を守るために必要となる――否定ばかりしていても仕方がないことを学習した。
もう少し、自分でもコントロールする術を身に着けたほうがいい。
まだ少し甘く疼く身体にもう一度ため息を吐き、ユーリは寝台から降りた……降りかけて、男の腕がユーリの腰に回され、離そうとしない。
ユーリは振り返り、寝惚け眼となっているローヴァイン卿に口付けて笑いかける。
「……もう時間切れだ。酒の味も、すっかり消えてしまったな」
そう言って、ユーリはもう一度口付ける――先ほどよりも深く。互いに唇の味を確認するように。
……正直なところ、ユーリは酒の味を覚えていない。数えきれないほどクレイグと口付け、彼の唇を味わったはずなのに。
「次が楽しみだ」
挑発するようにユーリが言えば、ローヴァイン卿はかすかにニヤっと笑って手を引いた――今回は。
いつか必ずこの女を跪かせ、勝利に酔いしれてやる。そんな彼の内心が、聞こえてくるようだった。




