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想いが通じ合っても (1)


陽の差すことない暗い監獄。そこは単なる罪人を捕えるための牢屋ではなく、ただ死を待つだけの囚人を放り込む小屋。


そんな場所に、皇帝ユリウスは足を踏み入れていた。

ひとつの牢を目指して、迷うことなく進む。


囚人たちの呻き声以外何も聞こえてこない場所――目的の牢で立ち止まり、そっと屈む。

冷たく、汚らしい床に横たわる男は、もう自分で立ち上がる力もなかった。ただ、人の気配に気付いてわずかに顔を上げ、ユーリの姿を視界にとらえた。


「……マティアス、キミがここから出られる望みはない。彼女は罪を否定することなく、処刑された――もはやキミの運命は、死以外の何も存在しない」


ユーリの残酷な宣言に、マティアスは顔色ひとつ変えることはない。

もともとポーカーフェイスで、相手に真意を読ませない男だったが……彼も、最初からそのことを理解していたのだろう。


自分がここから出る未来は存在しないと。


「どうして彼らの望む答えを言わない?否定しても、もう無駄なんだ。キミたちが無実であることは、ボクがちゃんと知っている。ボクの落ち度であることも。必ず、いつかキミたちの名誉を回復させる。だからもう……キミの苦しみを、無為に長引かせたくはない――」

「無為ではない――ちゃんと、意味がある」


ユーリの言葉を遮り、マティアスがはっきりと言った。

数日に渡る拷問によって、喋ることもままならないほどの状態のはずなのに。彼の目から、輝きは失われていなかった。


「私は……あなたを愛している……その証明になる」


そう言ったマティアスは、穏やかな笑みを浮かべていた。彼のそんな笑顔を、ユーリは初めて見た。

……笑う彼に対し、ユーリは絶望に青ざめる。


なぜ、と呆然と呟いた。


「なぜ……いまになって、そんなことを言い出すんだ。そんな台詞……ボクは聞きたくなかった!」


ユーリにしては珍しく、声を荒げた。取り乱さずにはいられなかった。


いま、彼の口から、最も聞きたくない台詞。聞いてみたいと、望んだことはあった。でも、その望みは叶わないのだと、とうの昔に捨てた感情。

どうして、いまになってそれを突き付けてくるのか。自分を傷つけたくて、わざとそんなことを言い出したのか――そんなふうにすら、思えてしまって。


「いまさらそんなことを打ち明けられても、遅すぎるんだ!ボクはもう――」

「分かっております……もはや、今更だと。何もかも遅すぎた。私にも、それは分かっているのです……でも、こうなって初めて、私は自分の心をようやく理解したのです――私は紋章を得て以来、感情を失っておりました。そしていま、その紋章を失ったことで、私は感情を取り戻した……なんとも皮肉な話ですね」


ちらりと、ユーリはマティアスの左腕を見る。

逃亡と抵抗を防ぐため、マティアスの左手首は逮捕された直後に斬り落とされた。マティアスは紋章を失い――こんなことでもなければ、気付かなかった自分の本心。


マティアスは幸せそうに微笑んでいるが、ユーリにとっては残酷極まりないことであった。

とうに二人の運命が決まってしまった後に、そんなものに気付いても……。


「私は、己の罪を認めません。何があろうと、最期まで。私が愛したのは、ユリウス様ただ一人。ユリウス様、お慕いしております……」


ユーリは立ち上がり、マティアスに背を向けた。振り返ることなく、監獄を出る。


彼は自分の本懐を遂げられて満足だろうが、ユーリは、裏切られた思いでいっぱいだ。




マティアスとの最期の別れ。その詳細をフェルゼンから聞かされたルティは、しばらく言葉を失っていた。


「……お姉様は、どうしてマティアスのことを拒んだの?」


最後の最期、マティアスは自分の想いに気付いた。

ユーリだって、マティアスを想う気持ちはあったはずなのに……マティアスの想いを拒んだ。


「遅すぎたのだ。彼らの話していたように」


フェルゼンが静かに答える。


「二人の道は、とうに分かたれてしまっていた。そうなってしまってから想いが通じ合っていたことなど知らされても、ユリウスにとっては絶望でしかなかった」

「遅すぎた」


男と女の関係なんて、いまのルティでもよく分からないこと。だって、実は初恋すらまだだから。


「お互いに好き同士だったら、それでいいわけじゃないのね……」

「権力が絡む場合は、特に。ユリウスは皇帝だ。愛していると言われて、無邪気に喜んでいられる立場にない」


正直、フェルゼンの説明にちゃんと納得できているわけではないのだけれど、自分がすべきことは、愛とか恋とか、それについて議論することではない。


「遅すぎたってことは、もっと早く、マティアスが自分の気持ちに気付いて、お姉様に伝えていればよかったってことよね?」


フェルゼンが頷く。


「そして恐らく、すでに変化は出ている。最初の世界――マティアスは、我が身を危険に晒され、咄嗟にルドルフ帝を害してしまった。ユリウスはそれをかばい……その時に、すれ違いは決定的なものになってしまった。マティアスはユリウスに向ける自身の感情を、罪を共有する共犯関係で片付けてしまい、すれ違いが正されることはなかった」

「マティアスは長い間感情を失ってたから、自分がお姉様に向ける特別な気持ちが何なのか、ちゃんと理解できないままになってた。マティアスが自分のことも分からないまんまじゃ、お姉様だって分からないわ――マティアスが悪いのよ」


話している間にヒートアップしてきたルティは、ちょっと怒ったような口調で言った。


だって、やっぱりマティアスのほうが年長者なんだから。


十四歳で、いまの自分と同じぐらい男と女のことなんて知らなかったユーリに強引に迫って、妊娠させた。

……シャンフが以前話してくれたことと継ぎ合わせると、そういうことだ。


ユーリはルティのことをとても愛してくれてるけれど、きっと当時はショックだって受けたに違いない。

そう考えていくと、ルティもマティアスにちょっぴり腹が立ってきた。少なくとも、セレスが怒るのは当然だと思う。


「……巻き戻り後のマティアスは、ユリウスを助けるためにルドルフ帝の命すら奪った。皇帝の命令に従わず……感情を失っているはずの男には、有り得ぬ行動。やつも、それは感じているはずだ」


ふんふん、とルティは頷く。


ユーリを助けたかった。自身の主君に手をかけることになっても――皇帝という、絶対の存在に歯向かってでも。それぐらい、ユーリはマティアスにとって大切で、特別な女性。

結末は同じだったけれど、過程は変わり……それぞれの行動の意味が変わってくる。


「なら……いまだったら、二人はお互いの想いを受け入れることができる?」


フェルゼンが頷くのを見て、よし、とルティも決心した。

――まずは、マティアスとユーリをくっつける。二人は両想いだし、ルティも二人がいつまでも仲良くいてくれるなら嬉しいし。


ワガママ言わないって反省したけれど、二人のために、やらなくてはならないワガママがある。



翌日には、ルティは早速行動に出ていた。


「お姉様。私、マティアスのところに遊びに行きたい」


朝食の席。この時間だけは、以前のようにユーリと二人で過ごせる。

……ゆっくり、というわけにはいかない。ユーリは素早く朝食を済ませてしまい、ルティが食べ終わっていなくても、セレスに任せて行ってしまうこともしばしば。


ライスとの戦争が終わった後も、ユーリは忙しい。

戦後処理に、いよいよ執り行われることになった戴冠式の準備。外国から人を招くから、そういったことも話し合わなくてはならない。

幼い上に皇族ではないルティはユーリの仕事を手伝えるはずもなく、一人で我慢だ。


巻き戻り前の世界では、ようやく帰ってきてくれたのに、結局また放ったらかしになって盛大にゴネたはず。

今回はちゃんと我慢……は分かっているが、このワガママは譲れない。


「マティアスのところに?」

「うん。お願い」


ユーリの皇帝としてのお仕事も大事だが、マティアスとの関係だってとっても大事だ。

お子ちゃまの特権を利用してでも、ユーリとマティアスが二人で過ごす時間も作らなくては。

……ユーリの補佐役だから、仕事中もマティアスはずっとユーリと一緒ではある。でもきっとこの二人のことだから、仕事中は真面目で、ロマンスのかけらもない状態だろうし。


「……分かった。そうだね。ルティには我慢ばかりさせているのだから、そろそろ遊びに出かけるぐらいのことは、認めなくてはいけないな」


ユーリのその言葉を聞き、ルティは心の中でガッツポーズを取った。

……でも、現実は甘くない。




「いらっしゃい、ルティ。腹減っただろ?お菓子、たくさん作っておいたぜ」


城からマティアスの屋敷へ向かうまでの馬車に一緒に乗っていたけれど、屋敷に着くと、シャンフは笑顔でルティを出迎え、あれやこれやと世話を焼こうとする。


シャンフに促されるまま、ルティはマティアスと向き合ってアフタヌーンティーの用意されたテーブルに着く。

蜂蜜の入ったホットミルクに、美味しそうなケーキやお菓子がずらり。シャンフの心遣いは嬉しいけど……着席するのは自分とマティアスの二人だけなことに、ルティは内心ため息をついた。


甘かった。

ルティが遊びに行くと言えば、ユーリもついて来ると思ったけれど。


マティアスの屋敷なら、自分一人で遊びに行くことになるよね……。そうだよね……。

落胆する気持ちを慰めるように、ルティは甘いホットミルクを飲む。


他の場所だったら、ユーリも心配してついて来てくれたかもしれない。例えば、グライスナー参謀の屋敷に遊びに行きたい、だったら――それはそれで、まったく意味のないワガママになっちゃうんだけど。


「……美味しい」


素直な感想を言葉にすれば、シャンフは嬉しそうにニコニコしている。昔から、シャンフはルティに対して甲斐甲斐しい。

宿主の血を引く子だから、シャンフにとってもルティは特別な存在らしい。


「そのお菓子、お姉様も好きなのよ」


マティアスが何気なく手を伸ばして食べている姿を見て、ルティは話しかけた。

ユーリもそれが好きだったな、ということを思いついて。


「存じております」

「それ、元々はマティアスの好物なんだよ。それでオレがよく作ってやっててさ」


マティアスが同意し、シャンフが口を挟む。


「マティアスが食べてれば、ユーリも自然と一緒に食べるようになるだろ?それで、ユーリもこれがお気に入りになってったんだよ」

「そうなんだ――私も、これ好き」


ユーリもマティアスも、このお菓子が好き。

なんだか胸がぽかぽかしてきて、ルティも嬉しくてたまらず笑った。


ルティが笑顔で言えば、そうですか、と相槌を打つマティアスも、かすかに笑ったように見えた。


……なんだか予想してたのと違う展開になっちゃったけれど。

これはこれでいいかな……と思ってしまうルティだった。


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