怪物 (2)
「エルネスト殿、よくぞ参られた。キミの友情を、とても心強く思う」
「友よ、私が来たからには、もう安心だぞ。ライス王など、我らの友情の前に跪かせようぞ」
バックハウス隊長と共に帝国軍の本陣へとやって来たカルタモ公エルネストは、笑顔で歓待するユーリに図々しいほどの馴れ馴れしさで笑う。
差し出されたユーリの手を取って、握手ではなくキザな仕草で口付ける。
笑ってはいるが、目の奥は笑っていない――ユーリを見る目には、油断ならない色があった。
「ユリウス二世の美しさは聞いていたが、父帝の美貌を受け継ぎ、実に美しい皇帝だ。美しい友のために戦えるなど、男として栄誉なことだな」
美辞麗句を並べ立てながら、ユーリの隣に立つセレスに視線を向ける。彼の視線を受け、ユーリは自身の化神を紹介した。
「ボクの化神のセレスだ」
「おお、女性の姿をした化神か。美しい皇帝に相応しい、美しい守護神だな。両手に花とはまさにこのこと。俄然、やる気が出る」
「中身のないことをペラペラと。よく喋ることだ」
離れた場所からユーリとカルタモ公の会話を聞いていたディートリヒが、呆れたように呟く。一応、彼の耳に届かないようこっそりと。
「あんな軽薄男にも笑顔で応対しなくてはならないのだから、皇帝と言うのは大変な仕事だな。だから俺はなりたくなかったんだ」
ごもっとも、と一同が無言で頷く。
ユーリは美しい微笑を絶やすことなくカルタモ公に応じているが、セレスは彼を斬る口実を探しているのが見え見えだった。
「何かの手違いでバッサリやってやればいいのに」
ヒスイがボソッと呟き、一同はまた無言で深く頷いた。
「諸君。カルタモ軍とも無事に合流できたことだし、改めて作戦会議だ。いよいよ、こちらも攻勢に出るぞ」
ユーリが呼び掛け、再びテントへと集まる。
カルタモ軍と合流した以上、もはや目的はひとつ――ライス王の本隊を攻撃し、戦を勝利で終わらせる。それだけだ。
「軍は三つに分ける――というか、分けざるを得ないだろう。この地形では、全軍を一斉に進撃させることは不可能だ」
向こうも、もちろんそれも狙いだろう。ローゼンハイムのほうが、兵力では圧倒的に上。
広い平野で激突すれば、当然、数が多いほうが勝つ。実にシンプルな理論である。
その差を補うためにも、縦長の隊列にならざるを得ないこの山岳地帯を選んだ。
「一つは無論、ライス王のいる本隊を討つ部隊だ。フリッツァーは必ずここにいる。やつも優れた戦士だと言うのなら、王を守るため、最終防衛ラインを死守するために本隊にいるはずだ。二つ目は、ボクと共にフリッツァーの化神を討つ部隊――」
カルタモ公やディートリヒが不思議そうな顔をし、グライスナー参謀が説明を引き継いだ。
「化神はその高い能力を活かすためにも、敵の総大将を直接狙うものです。特に、フリッツァーの化神は戦闘に特化している。あれが突撃して来たら、こちらはひとたまりもありません。だからこそ、向こうも理解しているはず――帝国側の化神は、フリッツァーの化神から皇帝を守るために、陛下に付き従うだろうと」
「軍を分割させるのが目的なのだ。ボクたちがどう編成してくるか、様々な予想を立てていることだろう。一応、こちらでも相手の裏をかくことはできないかと考えてはみたが……結局、正攻法が最も被害が少ないと結論が出た。やはり化神は放置できまい。何万という死者を出して、ボク一人が生き残っても美しくないのだから」
綺麗事だと参謀に苦笑されてしまったが、理想を押し通したほうが良い場面もあるとユーリは反論し、編成は決定された。
参謀も苦笑いはしたが、反対はしなかったし。
「……となると、セレスはもちろん、ヒスイもユーリの護衛に回ることになるな。フリッツァー将軍の化神相手に、セレス一人はきついだろう?単純な力量比べじゃなく、君を守りながらだと」
ナーシャが言い、遠回しに敵の化神に一人では負けると言われてちょっと反応したセレスのために、フォローを付け加える。
「うーむ。要するに、ユリウスを囮にするというわけだな」
カルタモ公が言った。その口調は、どこか愉快そうでもある。
「ともすれば、本隊を討ちに行くよりも激戦になるかもしれないぞ。そんな役割を自ら志願するなど、なかなか豪胆な女だ」
「ボクを絶賛するにはまだ早いぞ。褒め言葉は戦が終わるまでに取っておいたほうが良い。いまから絶賛していては、勝利が決まる頃にはボクを讃える言葉を語り尽くしてしまうぞ――エルネスト殿の話すように、ボクと共に行く部隊が最も激戦となることだろう。バックハウス、同行を頼まれてくれるか」
「陛下の御為ならば、喜んで!」
ユーリの指名にバックハウス隊長は張り切っている。
最前線を任されたのだから、武人としては張り切るのも当然なのかもしれないが……そうなると、一番の手柄は絶対に自分のものにならないということを、彼は理解しているのだろうか。
……理解して、喜んでいるような気もする。武人としての矜持と自負があるだけに、実力に対して無欲な男だ。
「フリッツァーの化神は脅威だが、最前線と言う意味ではフリッツァー本人のいる本隊も変わらない。化神二人とバックハウスをボクが連れて行くとなると、残る主戦力はそちらに投入せねばなるまい――ディートリヒ、レナート……それから、エルネスト殿。帝国軍及びカルタモ軍合同で、本隊への攻撃に当たって欲しい」
「私は御大の首を直接……というわけか。悪くない役目だ」
カルタモ公は笑顔で頷きつつも、だが、と異論をはさむ。
「フリッツァーと化神が、両方本隊のほうにいるという可能性はないのか?いや、貴殿が我々を囮にして裏切るなどとは考えておらぬが、もし私の予想が的中してしまった場合、為すすべなく全滅してしまうからな。やはり心配はしておきたい」
「現段階では、フリッツァーと化神は分散させている可能性が非常に高い、としか答えられないな。こればかりは、実際に戦場に出てみないと」
あくまで、ライス側はこうするだろう、という予想のうち、最も可能性が高いものを前提に置いているだけ。ライス王が思ったよりバカだったり、自棄になってたりして、予想外の選択をしている可能性は否定できない。
「もしフリッツァーが化神と共に本隊にいたとしても、問題はない。化神同士は気配を察知する――こちらの化神が二人揃っていて、それを放置はできないだろう。結局、自身の化神を向かわせるしかない。よしんばボクたちを無視して本隊に残ったとしても、ならばエルネスト殿たちの隊に激突する前に、こちらが本隊を急襲してしまえばいい。もともと、数の上ではボクらが有利なのだ。わざわざこちらが合流する時間をのんきに待ってくれるのなら、何も悩むことはない」
ふんふん、とカルタモ公が納得したような相槌を打つ。
「万一、フリッツァーが化神と共に本隊を離れていたとしたら、ボクたちが最も厄介な連中をまとめて引き付けている間に、今度はエルネスト殿たちがさっさとライス王を討ってしまえばいい。本隊の戦力はスカスカだからな」
「……なるほど。実に理に適っている。私にこれ以上の異論はない。ユリウスの作戦に乗ろう」
たぶん、カルタモ公も彼なりの考えや戦略は練ってあることだろう。でも、あえて口には出さず、ユーリに一任してみた。
……若きローゼンハイム皇帝の器を、図ってみたいから。
彼が帝国と共闘を申し出てきたのも、ライス王を討ちたかったというより、帝国側の戦力を確認するため。
そのことを、ディートリヒたちも忘れてはいなかった。
「……カルタモ公を、本隊を攻撃する部隊に配置しなくてもいいんじゃないか?何も、そんな美味しい役目を与えなくても」
ナーシャと共に自分たちの隊の準備を進めるディートリヒは、不満そうに呟く。
カルタモ公は、いまは自軍のほうの準備に行っている。
「美味しい役目だからこそ、カルタモ公に与えたのでしょう。少なくとも、この戦が終わるまでは彼は僕たちを裏切りません。裏切るメリットがなさ過ぎる」
穏やかな口調だが、どこか冷徹さを孕んだ声でナーシャが言えば、ディートリヒが押し黙った。
「僕たちにとって一番恐ろしいのは、カルタモ軍の掌返しです。セレスとヒスイも、フリッツァー将軍の化神と戦えば大きく疲弊します。バックハウス隊長も、恐らくは。それを好機とばかりに、カルタモ軍がついでにローゼンハイムを攻撃してきては困ります」
「……あいつならやりかねんな。あの笑顔を信頼する気にはなれん」
ナーシャの言葉に賛同するしかなくて、ディートリヒは特大のため息をつく。
そこまで考えてユーリがこの編成を決めたのなら……感心するし、気の毒にも思う。つくづく、皇帝なんてなるものではない。
ディートリヒはそれを実感するばかりだ。
「おまえは最後尾か。ムートと共に、俺たちを後方支援だな」
「俺向きの役割だ」
バックハウス隊長の言葉に相槌を打ちながら、カルタモ側を見張る役割も兼ねていることは、友に話さないことにした。
グライスナー参謀は軍隊の最後尾で指揮を執り、分散してしまった軍の連携と調整を図る。ついでに、カルタモ公が不審な真似をしないか監視する。
ユーリから、直々に頼まれた役目。
我らが主君も、あの軽薄そうに振舞う男を信頼するつもりはないのは、大いに結構なことである。
「三つ目は、本隊を攻撃する部隊を分けて、フリッツァーと直接交戦する隊と、ライス王を真っ直ぐに目指す隊……レナートという男、実力はどうだったのだ?先に見てきたのだろう?」
フリッツァー将軍と対峙する役割を任されたのは、レナートである。
ディートリヒがカルタモ公と共にライス王を目指すので、足止めの役割でもある。だから、誰も異論を唱えなかったが……ユーリはきっと、彼が将軍の首を獲ることを期待しているはず。
――手柄を取り過ぎることなく、けれどユーリが取り立てられるぐらいのものを。
そのために、バックハウス隊長はわざわざ自分につかせたのだ。皇帝を守って化神と戦う役目もたしかに重要だが、手柄の立てやすさで言えば、ライス王やフリッツァー将軍を狙うほうが容易。
他ならぬバックハウス隊長が、若干貧乏くじとも言える役割を任せられてもまったく不満に感じていないようだから、参謀もそれを指摘するのは控えているが。
「うーむ。能力は低くないと思う……が、はっきりしたことは分からん!なにせ、先の戦闘は化神のヒスイがほとんど蹴散らしてしまったからな。判断力もあるし、度胸もある。武人として心配するようなことはないが、フリッツァーに勝てるほどかと言われればさすがに分からん」
「ふむ……」
フリッツァーもナーシャも、化神を全力で戦わせるため、紋章を使いながらの戦いになる。
紋章で体力を削られながら戦えば、通常よりもずっと疲弊する……はずなのに、フリッツァーは平然と戦い続け、何百と言う雑兵を蹴散らしてしまうのだから恐ろしい。
奴の化神もたいがい化け物だが、フリッツァー自身も十分化け物である。
「……ディートリヒ殿下が、さっさとライス王を捕縛してくれることを祈るしかないか。陛下の言葉の意味を、理解なさってくれているといいのだが」
グライスナー参謀が、ぽつりと呟く。
バックハウス隊長には聞き取れなかったようで、何か言ったか、と振り返ったが、いや、と参謀は首を振るだけだった。
テントを出る直前、カルタモ公に聞こえないよう、ユーリは彼にそっと声を掛けていた。
――ディートリヒ。ライス王は生け捕りにしてくれ。カルタモ公よりも先に、キミが彼のもとへたどり着くんだぞ。




