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私が愛した皇帝の物語


「マリア」


呼びかけられ、マリアは読んでいた本から顔を上げる。物語を読むのに夢中になりすぎていた自分は、すぐそばまで男が来ていたことに気付きもしなかった。

マリアを見下ろし、父王は笑う。


「またここで、そんなものを読んでいたのか。見つかると、学者たちがうるさいぞ――俺も、そのおとぎ話は好きだがな。歴史の教科書を読むよりもずっと興味深い」


そう言って、ベナトリア王フリードリヒは娘が持つ本を取り上げる。マリアはいたずらっぽく笑い、座っていた長椅子から立ち上がって目の前に飾られたユリウス三世の肖像画を見上げた。


「どうせ真相なんて誰にも分らないのだから、私はロマンチックなほうを信じたいだけです。何を信じるかは個人の自由だわ」

「それは甚だその通りなのだがな……このベナトリア王の娘が、そういうわけにもいかんだろう」

「権威だの血筋だの、馬鹿げてます」


ユリウス三世は、女皇帝だった。

実は、この説はただのおとぎ話ではなく、限りなく真実に近いのではないか、と考える者も少なくない。だって……女であると認めたほうが、歴史の謎もいくつか解決するからだ。


皇女リーゼロッテの母親……ベナトリア聖堂騎士団の前身となったローゼンハイム聖騎士団初代団長ゲオルクの出自――クレイグ・ローヴァインの子とも、ユリウス三世の落胤とも、様々な憶測が飛び交っている……ユリウス三世が男の愛人ばかり囲っていたことも有名だ。

……情の多いところは、子孫であるベナトリア王フリードリヒもそっくり。マリアがそれを指摘すると、父はわざとらしく笑う。


だが、この説を絶対に認められない理由が、ベナトリア側にあった。

ユリウス三世が女だったとすると、ローゼンハイム皇族直系の血筋が、ディートリヒの死を持って途絶えてしまうことになるからだ。

それは、ローゼンハイム帝国の後継者とうたっているベナトリア国にとっては耐えられないらしい。


とても馬鹿馬鹿しいと、ベナトリア王の娘であるマリアはいつも思う。マリアは、この美しい皇帝の話が大好きだった。

ユリウス三世の肖像画の隣に並ぶのは、ローゼンハイム皇帝エドゥアルト一世……。少し小さな絵で、ユリウス三世の后でありエドゥアルト一世を支えた皇太后ヴィルヘルミーナと、エドゥアルト一世の后ニコラウスも飾られていた。

――この物語のもう一人の主役であるはずの、リーゼロッテの絵はない。


「……帝国崩壊のゴタゴタで、あの国の文化や知識、財産はその大半が消失している。ユリウス三世の皇女の存在は、そのおとぎ話と、この肖像画の作者らしい、という手がかりしかない」


娘が見ているものを共に眺めながら、ベナトリア王が呟く。


ローゼンハイム帝国は、エドゥアルト一世の時代に全盛期を迎えた後、衰退していって……数百年後、歴史の中へと完全に姿を消した。大きな帝国はその動乱の中で分割されていき、その内のひとつがベナトリア王国――ローゼンハイム帝国の正統な後継者と主張していた。

実際、ベナトリア王フリードリヒも、ユリウス三世、エドゥアルト一世直系の血筋である。


「私、絵を眺めていて最近気付いたのですが」


マリアが言った。


「この絵、画風がお母様が描くものに似ているように思うのです。だから私も、この絵とユリウス三世に惹かれるのかもしれません」

「ほう、なるほど。それは面白い新説だな」


ベナトリア王は愉快そうに相槌を打つ。

マリアの母にしてベナトリア王の愛妾スカーレットは、高名な絵描きの父親を持ち、自身も優れた画家である。とは言え、父親の家系に他に絵描きはいなかったはずなので、突然変異の才能だと考えられてきたのだが……。


「家系図をさかのぼっていけば、あちこちの国にローゼンハイム皇帝の血筋が流れている。もしかしたらおまえの母親も、どこかでローゼンハイムに繋がっているのかもしれないぞ」

「ロマンがあります」


何の根拠もない与太話。でも、マリアが個人的に信じているのは自由だと思う。他の誰にも話せないけれど。


ローゼンハイム皇帝ユリウス三世。彼女の素性も、紋章の話も、すべては歴史の闇の中――真相は誰にも分らない。このおとぎ話も、ただの創作なのか……真実なのか。

答えは、自分が好きなものを選べばいいと、マリアはそう思っていた。



これにて、この連載は一旦完結といたします。

物語としては謎も語るべきエピソードもまだ少し残っているのですが、

長い連載だったので、一度大団円を迎えたところで

「めでたし」にしてあげたいなと思いまして……。


ルティの結婚という一番大きなエピソードが残っておりますので

いずれ完結編を追加し、改めて完結まで続きを書く予定です。

秋ぐらいに再開できたら……と考えてます。


終盤入ってからリアルが忙しくなってしまい更新が滞ってしまいましたが

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

ここまで書き続けることができたのも、読んでくださった皆様のおかげです。


また次作、そして完結編でお会いできれば幸いです。

重ねてになりますが、本当にありがとうございました!


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