日の出は暗雲と共に (1)
一夜明け、皇帝ルドルフの突然の崩御が公になることとなった。当然と言うか、様々な意味で死の真実は明かせるわけもなく、病死と伝えられた。
そんな白々しい話を貴族諸侯たちが内心どのように考えたかは定かではないが、それを表に出せるはずもなく。
誰が次の帝位に就くのか、関心は早々にそちらに逸れてしまったこともあって、ルドルフ帝の死の真相はあっさりと闇の中へと葬られてしまった。
「次の皇帝はユリウス以外に悩む必要があるのか?俺はなりたくないぞ、皇帝になんか」
ルドルフ帝の嫡子ディートリヒ。
ユリウス二世の嫡子ユリウス。
どちらが皇帝の座に相応しいのかという議論は、開始十秒ほどですでに結論が出かかっていた。
開口一番、ディートリヒが帝位を拒否し、ユーリの正統性を主張してきたからだ。
「そもそも、本来の順番で言えば俺の父がユリウスを差し置いて皇帝となったのがおかしいんだ。当時のユリウスは幼かったし……先代が……うん、あれだったから、ひとまず父上が継いで、国を安定させる必要があったのは、事実だと思うが」
はっきり言って、ほとんどの人間がディートリヒが継ぐべきだと考えていたことだろう。
男で、年上で、父帝のそばで彼の政治的手腕を見て学んできた彼のほうが、明らかに相応しい。
ユーリが選ばれる理由こそ存在しないと思うのだが……肝心のディートリヒが、やりたくない、と来た。
「正統性という意味では、たしかにユリウス様こそが帝位に相応しい――しかし、正統性を振りかざしたところで、あなたに何の力もないのもまた事実」
宰相が言った。
嘲笑を含んだ声色で……ユリウス就任を反対するような台詞でもあり、自分が言われたわけでもないのに、貴族たちの中には青ざめている者もいる。
宰相は、皇子ユリウス相手でも普段の態度を変えるつもりはないらしい。
恐らくは、皇帝ユリウスをすんなり認めることはないだろう。これをクリアできなければ、彼女は皇帝になどとても……。
「ノイエンドルフの言う通りだな。いかにボクが美しく、才能に溢れているとは言っても、いままでそれを披露する機会は乏しかった――なんという損失だろう。だが心配はいらない。ボクが皇帝となれば、誰もがボクを知り、ボクという太陽を戴くことができた喜びに満ち溢れることだろう」
そう話すユーリの表情と眼差しには一片の曇りもなく……彼女が心からそう言い切っていることを物語っていた。真剣と書いてマジ。
そんな彼女を見た貴族たちは、ほぼ確実に同じことを考えていたことだろう。
……なんで彼女、こんなに自信に満ち溢れてるの?
「つまり……殿下も、皇帝になるご決意だと」
宰相が言った。
彼にしては珍しく、いささか動揺しているように見える。
彼のその気持ちは、一同にはよく理解できた。思わず、宰相に同情の目を向けてしまう。
「もちろんだとも。ボクはローゼンハイムの皇帝となるために生まれてきたのだから。与えられた使命から、逃げ出すつもりはない。あまねく太陽が如く、帝国に光をもたらそう」
彼女の言い分ももっともである。
色々と問題は山積みだが、彼女には皇位継承権があり、継承権を持つ者としての使命や義務もある。だから、覚悟ができているのは大いに結構なのだが……なぜか……素直に称賛できない。
「殿下の決意はご立派ですが、私としては、もう少し現実的な選択をなさるべきだと思います。殿下は帝位に就き――実務面では、然るべき教育を受けた配偶者に任せる。それが理想的です」
「配偶者。結婚しろということか。うん……帝位に就くならば、避けられない問題だな。その話しぶりから察するに、ボクの相手はディートリヒか?」
急にユーリの結婚候補に挙げられ、ディートリヒは目を丸くしている。
「いいえ、私です」
平然と、宰相が答えた。
宰相の答えに、貴族たちも彼の真意を察した。
本気でユーリに結婚しろと言っているわけではなく、反応を試そうとしているのだ。
もちろん、皇帝となるならばユーリの婚姻は重要になる。その相手にノイエンドルフ公爵は、悪い選択ではない。
若く、女で……辺境地での暮らしが長くて。宮廷の習慣も知らず、伝手も持たないユーリは、古参の大貴族を夫に迎えるのも一つの手だ。
ノイエンドルフ公爵ならば、貴族諸侯をまとめあげるだけの力量も実績もあるし、独身だから何の問題もない。
しかし、打算しかない結婚話を持ち掛けられて――しかも、明らかに権力目当てで。
ユーリがどんな反応を示すのか。
ユーリは考え込んでいる。
「……その求婚は、断ることにしよう」
「ほう」
ユーリが言えば、宰相がぴくりと片眉を上げる。
断られるのは構わないが、その理由次第では――。
宰相が納得できるだけの理由を、彼女は提示できるのか。貴族たちは、固唾を呑んでユーリの言葉を待った。
「そのような理由でいま、ボクがキミと結婚してしまったら、必ずキミは後悔する」
「私が、ですか」
「ああ。ボクと時間を共にするようになれば、キミは必ず……ボクを愛するようになる」
何言ってるんだ、この小娘は。
そんな内心を出さないよう、宰相が平静を務めているのが全員分かった。
ユーリだけは、相変わらず真剣と書いてマジ状態だが。
「いずれボクを愛し、キミは後悔するようになる。ロマンチックの欠片もない求婚をしてしまったことを。だから、キミのプロポーズに返事をするのは、キミが満足いく求愛の言葉が思いついてからにしよう。これからも、諦めずにチャレンジしたまえ」
どうやら、宰相は振られてしまったらしい。そういう問題ではないのだが……真剣なユーリの雰囲気に呑まれて、反論の言葉も出ないようだ。
普段は弁の立つ宰相ですら、目が点になって言葉を失っている。
しばらくシーンとなっていたが、一人の貴族が堪えきれずに笑い出し、視線がそちらに集まった。
「……失礼。しかし……これで皆さんも納得できたのでは。ユリウス様が次期皇帝――ノイエンドルフ公爵を閉口させてしまうだけでも、私はぜひ、彼女を陛下とお呼びしたい」
そう言ったのは、財務官のザイフリート侯爵だった。
彼もまた、この場に並ぶ貴族諸侯の中では若いほうだが、いっそ年齢不相応なほどの落ち着きがあり、貫禄があった。
彼の言葉で、場の雰囲気もだんだんと一つの結論に落ち着こうとしている……。
「そうだな。ノイエンドルフ公と対等以上に接することができるのだから、次の皇帝はやはりユリウスで何も問題ない」
ディートリヒが改めて言い、今度は反対するような空気を発する者もいなかった。
宰相だけは不満そうに眉間に皺を寄せていたが、ついぞ反対意見を出すこともなく。
ちらりと、ユーリの後見役を睨むだけだった。
――貴様はこの小娘に、どんな教育をしてきたのだ。
宰相の視線はそう言いたげだが、マティアス・フォン・エルメンライヒ侯爵は、普段と変わらぬポーカーフェイスで、宰相の視線も受け流すだけだった。
……割と真面目な話、マティアスはユーリがこう育ったことについて、何の問題もないと思っていたりする。
「やはり、ユリウス様が皇帝となるか。薄々予想はしていたが、思った以上に波乱もなかったな」
緊急の会議が終わった後、グライスナー参謀は人のいない廊下を歩きながら、バックハウス隊長と話す。
バックハウス隊長は終始険しい顔でむっつりと黙り込んでいたのだが……カッと目を見開いた。
「ユリウス殿下――いや、陛下……なんと美しくも気高く、健気で可憐なのだ!」
突然力説を始める友人に、グライスナー参謀はわずかに距離を取る。参謀のそんな態度を気に留めることもなく、隊長は何やら感激している。
「あの激痛にも、呻き声ひとつあげることなく耐え……幼い御妹君を安心させるように優しく微笑みかける……なんと寛容で、器の大きいことか!俺は感動したぞ!」
「……手軽に感動できる体質で、羨ましいことだ」
グライスナー参謀は皮肉も込めて苦笑いで言った。半分ぐらいは、本物の称賛の気持ちもある。
バックハウスの単純できっぱりはっきりした物の考え方は、良い生き方だとも思う。自分にはとても真似できない――したいとも思わないが、これはこれで一つの信念であり、美学である。
結局、二人の友情が成り立っているのは、バックハウスのそういう性格が理由なところもあった。
「あのような立派な主君を戴くことができるのは、騎士にとって最高の誉れだ。俺はユリウス陛下の剣となり、盾となって、誠心誠意お仕えするぞ!」
「貴殿の決意に水を差すつもりはない。それに……面白そうな主君だというのは、俺も同感だな」
グライスナー参謀が同意する。
先ほどの、宰相の求婚……もとい提案を、けんもほほろに断ってしまった言動。
彼女は、ただの道化ではない。それは、ルドルフ帝の一件ではっきりしている。冷徹かつ的確に判断と指示を下すだけの器量があり、一方で、傲慢なほどの自信もある。
どちらも、君主には必要な素質だ。
それが果たして、大帝国の皇帝を務められるほどのものなのかは分からないが。試してみたい、という興味を抱くぐらいには、すでにその姿を示している。
「何より、ノイエンドルフに潰される心配がないというのは気に入った。貴殿同様、あの男にとっては天敵とも呼べるほど相性が良いらしい」
「うむ!……うむ?いま……何か、おかしな言い方をしなかったか?」
「気のせいだ」
宰相が潰しにかかったとしても、彼女は自己を貫き通し、豪胆に笑い飛ばしてしまう。どこかの誰かさんと同じように。
ノイエンドルフ公爵にとっては天敵であり、実は彼も、そういう相手が嫌いではなかったりする。なかなか良いコンビになりそうだ。
「それにしても……ユリウス殿下は、本当にお美しいな。ルドルフ陛下やディートリヒ殿下とはあまり似ておられぬ」
引き続き、バックハウス隊長はユーリを絶賛したいらしい。よっぽど彼女が気に入ったのだな……。
「だろうな。そもそも、ルドルフ陛下が御兄君とはまったくと言っていいほど似ていない」
「そうなのか。俺は先のユリウス陛下とお会いしたことはないが――無論、肖像画等でお姿は存じ上げているがな」
「俺も幼い頃にちらりと見ただけだ」
弟ルドルフも十分容姿は優れていのだが、如何せん、兄ユリウスが別格過ぎた。中身も色んな意味で別格だったし。
「ユリウス殿下はお美しいが、父帝に似すぎていて、さすがにそういった対象では見れん」
グライスナー参謀が肩をすくめて言えば、そういうつもりで褒めているわけではない、とバックハウス隊長が呆れる。
「口説くのなら、リーゼロッテ様のほうがいい。彼女も将来有望な面立ちだぞ」
「だから、そういう話では――というかおまえ、四歳の女児に対してなんということを考えておるのだ。友をやっている俺の倫理観まで疑われるではないか!」
隊長はドン引きするが、参謀は悪びれる様子はない。
「年齢だけで見ればそうだが、年齢差は二十三程度だ。貴族社会では、特段珍しいことでもない」
「それはそうだが……四歳をそういう対象に見ていたら、非難したくなるのも当然だろう!この幼女趣味の変態め!」
「仮定の話で人格まで罵倒されたくないぞ――いくらなんでも、十年は待たないと無理だ」
「いまの段階で、その可能性を考えているだけでも十分異常だ!」




