秘密の花園 (3)
部屋に入ってきたルティを見て、ユーリは美しく微笑んだ。
「やあ。まさにいまのキミは、青薔薇の姫君だね。大輪の花というにはまだ小さな蕾だが、いずれ美しく花開くことだろう。そうは思わないか、マティアス」
ユーリに話を振られるが、マティアスは無言でルティを見ている。
ルティがドキドキしていると、マティアスは自分の化神に視線をやった――シャンフが持っている小箱には、髪飾りが。青い薔薇が付いている……。
「リーゼロッテ様、もしよろしければこちらを」
「私が付けていいの?」
自分の前に跪いたマティアスに、ルティは食い気味で返事をしてしまう。
マティアスが、ルティのためにそんなものを用意してくれるとは思っていなかったから嬉しくて。
マティアスが頷き、失礼、と言ってそっと手を伸ばしてきた。
結われたルティの髪に、マティアスが髪飾りを付ける。よく似合っている、とユーリも満足げに頷いた。
「キミのお祖母様が付けていたものか。この屋敷の肖像画に、それを付けた絵があったぞ」
「急いで探してきたんだぜ。埃被らせとくぐらいなら、ルティに付けてやったほうが絶対いい」
シャンフがちょっと誇らしげに語る。
ルティも、姿見で自分の髪を見た。真珠が付いた、造花の青薔薇。幼い自分にはまだちょっと不釣り合いかも。いつか、こんな大人っぽいドレスも綺麗な薔薇の大輪も、似合う女性になれたらいいな。
鏡の中に、自分を見るマティアスも映っている。かすかに、彼も笑っているように見えた。
盛装に着替えた後、ルティたちは城へ向かうことになった。
帝都に入る際にも見えた、あの大きな城――ルティにとっては、あの城のほうがずっと馴染みがある。
でも、まるで初めて見るような感覚だ。
ユーリが主ではないこの城を見るのは、初めてだからかもしれない。
城では、華やかに着飾った貴族たちがたくさん。
……あんまり知ってる顔はない。
見覚えがあるような人もいた気はするけれど……巻き戻り前は、姉が守ってくれる籠の中に閉じこもって、積極的に交流しようとしなかったから、ルティが個人的に親しい人はほとんどいない。
大勢の人にドキドキしながら、ユーリたちとはぐれないようついて歩く。
マティアスを連れて歩くユーリを、すれ違う貴族たちはさりげなく見ている。間違っても目が合ってしまわないよう、興味がないふりを装いながら。
そんな雰囲気が怖くて、ルティはユーリのマントの裾を思わず握ってしまう。無作法な行為だが、無意識に。
恐るおそるユーリを見上げてみれば、ユーリは美しく微笑む。
「何も心配しなくていい。胸を張って――キミは、皇子ユリウスの自慢の妹なんだから。気後れすることなど、何もない」
ルティたちは、大広間へ到着した。普段は謁見の間ともなっている場所だ。
華やかに飾り付けられ、パーティー会場のようになっている。
仮にも皇子が入ってきたというのに、ユーリは注目されることもなく、まるで幽霊のような存在感。
これが、いまのユーリなのだ。誰からも期待されず、まるで最初から存在しないかのような扱い。
ユーリがこの城に来るのは、これが初めてではない。そしていつも、こんな扱いを受けてきた。
巻き戻り前の自分は分かっていなかったけれど、ユーリの生涯は、そのほとんどがとてつもなく孤独で……最初から最後まで、彼女に寄り添い続ける人はいなかった。
みんな、やがては彼女のそばを離れて行ってしまって。
マティアスと共に大広間の片隅で、ユーリは遠巻きにされている――そんな彼女に、気さくに声をかける人物が一人。
「ユリウス、久しぶりだな!」
声をかけてきたのは、背の高い若者。誰かに似ているような気がする。
彼が誰なのか、ルティはすぐには分からなかった。
彼も城で共に暮らしていた時期があるのだが、ユーリが皇帝となって程なく城を出て……国を出てしまったから。
ルティは、彼と個人的に接したことはない。
「……ああ、ディートリヒか」
「おまえ、いま一瞬悩んだな?俺が誰なのか、分からなかったんだろう?」
からかうようにディートリヒがニヤニヤ笑い、ユーリも笑う。二人とも、互いに親しげな雰囲気があった。
「前に会った時から、五年経っているのだぞ。すぐに分かってしまうほど何も変わっていないのでは、そちらのほうが残念じゃないか」
「相変わらず口達者なやつだ」
いとこディートリヒ。
その名前は、ルティも覚えている。
……忘れるはずがない。
ローゼンハイム帝国の皇族でありながら、帝国を出て、外国の王と手を組み、帝国に侵略戦争を仕掛けてきた男。
ユーリはこの男に囚われ、処刑台へと送り込まれた。
そして……。
知らず、ユーリのマントをつかむ手に力が入ってしまう。そんなルティに、ディートリヒがふと視線を落とした。
「お。もしかして、その子が噂の妹か?」
「そうだ。妹のリーゼロッテ。ルティ、彼はディートリヒ。ボクたちにとってはいとこに当たる――あそこにいるローゼンハイム皇帝の子息だ」
ユーリが、パーティーの中心となっている男性を指す。
いつの間にか、ローゼンハイムの現皇帝が会場に来ていたらしい。もしかしたら、最初からいたのかもしれない。
誰も自分たちに関わろうとしないから、孤立しているルティたちには情報が入って来なかったのかも。
「まったく……自分で呼んでおいて」
ユーリに挨拶すらしない父帝に対して、息子ディートリヒは呆れたようにため息をつく。
「体裁を気にするくせに、こうやっておまえを放ったらかしにするなら、最初から呼ぶなよな。ユリウスだって、道中大変だっただろうに」
「旅は嫌いではないから、招待は大歓迎だよ。静かな暮らしも悪くはないが、時にはボクの美しさを披露する機会も必要だ。叔父上は忙しい――ボクの姿を一目見てもらえれば、それで満足さ」
「おまえって……寛大なのか、傲慢なのか、よく分からないやつだよ、本当に」
笑顔で言い切るユーリに、ディートリヒは苦笑いだ。
いまのユーリとディートリヒに、険悪な雰囲気は感じられない。
いったい何があって、ディートリヒは国を出てユーリを討つまでの敵意を抱くようになったのだろう。
ナーシャのことも分からないことだらけだが、ディートリヒに至っては、何も知らないと言っても過言ではない。
いまの彼は、気の良い好青年……という感じしかしない。
ユーリのマントの陰からディートリヒを観察していたが、ふいに周囲が騒がしくなってルティはそちらに気を取られた。
ユーリとディートリヒも、そちらに振り返る――皇帝ルドルフが、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
ユーリの実の叔父。ユーリは父親によく似ているらしいが、ルドルフ皇帝はユーリの父親の弟のはず。
控えめに言っても、二人は似ていない。ディートリヒとは似ているかもしれない。父子なんだから当然なのだけれど。
「……ユリウス。久しいな」
ルドルフ帝は、姪に声をかけるのを躊躇ったように見えた。
なんと声をかけるか、悩んだのだろうか。彼が声をかけること自体、珍しいことではないだろうか。ディートリヒが、目を丸くして驚いているし。
「ご無沙汰しております、叔父上。此度は叔父上を祝いたく、城へと参上しました。叔父上の、ますますのご健勝を祈って……祝いの品は、後ほどマティアスに届けさせます」
ユーリは堂々とした態度で美しく微笑み、礼儀正しく振舞う。
ルティの贔屓目もあるだろうけれど、ユーリはこの年で、すでに皇族らしい気品と貫録を持ち合わせていた。大帝国の皇帝を前にしても、委縮したり、怯んだりすることはない。
頭を下げるユーリに、ルドルフ帝は何も言わなかった。黙り込んで……言葉を探しているようにも見えた。
動揺したように、わずかに視線が泳いでいる。何かを見て……。
「エルメンライヒ候、よくユリウスを世話しておるようだな。ユリウスがこれほど健やかに成長できたのも、ひとえに貴公の献身のおかげ」
「もったいなきお言葉にございます」
皇帝の言葉に、マティアスは静かに頭を下げる。
ルドルフ帝は、マティアスに被害妄想を抱いている――そう言えば、セレスがそんなことを話していた。
言われて見てみれば、皇帝がマティアスを見る表情は、どこか相手の様子を探っているような。
……なんて。
一人前ぶって推測してみたけれど、ルティにはよく分からないのが本音だ。
相手の反応を探るなんて、別に誰だってやっていること。ましてや皇帝ともなれば、臣下の本心を見抜くために観察するのは、必要な行為としか思えない。
ユーリなら、何か気付くかな。
ルティはちらりとユーリを見たが、ユーリはいつもの笑顔――これもまた、ルティでは真意を読めない。
マティアスももともとクールな表情を変えないポーカーフェイスだし、ユーリも……表情豊かなようで、笑顔のポーカーフェイスをしっかり身に着けている。
……自分も、愛想笑いぐらいはちゃんとできるようになろう。
「余が貴公をユリウスの後見人としたことについて、周囲は様々な憶測を飛ばしておるようだが、いまのユリウスを見て、余は自分の采配が正しかったことを確信した。見事余の信頼に応えた、貴公の労をねぎらいたい」
そう言って、ルドルフ帝は持っていた杯をマティアスに差し出す。中身はお酒だろうか。
マティアスはそれを受け取ろうと、手を差し出した――それを見て、ルティは大いに焦った。
皇帝は、マティアスを殺そうとしている。どうやって、というのは知らないが、皇帝から直々に差し出された飲み物なんて怪し過ぎる。
なんとかして、マティアスに飲ませないようにしたほうが……でも、どうやって?
皇帝が手渡ししたものを、皇帝の目の前で、どうやって妨害すればいい?
大人たちの足元で、ルティは一人おろおろとしていた。
何も良い手が思いつかないままでいるルティの目前――杯を受け取ろうとしたマティアスの横から、手が伸びた。
ものすごく自然な動作で、ユーリが皇帝からの杯を横取りする。
全員が目を丸くし、ユーリを見た。マティアスですら、わずかに目を見開いている。
いくら皇子で、実の姪と言えど……でも、杯を持って優雅に微笑む姿は様になっていて、みな咎めることを忘れてしまったようだった。
「叔父上のおっしゃる通り。美しく多才なボクの可能性をここまで引き出せたのは、マティアスの教えがあったからこそ――マティアス。ボクからも、キミを労わせてくれ」
マティアスに向かって乾杯するように、わずかに杯を傾けた後、ユーリは一口中身を飲んだ。
途端、激しく咳き込む。
「人のものを横取りするからだ」
ゲホゲホとむせている様子のユーリに、ディートリヒが呆れたように笑って言った。
マティアスが、ユーリの背をさする。ルドルフ帝は何も言わず、ユーリたちをじっと見ている。
「殿下、落ち着くまでここを離れたほうが――失礼いたします」
皇帝に頭を下げ、マティアスはユーリを連れて大広間を出た。もちろんルティも、二人について行く。




