始まりを告げる夜会2
王宮主催の夜会の中でも大規模なものであるこの夜会では、王宮の一番外側にある、社交宮と呼ばれる宮殿の大部分が解放される。
メイン会場である大広間をはじめとして、大小あまたの広間では様々な催し物が行われている。また遊戯室なども解放され、社交という名の情報戦を繰り広げつつ、友好を深めるのだった。
「うぅ……やっぱり緊張しますね…………」
そう小さく呟きながら、レイティーシアはオルスロットの腕へと添えている右手に力を込める。本来ならば軽く触れる程度であるべきなのだが、つい心もとなさから、握りしめる様な状態になってしまっていた。
「無理はしなくて構いません。もし、辛い様ならば何処か休める所へ行きましょう」
「……いえ、まだ大丈夫です。ありがとうございます」
余程イゼラクォレルの眼鏡禁止令を気に病んでいるのか、オルスロットは今回非常にレイティーシアを気遣ってくれていた。
今も、レイティーシアの顔を覗き込む蒼い瞳には優しい色が浮かんでいる。そんな彼の不安を払拭するため、視線を合わせて小さく微笑みを返す。しかし、どうやらその微笑みは緊張から引きつったものになっていた様で、オルスロットの眉間に軽いしわが刻まれる結果となってしまった。
レイティーシアとオルスロットは今、メイン会場である大広間へと到着したところであった。
今回の夜会に参加した目的が二人の結婚のアピールであるため、人の多い大広間で挨拶回りをする必要がどうしてもあるのだ。ちなみに大広間へ至る廊下でも、既に幾人から声を掛けられ、挨拶と軽い世間話を装った腹の探り合いを行っていた。
それだけでも十分に気疲れと嫌気に襲われているレイティーシアだったが、少し離れた場所からやって来る人物を視界に捉えた瞬間、シャンと背筋を伸ばす。
「オルスロット、レイティーシアさん。ちゃんと来たのね。良かったわ」
「母上……。義務は果たします」
オルフェレウスにエスコートされたイゼラクォレルの、茶化すような物言いにオルスロットは深くため息を吐く。そして苦々しく続けられた言葉に、イゼラクォレルはころころと笑う。
「それは良かったわ。それに、治療術は上手くいったようね」
「はい、お義母様。先日はとても腕の良い治療術師を手配頂きまして、ありがとうございます。おかげで、この様に眼鏡を外しても支障がございません」
「ふふふ、よかったわ」
非常に機嫌が良く、満足げなイゼラクォレルに、レイティーシアとオルスロットは揃って引きつった笑みを返すしかなかった。触らぬ神に祟りなし、だ。
それに眼鏡をしていた時にはあった、別れた後にひそひそと零されていた嘲りが一切なくなったのも事実である。表立っては言われないが、やはりランドルフォード侯爵家の名に傷を付けていたのだろう。
やり方は無理やりで暴君じみているが、ただの横暴では無い。
それを実感することとなった。
「さて、私たちも久々の王都で色々と挨拶回りをしなくてはならないからね。この辺で失礼しよう。オルスロット、レイティーシア、良い夜を」
「はい、父上。母上も、良き夜を」
「お義父様、お義母様、良い夜を」
そして悠然と去って行く二人を見送り、しばらく顔見知りだったり、全く知らない人だったりと挨拶を交わしていく。
顔に笑顔を貼り付け、表面上は上品に会話をしながら腹の探り合いをするのは非常に疲れるものだ。おまけに、慣れないヒールが高めの靴が災いした。
「っあ……」
ふらり、とレイティーシアの身体が傾ぎ、倒れそうになる。しかしすぐさまオルスロットの腕が腰を支え、転倒は免れた。
「大丈夫ですか、レイティーシア?」
「申し訳ありません……。少し、足が縺れただけです。大したことはありません」
心配そうなオルスロットに笑顔を向け、何事も無いとアピールする。しかしオルスロットはそんなレイティーシアを思案顔でしばらく見つめ、首を横に振る。
「いえ、少し休みましょう。早いうちに挨拶しておきたい方にはもう挨拶を済ませましたから」
「でも……」
「大丈夫です。幸いこの夜会はやたらと長々とやっていますし。なにより後は騎士団関係ばかりですから、今日でなくても問題ありません」
笑顔でありながらも、反論は許さないといった空気のオルスロットに、レイティーシアもそっと頷く。
「……分かりました。ありがとうございます」
少々強引ではあるが、レイティーシアを気遣っての提案だ。
社交の為の作った笑顔ではなく、自然な笑みが零れた。そんなレイティーシアの笑みに釣られる様に、オルスロットも小さな笑みを返す。
そして大広間から移動しようとした時だった。二人をからかう様な声が掛けられる。
「俺は仕事だってのに、お二人さんは仲良さそうで嫌になっちゃうね」
「ソルドウィン!? なんでここに?」
宮廷魔術師の正装に身を包んだソルドウィンがひらひらと手を振りながら、ニヤリと笑う。
「だって俺宮廷魔術師だもん。そこの、王都は管轄外な第二騎士団副団長殿と違って、王宮での催し物の時は警備やんなきゃいけないんだよね」
やんなっちゃう、とあまり小さくない声で呟くその様子にオルスロットは盛大なため息を吐く。
「警備、といっても宮廷魔術師は基本執務室待機でしょう。何故ここにいるのです……」
「ん? だって姫さん来てるっていうしさ。眼鏡外したんだね。うん、やっぱり綺麗な瞳。よかった」
いつものニヤニヤとした笑いではなく、にっこりと笑うソルドウィンに恥ずかしくなる。
「……ありがとう。でも、お仕事はちゃんとしなきゃダメよ?」
「もちろん、大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんですか……。しかし、ちょうど良かった」
「ん?」
ニヤニヤ笑いを浮かべるソルドウィンに、またオルスロットはため息を吐きながら声を掛ける。
「レイティーシアを、休める所へ連れて行って頂けませんか?」
「いいけど、アンタは?」
「少し、騎士団関係の人間に挨拶して来ます。俺が行けば十分ですから」
「そんな、旦那様! 私だけ休むなんて……。私も参りますわ」
慌ててオルスロットを見上げて言い募るが、優しい笑みを浮かべながら首を横に振られる。
「どうせあの人たちは俺をからかうだけですから、わざわざレイティーシアが行く必要なんてないんです。だから、迎えに行くまでソルドウィンと休んでいて下さい」
お願いします、と重ねて言われてしまうとそれ以上反論もしにくい。何より、疲れ切っているのも事実だったのだ。
言葉に甘え、一人挨拶回りを続けるオルスロットを見送る。
そしてシルバーグレーの礼服に包まれたオルスロットの広い背中が人混みに消え、珍しく静かにしていたソルドウィンを振り返る。すると、普段見せることのない厳しい表情で何処かを見据えていた。
「ソルドウィン?」
「ん? どしたの?」
「どうしたって……。何かあったの?」
小さく首を傾げながら聞き返すと、同じ様に小さく首を傾げたソルドウィンはニッと笑う。その表情には、先程の厳しさの欠片も残っていなかった。
「なーんでもないよ。ちょっと鬱陶しい虫が居ただけ。そんなことより、あっちの部屋行こ? 落ち着いた弦楽の演奏を座って聴けるとこあるから」
「あ、ちょっと……! 分かったから!!」
ソルドウィンの言う虫も気にはなったが、グイグイと手を引かれてソレを探す余裕もなかった。レイティーシアは呆れた様に笑いながら、ソルドウィンに着いて行くのだった。
§ § § § §
「なんで……。なんで、なんで、なんで!? あの場所は、わたくしが居るべき場所なのにっ……!!」
ほっそりとした手でギリギリと自身の華やかなドレスのスカートを握りしめ、少女は呟き続ける。
「あんな女、相応しくない! あの方はわたくしの運命なのにっ……!!」
「ナタリアナ、淑女にあるまじき表情になっていますよ」
普段はたれ気味の目をつり上げ、この大広間から出て行く白いドレスに包まれた背中を睨み付けていたナタリアナにやんわりと注意を促すのは、彼女とどことなく似た男。
彼は、甘い毒を注ぎ込むように、そっとナタリアナに囁く。
「貴女は美しいのだから。その美しさを使えば、望みのまま人を動かせるでしょう? だから、そんな顔はするものではないよ」
そしてさらに声を落とし、彼女へ何事かを囁きかけるのだった。




