0091 悉く果て、尽く朽ちる(2)[視点:皆哲]
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
遥かに古く神々が乱舞せる恩寵の時代。
降臨せりし諸神によって創造されし世界シースーアの大地。【闇世】に堕ちし凶徒達からは、怨みと羨望を以て【人世】と呼ばれるその"世界"の北半球に、オルゼ=ハルギュア大陸と呼ばれる、東西に長く渡る帯状の大陸がある。
その名の通り、大まかに西のオルゼ地方と東のハルギュア地方から成る大陸であるが、「オルゼ」とは古き『黄昏の帝国』が勃興した土地を指しており、オルゼンシア語を操る『オゼニク人』と呼ばれる人族の一派たる人種が文明を形成するのもまたこの地である。
『神の似姿』の末裔を称するこの『オゼニク人』の後裔達の国々は、今世においては【四兄弟国】と謳われる4つの大国によって形成されていた。
――いずれも【人魔大戦】において、【闇世】より邪神の命を受けた魔人の軍勢を撃退し、討滅し、ついには"魔王"を敗死せしめた"英雄王"の二男二女を祖とする国々である。
このうち、オルゼ地方の東部領域を成す『東オルゼ大平原』は、かつて魔人族が数多の"裂け目"を生み出して侵攻し、牙城と成し、冒し染して拡がり、最も人族と魔人族が激戦を繰り広げた領域である。
また同時に、"神に選ばれた"英雄王アイケルの絶後なる『神威』の力により、最大にして最悪の"世界を喰らう影"たる"大裂け目"は消し去られたが――未だ、数多の"裂け目"が荒れた大地の陰に隠れるようにこびり着いて残り、環境と自然と気候といった世界を構成するあらゆる諸要素を壊乱する『瘴気』が吐き出され続ける領域でもある。
この荒廃した大地の調律と再生にその終生を捧げたのが、英雄王アイケルが長女にして"国母"と謳われるミューゼであり、彼女の【浄化譚】に付き従った高弟達が築き上げた王国こそが、いと華やかなる【輝水晶王国】――またの名を『長女国』であった。
古の『黄昏の帝国』の時代の叡智を蘇らせて継承せる「魔導」の大国にして――【人魔大戦】の折に『神の似姿』たるオゼニクの民を裏切り、英雄の背を刺した"亜人種"の諸国・諸族と相対し、建国以来の幾百年にも渡る【西方懲罰戦争】を続けていることで知られている。
盟約暦514年の睨み獅子(第3)の月の第1日。
『長女国』と『西方諸族連合』の軍勢は、オルゼ地方の東西を分かつ最前線の一つである『淡き抱擁の峡原』を挟んで集結していた。
互いに陣を組み替えながら斥候と偵察と魔導による監視を放ち合い、会戦か奇襲か、決戦か消耗戦か、干戈を交えるべき場と機を探り合う神経戦は、既に2ヶ月に渡って継続していた。
『淡き抱擁の峡原』は、複数の丘陵と峡谷によって挟まれた複雑な隘道である。ちょうど、右手の指を3本立て左手の指を2本立てて掌戦戯のように向かい合わせると、都合5本の指に挟まれたジグザグな合間が現れるが――この東西を繋ぐ「主道」を中心に、道中にはさらに多数の「間道」が存在している。
『長女国』にとっては、亜人種の一角たる『戦亜』達の根拠【ウル=ベ=ガイム氏族連邦】――略称『氏国』――の奥地へ進撃するためには必ず突破しなければならない要衝である。だが、複雑な峡谷の道と多数の間道はいわば殺し間が連続する難地。魔法の力を恐れぬ戦意猛々しき『戦亜』諸氏族の戦士団にとっては、貫かれれば一直線に"魔導兵"達による蹂躙と破壊と殺戮を郷里へ呼び込んでしまう絶対に破られてはならない死守の地である。
この日より10年前、『峡原』の東を抑えていた大要塞が激戦の末に破壊されたが、『氏国』はなおも丘陵地帯に十重二十重もの陣地と即席の山陣を構築し、夥しい犠牲を出しつつも、毎年の収穫期を狙った『長女国』の攻勢を撃退し続けてきていた。
しかし、この年の大攻勢は"季節外れ"。
『西方諸族連合』全体の"盾"とも扱われ、文字通り屍山血河すらをも陣立てに利用するかの如く築き侵攻を防ぎ続ける『氏族』をして、国はおろか種族全体の存亡の危機を覚悟するほど『長女国』はその本気を垣間見せていた。
それぞれが"国母"ミューゼの高弟の末裔を称する魔導貴族達――謀略と粛清の歴史の中で滅んだものも数知れず――その最上支配者たる『頭顱侯』(またの呼び名を『顱侯』、『導侯』という)のうち、終生を【懲罰戦争】の遂行に捧げる大敵たる【聖戦】家とその信念に同調する戦争遂行派の歴々が"杖旗"をはためかせていた、だけではない。
【西方懲罰戦争】においては、比較的"穏健派"として知られる複数の『導侯』が――この国に巣食う根深い派閥間対立を超えて大同して参陣。実に『長女国』の最上を成す13頭顱侯家のうち、10家までもが並び揃う大軍勢とを成していたのである。
対する『戦亜』達もまた、常の激しい氏族間及び氏族内の闘争を奇跡的に早々に終結させつつ、独力での対処を戦略的に放棄。西方諸族の「連約」に基づいて、周辺諸国に援軍を要請する軍使を飛ばし、その到来まで徹底的に峡原の各所に籠城し神出鬼没の抗戦を繰り広げる、という構えを先鋭化させていた。
――だが、そうして大動員した"主力"部隊を『峡原』の"北ノ顎"に張り付けたのは、『長女国』側による大掛かりな陽動であった。
彼我の戦力差を考慮してなお、『峡原』で迎え撃つというウル=ベ=ガイムの戦亜達の戦略は援軍との合流が前提のものである。しかし、【懲罰戦争】へ対抗する際には結託しつつも、常では互いに激しく相争う『西方諸族連合』の内幕を『長女国』の侯家連合軍の総帥たる【聖戦】家はよくよく熟知していた。
複雑な丘陵地帯を南方より一直線に、文字通り飛び込んでくるであろう"空兵"達の出足を挫き、援軍を率いる首魁達を速やかに「斬首」して指揮系統を潰乱せしめ、『長女国』の主力はあえて動かず撤兵の動きを見せれば、必ず『諸族連合』の連携は乱れに乱れよう。特に、かつて『ウル=ベ=ガイム氏族連邦』から独立闘争を繰り広げた遺恨のある『イシル=ガイム至天国』などは、蜻蛉の如く己の巣へと返っていくだろう――。
……というのが、リュグルソゥム家の派遣軍に聞かされた戦略の概要である。
『止まり木』で検討したパターンのうち、より悪い方が当たったことに眉間の皺を深めながら、ガウェロットが毒づく。
「【聖戦】家め、相変わらず諜報を軽視しおる。"蜻蛉"どもだけではなく"蝙蝠"どもまで来ているではないか。連中の分断など簡単だというのに、それを怠ったな!」
「父上、一度退くべきです。『天雷衆』どもへの対抗魔法は構築した陣でいくらでも迎撃できますが、『蝙獣』が少なく見積もっても30、いや、50は下らずとも不思議ではありません。備えが不足しています」
「……高等戦闘魔導師は全隊、【風】と【空間】で換装せよ。戦闘魔導師部隊は【光】と【火】を灯せ、連中を蛾のように翻弄してくれる。"化け蝙蝠"どもの操者は少数のはずだ、それを守るのがイシル=ガイムの"蜻蛉"どもという布陣。空戦の有利を驕る連中にリュグルソゥムの流儀を見せつけ、諸共に食い破ってくれるぞ」
「それでは博打です! 任は達成できましょうが――死にすぎる……!」
「兄上の言う通りです。陰謀の狙いは当主様ではなく、我らの方であったのかもしれません……クソ、この可能性をメインに討議するべきでした」
「シェイグ、ミディア、腹をくくれ。我らがこの【懲罰戦争】に派遣された意味を、幾度も説明したはずだ。我ら【皆哲】のリュグルソゥム家は、この"取り引き"から目を背けることはできない。政治なのだ……これ以上は無用だ、下がれ、備えろ。この期に及んで鍛錬の"時間"が足りない、と言わせぬぞ?」
英雄王アイケルが子らたる"四兄弟"が、互いを扶け助け合うという盟約を交わした日を始まりとする【盟約暦】。その第514年の、この日の夜陰。
【闇世】から今なおシースーアの【夜】をも支配すると畏れられる【全き黒と静寂の神】の力がいや増す新月の夜のこと。『淡き抱擁の峡原』を形成する5つの丘陵の南端に、50人ばかりの『魔導兵』のみで構成された少数部隊の陣地が構築されている。
夜襲部隊であるため、杖旗は掲げられていない。
しかし、一人ひとりが身にまとう『戦闘魔導服』は、様々な触媒を高度な錬金術と細工術によって編み込んだ特注品――精鋭にして侯付きの精兵に相応しいものである。そして、その実力は折り紙付きのものである。リュグルソゥム家の陣地を、魔導に精通した者が一望したならば、そこには幾重もの精緻な魔力の流れが整然と立ち込めていることに気づくであろう。
探知魔法に感知魔法、偵察や逆に相手方の探知術を阻害する妨害魔法に、妨害魔法に対する罠としての対抗魔法、【空間】魔法による転移に備えた捕縛魔法や撹乱魔法などなど。
他家であればこの数倍の人員を使い、さらに数倍の時間を使って構築する規模の魔導陣地であるが――「落伍者無く、皆早熟にして晩成」とまで謳われるリュグルソゥム家であれば、この通りの手際であった。何せ、既に『止まり木』の中で十分に検討し、備えたものを、現世に戻って部下達に指示しながら速やかに"再現"すればよいだけなのであるから。
そうした「計画時間の短縮」もまた、リュグルソゥム家の強みとするところである。
ガウェロットは眉間の皺を深めて新月を睨んだ。南方より、雷光と轟音を孕みながら、地形を無視して天空の彼方より来寇する雷雲の気配を鋭く察したからである。
――『イシル=ガイム至天国』の精鋭"空兵"たる『天雷衆』。
あらゆる翼を持たぬ種族を"地を這う虫"と蔑むイシル=ガイムの『空亜』の精鋭達を……彼らの知らない術式によって、地上から悉く撃ち落とすのである。
だが、"空兵"の集団を単独で迎え撃つという想定の外を行ったこの局面での出陣は、長らく【懲罰戦争】からは距離を置いてきたリュグルソゥム家にとって、その実力の一端を『西方諸族連合』に知られることと同義であった。諸族連合の援軍には『空亜』達だけではなく――『吸血種』達が含まれていたのだ。
大胆であり意外な手段を取りながら、堅実にリュグルソゥム家の力を"削る"策だな、とガウェロットは笑う。少なくとも【聖戦】家の仕込みではないだろう。『諸族連合』すらも利用した「罠」を計画したのは、何者であるか。
"国母"ミューゼの高弟達の直系たる"古き大家"は未だ残れども、【輝水晶王国】の至上たる『頭顱侯』は固定された絶対の地位、ではない。
時折の下剋上や、"謀略の獣"とも称されるが如く各家の間で繰り広げられる暗闘の果てとして族滅や粛清劇によって、500年余りの王国史の中で、"入れ替わり"は幾度も繰り返されてきた。
リュグルソゥム家もまたその興りまで遡れば200年の歴史を持つが、頭顱侯の地位とは、決して安住や安穏を意味するものではないことを彼らは誰よりも理解していた。『長女国』において"荒廃"を鎮めるための責任をリュグルソゥム家もまた分かち合う中で、数多の陰謀と無数の策略の渦中をくぐり抜け、鎬を削りながら、生き抜いてきた。
それを成さしめたのが、『止まり木』を通した強固な結束であった。
そんな彼ら一族の"嗅覚"をして、今回の参陣の要請は罠である可能性が高く、最初から突っぱねることはできるにはできたのだ。『盟約派』に属し、またそもそも王国の南東部に所領を持つリュグルソゥム家には、【西方懲罰戦争】によって得る利益があまりなかったのである。
しかし、リュグルソゥム家にとってその要請を避けえぬ"理由"が、今回ばかりは、厳として存在していた。
リュグルソゥムの歴史は、かつて結合双生児であった始祖たる兄妹「リュグル」と「ソゥム」に始まる。永らえた二人は、やがてお互いの精神を半共有させ、そこに現世とは異なる空間を生み出す魔法を編み出すが――この二人を奇跡の御業によって「分離」するだけでなく、子をもうけることすら可能な健常な身体に恢復させた『"癒やし"の聖女』と呼ばれる存在がいたのだ。
そして時は流れて200年の今世。
当代の"癒やし"の『聖女』が、【輝水晶王国】に保護を求めて"亡命"してきたという報せがもたらされた。
その「人物」を"保護"するためにこそ、当主シィルとガウェロットは、死地に通ずるかも知れぬ罠の中に飛び込む決断を下したのである。
直接の派兵はしなかった数家の頭顱侯家からも、それぞれの得意な分野での潤沢な"支援"が、この『長女国』の諸侯連合軍に惜しみもなく施されていたからである。暗闘に暗闘を重ね、陰謀を陰謀で縫うような魔導貴族達の常の関係性から見れば、このような"気前の良さ"は異常かつ異様。
底知れぬ不気味さすら覚えるほどの、一大攻勢――に見せかけた"罠"なのであった。
ガウェロットと彼の子供達が身構える地を見下ろしながら、まるで"ひと撫で"で一掃してくれようか、と威嚇するかのように、『空亜』達を載せた雷雲が迫る。
その中から、地獄の魔獣の喉を引きずりだしたかのような、血に飢えた凶獣達――蝙獣――が放つ身の毛が怖気だつような絶叫が響き渡る。
激突の時はわずか数分後に迫っていた。ガウェロットとシェイグの指揮下、リュグルソゥム家とその直臣からなる精鋭50名が陣地の内側に構築した「蜻蛉を落とす」ための魔法陣が稼働待機状態に切り替わる。
【ゲンダリスの雷避け】と冠名された【雷】属性への対抗魔法を、【土】属性の【隆起せる礫波】によって魔法陣ごと天空に吹き飛ばし、雷雲に直接叩き込むというリュグルソゥム家の"取っておき"である。
50年前に『イシル=ガイム至天国』において編制された精鋭空兵である『天雷衆』。彼らを仮想敵として、もしも直接交戦する場面が来たらどのように撃破するか――というお題の『止まり木』での討議にて、まだ幼き頃のガウェロットが出したアイディアが幾年を経てそのまま採用された"詰み手"である。
本来であれば、このような救援の援軍に対して中途半端に披露して、わざわざ対策できるようにしてやるべき手の内では、ない。しかし、罠に飛び込む決断をしたリュグルソゥム家に退くことはできず、諸侯家の軍議で割り振られた"無茶振り"を難なくこなすためには、もはや切らざるを得ない"奥の手"であった。
『天雷衆』までは、まだよい。
叩き込まれた魔法陣が雷雲ごと【雷】の属性を引っ剥がし、丸裸となった『空亜』達を嬲れば良い――問題なのは吸血種達がその"血"と執念から生み出した恐ろしき凶獣たる『蝙獣』が紛れていることである。
壮絶な苦戦は免れ得ない。単純に生物としての再生能力自体が強靭であり、殺すのに時間が掛かりすぎるのだ。リュグルソゥム家の戦闘魔導師をしても、複数で挑んだとしても、重傷か下手をすれば死者を出す覚悟をせねばならない。
そんなギリギリな塩梅であるが故にこそ、ガウェロットとその子供達は更なる"想定外"の敵が追加される可能性を警戒する。
よもや、これに加えて『黒森人』達の"大鷲"騎兵部隊である『空眼』が空から剛弓を乱射しつつ突っ込んでくるか。
はたまた、諸族連合の軍勢としては滅多に現れない『スィルラーナ技装国』の"義体兵"すら現れてもおかしくはない。
「父上、念のため……『止まり木』へ。今一度、想定外に備えましょう。最悪は"入墨の巨人"どもが現れることです、あれらはいくら我々でも相性が悪すぎます!」
誰もが犠牲を出す覚悟をしていた。その一念で罠へ飛び込んだ。
かつてリュグルソゥム家が受けた、大きな大きな恩を、今こそ返すために。
死兵となる前提ならば、リュグルソゥム一族の係累には、取ることのできる"手段"、組み上げることのできる"詰み手"がそれこそ幾百幾千も拡大され――如何なる存在と敵対しようとも、その思惑を食い破ることができる。それだけの"鍛錬"が『止まり木』では繰り広げられるのである。
だが――。
如何な盤石の備えであったとて、そもそも、その前提が誤っていたとすればどうであろうか。
たとえ幾万幾億の刻を『止まり木』で過ごそうとも、その価値は、わずか数瞬の油断と刹那の誤判断にすら劣るものにしかなり得ない。
この瞬間、ガウェロット達の意識は『諸族連合』にのみ、向けられていた。
だが、それは壮大なお膳立てによって誘導されたもの。
彼らは味方にこそ、もう2枚、3枚深く警戒を向けるべきであったのだ。
ガウェロットとその子供達が【精神】属性を練りながら目を瞑る。
事情を知らない者からは『天雷衆』との衝突の寸前で、なんという自殺行為と思うかもしれないが――これこそ自らの意識を精神体と化して、この世ならざる時の流れに支配された共有精神空間『止まり木』へと飛ばす、リュグルソゥム家の秘技であり――、
「ざぁんねぇんだったわねぇ」
艶美さを帯びつつも少女のような嬌声じみた嘲弄と哄笑。
突如現れた青い"煙"が辺りをさっと包み込んだその刹那、いくつものことが同時に起こった。
【皆哲】のリュグルソゥム家直系の者達が、今まさにその精神と意識を『止まり木』へと飛ばそうとしていた矢先。彼らの肉体を包み込んだ青い"煙"が、まるでまぶたの裏に擬似的な視覚現象として浸透してきたかのように、激しい眩暈が一同を襲っただけではない。
『止まり木』に至るべき"白い靄"が群青色の"煙"に塗り潰され、背筋が凍るほど恐ろしい哄笑を叫ぶ"青い怪物"の影が、頭部をぶん殴るような衝撃とともに幻視されたのである。
子供達の悲鳴を聞くや、ガウェロットは即座に『止まり木』への意識転移を断ち切った。
妨害された、と瞬時に理解したからである。だが、その"理解"を共有している暇は無く、その手段自体が潰されている。
即座に乱戦への移行を怒号に乗せて指示する、が。
突如として、陣地に設置されていた"魔導鐘"が【空間】魔法を検知して狂ったように鳴り響いた、かと思うや、自壊するように割れ砕け散ったのである。それが意味することは、高密度かつ高濃度で膨大な魔力が奔流となり、何らか敵対的な魔法が発動したということ。
それも、リュグルソゥム家が作り上げた魔導の陣地のど真ん中において、である。
常在戦場の直感的な決断と反射的なガウェロットの怒声に従って、【皆哲】家軍の精鋭達が次々に強化魔法や装備創成魔法、探知魔法などをそれぞれの役割に従って展開しようとするが――異変は御者を失い狂奔した馬車の如く加速を増す。
頭顱侯の一角たる【紋章】家から支給された"使い捨て"の魔道具である数十もの『紋章石』。
曰く、"通信"のための術式が封じ込まれた特注品であり、今回の作戦のために特別に他家に供与することとした代物――らしい。陰謀の小道具であることは明白だとして、陣地の一角にまとめて封じていたのだが――それらが弾け飛んで周囲に【空間】魔法を、感染させたのである。
そのような地を這う者達の混乱に興味など持たぬと言わんばかり。
空亜の精鋭『天雷衆』が率いる雷雲が天空を交錯し、豪雨の如く幾状もの雷槌で闇夜を、天も地も構い無しに貫き引き裂き焼き払っていく、そんな風景の中で。
奔流の如き光陰の中、まるで辺りの景色がモザイク化したかのようにブレた。
木立が人型に。
枝葉が"杖剣"に。
まるで狂人が算術の知見すら用いて、景色を"移ろわせる"かのように描いた夢幻の絵画であるかのように、あるいは精巧な召喚魔法であるかのように、あるいは蜃気楼化した風景がシャボン玉のように膨らんで弾けるかのように。
――まるで【騙し絵】のように。
いなかったはずの『魔導兵』達が無数その場に現れ、いたはずであると言わんばかりに斬り掛かってきたのである。
ガウェロットは即座に無詠唱で【魔法の矢:風】を連射。ほぼ同時に【風】魔法【撃なる風】を自身の足元めがけて発動して、その空気塊ごと、まるで空を蹴るように飛び立とうとする。しかし即座に【風散らし】の妨害魔法を喰らい跳躍が阻害されて体勢を崩してしまう。
それでも熟練の体術によって受け身を取り、立て続けに3属性の【魔法の矢】を生み出して放たず、それを掴んだまま、頭上と背後から斬りかかる『兵士』の顔面と心臓に叩き込んだ。
さらに、四方から飛来する短剣を【撃なる風】を叩きつけて軌道を逸らし弾き飛ばす。返す刀で手に握った『魔導棍』を振るい、眼前に迫った襲撃者の一人の喉を打ち砕く。
だが――1人倒す間に2人が、2人を倒す間に4人が斬り掛かってくるこの状況を如何にすべきか。
烈音と閃光と魔導の奔流が飛び交い、剣戟と魔法がぶつかりあう衝撃波が荒れ狂い、瞬く間に柵も魔法陣も吹き飛んでいく。
この時点に至り、軍議で割り与えられた任務などもはや完全に失敗状態だが――そも全てが"想定外"だったと悟るガウェロットは、血が出るほど強く歯を食い縛っていた。
たとえ『止まり木』を封じられたとしても。
それまでの人生でもはや幾度飛び込んだかわからない精神世界で、文字通り幾万もの時をかけて一族と語らい、そして練磨を繰り返してきた、その経験によって、ガウェロットは「何をされたか」を瞬時に見抜いていた。
『天雷衆』を撃ち落とすための大規模魔法陣の術式が"上書き"されたのである。
【ゲンダリスの雷避け】が、ではない。魔法陣を構築する規模としては、より大規模な方であった【土】魔法の側が乗っ取られたのであり――その種こそが、偽の魔法を埋め込まれて押し付けられた『紋章石』であった。
リュグルソゥム家が警戒して"使用しない"こと自体が織り込まれており、陣地を丸ごと雷雲に叩き込むべく上空へ吹っ飛ばすはずであった【隆起せる礫波】の術式が、乗っ取られたのだ。
――【紋章】家が切り札を切った、とガウェロットは判断する。
『紋章石』はその"粗悪さ"でこそ知られていたはずであった。
だが、そこに呪術的感染術式を刻み込んだのみならず、【騙し絵】家の専権たる【空間】魔法と同居させることができるなど、リュグルソゥム家はおろか、どの導侯家も掴んでいないはずの情報だ。それを、最低でも【歪夢】家の係累が現れたことが確定しているこの場で、こうも堂々と晒すなど。
【魔剣創成:火】によって『魔導棍』から燃え盛る炎の刃を生み出し、脇から迫る一人を斬り捨てるが、その死体を盾に突っ込んできた"身体強化系"の魔法を使う精兵に組み付かれる。その人間離れした膂力と魔法式を読み取り、ガウェロットはそれが【聖戦】家の主力軍を構成する『聖戦兵』の手練であると理解する。
「【紋章】と【騙し絵】が手を組む、だと? そこに【歪夢】と【聖戦】まで加わるだと……!?」
組み付かれ格闘術の要領で持ち上げられながらも――ベルトから小瓶を抜き取ってその口を噛み砕き、溢れ出た"血"のような色をした液体を【水】属性で操って『聖戦兵』の顔面に霧と化して噴射する。
そこに入っていたのは吸血種の"血"である。【均衡】属性を駆使する『聖戦兵』の吸血種感知魔法である【腐れ血の帳簿】を悪用した、目だけに留まらない"目潰し"であった。うめき声を上げてひるんだ『聖戦兵』を逆に引き倒す要領で投げ飛ばし、ガウェロットは子らに声をかける、が。
「シェイグッッ! ミディア、アルロイ、キーセット……! おのれ、【歪夢】かッッ」
声をかけて、ガウェロットは絶望する。
『止まり木』の発動を妨害した――いや、そのタイミングを待っていた相手が、その最悪の目的を達したことを目の当たりにしたからだ。
体内に残された魔力を振り絞るように【精神】属性魔法【明晰なる精神】を唱える。脳裏を侵していた"群青の影"が弱まっていくが――見据えた先、吹き飛んだ陣地にわずか残った柵の残骸に、まるでしなだれかかるように腰掛ける者があった。
戦場にはやや場違いな、娼婦然とした女術師である。彼女がその口に咥えた煙管から青い煙を吐き出すや、対抗魔法が発動する気配と共に【明晰なる精神】が霧散させられたことをガウェロットは感じ取る。
見れば4人の子らはいずれも苦悶の表情で頭に後ろ手で跪かされ、自由に動くことすらままならないようであった。周囲で戦うリュグルソゥム家軍の精鋭兵達も、苦戦しながら次々に『魔導兵』を討ち取っていくも、しかし一人また一人とその数を減らされていき、いつしか周囲を包囲されている。
【精神】魔法【青き軛の杭】により、シェイグら4人の子供達は魔法的に"抑え"こまれていた。だが、救おうにも、これほどの魔法を単独で発動させた存在に対して、老いたガウェロット一人の魔力ではどうしても敵わない。
なぜならば、この女術師は間違いなく【精神】属性魔法の本家にして大家たる【歪夢】のマルドジェイミ家の係累。リュグルソゥム家にとって最悪中の最悪の天敵であった――彼らにはリュグルソゥム家の切り札である『止まり木』の存在を知られており、さらに、それを妨害することができる唯一の術師達である。
リュグルソゥム家にとっては、政治、軍事、謀略を問わずあらゆる局面でその直系一族の動きを監視すべき最重要の警戒対象。
それほどまでに、警戒していたマルドジェイミ家の一族の者のうちに、知らない者が居たなどというのは。
貴人にそぐわぬ艶やかな笑みを浮かべる、【歪夢】の技を使う女術師。
――つまり彼女もまた、この時のために隠され続けてきた"奥の手"なのだ。その娼婦のような姿と、青い煙を吐き出す煙管から―― 一つの可能性に思い当たったガウェロットが、憎々しげに顔を歪めて吐き捨てた。
「貴様は、まさか『罪花』の……?」
「あららぁ、ざぁんねぇん。そこまでわかっていたら、我が家の本質までもうあと2、3歩だったのにね? 可愛そぉうな、リュグルソゥムちゃん」
「是非も無し!」
再び吐き捨て、魔法で生み出した火剣を振り被って【活性】属性魔法の【アケロスの健脚】を詠唱、さらに無詠唱によって【撃なる風】を足元に生み出して加速して女術師への直撃を狙うガウェロットであったが――、
「リュグルソゥムの猿真似師めが、笑止なり!」
雷鳴の如き閃光が眼前に炸裂。
風の力で加速したガウェロットに対し、さながら迅雷の力を帯びて迫り立ちはだかった者が掌中に握った雷鳴の形をした大刀を一閃。魔法戦士同士によって創成された魔法剣同士が激しく打らし合い、ガウェロットは丸太に衝突したかのような衝撃に吹き飛ばされそうになる。が、自身の背中に【撃なる風】を叩き込んで強引に姿勢を直し、ベルトから抜き放った短剣と『魔導棍』の二刀流となって新たな【魔剣創成】を行い、割り込んできた迅雷の者に激しく打ち返す。
「猿真似師、自らを猿回すか。無様なり!」
無感動に侮蔑の言葉を投げつけながら、雷鳴の魔法剣を振り回す敵手は、派手な出で立ちをしていた。さながら、王都の劇場で歌舞く花形役者であるか、そうでなければ観客に媚びるのが上手な熟練の闘技場闘士であろう。"ひかりもの"とでも言うべき華美にして絢爛たる装飾の数々で無駄に彩った鎧姿は伊達というよりは悪趣味の類であるが、あたかも神話に登場する英雄のような大仰かつ激烈な立ち回りで、ガウェロットの魔剣2刀流を瞬く間に打ち払う。
――恐ろしいほどの手練である。
その剣士の剣さばきは単なる魔法戦士や魔剣士の次元を越えた域にある。それは剣を剣として振るうのではなく、また魔法を魔法として扱うというものですらない。武をある種の高みへ至るための道とし、そのためには剣を使わぬことすら剣であるとの悟りの境地の中で『魔法』という技を昇華せしめた、『長女国』における求道の一族の絶技である。
そして他の"奥の手"どもとは異なり、この剣士が何者であるかは、ガウェロットも、おそらくこの場にいる者達は皆知っていた。
「【魔剣】家の放浪侯子め……貴様のような者まで加担したのか!」
「婆様が枕を高く寝られるように、気まぐれの孝行をするまでのこと。貴様らの如き凡骨の髑髏に用があるのは、オレではない」
如何な【魔剣】家の俊英が"剣魔"の冴えを見せようとも――それでもガウェロットは五合、十合と打ち合ってみせた。剣士であれ戦闘魔導師であれ、フィーズケール家の"剣魔"達と真正面から打ち合うことは死を意味する……【皆哲】のリュグルソゥム家の高等戦闘魔導師を除いては。
ガウェロットは高速で思考し、ほとんど反射的に、数々の戦場と暗闘の場で培った経験、『止まり木』で積み重ねた鍛錬のその全てを繰り出しながら【魔剣】家の"剣魔侯子"に抗う。
【撃なる風】と【活性】属性による身体強化を重ねがけて、身体が砕けるのと引き換えに反射速度を稼いで応戦し、剣魔侯子の【雷】の魔剣を打ち払って見せる。【歪夢】家には通じないが――他の者には通じる【精神】属性魔法を撹乱に用いてその切っ先を鈍らせようとする。
窮地にあり、危難を遠く離れた兄たる当主やその子らに知らせるただ一つの道は、たとえ両腕両足を切り落とされようともこの虎口を脱して、ただの一瞬でよいから『止まり木』へ至ること。
――自身の子供達を諦める決断は瞬時。
だが、他の何を引き渡しても、髑髏だけは、渡してやるわけにはいかなかったのである。
だが。
「よく動くな、老いた凡骨。あと20年若ければもう少しまともに打ち合えただろう」
"剣魔侯子"が不意に雷鳴の魔剣を霧散させる。
――恐ろしきかな、【魔剣】家は【魔剣】の魔法を発動させるのに、焦点具を必要としないのである。
如何なリュグルソゥム家が"早熟にして晩成"であるとはいえ――それは一人ひとりが万夫不当たるを目指す、ということではない。本来であれば【魔剣】家と抗争するのであれば、その"剣魔"を相手取るにはリュグルソゥム直系の一族で最低でも3対1で当たるべきとされていた。
『魔闘術』の構えを取った"剣魔侯子"の神速の手刀が空を切る、と同時に一瞬だけ【風】の魔剣が生み出されてガウェロットを切り裂く。回避行動を取るが、追撃するように蹴りが飛んできて――踵から発動された【水】の魔剣がガウェロットを切らず、わずかにまとわりついて滑らせ動きを狂わせる。
「"最強"たるは我がフィーズケール家なり! 闇夜に屍をぶちまけ晒せ!」
"剣魔侯子"は的確にガウェロットの弱点を見抜いていた。
それは老いである。大かぶりの中に混ぜた小細工のどれもが、ガウェロットに意図しない無茶な回避行動を強いるものであり、急激な疲労と誤判断を誘うもの。そして、誘い込まれたガウェロットが、"剣魔侯子"が再び両手の掌中から生み出した【雷】の魔剣を受け止めようと『魔導棍』から【土】の魔剣を生み出し――受け止めた、その瞬間。
「【魔剣】を愚弄した罪は【魔剣】によって裁かれよ!」
わかりやすい「形」としての【雷】や【土】の魔剣。
ガウェロットは、そうした目に見えるものに誘導されていた。
――"剣魔侯子"の技量は単に複数属性の【魔剣】を操るだけのものにはあらず。
【魔剣】同士が触れ合った瞬間、明らかに空間が歪み、ガウェロットの土塊の刃がまるで魔力を内側から貪り食われるように雲散させられていく、だけではない。ある属性で構築した魔剣の中にさらに芯のように別の属性を包み込んだ【二重魔剣】の内側、【崩壊】属性の力がガウェロットの土塊の刃はおろか、焦点具たる『魔導棍』をも打ち据えたのである。
生物の骨が軋むかのような嫌な音が響き渡り、魔導棍が粉々に砕け散る。
と同時に【二重魔剣】が内側から外側の【雷】の魔力を衝撃波のように放射状に発散させ、直撃を受けたガウェロットはそのまま何メートルも吹き飛ばされて、襤褸雑巾のように崩れ落ちた。
「ち、ちうえ……!」
「貴様らなど斬り捨てる価値も無いということだ、猿真似師。【歪夢】の玩具となって朽ちるがお似合いだ」
「はぁい、お見事ねぇ。"最強"対決は【魔剣】家に軍配がぁあがりましたとさ。めでたし、めでたしぃ」
青紫色のガウンに身を包み、その上から魔導鎧を中途半端に着崩した娼婦然とした女術師が、群青色の煙を振りまく。カツカツと靴音を鳴り響かせて近づいてきて、そしてガウェロットの脳天を靴のカカトで踏みつけ、踏みにじる。
血と土を噛みながらガウェロットは必死に顔を上げ、子らに目をやるが――4人とも、既に首を切られて崩れ落ち、事切れていたのであった。
血が薄れて『止まり木』へ通じる力を失って臣籍に降下した傍流の家系や、200年の間に仕えるようになった直臣などを母体とする、護衛と精鋭から成る40余りの戦闘魔導師達も、その全てがあるいは血に沈み、あるいは黒焦げとなり、またあるいは潰され、両断され、あるいは消し飛ばされていた。
丘陵地の間道に設けられたリュグルソゥム家軍の陣地は、凶獣の強襲を受けて蹂躙された開拓村の末路のような惨劇の有様を闇夜に晒していた。
――予定調和の如く『天雷衆』が、通り過ぎていく。血に餓えた凶獣の恐ろしい叫び声を紫電の内に抱えながら。
「始末しておけ、【歪夢】。猿真似師は最も不快だが、貴様らの"香"も酷く不快だからな。俺は戻る」
「はいはい、仰せのままに、"最強"の剣士さぁん。さて、それじゃあさようならぁ。頑張り屋のリュグルソゥムさぁん」
茶菓子の調味料の一種であるかのような、甘い香りを孕んだ紫煙がさらに濃くなる。
ガウェロットは【精神】魔法により、必死にその"浸食"に抗っていたが――そもそも【歪夢】を相手取るには、備えが悪すぎた。多少なりとも抵抗できていたのは、彼の【皆哲】の当主の弟たる矜持と歴戦の実力によってのものであったが、女術師の周囲にさらに数名の【精神】魔法の使い手が現れるに至り、ついに昏倒する。
薄れゆく意識の中、ガウェロットは幻聴のような何者か、知らない誰かの声が鳴り響くのを感じたのであった。
その声は、こう言っていた。
――扉を開くために、また閉じる。
――因果は剪定され、先細る。
――終わりは始まりへ。
――輪廻の先端へ。





