0087 形(けい)は糸を手繰るが如く
12/6 …… 言語について少し加筆
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
【降臨暦2,693年 燭台の月(3月) 第17日】(58日目)
見渡す限りの深い森。
うっすらと雪化粧が白灰と黒緑の濃淡を描き出す樹海。
――とだけ言ってしまうと『最果ての島』の『大裂け目』から出て周囲360度を見渡した時の感想とさして変わらない。
しかし【人世】での森は、【闇世】での巨大樹海と異なっており、メタセコイアも真っ青の云十メートル級の巨木が林立しているわけでもなければ、それらの樹冠がさながら巨大な"緑の層"たる『樹冠回廊』を形成しているわけでもない。
巨樹……といっても、古い神社などで見るような、異世界に来てまでこういう言葉が適しているかはわからないがあくまでも俺にとって「常識的」な高さの木々が林を形成して森となり、深き森林となって樹海を形成している、それが【人世】の森であった。
一つ一つの木々の高さは、高くても十数メートルほどで……それが、なだらかな山と谷、丘陵の稜線をさながら地形に生えた"毛"のように連なり、高い場所から顔を覗かせれば、周囲の大まかな地形が【心眼】越しに一望できた、というのがソルファイドからの報告。
そして同じく【人世】に派遣した『偵察班』の第一陣である隠身蛇と走狗蟲達からも、同じ印象とイメージを伝える情報が――副脳蟲メリーゴーランドから伝わってきていた。
枝の間に積もった雪を揺らし散らしながら、木々の樹冠から樹冠に、まるで猿型生物のように飛び移ることは走狗蟲の運動能力ならば造作は無い。それでも【闇世】側で最果ての島の、樹上の高速道路たる『樹冠回廊』を駆けるのとは多少勝手が異なるか。
"森林"はその領域だけならば最果ての島の樹海よりは広く、走狗蟲の足でも端から端まで移動するのに3日、急いで駆けさせれば2日ほどの距離にまたがっており、最果ての島よりは軽く見積もっても5~6倍ほどの広さの領域であった。ただ、降雪がみぞれ状となって大地と入り混じり、ややぬかるんだ地形が足を取っていることを差っ引けば、雪の無い季節ではもっと早く移動できるだろう。
地域一帯は丘陵地となっており、どの方角へ移動しようにもなだらかな勾配の丘と谷、盆地をいくつも越えねばならなかったが――全体的には南高北低、西高東低。特に、西端と南端で巨大な山地に向かって連続していることが確認でき、その近辺から一気に標高が上がっていくことが植生の変化からも観察される。高い木が育たず、へばりつくような低木や藪、草花の類へと植物相が変化していくのだ。
この季節外れではないかと思えるような冬の気配に覆われ、うっすらと白く雪が積もっているせいで詳細までは視認できなかったようだが。
そうした西南の高山地帯が降雨や雪解け水を集め、冷たい湧き水や小川を形成し、それらが少しずつ集まっていくつもの支流に合流したり、枝分かれしながら、途中で"泉"を形成しつつ北東へ流れて出していく……この世界で「人間」種族の生活や文明発達の常識が通用するならば、そうした川がさらに合流して大河となっているとすると、森林の北東部には草原か平原か高原か、少なくとも"原"の字がつく地形が広がっていることだろう。
――つまり、人里が近場にある可能性が高い。
実際、ソルファイドも北方へ1日ほど移動した地点で、過去に山林に分け入って薪の類を取っていったのではないか、という人間の活動の"痕跡"を見つけたとのことである。故に俺はそちら側へ俺の眷属を積極的に送ることは避け、隠れやすく、しかし獣道や小川、自然山道などが交叉する監視しやすいポイントのいくつかに少数の隠身蛇を派遣するに留めている。
まずは、足元の環境と自然と状況の把握が優先だ。
【異星窟】へ至る"裂け目"自体は、中央からやや南西あたり、森林地帯全体の中央にある3つの連なった小高い丘陵の南側の山陰にある。北端までいかねば「人」が立ち入った形跡が無く、森林の中にも【闇世】でいう小醜鬼のような先住民的な存在もいなかったため、わざわざ森の奥まで踏み込まないのであれば、見つけられる心配は無いだろう。
さりとて、大々的な拠点の構築に俺は未だ慎重であった。
【闇世】側でまだまだ発展の余地があり、【人世】側で活動する部隊を養うための迷宮経済を強化していくということもそうであるが――"裂け目"への干渉能力だけは公爵級になってしまったものの、「ステータス画面」上の表記としては俺の爵位は未だ副伯なのである。
爵位は迷宮経済や【領域】の広さや眷属の軍量などから、迷宮核のシステム面を通して総合的に判定されるようであるが、八丈島程度の広さを有する『最果ての島』の地下も地上も支配した状態の俺で副伯である。
それよりも遥かに領域も軍勢も擁していたであろう数多の上級爵達を率いて【人世】に攻め込んだのが、500年前の【人魔大戦】であった。
それを撃退する力が【人世】にある以上は―― 一介の下級爵、それも『エイリアン』などという通常の生物からはあまりにも異なる冒涜的な、生への容赦の無さを体現した激しい存在を率いることが知られれば、まともな感覚ならば即座に討伐軍が編制されてもおかしくなかろう。
……何より【闇世】Wikiをして、『ルフェアの血裔』が"魔人族"とも呼ばれ、"界巫"が「魔王」とも呼ばれていることが【闇世】側で認識されているのである。これらの言語チョイスが、俺の認識に基づいた「翻訳」であるならば、【人世】の人間種族にとって、いかに神々の大戦の時代には根を同じくしていた一派であろうとも――"魔人族"がどのような存在として見られているかもお察しである。
例えば髪の色や肌の色などで、一目でそれとわかる違いがあるのか否か。
【人世】出身にして『黄金の馬蹄国』と戦い、さらにその諸都市と荒野を放浪して落ち延びてきた竜人ソルファイドによれば、【人世】の人間種にも色々な髪の色や肌の色があったようであるが……少なくともこの森林地帯は、ソルファイドの故郷とは環境が全く異なるようであり、ならば分布する人種が同じとは限らない。
他にも、現時点で想定できる違いとしては他に「言語」の問題もある。
ソルファイドが【闇世】での暮らしですっかり『オルゼンシア語:古系統<ルフェアの血裔>』を習熟しているため、俺の迷宮内でのやり取りでは特段のコミュニケーション問題は生じていないが――古系統だとわざわざ世界法則から認定されている以上は、当然、"現代語"としてのオルゼンシア語があると想定してしかるべきであった。
この点については、一応、俺には【言語習得】の技能がある。
そこでソルファイドから彼の【人世】で使っていた言語を「従徒献上」させたのだが――。
――オルゼンシア語:オルゼ=ハルギューク系統<竜人>を定義。習得率57%――
といったように、少なくとも「竜人」訛のものが習得されたのであった。ソルファイド曰く、【黄金の馬蹄国】の騎士達と切り結ぶ分には不都合は感じなかったという話であるが……少々不安が大きいところである。
こうした点からも、最低でも"第一村人"を見つけて、観察し、学び、言語や人種の特徴といった辺りを見極めることができるまでは、徒にこの【悍ましき】異形の魔獣達の姿を晒すべきではないだろう。
なるほど"侵略"が最優先の目的であったならば、ひたすら引きこもって最終的に何百何千というエイリアンを増殖させてから――という道もあったのだろうが、それは今は必要無い。探しものの手がかりが【人世】側にある可能性がある以上、厄介で強大な勢力やら、魔人や迷宮領主と戦うことができる存在やらを呼び寄せてしまうわけにはいかなかった。
「ただし、表には晒さない、という意味だがな」
せっかく"バグ"か、はたまた更なる深淵に座す何者かの思惑に基づく横車によって公爵並の通過権限を得たのである。【人世】側でも俺自身が一から【幼蟲の創成】からスタートさせてこつこつと拠点を形成することもできたが――与えられたものは、利用しない手は無い。
副脳蟲達の首領である6体と交代して、現在4機の「ドゥオ」以下の汎用副脳蟲達が掌位を形成し、【闇世】と【人世】で【共鳴心域】を維持している。
その横で、順次労役蟲達が【人世】に送り込まれてきており、彼らには"裂け目"の周囲に壕を掘らせつつ……地下坑道の形成を命じているところであった。
ただし、滞雪と共にその寒波が直に地中にまで浸透してきたかのような冷気で労役蟲達の動きがかなり鈍く、作業効率が悪い。"暖"の代わりにと火属性砲撃茸も数基連れてきたが――文字通り山をうっすら覆う雪化粧の中では、昼の砂漠に持ち込んだ一杯のお椀の水並みに頼りないか。
……加えて、この"森林地帯"一帯は非常に水はけが悪い土質をしている。
ソルファイドの調査と走狗蟲達の偵察では、かなりの頻度で"沼"と"泉"が分布しているらしいことが判明しており、湿原や沼地というほど極端ではないにせよ、湿地樹林という程度には、少し掘っただけでも地面がぐずぐずと水気が滲んでくる有様。
【凝固液】で固めてなんとかしようにも、最果ての島の硬い岩盤層と異なり、同じ距離を"整備"するのに必要な労役蟲の労力は数倍程度では効かず、少なくとも地中に掘る、という意味での拠点形成は難航が予想されたのであった。
「最終手段としては、エイリアン建材を積み上げた"建物"方式も考えるが。それでも"異常かつ冒涜的に目立つ"から"かなり目立つ"になるだけだからなぁ」
「そもそも、この森林の中に拠点を作る必要はあるのか? 主殿。"裂け目"移動、とやらがあるのだろう?」
公爵級には"裂け目"への干渉権限として――なんと高位の迷宮領主には"裂け目"そのものの形を変形させたり、またその位置を移動させることができる、という力が与えられていた。
正確には"変形"――拡大と縮小を含む――は侯爵からであり、"移動"は伯爵から可能であるようだが、今の俺には、やろうと思えば【人世】においても【闇世】においても"裂け目"を移動させることができるのである。
「貴様という奴は……御方様がそれを試そうとして、昨日とんでもないことになったのを忘れたか、赤頭め」
「赤! あ! た! ま!」
「おい気をつけろ竜人め、グウィースが登る時は貴様のその物騒な"焼きごて"をしまえ。グウィースの肌が焦げたらどうするつもりだ、この武骨者めが!」
「赤……めだま?」
グウィースに命じて取ってこさせた、臓漿で包んだ目玉をル・ベリが取り上げる。臓漿嚢から切り離された臓漿は時間経過と共にその力を失うが、逆に言えば、それまではある種の生体保護膜としても活用することもできる。
抗議の意を込めてル・ベリの方に、予備の馬に飛び移る騎兵の如き体捌き飛び移ったグウィースを【異形:四肢触手】で押さえつつ――グウィースは遊んでくれていると思って蔓蔦で対抗しつつ――ル・ベリがぞんざいに目玉を、包んでいる臓漿の塊ごとソルファイドに投げ渡す。
「御方様からの褒美にして恩寵だ。だが、2つ下さるというところを1つだけとは……【心眼】とやらが鈍るとて、眼帯で覆ったままであれば変わらないだろう? ……やめろグウィース、耳を引っ張るんじゃない」
「うーうーうー! 僕が! 入れたかった!」
「はっはっは、グウィース。そのまま突っ込んだら定着しないかもしれないからな、ソルファイドには代胎嚢に入ってもらって検証してもらうんだ。それをちゃんと監視しててくれるなら、いいぞ」
「わかった!」
ソルファイドがル・ベリから受け取ったのは、俺が紡腑茸によって"紡いだ竜人の眼球であった。エイリアンには効かずとも、他生物、小醜鬼に効くならばと思って試したところ、3日かかったが見事に紡がれた代物。
当のソルファイドは、テルミト伯の甘言に乗って自ら抉り出した、言わば己の"不明"の象徴たる方の「左目」は、戒めのためそのままにしておきたいという。ならばということで、俺は「右目」の方を紡腑茸に紡がせたわけである。
ただ、今しがたル・ベリも訝ったように――どうもソルファイドは称号【心眼の剣鬼】の技能群が体にかなり深く"馴染んだ"らしく。下手に視力を取り戻して、感覚が狂うかもしれない、と露骨に眼球の復活を敬遠したのである。
技能という視点で見ることができる俺からすれば、なるほどそういうのもあるのかと納得できなくはない話であるが、ル・ベリが言う通り、問題があるなら眼帯で覆ってもいいし何ならまぶたを縫い閉じたり、検証さえ終わればまた自ら抉り出してくれても構わない。
前にも簡単に検討したが、この世界の魔法だとかそういうものを含めた医療技術次第では、将来的には臓器ビジネス(自生)という芽もあったからである。だが、まぁ少なくとも、リッケル戦での働きも含めた褒美として、テルミト伯の唆しによって奪われてしまった眼球は、俺の手で復活させてやりたかったというのが本音だ。
ル・ベリの頭の上を占領し、さらに蔓蔦を触手のように伸ばしてソルファイドの赤髪を引っ張りながら、我が第一と第二の従徒を引率していくグウィースを見やりながら、俺は"裂け目"に意識を戻す。
ソルファイドが述べた通り、"裂け目"移動を考慮すれば【人世】ではあの場所に固執する必要は無いのである――そしてそれは【闇世】でも、同じことが言える。
"裂け目"が動かせると知って、俺の頭の中に【闇世】で絶海の孤島に囲まれている状態から抜け出し、またル・ベリへの約束を叶えてやる"腹案"が一つできて、少しばかりかかなりテンションが上がったのであるが……。
≪燃えきゅぴたぜ……真っ白にな……≫
"メリーゴーランド"を部下きゅぴ達に任せ、現在はソルファイドが作った「風呂」で湯治中の副脳蟲6人衆。
――昨日、喜び勇んで【闇世】で"裂け目"移動を検証してみた、は良かったのであるが。
膨大な魔素と命素が俺の体内からも周囲からも吸い上げられて、しかも脳天からつま先までが乳酸のプールに叩き込まれたかのような"疲労"を代償に、何十分もかけてやっと数十センチ動かすことができる、という移動の困難さは、まだ想定通りだったのだが。
結論から言うと【領域】が全て解除され、迷宮経済の魔素と命素の収支が一時的に壊滅。
これにより【領域】内から維持魔素と命素を受け取っていた眷属達が混乱を来たし、特に幼蟲が大脱走。次いで労役蟲達のローテーションが大崩壊して物流や各所での工事が停滞。迷宮経済自体が大混乱に陥ってしまったのであった。
……そして、それを猛烈な頭脳労働(物理)によって対処し、対応した結果、副脳蟲どもは対リッケル戦ですら見せなかった疲労状態となり、ぶっ倒れた。「ステータス画面」にもきっちり項目として『状態:過労』となっていたのである。
「まぁ、うん、考えてもみれば当然だったな。"裂け目"は【人世】から魔素と命素を世界レベルで呼吸する通気孔。その位置が少しでもずれれば、周辺一帯の魔素と命素の流れや配置、濃度だとか密度だとかが全部連鎖的に影響を受けるわけだからな」
≪ひ、【人世】側で……検証すべき、だったのかな? 造物主様≫
「どうだろうな。確かにあの後【人世】へ行ってみたが、あっちの"裂け目"は1ミリたりとも動いていなかったが……だからといって、【人世】側で動かした結果、また同じことが起きたらかなわん。せめて対策か緩和策か、あらかじめ備えた上でじゃないと、この"大掃除"はやるわけにはいかないな」
≪あはは……あはは……超おもしれー……お祭り、あはは……ウーヌスがてんやぁわんやぁはは≫
「どいつもこいつもだが、ブレないな、モノは」
将来的には可能とする余地は大いにありつつも、"裂け目"移動という方策を今すぐに取るには準備不足すぎる。それで、俺は当面は【人世】側での本格的・大々的な拠点の構築計画は一旦凍結。今後の人里への監視と観察、それから森林での『因子獲得』を狙った生物探索を【闇世】側から随時小班を編制して、慎重に進める方向にシフトする心積もりでいた。
ただし、最低でも【人世】側の"裂け目"そのものは、やはり今のもろ出し状態よりは、隠しておけるならばそうした方が良い。最低限、それができる程度の地下の穴はなんとか掘り抜いて【凝固液】で固めさせて――せめて地中へと、一回だけ"裂け目"移動をかますつもりである。
≪うぅ~……うぅ~……! どんと、男はどんと、胸さんを張って困難さんに挑むんだぁ……!≫
≪イェーデンお願いだから……うぷ……黙ってて……耳が痛い……ぎゅびい、はきそう≫
胸も耳もそして吐くための口どころか胃腸すら無いだろお前らは、という野暮な突っ込みを心の内にしまいつつ、グウィースに【眷属心話】で小人の樹精達を副脳蟲どもの湯治場に送っておいてくれと頼む。副脳蟲どものことであるから、まぁこれでいくらか疲労の気が紛れることだろう。
話を戻そう。
【人世】では調査を優先としたわけであるが――何も"浸透"させない、とまで決めたわけでは、ない。
そもそも、このままでは調査をしようにも、素の状態では【眷属心話】の500メートル制限がネックであったが……それを解決したのが臓漿であった。
【闇世】に戻って、臓漿嚢の"第二陣"が誕生してから、また検証を行っていたのであるが、臓漿の"延ばし方"は、臓漿嚢にあらかじめ指示さえ出しておけば、ある程度細かく操作することができたのである。
何も指示を出さなければ、周囲に向かって垂れ流されながら環状、放射状に広がっていくが、方角を指定すればそちらへ重点的に、また形を指定することで――そこそこ細く、まるで糸か粘菌の移動のように"道状"に伸ばすことができたのである。
それでも人の胴体ほどの"細さ"が限度ではあったが……これを土や落ち葉や礫やら木片やらが混じった、わざと粗悪に作った『エイリアン建材』の"管"で覆えば、どうか?
少なくとも土中に、さながら水道管を通すかのように臓漿を張り巡らせ、延ばしていくことが可能。"覆い"があるため、上を走った際に臓漿嚢が"味方"であると判定した者への走力補助効果や"敵"と判定した者への走力減退効果――小醜鬼で実験済――は活用できなくなるが、魔素と命素の輸送、そしてエイリアン能力の一つである【共鳴心域】を通した【眷属心話】範囲の拡大は、【人世】側でも有効に働いたのであった。
拠点を形成するには慎ましすぎるが、しかし【眷属心話】の"中継地点"として考えるのであれば、延ばせば延ばした分だけ、一度の探索や調査派遣で柔軟に行動可能な距離を増やすことが可能。少なくとも"中継"のために、500メートル間隔で走狗蟲だか隠身蛇だかを1体置くとかいう「エイリアン一里塚」はやらずに済む、というのは大きな利点であった。
そして、臓漿の性質として、臓漿嚢からの連結を断たれると、急速に壊死して液体と固体の中間的タンパク質ぶよぶよスープと化し、時間と共に分解されていくことも判明している。万が一、発見された際には臓漿嚢側の"根本"から連結を断てば、最低でも撤収するための時間はあると俺は見込んでいた。
なお、"裂け目"の検証結果から予想通りではあったが、【闇世】側と【人世】側を直接、ひと繋ぎの臓漿によって連結することはできないこともわかっている。臓漿が連結していればその連結している"端から端"まで、転移を成すあの"銀色のもや"は覆ってまとめて転移させてしまうようであり、今のところ、その転移能力には限界が無いように思われる。
ただ、このせいで例えば【闇世】で生産した魔素と命素を、直接臓漿を介して【人世】に送り込む、ということはできない。
やはり【人世】側は【人世】である程度、独立した迷宮経済を形成しなければならないという大基本を、ただちに覆す妙策は簡単には見出だせないか。
ひとまず俺は、【人世】側に臓漿嚢を1基配置して、ひとまずは八方向に"覆い"を形成しながら地中を這わせて、少しずつではあるが【眷属心話】の範囲を拡大させているところである……なお、技能によって増大は可能だが、1基の臓漿嚢が維持できる臓漿の"総質量"には限界があるため、更なる浸透と浸食のためには、どこかで基数を増やして連結をさせねばならないが、その限界線の確認も兼ねている。
「こうなってくると、煉因腫では、維持効率の良い強化メニューが欲しくなってくるが……待てよ?」
【闇世】側で当分、大きな戦いや襲撃の可能性が無く、むしろ当面は【人世】における探索と調査のための隠密性や経済効率性が重要である、ならば。
小醜鬼「工場」が軌道に乗った今こそ、奴らの性質と性格を考えればダメ元であるかもしれないが――ようやく試してみることのできるものが、あったはずだ。
そう考え、俺はソルファイドをグウィースと共に代胎嚢に叩き込んできたところであろう、ル・ベリに【眷属心話】を送って"資源"としての小醜鬼を適当に見繕ってくるように指示を下し、アルファを呼んでから"奴ら"の溜まり場である『大産卵室』へ向かうのだった。





