0064 対【樹木使い】戦~坑道の戦い(1)
俺の迷宮の"胃腸"である『環状迷路』への23ある出入り口の全てがリッケルによって制圧。周囲を"根"によって形成された蜂の巣と蟻塚の中間的な構造物によって覆われる。それはちょっとした小屋程度の大きさはあり、さらに"根"で構築されているという特性上、地中にまで浸透した構造物であった。
≪完全に封鎖されたな、俺達をここから一歩も出すつもりは無いようだ≫
≪きゅぴぃ! 根っこさんから次々に『偽獣』さん達が生えているきゅぴ!≫
≪赤……竜人が言うには【根枝一体】という技でしたか。厄介な技ですな≫
最高標高地点の出入り口である『帰らずの丘』の大裂け目にはまだ【樹木使い】の軍勢は達していなかったが、それは『樹冠回廊』での制空権の争奪戦に副脳蟲達が相当の力を割いていたからに他ならない。しかし、そちらを巡らせていた各班も撤収させた今、ここが覆われるのも時間の問題だろう。
押さえた出入り口を根の構造物で完全に覆ってしまってどうするのだ、と思うかもしれないが――リッケルはようやく主力決戦を仕掛ける気になってくれたようである。
≪油断するなよ? 『樹人』どもの気配が無くなっている。少なくともその姿形は、どこにも見当たらない≫
≪変化さんしたってことだね!≫
壮絶に走狗蟲達と戦わせ、切り結ばせ、潰し合わせてきたが――【樹木使い】リッケルが操る系統である『偽獣』の本質は、あくまでも樹木であった。それが、根や枝を束ねてねじって折り曲げて、指定された"獣"の姿を象っているに過ぎないのである。
おそらくは生物としての個別の個体意識は、ある意味では俺の眷属達以上に希薄であるとすら思われた。
そして、そのような肢体であり生態であるが故に、彼らにとって「身体」とは交換可能な道具という側面がある。『たわみし偽獣』が複数集まって『撓れる虚獣』を形成し、またその逆に、自身の身体を構成する根枝葉蔓をばらして複数の『絡め取る偽蜘蛛』となる。
生物よりは無機物への変化が得意な『駒喰らい』、『家具喰らい』、『武具喰らい』という派生種もあったが――その本質はいずれも同じである。
そこが己の【領域】でさえあれば、此方と彼方が"樹木の構成要素"によって連なっていれば、【根枝一体】の力によって彼方で生み出された根や枝を構成要素として身体を再構築し、擬似的な"転移"を可能とする。
アンとアインスが気付いたところでは、敵側は俺の眷属の対応速度と反応速度に驚愕していたらしいが――俺から言わせれば技能【領域転移】の力を使っていないにも関わらず、領域内での迅速な戦力の移動と、転移前の位置に残された"木材"の再利用の能力は十分に厄介なものだったと言える。それは、副脳蟲達がリッケルとその従徒達を相手に散々指し合った「盤面遊戯」の中で、いやというほど味合わされたものであった。
≪御方様の叡智により、あのクズ木偶の奸計を見破られたからこそ、森を全て奪われずに済んだのが我らの僥倖でしたな≫
≪その通りだ。あのタイミングだったから、森を全て取られずに済んだ。地上部の森林が全部、奴の影響下に入っていたら――対策も立てられないうちに地下に封じ込められていただろうな≫
そして、リッケルの戦術の根幹を成す【根枝一体】を全面的に採用し、その特性を活かす上で『偽獣』の系統はまさにハマった存在であると言えた。
――現にこうして、入り口を囲い覆って塞いだ"根"の構築物の壁から、急速な新芽が生え、そこから新たな根や枝や葉や蔓といった植物の構成要素が雑に繁茂し、それを材料として次々に偽獣が"転移"して侵入してくるのである。
全てが「繋がっている」限りにおいて、【樹木使い】は施設も眷属さえもが一繋ぎの生命であり、まるで「生きている樹海」であるかのように振る舞っており――ただその中で唯一、植物ではない構成要素である「人間」の存在は、ともすれば不純物であるとすら言える。
≪『擬人』が真に厄介なのはまさにそこだ。ソルファイドの知識にも無かったならあれがリッケル=ウィーズローパー殿の奥の手だったんだろうが、人間の精神で思考して迷宮領主の力を振るっていながら、その身体は"植物"だからな≫
『環状迷路』の"隠し道"や"壁裏"に配置した走狗蟲や隠身蛇達が聞き耳を立て、その全身を床に壁に押し当てながら振動を感知することで、おおよその侵攻状況の把握に努めている。さすがに、坑道内に入り込まれたために視覚から得られる情報は限定的なものであったが――副脳蟲達の情報分析能力の前では、多少、立体地図上の赤い点が揺らぐ程度のものでしかない。
≪造物主様~、追加の労役蟲ちゃん達が~孵ったよ~≫
ウーノの緊張感の無い、間延びしたきゅぴ声が『司令室』に響く。
余談であるが、語尾に明確に「きゅぴ」をつけているのはウーヌスだけであったが――他の副脳蟲どもも"声"を発する時には擬音としての「きゅぴきゅぴ」が常に発されている。
変わることのない、その謎発声器官への疑念を新たにしつつ、俺は鷹揚にうなずいてみせた。
≪最上の理想は、こっちだけ先に【樹木使い】の浸透に気付いて、気づいたことに気付かれずに準備することだったんだがな。副脳蟲ども、労役蟲達を"工事現場"に送れ。予定よりも侵入してきた敵が多く、そしてこちらの戦力が削られすぎている。だが、これでやるしかない。労役蟲達の"突貫工事"が終わるまで、全力で遅滞させろ≫
≪あはは、あははは! 任せて、創造主様! 僕とウーヌスで仕掛けた罠さん達が火を吹くよ!≫
≪ル・ベリ、リッケルを見つけたら攻撃して構わない。だが、逃げるようなら追わなくていい。副脳蟲どもと連携してお前も転戦しろ≫
≪御意にございます……それでは≫
≪さてソルファイド。正直に言って、ずっと裏方をさせてきたが――暴れ足りなかったか?≫
≪我が『焔』と剣は主殿に捧げたのだ、勝つために命じられた全てを俺は為そう。それに、【樹木使い】を"木炭"にするのは、いい加減飽きたからな――だが、主殿のこれは面白い。とても、面白い≫
≪心が踊っているようで何よりだが、予定より敵の量が多いことの意味がわかっているな? 不眠不休のところ悪いが、まだまだ働いてくれ。追加の地点は追って知らせる≫
了解の意が伝わってきて、ソルファイドが動き始めたのを感じて俺は【眷属心話】を切った。
そして、必要あらば副脳蟲達による指揮に介入をするべく、立体地図を蠢く無数の"点"に意識を戻す。
――相手を数百という、"数"や"量"で捉えることのできる存在と見てはならない。
単純な"数"だけで言うならば、それこそリッケル側はいくらでも『虚獣』や『偽蜘蛛』へと偽獣を行き来させ、水増すことも誤魔化すこともできるからだ。
そうではない。それでは「一網打尽」にはできない。"先端"部分を叩き潰しても、繋がっている限り【根枝一体】によって「外周」や「外縁」部に逃げおおせることができてしまうのである。
だからこそ、その主力を坑道に引きずり込む必要があった。
いつでも海へ逃げ込むことのできる、海岸の拠点からその重い腰を上げさせる必要があった。
地上部の森林を明け渡すことにはなるが――繋がっているならば、むしろ都合が良かった。それほどまでに海岸の拠点から動かすことが最重要であったのだ。
それでも予定外の事態がいくつかある。
【樹木使い】の【領域戦】の強力さを甘く見ており、地下迷宮の坑道で迎え撃つ彼我の戦力差が大きくなりすぎたこと。そして"海中"から直接、俺の地下迷宮への接続路を"根"で掘り進んで構築してきたことであった。
幸い、現れた"根の道"は『司令室』や『大産卵室』を直撃するようなルートではなく、『環状迷路』を中心に迎撃可能な範囲ではあったが――それでも、それを考慮して強引な"拡張工事"を行わなければならない。
そしてそのための"足止め"を行い、より深くへと引きずり込んでいかなければならない。
≪場合によっては俺も出る。ベータ、ガンマ、カッパーは備えておけ。アルファ、副脳蟲どもと連携して遊撃しろ。破壊が優先だ、せいぜい、抵抗を押し返してじりじりと"侵食"してきてもらおうじゃないか≫
***
木造船団が多頭竜蛇に盛大に粉砕される様子を見せつけながら、海底に密かに文字通り"根"を張った際、リッケルは「海中」に"根の領域"を構築してプールした魔素と命素は温存する予定であった。密やかにして大胆なる"上陸"を敢行した後に、オーマに【情報戦】の時間を与えずに一気に大兵力を産み落として、速やかに森林に浸透するためである。
しかし、その企みが看破され、余計な時間を与えては「海中拠点」を攻撃されかねないと判断したため、海中にプールしていた魔素と命素を――目標量には達していなかった予備分――を一気に『生まれ落ちる果樹園』の構築に使ったのである。
この時点で生み出した兵力は、オーマがリッケルの木造船団の到来を知ってからの数日間で迷宮経済を増強して揃えた、走狗蟲200体に若干上回る程度であった。
しかし、乗員の健康を考慮しなくてよい、という意味での快足の"幽霊船"や"樹木型魔獣の船"で、2週間弱という距離を最果ての島まで何年もかけて「繋いで」きた"根の道"を考慮すれば、一時的に大陸側から大量の魔素と命素を送り込むことは可能であった。
【樹木使い】の軍量は【エイリアン使い】を瞬間的には超えており、荒らし合戦の場面でも終始、その有利は変わらない。
ただし【眷属戦】では副脳蟲達によって、その有利を生み出していた部分が後から解析され分析され対策され、翻弄されることとなるが。
他方、【領域戦】においては、アイシュヴァーク達3従徒は本格的な意味での「経済破壊」を防ぐことに成功していた。常時、送り出した偽獣の部隊が激しく破壊され激しく損耗させられ、しまいには捻れる欺竜という莫大な出費を強要されつつも――迷宮経済自体は、多頭竜蛇によって海岸から追い立てられ、海中の"根の道"が寸断されてなお、最果ての島で生産した軍量を維持するだけの基盤の構築に成功していたからである。
ただし、大陸側との迷宮経済としての一体性の寸断は逃げ道が無くなっただけでなく、本拠たる【疵に枝垂れる傷みの巣】への連絡手段が破壊されたことも意味していた。
極論を言えば、旗色が真に悪いのであれば、魔素と命素を吸い尽くすだけ吸い付くして"大陸"側へ当初の目的通り、テルミト伯を奇襲するために大返ししつつ「逃げる」という戦術もあり得たのである。
≪このまま"蓋"をしたら大人しくしていてくれたら良いんだけどね、「新人君」がさ≫
≪……それは無理でしょう、副伯様。多頭竜蛇を掻い潜りながら、再び"大陸"まで『網脈の種子』を伸ばすのを黙って見過ごしてくれるとは思えません≫
≪同時に相手をすることができないのが辛いところだね。だからこのまま、賭けるしか無い。"海中"側の方はどう? 作業は進んでいるかい?≫
≪つつがなく≫
≪それじゃあ、僕達はこのまま攻略を進めるとしよう。【樹木使い】に地下洞窟なんかで対抗することの愚を教えてあげようじゃないか≫
索敵と経路探索、威力偵察のためにたわみし偽獣達を洞窟内に走らせる。
この"迷路"は呆れ返るほど広大であり、また執念深さを感じられるほど細かく分岐し、隠し道が各所に配置されており、例えば2足歩行の生物にとっては、非常に移動しづらい立体交差であったろう。
しかし、今のリッケル達にはその影響は少ない。
【木の葉の騒めき】によって直接、互いの樹体を震わせて交信しつつ――リッケルはその四つ足を器用に動かして壁を登り、天井を這って、走狗蟲用の隠し経路を自ら一つ見つけたところであった。
たわみし偽獣の姿を"模倣"した状態で、リッケルは3人の従徒に呆れたような、楽しむような言葉を投げかける。
≪ほら、もっとちゃんと獣っぽく進みなよ君達。そんな不自然でぎこちない動き方じゃ、すぐにバレるか弱った個体だと思われてあっという間に狩られてしまうね、あっはっはっは――真面目な話、これこそが【根枝一体】の真髄だ。使いこなせなければ死ぬよ≫
そんな励ましでも叱責ですらもない煽るような発破に、3従徒は黙々と"体操"を繰り返しながら、偽獣達への指揮と情報の整理統合を進める。
時折、分かれ道の先などで敵の――例の強靭な後ろ脚とおぞましい足爪を備えた"基本種"たる異形の魔獣の姿がちらつくが、本格的な衝突にはまだ至っていない。こちらを奥深くまで引きずりこんで、迎撃をするつもりなのだろう。
だが、そう単純に行くかな? とリッケルはほくそ笑んでいた。
【樹木使い】の迷宮経済の本質は、複数の樹木が施設であろうが眷属であろうが、根によって一つに繋がれた一体性そのものにある。目に見えた眷属である偽獣達は、特に魔獣使役型の迷宮領主にとっては、つい自身がそうであるが故に"主力"と見なしてその動向を監視されがちであるが――真の主力は、各出入り口を覆ってそこから地下に向かって這い伸びさせる『根』そのものであった。
たわみし偽獣達による進撃と索敵と並行して、『稲妻の如く張り進む根』を始めとした数種の"根"そのものを、最果ての島の大地に浸透し侵攻させていたのである。
偽獣達の進んだ道を後ろから、坑道に張り出した"根"からさらに【根枝一体】により、新芽が芽吹いて『魔素吸い花』や『命素汲み花』、その他の"支援型"の植物を生やしていく。いかな「迷路」であれ、その端から壁や床や天井ごと根と蔦と蔓で覆い尽くしてしまえば、彷徨うこととも堂々巡りに陥ることとも無縁であり、文字通り、吸い尽くしてしまうことができる。
"短期決戦"とは、何も【眷属戦】で犠牲を払いながら押し潰して完勝することではないのである。
相手の迷宮経済を、むしろこちら側から積極的に干上がらせるための積極的な餓え攻めであり渇き攻めであり――その「防衛戦力」として、十分な軍量を擁することに他ならない。
≪あぁ、思った通りだ。堪らず、こちらの手薄な箇所の突破を試みてきたね?≫
≪し、襲来してきたのは……2号、5号、12号から17号、20号ですね≫
≪この狭い坑道では、純粋な力押しになるね。適宜、振り分けながら対応することとしよう。膠着するようなら一度退いても構わないけれど、周囲に"根"は残していくようにね≫
また「泥沼の泥仕合か」とケッセレイが露骨に嫌そうな声で呟くが、それが樹海での攻防と駆け引きとは異なることを、彼もアイシュヴァークもリューミナスも理解していた。
地上の樹海部分とは異なり、この地下坑道はほぼ確実に「新人君」によって【領域】として設定されているものであるとわかっており――偽獣達が押し込んで【樹木使い】の迷宮経済を構築した分だけ、その魔素と命素を奪って相手の迷宮経済に直接の圧迫を与えることができる。
その悪影響は魔素不足、命素不足となって施設の活動不全や眷属の弱体化という形で一気に現れるものであり、防ぐには、自らの眷属達に死戦か自裁を命じなければならない。
根を浸透させ、侵食させた分だけ、相手は死にものぐるいで反撃してこなければならない。
――そうした激しい抵抗が、各所で散発的に発生し始めていた。
≪泰然と押し潰していこう。深く入り込み、全てを吸い尽くしていくだけで僕達は勝てる。激しく抵抗しても、どんなに地上でやったみたいに駆け引きを仕掛けてきても、攻めれば攻めるほど兵力を損耗するだけ――追い詰められた彼は"火"を使うだろう。使いたくなるだろう。ここまで竜人を温存したのは、最後の乾坤一擲のためだ。そこは想定通りでよかったよほんと≫
≪確かに、奥に進むほど熱気を感じますね。ここまで露骨というのも、これだけ翻弄してくれた相手としては、それしか奥の手が無かったとはいえ。よくもやってくれたな、今度はこちらの番だ、と言ってやりたいですね……≫
≪さすがに"上位種"どもの突破力が凄まじいか。副伯様、"欺竜"を使う許可を――坑道内で満足に身体を振るえませんが、威圧効果は大きいはず≫
≪構わないとも。追い払ったら、そのままバラしてなだれ込ませてしまえばいいね!≫
≪リッケル様。奥に進んだ複数の広間で待ち構えているようです!≫
≪り、リッケル様! 罠です、床が丸ごと陥没して……なんですかこれ、固まって……動けない!? いや、これは【酸】が……!≫
オーマが基本構想を示し、副脳蟲達がその知恵を悪戯心を駆使した『環状迷路』。
その最大の特徴は、ただ単に複雑な立体迷路であるだけではなく――労役蟲達の"凝固液"によって構築された"壁"が通常の岩壁に混じっていることと、その凝固液の壁を噴酸蛆の【強酸】によって溶かすことで、自在に通路と経路を変化させることであった。
偽獣による"索敵"によって、確かに【樹木使い】側は多少の走狗蟲用の隠し道は見つけていたが――こうした「壁裏の道」を見落とした状態で奥深くまで入り込むこととなる。
それは、軽いジャブと誘いとしてオーマが仕掛けさせた、地上部での荒らし合戦を彷彿とさせるようないくつもの遭遇戦と襲撃に、またその手で来たか、と意識を向けさせたところでの、迷路内同時多発一斉襲撃であった。
いくつかの"出入り口"を覆う【根ノ城】から捻れる欺竜の首が根枝花蔓茎葉蔦芽から形成される。
同時に環状迷路の複数の箇所で天井が崩落し、凝固液と強酸が入り混じった液体が侵入してきた偽獣の一団にぶち撒けられる。
そして広間に到達した部隊の前にル・ベリと"名付き"達が率いる『襲撃班』が展開し、時同じくして『環状迷路』の"溶ける壁"もまた溶融してその箇所に詰めていた走狗蟲達がわらわらと溢れ出てくる。
ある襲撃が、他所の別部隊の動きに連鎖的に影響を与えることで、バタフライ効果による複雑な"追い込み"合戦となっていた地上部での荒らしとは異なり。
それは、迷路とその中の大小広間を舞台にした、全戦域での同時衝突である。
【エイリアン使い】オーマと【樹木使い】リッケルの戦いは、ここにその最終幕が開かれることとなった。





