0039 9氏族陥落作戦(5)
「馬鹿な、馬鹿なッ、馬鹿なッ! 断じてあり得ない断じて!」
【闇世】はハルラーシ地方が沿岸を臨む【鎖れる肉の数珠れ城】の『映写室』に、狼狽と怒りの入り混じった絶叫が響く。
城主にして【黒き神】の名の下に大権を預かる絶対者たる迷宮領主の一人である【人体使い】テルミト伯は、思わず椅子から立ち上がり、手にしたワイングラスを乱暴に机の上に叩きつけ――『映写室』の暗幕に映し出される光景を凝視していた。
竜人ソルファイドが予想外にも多頭竜蛇に手傷を負わせた頃までは、彼はむしろ上機嫌であった。
第一に、ソルファイドの息吹が明らかに強化されており、自らの"技"が先代を超えて『人族』以外にまで適用・応用可能なものであるとの成果が得られたからである。
第二には、ソルファイドの――"目"――を通して、竜種に対する対抗手段への理解が深まったこと。それは様々な意味で貴重かつ重要な情報であり、テルミト伯自身の今後の【闇世】における立ち回りをよりやりやすくすることのできる重大な知見であった。
そして第三に、自信はあれども確証こそ無かったが――【気象使い】の介入が無かったことを確認できたことであった。
かつての『竜公戦争』の生き残りにして【闇世】では最強の戦力を持つ大公であり、竜種の討滅に狂気を捧げる狂信者であり、その畢生の生業を邪魔する……つまり竜種に関わろうとするあらゆる迷宮領主を粛清する"屠竜狂い"の粛清者。
瓢箪から駒のように手に入れた竜人の運用にあたり、テルミト伯が最も検証したかったことはそこであった。
慎重な運用と根回しを行う中で、竜「人」として運用する分には【気象使い】の有罪判定には至らない。そしてそのような存在を配下とすることなく、あくまでも傭兵として用い、「竜対竜」の図式で、すなわち竜種同士の私闘という形を取れば、たとえ促したのが自分であっても、迷宮領主「が」竜種との戦いに関わったとはみなされない――そのことを確かめるために、彼はソルファイド=ギルクォースに対して、その心の奥底にあった「竜たらんとする」秘められた願望を刺激して送り出したのである。
そしてその検証結果は上々。
この件をテルミト伯に依頼してきていた協力者である【鉄使い】からの連絡では、【気象使い】の動向に異変が無いと伝え聞き、嫌味とともに胸を撫で下ろしたのが数日前のこと。
そして、今回の一件にあたっての最大の問題を解消したと楽観視し、ソルファイドによる島の探索を肴に溜まっていた趣味の研究計画に手をつけていたのであった。
それで、最大の懸案事項は解消されたはずであった。
「あり得ない、あり得ないッ、あり得ないッ! リーデロットの"息子"だと!? そんなことは絶対にあり得ないのだ、あれが孕むことなどは……【人体使い】の名にかけてあり得ることはないッ!!」
怒りと狼狽が入り混じり、折々にどちらかの色合いが増す。今また、何度目かの狼狽が勝る局面で、テルミト伯は疲れたようにどっかと椅子に腰掛け、その香油で固めたはずのオールバックの総髪をぐしゃぐしゃに掻き乱していた。
このように狂乱したのは何年ぶり、いや、何十年ぶりであるか。彼の若かりし日を知る【傀儡使い】が目にすれば、祝杯に嫌味を添えて引き出物の二つ三つ届けてくるであろう光景であった。そのことにテルミト伯も思い至ったようであり、自身の醜態を恥じてさらに怒りを深め、戦闘力の無い愛玩用眷属である『豚の尻』を歯ぎしりとともにぎりぎりと踏み躙る。
彼が叫ぶように呟いた通り、【人体使い】に仕えるあらゆる迷宮従徒は、その身体を徹底的に改造され、生殖能力を含めた"無駄"な機能を削ぎ落とされるはずであった――【人体使い】の地位を奪う以前のテルミト伯自身が、かつてそうであったように。
唯一の例外があるとすれば、大陸本土からは絶滅したはずの小醜鬼の生き残りが最果ての島に蔓延っているということ。
かつて『ルフェアの血裔』を穢すために生み出された種族であり、脆弱にして野蛮ながらもそのための特別な力を与えられていたこの種族ならば、業腹なことではあるが、あるいは【人体使い】の力を凌駕してリーデロットを孕ませるに至った可能性は、ある。
「だがその場合は"混じりもの"となるはずなのだ、なるはずなのだ……だが、なんだあれは、あの小僧は? 純種どころか【異形】に【魔眼】を開花させているだと――?」
この時ほど、危険を冒してソルファイドを従徒化させ、その瞳を通して【情報閲覧】を発動させることができるようにしていれば、と後悔したことは無い。
しかし【人体使い】としての見識と学識に掛けて、ソルファイドと対峙する青年が正真正銘の『ルフェアの血裔』であることを、詳しく観察すればするほど、テルミト伯は否定することができなかった。事実、『ルフェアの血裔』は小醜鬼と交わらぬ限り、純種を保ってきた種族である。
さらに、自らの知見と眼力がこの時ばかりは嫌になるほど、テルミト伯はその『魔人』の青年があらゆる点で彼の元従徒であったリーデロットの遺伝的特徴――髪色といい目の色といい、性別だけ入れ替えたリーデロット本人かと見紛うような容姿を備えていることを見抜き切っていた。
そして――。
「おまけにどこの馬の骨ともわからぬ"混じりもの"の方が迷宮領主か……【鉄使い】め、とんでもない物件を寄越してくれたものだ。奴はどこまで知っていた?」
"リーデロットの息子"と対峙する直前、ソルファイドが「迷宮領主」と名指しした、口の端を歪めた性悪な笑みを浮かべる、黒い槍を指揮杖のように振るう、黒瞳黒髪、異装の青年。
こちらはルフェアの血裔の特徴を備えながらも――むしろ【人世】の『神の似姿』の特徴を多分に含む、それこそどこから現れたかも見当がつかない馬の骨であった。特に、その黒髪が決定的である。『ルフェアの血裔』は【黒き神】の恩寵を受けた種族であるが、瞳と髪にその恩寵の色が宿る事例は【人体使い】をして寡聞である。
仮に【人世】からの落人であるとしても、少なくとも既存の迷宮領主達の【人世】に関する『共有知識』に伯爵の権限で知ることのできる知識には、該当する勢力も種族も存在しないことがわかっていた。
少なくとも「純種のルフェアではない」時点で、この男もまた"リーデロットの息子"の「父親」であることはあり得なかった。他に大穴があるとすれば――【人体使い】の"類似"の権能が生じた可能性を完全無欠に否定することは、それこそ『界巫』にしかできぬことである。
だが、操る眷属が、いささか条理から外れたように見える点以外は――典型的な『獣』タイプであると思われたことから、この可能性も即座に否定される。
「いや、そんなことはもはやどうでもいいのだ。私の、私が手に入れるはずの、『界巫』様から賜った迷宮核を掠め取ったな……馬の骨め」
問題は根深かった。
最果ての島の迷宮核を手に入れるためにこそ、多頭竜蛇と遭遇して生き延びることのできる竜人ソルファイドを派遣したが、それは島に大した勢力がいないことが大前提である。この何処の何者とも知れぬ「招かれざる客人」が居座っていると事前にわかっていれば――まとまった戦力を送り込む判断を自分はしていたはずだ、とテルミト伯は頭を抱える。
ならば、邪魔者として攻め滅ぼすか? テルミト伯の次の思考は、ソルファイドの目を通して映し出される様々な「異形の」魔獣達に向けられた。
「なんと醜悪な……目的到達主義もここに極まれりだ。この馬の骨は一体どんな"世界観"を持っているのだ? 型破りで許されるような造型では無いぞこれは!」
彼もまた歴代の【人体使い】の使命を引き継ぎ、神に至るための『黄金の比率』を目指す徒である。そのテルミト伯をして、およそその理想と思想の対極とも言えるような、まるで目的のためには生物としての発達の常識などかなぐり捨てて構わない、と全霊で主張せんばかりの冒涜的な造形としか言いようのない「おぞましい」眷属を見せつけられることが、不愉快極まり無かった。
それが彼の知識にある如何なる「魔獣」とも、どこか、根本の部分で定義が異なっているような直感が働くことも不快であった。そして皮肉なるかな、不快感によって冷静な思考が蘇り、狂乱が徐々に鎮まってくる。
ソルファイドの目がなんらかの手段によって潰され、暗幕に映し出される映像が途絶えた後も、テルミト伯はしばらく考え事に耽っていた。
やがて長い黙考を終えた後、テルミト伯は呼び鈴によって、自らの「最高傑作」を呼び出す。立ちどころ、音もなく優雅な所作で現れた、瓜二つの顔をした執事姿の少年とメイド姿の少女が傅き、主人の次の言葉を待った。
「エネム、ゼイレ、私の最高傑作達。【樹木使い】の元へ行くので、すぐに準備を……いいえ、力攻めではありません。業腹ですが、非常に腹立たしいですが、奴の停戦交渉に応じてやりましょう――あぁ、それと【鉄使い】への連絡を。あの異常性癖の道化者とは同じ空気を吸うのも悪寒が走りますが、この際だ、奴に確認しなければならないことがいろいろありますからね」
斯くして、【エイリアン使い】の存在が【闇世】において認識され、歯車は少しずつ回っていく。
***
噴酸蛆ベータの一撃が、どう計算してもあり得ない空間跳躍を経て竜人ソルファイドにぶち撒けられた結果、俺は窮地を脱した。その際に、迷宮核からのものすごく嫌な感じのするシステム通知があったが――それの確認は後回しだ。
『酸爆弾』によって、おそらく一時的だろうが、その唯一の片目を潰されたソルファイドが、激昂したのか混乱したのか、瞬間的に周囲に火炎をばら撒いたのである。
瞬間的に加熱され「酸の蒸気」と化した噴酸蛆の強酸が一気に小醜鬼達を包んだのである。しかもそれは、老祭司ブエがその声を届けるために【風】属性の音声伝達魔法だかなんだかを展開していたことで、被害が拡散する結果となっていた。
死なないまでも、特に"詠唱"を行なっていた多数の小鬼術士が被害に遭い、激しく喀血してその半数近くがもんどりうって崩れ落ちたのである。
それがシャガル、ゴゴーロ氏族の連合軍の行進に大きな分断を産んだ。
狼狽するブエ=セジャルを尻目に、暴走状態になったのか、最初から小醜鬼は戦力として当てにしていなかったのか、竜人ソルファイドは進軍を止めない。放たれる熱気が彼の周囲に近づこうとする小醜鬼の戦士達を燻すため、大きく距離を開けながらも、付いていくものはまるで恐れ畏怖するかのようにといった具合で。
――その歩みが遅かったため、俺は戦線獣アルファの肩に担がれながら、多くの負傷者を出しながらも、走狗蟲達の部隊を率いて「迎撃の裂け目」の手前、鍾乳洞に繋がるように地下の空洞を地上に向けて掘り抜いた入り口の一つまで撤退した。
撤退の道中、後方から元気な小鬼術士が追撃の魔法を放って来ようとしたが、イータ率いる遊拐小鳥部隊が空中から一撃離脱の襲撃を繰り返すことで妨害している。また、南東方面から大返しをしてきた「6氏族陥落」を担当していた「掃討班」と「遊撃班」が合流し、激戦で疲弊した「西部方面」の班と交代してゲリラ戦を仕掛けたことで、小醜鬼達の歩みはさらに妨害されたのであった。
ただ、さすがに小醜鬼達に関心が薄いといえども、間合いに入り込めばソルファイドは容赦なく「火竜骨の剣」による一撃を浴びせてくる。それは、当人の技量と魔剣の力、そして俺の眷属が【火】にどうも弱いか苦手としているらしいことと相まって、走狗蟲程度では正面から斬られれば一撃で斃されてしまう。
しかし――ならば間合いに入り込まないようにしつつ、小醜鬼達をソルファイドの近くへ近くへと追い立てれば良い。傷つき倒れ、さらには火気にあてられて燻されて倒れた仲間を置き去りに、踏み捨てながら小醜鬼達は、目先の命を得るためにソルファイドに付いてく他は無いのである。
そうして、坑道内へ。
人間松明のように煌々と紅く妖しく地下空洞を照らしながら、ソルファイドは、魔力的な繋がりによって呼ばれているかのように真っ直ぐ、枝分かれの坑道に出くわしても正しい道を選んで踏破してくることが、監視において走狗蟲達から【眷属心話】を通して何となく伝わってくる。
酸素が少ない空間で、激しく燃焼された二酸化炭素でも一酸化炭素でも発生して全滅しないかと期待したが……身を焼かれることを覚悟したブエ=セジャルとその生き残った弟子衆が【風】魔法によって通風を確保したようであり、その線も薄かった。
――そして、場所は地下空洞から坑道の分かれ道をいくつか抜けた先。
労役蟲達によって、既存の小さな地下空洞を拡張した『広間』の一つで、合流したもの達のうち「群体知性」によって自然とその場で迎撃するに相応しい元気な個体達を抽出した走狗蟲達と共に、俺はソルファイドを待った。
そしてその場には、"名付き"達のうち戦線獣ガンマとデルタ、隠身蛇のゼータ、遊拐小鳥のイータが合流し、アルファの麾下に入って並々ならぬ闘志と気迫を、ソルファイドが来る方に牙を剥き出して低く咆哮を唸らせていた。
≪ル・ベリ、例のブツは取れたか?≫
≪……御方様の叡智に畏みます。確かに、確かにこれならば――あの"竜"気取りのトカゲ野郎に一泡も二泡も吹かせることができましょう≫
≪俺は縁を信じる。この島で最初に巡り合った部下が、同志のような存在が、お前だったことには意味があるんだろう。お前がいなければ、俺はもっと苦戦していたかもしれない。我が従徒ル・ベリよ、お前がいるから俺は勝算があると、俺にとって納得できる"勝利"が得られると確信できるのだ≫
≪……浅学非才の身に、あまりにももったいなきお言葉。我が身に代えても≫
≪お前だってあの"使徒"サマに聞きたいことが色々あるだろう? 無理をせず無理をしろ。能わくば奴を捕えろ≫
≪……御意≫
『広間』の一角と天井に走狗蟲達を配置し、四方八方から襲いかかる陣形で陣取った俺達の反対側。
複数ある坑道のうち、1つがまるで日の出のように橙色に煌々と照らされだす。そしてしゅうしゅうと、鍾乳洞内を流れる水滴が細かく焼き飛ばされていくような音が聞こえてくる。
「お出ましだな、第2ラウンドと行こうか――"肉壁"を出せ!」
***
今より遡ること、200の春と冬が巡る昔のこと。
『大陸』において"絶滅作戦"の憂き目に遭い、迷宮も『都市』も避けた極限の環境の中で、魔獣達に襲われ食われながらも細々と生き延びてきた小醜鬼達の最後の生き残りの集団があった。
彼らは――『導き手』とも『擾乱者』とも呼ばれたとある強大な存在による"目溢し"を受け、絶滅作戦の中で辛うじて生き長らえ、遠く遠く、多頭竜蛇の庭とも呼ばれる魔境の海を越えて『最果ての島』まで辿り着いた。
この、最初期の小醜鬼の小集団の頭目の名を"ゴゴーロ"と呼ぶ。
その後の小醜鬼達の絶え間ない争いと分裂の歴史の中で、ゴゴーロの子孫達もまた争いに敗れた派閥が元の縄張りから抜け出すことで氏族は分裂していき、今に至る『最果ての島の小醜鬼11氏族』が形成されているが――つまり、各氏族の"氏族長筋"と呼ばれる大柄な小醜鬼はいずれもゴゴーロの子孫であった。
故にゴゴーロ氏族は最果ての島の小醜鬼氏族の中では"最古"であると同時に、多くの祖先の歴史や知識が野蛮な暮らしの中で失伝しつつも、唯一、ゴゴーロ氏族では「どの氏族もゴゴーロの子ら」という認識だけは伝えられ続けた。
その中にあって、ゴゴーロ氏族こそが島の支配者であり、他の氏族は全て従うべきものである――という考えが残り続けてきたのである。
そんなゴゴーロ氏族の"氏族長筋"であるミグ・ゴゴーロは、暴力に優れる大柄な体躯を擁しながらも、小鬼術士の魔術に傾倒する「変わり者」であった。氏族長の座を争うライバルとなるような強力な兄弟がいるわけでもなく、次期氏族長の座は安泰であると思われていた矢先、シャガル氏族から"追放"されてきたという一体の小鬼術士が扱う数々の「魔法」にミグ・ゴゴーロは魅了される。
そしてその小鬼術士を「師」とするも――学ぶべきことを全て学び終えるや、その首を取って手土産にゴゴーロ氏族を出奔、そのまま師の師であるはずのブエ=セジャルに直接師事するようになった。
ミグ・ゴゴーロ自身は、必ずしも小鬼術士として大成したわけではない。単純な魔術比べ、呪詛比べの実力であれば兄弟弟子達の中でも下から数えるべき実力である。
しかし彼には、ゴゴーロの子孫という強烈な自負と"氏族長筋"として並の小鬼術士達には持ちえぬ強靭な体格があった。魔法の力を補助的に用いつつ、戦士としても戦うことができるミグ・ゴゴーロは、老師ブエ=セジャルの護衛という地位を得たのである。
と同時に、ブエ=セジャルはミグ・ゴゴーロの「ゴゴーロ氏族の次期氏族長」という価値を理解していた。そしてミグ・ゴゴーロを、氏族長筋の戦士としてではなく――「祭司」としてゴゴーロ氏族へ帰還させたのである。これにより、ゴゴーロはブエの生涯の試みの中で、氏族長に代わり「祭司」が氏族を取りまとめる最初の氏族に変わったのであった。
そして、小さな火を起こすことしかできない【火】の魔術ではあるが、自分に逆らった小醜鬼に"焼き印"をつけることを趣味としながら、ミグ・ゴゴーロが氏族の掌握を完遂する中で、ブエ=セジャルからの「使徒の下に集うべし」との檄文が発せられたのである。
時同じくして、常ではありえない多数の亥象が集落の中心部へ突入してくるという事件があったが――ミグ・ゴゴーロはこれを師直伝の『発疹』『掻痒』の呪詛を扱う小鬼術士の集団の助けを借りて撃退することに成功。
先行させた戦士団には後れを取ったが、野獣達の突入によって混乱した集落を落ち着かせた後に、直ちに駆けつけた頃には、師が"使徒様"と崇める強大な【火】の力を持つ竜神様に近い気配をもった存在の圧倒的な火気を振りまきながら、見たこともない異形の化け物達を蹴散らしている姿を目の当たりにして、ひれ伏したのであった。
この、ミグ・ゴゴーロが連れてきたゴゴーロ氏族の小鬼術士の集団の存在が、老祭司ブエ=セジャルをして倒れた弟子達を捨てて"使徒"の歩みについていく決断をさせたとも言える。
その先頭に立ったのは、小鬼術士としてだけではなく戦士としても頼りにされるミグ・ゴゴーロである。もし、オーマが彼を【情報閲覧】することができていれば上位職業である『呪術戦士』を観察できただろう。
そして、地下空洞を通って"使徒様"に続いて坑道へ侵入後、『広間』の手前でのこと。
「攻め込め、小醜鬼の雑兵ども」
という"使徒"ソルファイドの命に一も二もなく従い、名誉欲と野心に駆られたミグ・ゴゴーロは護衛していたはずの老師をも放り出して、戦士達の先陣を切って突入する。
だが、そんな小醜鬼戦士達の前に意外な存在が"壁"となって現れた。
「ナンダアイツラハ?」
「ゲ……アレハ、れれー氏族トむうど氏族ノ奴ラデハ?」
シャガル、ゴゴーロの2氏族を迎え撃つにあたり、オーマが引っ張り出したのは「競食作戦」で壊滅させた、旧レレー氏族と旧ムウド氏族の奴隷達であった。奴隷達に木の槍と盾を持たせ、冷徹に、露骨に、竜人ソルファイドに対する"肉の壁"にしようとしたのである。
【竜の憤怒】に身を委ね、心を焼かれながらも、闘争本能によってそれを察知したソルファイドが、露払いをさせるために小醜鬼達を差し向けたのである。
この展開は予想してはいなかったものの、"使徒様"に並んで異形の魔獣と戦うことができる――と意気軒昂となっていた戦士達がいきり立って罵倒や侮蔑の言葉を旧2氏族の奴隷達に向ける。彼らは小醜鬼らしい酷薄で野蛮な表情が抜け落ちており、さながら捕らえられた山羊か鹿のように従順な様子であったが……その後方には恐ろしいオーマの眷属達が目を光らせており、逃げるという選択肢は無い。
しばらく一方的な罵声の応酬が続いたが――やがて業を煮やしたブエ=セジャルの、早く攻撃をしろという怒声が【風】魔法に乗って届いてくるや、ミグ・ゴゴーロは酷薄な笑みを浮かべ、杖代わりでもある大棍棒を振るって勇んで駆け出したのである。
――そして『広間』の中ほどまで、戦士達と共に踏み込んだ、その時のことであった。
いきなりずぶりと足が地面にのめり込む。それまでただの洞窟の岩盤だと思っていた地面が、まるで泥沼のように溶けるかのように歪んだかと思うや――次の瞬間には激しい白煙と共に空気を焦がすような音が辺りに充満。
まるで泡立つように、ぬかるんで溶け崩れた地面が一気に崩落し――瓦礫と泥の欠片がシチューのように入り交じる"泥濘"と化した地面に、ミグ・ゴゴーロも、突入した戦士達も一気に飲み込まれてしまう。この際、ミグ・ゴゴーロは運悪く頭部から泥濘化した地面に頭を突っ込ませてしまい、窒息の末絶命。ここに"ゴゴーロの意思"を継ぐ血筋はあっけなく途絶えてしまったのであった。
――これは小醜鬼達には知る術も全く無いことであったが、【エイリアン使い】オーマは更なる「崩落の罠」を備えていたのであった。それも、ただ単に坑道の支えを崩して地上ごと落盤させるものとは異なり――労役蟲の【凝固液】を一定の比率で水と混ぜた岩礫塊が、噴酸蛆の『強酸』によって液状化するように溶け崩れる現象を発見しており、それを利用した罠であった。
ソルファイドはその意味では、この罠の存在をも戦士の直感として見抜いたわけであったが、小醜鬼達にはそこまでの知能は無かった、ということである。
ただし、ソルファイドを簡単に泥濘に閉じ込められれば御の字であったとて、オーマの本命は引き続きの"時間稼ぎ"。【異形】を走狗蟲達に自ら断たせる深傷を負ったル・ベリが、死力を尽くして「切り札」を持って戻ってくるまでの時間稼ぎに徹する構えであった。
故に、ミグ・ゴゴーロ達突入した戦士達が泥沼に嵌った、まさにそのタイミングに合わせてのオーマによる号令一下。
『特別襲撃班』に属していた"名無し"の戦線獣の突撃を先頭に、十数体の走狗蟲が跳躍し、前足と足爪と長い尾を器用に駆使して天井に壁に飛び移りながら、泥沼に嵌った小醜鬼達を翻弄。踏み台にしつつ、元気のある者にトドメの一撃を入れながらも――その捕食者の眼光は後方、泥沼に踏み込んでいなかった第二陣に見定められている。
たちまちのうちに獲物が見定められていく。特に、あまり混乱していない比較的冷静な小醜鬼から鋭い足爪の一撃を叩きこまれ、瞬く間に集団としての混乱を助長されていく。
加えて、押し包むように壁を這いながら拡散し、小醜鬼達が逃げられないように天井からも威圧。戦線獣達がいる方へ強制的に追いやっていく。そして狭い空間で戦線獣が腕と爪を振り回し、文字通りゴブリン達をすり潰していく。
狂乱した小醜鬼達もただでは負けぬと反撃の槍を繰り出し、戦線獣が体中に負う傷は走狗蟲の比ではなかったが――その闘争本能は、攻め込んできた小醜鬼の戦士達を殴り殺し尽くすまで止まるところを知らなかった。
なお、この時点で囮の役割を果たした旧2氏族の奴隷小醜鬼達には逃走の許可が出されてはいる。
しかし、侵入してきた小醜鬼戦士とその後方から魔法を放ってくる小鬼術士への急襲が優先され、少なくない数の奴隷小醜鬼が戦線獣による「挽き肉製造」の巻き添えとなり、あるいは反対方向に逃げ出して、竜人ソルファイドが放つ火の剣気に焼き刻まれてしまう。
それをむしろ追いかけ、追い立てるように走狗蟲達は天井を壁を跳躍して一気に小鬼術士の集団まで迫るが――火竜骨の剣『ガズァハの眼光』が紅く朱い軌跡を縦横に描き、数体の走狗蟲が焼き切り捨てられ、両断された傷口を炭化させながら悶えて崩れ落ち事切れる。
酸による目潰しを喰らい、唯一の片目も閉じた状態からは考えられぬほどの集中力であった。
「暴走するならきっちり理性まで無くせってんだ、死にたがりめ。だが、その動きは実は狙い通りでもある」
オーマが独りごちる中、瞬時に「群体知性」的理解によって警戒レベルと群体としての行動パターンを変化させ、走狗蟲達が一気に飛び退いて竜人の剣技の間合いから距離を取る。
ソルファイドはむしろ――邪魔な小醜鬼戦士達を露払いに使って処分しつつ、支援役としては多少は都合の良い小鬼術士達を守るように、尾をも使った「3点跳躍」によって一気に『広間』へ飛び込み、"泥沼化"の効果が失われて再び完全に【凝固】した中に生き埋めになった小醜鬼達の体の一部がはみ出たり、走狗蟲によって引き裂かれたり、あるいは戦線獣によって蹂躙された臓物の畑の中に降り立ち、全身から血が噴き出すように放たれる火気によってそれらの有機物を次々と炭化させていくのであった。
にわかに、オーマの前後左右に侍る"名付き"達の眷属としての純粋なまでの闘志と主の敵に対する殺気が爆発せんばかりに膨れ上がる。
ソルファイドが『ガズァハの眼光』の切っ先を、ベータの『強酸』を食らって目が潰れて前が見えないにも関わらず、真っ直ぐにオーマに向ける。
対し、火気の熱気に2種類の意味での"汗"を垂らしつつも、ここが最終防衛地点であると自分自身に叱咤してソルファイドを睨めつけるオーマ。
数秒の膠着の中で、ソルファイドは多頭竜蛇と対峙した"先読み"の世界で――むしろ盲目となったことでより研ぎ澄まされた感覚の中で、幾千万の剣筋を異形の魔獣達と切り結ぶ。
そしてそれを吹き飛ばすかのような、戦線獣アルファ、ガンマ、デルタによる【おぞましき咆哮】が洞窟内に爆音のように轟いたのが、戦闘開始の合図となった。





