0262 鮮血と退廃の都に交錯する死戦(5)[視点:その他]
11/2 …… キプシーの特徴について修正
4名の戦士と剣士の生死のやり取りを讃えた剣舞・演武。
その趨勢が直接自身の生死にも影響を与えるや――とわかりつつ、”人売り”キプシーはくるくるとその双眸を観察に徹底させる。
わずかでも剣閃の軌道が読めれば儲けもの程度の心構えではあったが、それでもその「わずか」の積み重ねにより『高級斡旋所』店主ラクーギーをなんとか安全圏まで退かせることはできていた。
彼もまた、伊達に多種族の欲望がぶつかり合い、さらに、それを血肉のるつぼの如く煽り呷る吸血種達が糸と手ぐすねを引く退廃の商都で『斡旋所』を任された【氏族連邦】の商人ではあったか。キプシーに与えられた、この虎口からの離脱の好機を捉え、ラクーギーが生き汚く退散していく。
その有り様を左目の眼光で視やりつつ、キプシーは、これほどの騒乱であるにも関わらず未だ街の治安部隊が現れないことから、独自にその裏を推察する。彼の思考は、ほぼ、アシェイリとその背後にいるであろう、いずれかの吸血種集団の元締めの思惑に向いていた。
だが、そんな思考も束の間が過ぎる頃には、脇に置かれる。
キプシーの右目の眼光は、剣戟と魔撃を交錯させあう4者を挟んださらにその反対側。
技能【隠謀透徹】により、ただ一人、この一連の騒乱が始まるその前からずっと注目していた、ただその人――”爛れ眼”殿に、さながら釘のように打ち注がれていたからである。
乾燥地域、特に砂漠帯に住まう民に特有なる全身どころか顔中までをも覆うフード。
そしてその奥で、重度の皮膚病を患った後遺症を隠しでもしているかのような、包帯でぴっちりとぐるぐる巻きにされ素顔の分からぬ顔貌であるが、ただ、その剥き出された”爛れ眼”だけが奇異強烈な存在感を放つ人物である。
ただ、思いの外その体躯は小柄であった。
どこからともなく護衛として現れた女戦士クィンフォルの偉丈夫さと比べれば、それはより際立っているのである。
だが、果たして乾燥かその他の要因のために喉がやられているのか否か。
いささか掠れてはいたが、注意深くその掠れを除けば、どこか少年のようにも聞こえる……しかし、深慮と老獪さと熟達した思考を湛えた声色が、彼の小柄さを補って余る風格を漂わせていた。
――技能【天命紙背】は、迷宮領主達の【情報閲覧】のような、氏名をも暴き見通してしまうような超常ではない。
だが、キプシー=プージェラットはその”旅侠”としての経験と目利きにより、ほとんどその少年にして青年にして老人なる”爛れ眼”殿の正体を断定していた。事前の知識と併せれば、彼こそは【光砂国】の商都でも特別な地位を占める、滅多にその動静に関する情報が漏出することのない”大物”に相違ない。
そしてキプシーは、称号が称号を喚ぶ、というこの世界の法則の一端をその【瞳】で実際に幾度となく視てきていた。
ならば、とその双子月の眼光を共に”爛れ眼”殿に注ぎ、彼が何かを短く眼の動きと顔の動きでクィンフォルに指示したのを見て取るや、次いでクィンフォルが「ただの」カイ=センという名前の少年を――【英雄雛】などという仰々しい運命を持つ――確保するためにその戦闘スタイルすらも変化させたのが素人目にもわかるほど大きく動くのを、キプシーは視ていたのである。
対デウフォン=サレイアにおいて。
”爛れ眼”殿からの目配せに一瞬だけ面倒そうに眉をひそめた、次の瞬間のこと。
受けと流し、弾きに重きを置いていたクィンフォルの動きが明らかに変わり、さながら、自らがその構えたる抜き身の剛剣そのものとなったかのような雷を思わせる瞬歩でカイ=セン少年に駆け寄ったのである。
だが、それを許す【剣魔】ではない。
キプシーが見通していたのと同じように、かのフィーズケール家の剣愚なる青年もまた、彼が注目を寄せるところの戦士たるクィンフォルの行動の変化には十分な洞察を加えていた。
斯くして即応するが如く、デウフォンが仕掛けたのは、至極単純な牽制。
彼は各複合属性の【魔剣】の殲跡を幾条と生み出し――それをカイ=センと、そして”爛れ眼”殿に向けて、さらについでとばかりにキプシーに薙ぎ放ったのである。
クィンフォルにとって、本来の任務である”爛れ眼”の護衛と、当の”爛れ眼”殿から示された最優先扱いの指令の遂行としてのカイ=セン少年の確保を同時に撃つ、いわば「王手飛車取り」とでも言える状況。
デウフォンの狙いは紛うこと無く、彼女が己との戦場から逃亡することを咎めることと、同時に、彼女がそうまでして達そうとする眼前の目標に圧力を加えることにより――その実力の底をさらに推し量ろうという意図なのであろう。
そしてついでにキプシーにまで魔法の斬閃が襲いかかってくるのは、クィンフォルが四戦士の剣域から抜けて均衡が崩れたことで、ネフェフィトとアシェイリが肉迫・切迫してくることをも同時に牽制せんとする「王手飛車角取り」の擬きとでも呼ぶべきであるか。
だが、そのような驕れる【剣魔】の思惑は、まさに彼が両の両取りを狙った3方向から覆されることとなる。
まずはキプシー。
彼自身は”荒事”が専門や担当ではないが――”旅侠”においては珍しい――それはそれが苦手である、ということを意味するものではない。キプシーを狙った【風】と【氷】の氷獄めいた死の煌めきを放つ魔剣の軌跡を前に、ネフェフィトが救援とばかりに飛び回らせ『踊る刀剣』をその【異形】による動体視力のまま無造作に掴み、斬撃と氷撃の合間を斬り縫い通るように凌いでみせた。
そして次に”爛れ眼”殿。
デウフォンの興味の関心が女戦士達から、この異国・異郷の出身であること明らかな異人の青年らに向きつつあったならば――彼は見事にその狙いを果たしたであろう。
3属性の複合魔法【マイシュオスの熱砂風】をそのまま【魔剣】の形で再現し、さらにそれを【魔槍】に変化させたような剣閃に対して、”爛れ眼”殿の爛れた眼が暗くも宝玉のような赤黒色の輝きを放った、かと思うやその刹那。
どこからともなく彼の周囲に黄灰色の流砂が澎湃の如く逆巻くように噴き上がり――否。
それが砂ではないとキプシーの【異形】の瞳が見抜く。
まるで豪雪地帯に現れる樹氷の砂漠版とでも言うべき分厚い砂の像と化していく”爛れ眼”殿を、意思を持った砂粒の大群として覆い隠し尽くしていったのは、その一粒一粒が非常に微細な、だが、独立自律して動く小さな『蟲』達なのであったのだ。
”砂蟲”と暫定的にそれらを認識・呼称するキプシーが『踊る刀剣』ととても初めてとは思えぬほど息の合った殺陣を披露しながらデウフォンの【魔剣】をくぐり抜ける眼前、対岸にて、”爛れ眼”は全身を『砂蟲の鎧』とも『砂蟲の蛹』とでも呼ぶべき状態に全身を包みこんで【魔剣】版の【熱風砂】に飲み込まれ、しかし、それを打ち払うように凌ぐ有り様が繰り広げられたのである。
偉丈夫たる女戦士クィンフォルに護衛を任せつつ、しかし”爛れ眼”殿は、彼自身が想像以上に戦える存在であることをここに誇示したと言えよう。
……そして、それを視たキプシーは、誰に向けるでもなく思わぬ呟きを口から漏らしていた。
「これは森人の技か? ……シシシシッ。だけど、この俺が知らない”枝”とはねぇ?」
――『砂エルフ』はこんなことをしない、という言は彼の心話でのみ続くのみ。
微かな【混沌】属性の魔素の流れを、キプシーは感じ取っていたからである。それは、彼が想定していた”爛れ眼”殿の素性について、いささか、いや、相当程度”旅侠”としての命綱であるはずの「情報」が全く不十分の塊であったことを突きつける事柄でもあったからであった。
そしてそのような観察するキプシーの視線に、気づいているぞ、と応ずるように爛れた赤黒い眼差しもまたこの【魔剣】の災厄の対岸から覗き返してくるのである。
だが、本来であれば――つまりこの舞台を参加者達に強制している張本人である侯子デウフォンの趣向において――『よそ見をするな』とでも言わんばかりに薙ぎ放たれるべき追撃が、無かった。
”爛れ眼”殿の「隠し玉」は既にキプシーの見立てる限りはその興味と試しを十分に刺激しうる水準であったろうが、しかしデウフォンは”爛れ眼”殿を己の剣域に招待する素振りを見せることはない。
至極単純なことである。
【剣魔】は、それどころではない状態に陥っていたからであった。
思わずキプシーも、その双眸の眼光をくるくる回すのを止め、見開き、見入るように硬直させるような現象が起き――それがデウフォンによる「王手飛車角取り」を覆す第三の迎撃であると、すぐには理解できなかったからだ。
――紫彩の雲とも霧ともつかぬ「窓」がそこに在った。
それは「窓」である。
今、彼ら彼女らが居て、闘争と生存を賭けた狭間でぶつかり合っていたはずの「この場」は、欲望の商都シャンドル=グームの一角を占めていた高級奴隷商店が【剣魔】侯子の殲滅魔法によって瓦礫と化した戦場である、はず。
それは変わらない。この「世界」は、なにも変わっていない。
――だが、そこに「窓」があった。
さながら空間が縦でも横でも高さでも斜めでも奥行きでも、時間でもない、何か別の角度か、はたまたは折り畳まれた”泡膜”によって切り取られたとしか表現のしようの無い、境界がくっきりすぎる「窓」が開いており。
その「窓」の向こう側には紫色を中心とした極彩絢爛の雲やら霞やらが混濁と煌めく【景色】が広がっており――だが、同時にそれは、くっきりはっきりと、まるで【空間】魔法を使って異なる【領域】を無理矢理に切り取って繋げたとしか思えぬかのように継ぎ足されたような光景であり。
そして半透明に「この世界」と重なるように、重ね合わされるように、わずかばかり、元のその位置にあった瓦礫が崩落した跡が”透け”て見えており。
――デウフォン=サレイア・フィーズケールが撃ち放った【魔剣】は、その【景色】の中に。
否。
【剣魔】と称された侯子その人ごと、現世にくっきりと切り取られ、こじ開けられたるその【異界】から溢れ出し半透明に重なり合った【景色】の中に包みこまれ、纏わりつかれ、取り込まれ、閉じ込められたかのように、スライム系の魔獣に飲み込まれでもしたかのような状態でごぼごぼと口から気泡を吐き出しながら、呑まれ拘束に近い状態で縫い止められていたのであった。
異なる現象に、異なる法則。
此方の世界に開かれた、彼方の世界に通じる扉、あるいは窓、あるいは裂け目としての通り道。
それは紛うこと無き【異界】と呼ばれる作用である。
だが……【闇世】の住人として、”旅侠”としてのキプシーが知る本来の【異界】ではない。
この法則を、デウフォンは元より、キプシーもまた知らなかったからである。
かつて【人世】からルーファ派の九大神がそれぞれの権能と担当する属性ごと分離して【闇世】を創世した。その故に【闇世】においては、可能な限り元の【人世】の環境に近づけるべく、九大神がそれぞれ不足する属性を元々に担っていた属性から解釈する形で、半ば強引に世界法則を調製しつつ、擬似的に作り上げた自然法則・物理法則・現象法則・超常によって成り立っている。
そしてそれは、裏を返せば、結局のところ【人世】と【闇世】は、まだ”近い”ということだ。
――何と比較してか?
あの【剣魔】が。
斬るという意思と行為と作用を超常の領域に昇華・接続させたる殲滅の具現者として東西オルゼで恐れられる一族の”号持ち”の一人が。
成す術も無く、【人世】とも【闇世】とも全く異なる【異界】の【法則】の中に囚われており。
あまつさえ、それをその絶対の求道の意思にも関わらず即断のうちに「斬る」ことができずにいる――というのは、この場にあって、魔法と超常が織りなす現象の意味を少なからず理解できている者達にとっては衝撃的なものでもあったのだ。
まるで幻覚魔法によって生み出された【景色】であるかのように、半透明に現実世界に重なって蠢くその【異界】の紫彩の中で、デウフォンはその眼を見開き憤怒の色を浮かべて――おそらくあらゆる属性の【魔剣】を生み出そうとしていたのであろう――手足を、肘を膝を、あらゆる方向に振って薙ごうと試している有り様は、さながら、水中に囚われた羽虫をも彷彿とさせる光景であった。
だが、この場にあってその異常さをむしろ”滑稽”とするほど気の抜けた者は一人もいない。
4者の極限たる死線の鼎立と均衡が失われるも、肝胆寒からしめられたかのように誰もが動けないでいたのは――皆の視線が、その【異界】の発生源に向けられていたから。
カイ=セン少年の双眸を何重にも堅く固く厳重に覆っていた目隠しが焼き切れるように千切れ飛び、七色とも八色とも名状できぬ極鮮の極彩色を放ち――キプシーは彼の【運命】である【虹砕の】という語を思い出す――そこから、まるで解き放たれ投影されるかのように、その紫彩の【異界】が、少年の虹色に輝く双眸から濁流となって溢れ出していたのである。
これには、戦闘スタイルを変化させ、さながら密林の評価なる狩猟獣のようにカイ=セン少年の元に駆けつけようとしていたクィンフォルもまた近づけないでいる。
沼に落ちた羽虫のように無様に羽ばたきもがくデウフォンは元より、【魔剣】を凌いで制圧状態から脱したキプシーを挟んで駆けつけ睨み合っていたネフェフィトとアシェイリもまた、対立を忘れ、驚きと、そして未知・異様の類への畏れの入り混じった警戒の眼差しを紫彩の異界とカイ=セン少年の双眸の煌めきに向けて身構えるのみ。
この場にあって、この事態が正確には何であるのか、その根源が何から発されるものなのか――そしてそれをどう取り繕えば場が収まるのかを思考しているのは、キプシーと”爛れ眼”殿のただ二人であった。
そして、そのことを両名は共に認識していたが故に、素早くそれぞれに異なる異形を持つ双眸が交錯する。
交錯はわずかな時間であり、また3名の女戦士達のいずれも気づかぬほど速やかなものではあったが、果たして、そこでも先程の4体の戦士による壮絶な均衡にも劣ることのない視戦が果たし合わされたか。
目線とそのわずかな揺れの応酬には、喜怒の入り混じった瞬時の攻防が濃密に入り混じっており――やがて”爛れ眼”殿が呆れたように首を軽く横に振った。
それを視たキプシーは、口元を引きつらせるようににんまりとした笑みを浮かべ「貸し、一つだ」と喜色を隠そうともせず、大仰な拍手を一つ、二つ、三つ。
大きな音で自らに注目させてから――しかし、考える時間を与えぬよう、両隣の戦士に、まるで蛇の舌が唆すように次の行動を誘いけしかける。
「お二人さん、この俺が目当てなんだろう? シシシシッ、何をどう整理してどう交渉しようにも、場を荒らす邪魔者がいちゃ話なんてできないんだ。ここは一つ、あそこの戦士殿を助けて【剣魔】殿を黙らせないとな?」
「……は? そんな必要ないだろ、だってあの野郎はもう――」
「――行くよ!」
既に【異界】の紫彩に囚われた【剣魔】侯子の何ぞあらん。
そんな油断を見せた”魔人”ネフェフィトに対し、吸血種アシェイリの判断は素早かった。アシェイリに半ば強引に引きずるようにして再度デウフォンを見たネフェフィトは、戦慄が背筋を貫通したかのように表情を強張らせ、臨戦態勢を取って、生き残った武器系の眷属達に技能【武器操作:多重】を経由した意思伝達によって自身への追従を命じ、遅れて自身も駆け出す。
――【人世】の法則も【闇世】の法則も、合切が適用されないが故に、つまり魔法が通用しないと思われたその半透明の【異界】の中で。
眼は見開かれたままに、しかし、彼の口は、何かを確信しつつあるかのような薄ら笑いを浮かべ始めていたのであった。
半透明なる紫彩の巨大な靄の中で、その手足をばたつかせ羽ばたくような動きそのものは変わらない……ように視える。だが、そのぐわっと折り曲げられた手指の関節の動きには、文字通り、彼の中で何かを掴みかけていることが窺える不穏さが帯びられている。
クィンフォルもまたその【剣魔】の変化には気付いた様子で、そこで彼女もまた逡巡を見せた。少年の双眸から溢れ出す【異界】を掻き分けてでも駆け寄り、雇用主の指示を果たすのか、はたまた、無力化されたと思っていた最大の脅威の復活に備えて転身すべきかを、である。
しかし、事態の流転的急転は各人の思惑と期待を振り切るように、たちまちに移ろう。
何かを掴んだ様子のデウフォンが、【異界】法則のその只中に囚われている状態にあって――それまでの彼やフィーズケール家の血族達が常にそうしてきたように――「其れを斬る」「其れは斬れる」と確信した意思を、剣という名の魔法の形で体現し現世に降ろすべく、手を振ろうとする。
……だが、彼が掴んだのは虚ろな空振りの感覚だけであったか。
ふっと、まるで蝋燭の火が掻き消え。
その煙がたちまちに吹き散らされて透明化するかの如く。
カイ=セン少年の【虹彩】が不安定に明滅するのに合わせて、紫彩の濃海は、まるで最初からただの幻覚魔法や白昼夢の類であったかのように、薄らいで、白とも青とも視える粒子となって消え散ってしまい――それが半透明的に現世に重なって生み出していた、色も、音も、厚みも、重力も、そして法則さえもが形と概念の存立を根本から喪失して霧消してしまう。
どっか、と尻もちをつくように腰から地面に放り出され落ちたデウフォンが、今度こそ、あっけに取られたように呆然と虚空を掴み、また離し、そして掴むのを繰り返すような仕草をした、のも束の間のこと。
カイ=セン少年が引き起こした極彩色の”何か”の暴走が、その気絶とともに一時的に収まるのを認識し、クィンフォルが腹から抱えあげるように片手で担ぎ上げる。
と同時にアシェイリが剛斧を振りかぶりながら、遅れてネフェフィトが飛翔する剣戟達の間を跳ねながらデウフォンに肉迫する――のを認めたクィンフォルは、素早く視線を”爛れ眼”殿に向けた後、少年をその巨躯から繰り出される膂力によって勢いよく自らの雇用主に向けて投げる。
刹那、強烈に噴き出すような憤懣の念が剣気と共に膨れ上がり、場の空気は再び一転。
クィンフォルがその攻撃的に切り替えた戦闘スタイルのまま、その再び場を制圧するかのように顕現した「剣域」に向けて我武者羅とすら形容できるほどの突貫を行い――白けた橙色に光る十数もの煌めく羽虫が彼女の足の周りに出現し、加速を含めた強化魔法に相当する効果を与えていることに、魔法の心得がある者なら気づくだろう――同じく【魔剣】の斬撃をそれぞれのやり方で迎撃あるいは回避したアシェイリとネフェフィトと共に、3人がかりで、デウフォンを抑え込みにかかったのであった。
それは、至上の死線の剣域における4体の均衡が【異界】法則という文字通りの異物によってかき乱され、1体3の力比べに変転したという意味での逆戻り……とも言えたかもしれない。
デウフォンは神の似姿種族における”剣の求道者”の血族として、その真なる片鱗を「対3」の側に見せつける。
――それはただの一振りであった。
だが、その瞬間、3人の女戦士は【剣魔】が自らを【魔剣】と化したかのような。
ただ、斬る、という人の意思がその人自身の存在そのものを物理・自然法則すらをも超越した魔法さえも置き去りにした現象として、デウフォンという形の、もはや【十六属性】のどの【属性】に該当するのかもわからぬ【魔剣】として存在し、わずか一瞬のことでは有りながら、3人のそれぞれの”何か”に刃の切っ先を当てたのを感じさせられたのである。
――たとえば、アシェイリは吸血種の核たる【生命紅】が織りなす血肉と生命力の根源的発露そのものを、斬られかけたような感覚に絶句した。
――たとえば、ネフェフィトは【ルフェアの血裔】種族として、【人世】から変質した【闇世】に適用しつつ、しかし同時にそれを再び【人世】で先祖返り的に活動させる接着剤の役割を彼女に果たさせる意味での、父フェネスが支配する迷宮との従徒としての”繋がり”を断ち切られかけたような感覚に戦慄を覚えた。
――そして、【闇世】で数多の迷宮領主、他の”旅侠”達と渡り合ってきたキプシー=プージェラットをして、今回の【人世】行きにおける望外の知見として知り得た「未知」の一名たるクィンフォルにも、その刃は迫り、そして、今度は、彼女が一度目の剣域への対処で披露したような”無力化”は、生じなかった。
そのことに初めて、クィンフォルが何かを酷く害されたような不快げだが、しかし、明確な脅威を認識したという眼差しを浮かべた。その視線を受け取りながら、デウフォンはその全ての殺意と剣気を消失させるのであった。
「なるほど、よくわかった。それが貴様の力――いや、その背中の後ろに隠していたものの正体だった、というわけか」
さらにデウフォンは、数度、なるほど、と繰り返す。
女戦士3名のそれぞれが、命とはまた異なる、そのもっとも本質的な力の源である部分をデウフォンの【剣】を突きつけられたまま、引くも進むも攻めるも守るも難しい状態に”止”められたのであった。
だが、デウフォンはそれまでの死線と殺気の一切を消失させ、剣士としてではなく、ある種の哲学者であるかのように一人で何事かを呟き、そして一人で何かを納得している様子を見せていた。
――その眼をクィンフォルにしばし注ぎ、それから、”爛れ眼”殿へ。
正確には、彼がクィンフォルから投擲されて受け止め抱きかかえている、東西オルゼ地方は元よりハルギュア地方においても【四兄弟国】が交流を持つ文化文明からは遥かに離れた地にあるであろう、異装・異人・異土のカイ=セン少年に……であったが。
憤懣と、その憤懣を俯瞰するような自己内省的視点と、そして限りない興味と、畏れに寄らない意味での畏敬と、そしてわずかな執着にも似た色合いが【剣魔】の双眸に宿っていることに、キプシーは気づいていた。
気づいていた上で、蛇の舌が擦れるような笑い声と共に、キプシーはささやかな”先手”を打つ。
「ほら、”爛れ眼”殿。これで貸し二つだね? シシシシッ」
「……なんだ? これは」
「【アリヴィリール湖】の水に浸して染めた、まぁ、ただのボロ布っきれだ。でもこの俺の見立てでは――多少は効果があるんじゃないか?」
キプシーはくるくる回るかのような眼光を放つ双眸をデウフォンに向け、それから、カイ=セン少年を見やる。特に彼の眼は――”爛れ眼”殿と共に最初に遭遇した際に、彼がその両目を覆い隠すのに使っていた布が、焼き切れて千切れ飛んだ跡を、その視線でなぞっていた。
「この状態でまたカイ=セン君が目覚めるのを待つほど、”爛れ眼”殿が酔狂だとは、この俺には思えないね。シシシシッ」
「意外だな。貴方もこの少年には興味を抱いているように思えたが……何も聞かないのか?」
「”爛れ眼”殿への貴重な貸しを、そんなつまらないことに使うつもりはないね。まぁ、もしやとは思ったけれど――カイ=セン君は、流石に【アハルカーロ】とは別口ぽいからね。シシシシッ、あぁ、気にしなくていい、こっちの話さ」
”爛れ眼”殿は、自らの素性が露骨に【人世】に限られないことを言外に匂わせてくるキプシーを相手に応酬しつつも、手早く、【アリヴィリール湖】なる土地に由来するという”布切れ”をカイ=セン少年の両目の覆いに代用するために巻き付けていく。
キプシーという男の全てを信用したわけではないが――今この場がせっかくまとまりかけている凪の訪れに際して、再び、戦場の暴風を再来させないという点での利害の一致は認識していた。
まるで変色星のような不穏に拍動する煌めきが、閉じられたカイ=セン少年のまぶたの間から流れ出ていたからだ。そして、【剣魔】デウフォンが、まるで好物の飴をもう一つ欲しがっている幼子のようにまっすぐ純粋な、しかし先に述べたような様々に複雑に絡み合った念の混じった眼差しを向けてきている。
そのことに、キプシーと”爛れ眼”は気づいていた。
その故の「貸し二つ」である。
カイ=センの双眸が再び布で覆われ、拍動する波動にも似た極彩色の景色の気配が完全に消えるのを見届けるや、デウフォンは完全に、戦闘意思を失ってしまったように見えるのであった。
場が静まり返り、各人に突き付けられていた切っ先もまた消え失せるように収められ、緊張が解かれた瞬間をキプシーは見逃さない。
そして彼は、皆の注目を集めるように、破壊と魔法の戦闘痕が未だ色濃い場の中央に躍り出て、拍手と共に咳払い。
ネフェフィトに肩を竦めて見せ、アシェイリには手を振るように一瞥をくれ、デウフォンを相手には『長女国』式の平民が魔法貴族家に対する優雅な一礼を披露。カイ=センをクィンフォルに預けた”爛れ眼”殿には、もうそれ以上の言葉は要らない、とばかりに視線を戦ではない形で一度だけ交錯させ――そして少しずつ晴れてきた舞い散る瓦礫の灰の向こう側より。
互いを牽制するように魔術戦と暗器戦、そして特に【精神】魔法とそれへの対抗術を繰り広げ戦わせながら、この戦場にようやっと、まるでタイミングを見計らったかのように近づいていくる二人の人影を遠目にくるくると見やるのであった。
アシェイリの”幼馴染”にして共犯者である吸血種の工作員タレーエンと、デウフォンの暴走をもはや呆れ果てて放置しつつ自身が生き残るためにはその酔狂をうまくコントロールしなければならない女魔術師トリィシーである。
場を収めるための”交渉”の時間が、ようやっと訪れる。
未だ【剣魔】侯子の気まぐれへの警戒は残るものの、その意味では、安易ではなくとも一定の安堵に誰もが意識を切り替えていくのであった。
――その”交渉”の詳細については、この場では省略することとしよう。
結論だけ述べるならば、概ね、それぞれにとっての望んだ形と方角への決着である。
”爛れ眼”殿はそもそも彼らの交渉においては直接的には関係せず、いうなれば、吸血種工作員2名の思惑とデウフォンの求道に二重に巻き込まれた挙げ句、素性も知れぬ存在キプシーに「貸し2つ」などを負わされたわけであったが、そそくさと、クィンフォルとカイ=セン少年を伴ってその場を後に消え去ってしまう。
元は『長女国』へ帰還するための迂回ルートを求めていたデウフォンは、合流したトリィシーよりさながら短剣をぐさぐさと突き立てるような直喩の嫌味に特段の意を介することもなく、吸血種タレーエンから提示された(あらかじめ用意されていた)シャンドル=グームから【六脈】国を北に抜ける隠しルートを二つ返事で受け取り、言葉少なに、風のようにその場から立ち去ってしまう。
その場には【エイリアン使い】オーマが新たな拠点化を水面下で進める都市ナーレフへ向かうことが決まったキプシー、ネフェフィトが。そして彼らへの合流(監視対象の”護衛”という『使命』上の大義名分を得て)という実利を勝ち取ったアシェイリが残り、タレーエンと今しばらくの別れと今後の方針について話し合うのであった。
そして、既に”騒ぎ”というには破壊の規模が大きすぎはするが――あらかじめ予定調和されていたかのように、おっとり刀といった様子で、街の警備隊や街の裏を支配する複数の吸血種派閥の先触れ達が『高級斡旋所』店長ラクーギーの先導で、その場にざわざわと集まり始めるのである。
元は、もう一人の”幼馴染”であるユーリルの異変を【血】の気配から感じ取ったことから、この計画をタレーエンと共に実行したアシェイリである。
未だ「ネイリー」という老獪にして実力ある異物の支配から抜け出ることのできないタレーエンに、シャンドル=グームにおける想定以上の破壊行為を招いたことや、それをネイリー相手にどう誤魔化して切り抜けるのか、という厄介な後始末を任せることを詫びつつも、それでもこれ以上この場に留まることの愚を冒す必要は無い、との理由で一致した彼らは、その場を散開し、街の外で合流することとなったのであった。
――ただ一人。
キプシーだけが、散開の間際に、酷く不思議そうに訝るようにアシェイリとタレーエンをその【運命】を見通す双眸と眼光によって見比べていたが……そのことを気にする者は誰もいなかった。
――当のキプシー自身も、ただ「まさかね」と心の中で呟くのみ。
彼が、その時感じたわずかな違和感を、アシェイリに話すことは無かったのであった。





