0252 蜂が踊るは泥魔土香が混じる鍋中(かちゅう)(6)
【輝水晶王国】、通称『長女国』では、生まれ持った(実際のところは”そう”ではなく、『技能・経験点システム』などの影響だと俺は推測しているのだが)【魔法】の才能の有る無しがその人生の最初にして最大の巨大な岐路となる。
その能は、さながら深層認識から超常が認識されて汲み出されるかの如く「井戸」に喩えられ、才無き多数者達は、才有る少数者達から「枯れ井戸」と侮蔑されている。
そのため、一見すると『罪花』の乙女にして魔法戦士たる者達は”枯れていない”側である――かとも思われるが、【領域】に引きずり込んで【情報閲覧】をする限り、彼女らはいずれもが枯れ井戸の出身者が多いということがわかる。
そうではない背景を持つ者もあるが、ル・ベリの【弔辞の魔眼】や寄生小蟲などによって彼女らの過去を特定すれば、まぁ、親が借金を抱えて没落しただとか強盗によって家族を殺されただとかして零落し、結局貧民落ちした者達が多い。
魔導の叡智による巨大な農業生産量に対して、意図的にか黙殺的にかはわからないが、人口統制のようなことを『長女国』は行っていないのである。【闇世】と接続される”裂け目”の影響がもたらす「荒廃」現象によって、国内では定期的に飢饉が発生し、膨れ上がった貧民達は、しかし同じ魔導の叡智によって制圧されることとなるため、国全体や各頭顱侯家領域における政治的不安定要因とはなりにくい。
故に、巨大な労働力の源泉となって、『長女国』だけでなく周辺の”兄弟”諸国に流れていく。
西方の【懲罰戦争】の最前線で”消費”される肉壁となるか。
南方では『次兄国』で”船員”となるか、『末子国』で”鉱山労働者”となるか。
その中で、マシと言えるかはわからないが、長い距離を流浪しなくて済むという一点だけで言えば、各【走狗】組織の下っ端としてリクルートされる、という選択肢もまたあるのである。
『罪の垂れ蜜と絢花の香』(通称『罪花』)もまたその一つであり、それこそ、兵隊や労働力にすらなることのできない女子供の価値はその身一つにしか無いが故に、その”価値”を最も高く買い取ってくれるところに、その身を売り込むしか生きる術が与えられない。
だが、要は売春組織だ。
肉体労働という点だけでもその疲労と疲弊は、さながら、生きることに対する刑罰であるかのような艱難を伴うことは想像に難くないが……そんな倫理的是非を問う資格が今の俺にも、オーマとなる前の俺にもあるわけでもなし。
――嘘つき、と少女の幻影に言われたような気がして、しかし「気がした」だけであり、実際には俺が心の中でそれを呟いていた……と気付いたが、それもまた俺の中で彼女の現状に関する情報がアップデートされたことによって暴き出されたものであったか。
何故、倫理的是非を安易に論じられないかと言えば――それでも枯れ井戸には、極めて弱者淘汰的ではありながらも、生き残る術として、実践的な【魔法】の習得機会が与えられるからである。
1階の制圧がほぼ終わり、『3階』という名の中二階に存在していたVIPルームに”名付き”どもが突入したという報告が入るのと同刻。
『罪花』に取り込まれていた各種の【走狗】組織の要員達――”実践的”な【魔法】戦闘技能を習得した者達――が”援軍”として『2階』に出現し、また、控えさせていたこちらの”援軍”として、リュグルソゥム家の部隊とサイドゥラ青年らが【領域転移】によって現れたのは、ほぼ同じタイミングであった。
だが、そこからの展開は、もはや一方的なものである。
【付呪術士協会】。
主家は【魔剣】のフィーズケール家。
流石に主家のような【魔法剣】技術は持たないものの、特殊な付呪を施された魔道具・護身用の魔導武具を身にまとい、ユーリルの”血管”魔法陣や1階に到着し始めた属性障壁茸達による対抗魔法の影響が限定的である。
……が、ダリドが繰り出す『臓漿による』彫像による物理的ボディスラムによって、そのわずかな優位も日の目を見ることなく押し潰され、彼は押し潰されるままに制圧される。
【美酒耽食會】。
主家は【悪喰】のフィルフラッセ家。
体内で”荒廃”を飼いならし、それを制御または暴走させることを通した、【聖戦】家とも異なる一風変わった身体強化魔法を駆使する頭顱侯家であるが――その専属の料理人に過ぎない彼らに直接的な魔法戦闘能力は無い。わずかばかり、VIPルームにおける『罪花』の”役割交代”遊びの中で伝染させられた中で【精神】魔法によって半強制的に習得された戦闘技術があるに過ぎず――アーリュスとティリーエの二人がたったの二手でその動きを封じた上に昏倒させて縛り上げた上に猿轡まで噛ませてしまった。
……ただ、自殺用の毒物を奥歯の奥に仕込んでおり、すんでのところでそれを飲まれるところだった、という別の意味では少しだけ手こずらされたようであったが。
【祝り鋼専売連】。
主家は【纏衣】のグルカヴィッラ家。
元は【付呪術士協会】の一部門、特に「魔防具」を中心としていた職人集団が、グルカヴィッラ家のフィーズケール家からの独立闘争に伴って分派した走狗組織である。その成立経緯から、主家同士以上に激しく【付呪術士協会】とは敵対・闘争・討ち入り上等な緊張関係にある存在であったが――『罪花』の乙女達の精神混合的”花園”においてはそんな因縁など関係ないかのような連携を見せていた。
が、連携にかけてはリュグルソゥム家の『止まり木』が”花園”を当然の如く凌駕。
ダリドの操る彫像(臓漿)達の合間を縫うように飛びかかったキルメの、最小限の魔法しか発動しない魔法格闘によって組み伏せられている。
【ガディオン瑠璃瓶商会】。
主家は【遺灰】のナーズ=ワイネン家。
かつて粛清された【九相】のルルグムラ家の【死霊術】を防ぐ意味で、『長女国』では”火葬”文化が200年前から急速に広まったが、そうした「火葬」による葬祭儀式の運営や、墓所の管理を本来の業務とする走狗集団である。
……もっとも、その”火葬”という手法そのものがルルグムラ家をナーズ=ワイネン家に生まれ変わらせる形での「隠れ蓑」として機能したという意味において、『罪花』とはまた異なる意味で非常に主家への忠義に厚い集団というのがその本性。
VIP達の中では唯一、『罪花』の【精神】魔法によって操られた振りをしており、【放蕩息子】サイドゥラがその装身具をカラカラと鳴らしながら、ぱらぱらと灰を振りまきながら、ダリド以下リュグルソゥム家第二世代の兄弟達に遅れるように現れたのを一目見るや。
まるで、その【精神】に『罪花』が仕掛けていた洗脳魔法が別の人格に憑かれたかのように切り替わり、片膝をついて頭を垂れ。
二人のやり取りの隙を突こうとした『蜂』の一人が【精神】魔法をサイドゥラに仕掛けようとするが――技能【灰熱の痛み】によって自らを”焼く”ことで、魔法とは微妙に異なる対抗手段によって強制的にその精神操作から逃れ、露骨なまでに皮肉げな笑いをはっはと浮かべて見下ろすその眼前。
【瑠璃瓶商会】の連絡員は、彼に首を差し出すかのような独特な跪き方によって、秒速で投降の意を示したのであった。
そして【クロイウェル宝飾職人会】。
主家は――【王家】たるブロイシュライト家。
表向きは単なるカタギの宝石商と変わらない、一見すると魔導貴族(王家だが)に仕える直属の走狗組織とは思われない……という意味では【悪喰】家の料理人達とどっこいどっこいな存在である。だが――彼らは魔導大国としての『長女国』において、その”取り扱い品”から連想される重要な代物2つの管理と流通等に関わっていることが、強く推察される集団であった。
その1つが【魔石】。
そしてもう1つが『長女国』の国土における魔導的支配の要たる存在――【晶脈石】である。
己の運命に抗おうとしたかのように、おそらくは瑠璃瓶商会の者とは別の手管によって”正気”に戻ったその宝飾職人会の連絡員であったが、”援軍”達全体の退路を断つように出現したルクとミシェールの、すれ違いざまの手刀によって意識を喪失せしめられている。
――全て計画通りであり、想定内であった。
ただし、想定内の中でも”上振れ”的な成果であったが。
判別できるだけで、走狗組織のうち「4家」分もの生きた情報源を確保できたのは、今後の対『長女国』戦略を進めていく上でも価値があって余ることはないと言えるほど。
そして、それは、ただ単にリュグルソゥム一族が「仇」たる13頭顱侯家の実力を解き明かし、彼らの秘術を暴いていくためだけであること以上の『価値』を秘めているのである。
……無論、理想を言えば「全員」を生かして捕らえることができればそれはさらに加速されただろうが。
既に1階側から、救命措置も虚しく絶命した『乙女』達の中に、さらに数組織分の「走狗」の連絡員どもが――【精神】を混ぜられた状態で――発見された、と報告を受けている。
『2階』と『3階』の入れ替えもそうであったが、俺は『罪花』という組織の、いや、彼らを使役するマルドジェイミ家という頭顱侯家の【精神】魔法に傾倒しているという狂気性を、まだ、甘く見ていたのだ。
同じく【精神】魔法をその秘法の核とするリュグルソゥム家にとって「精神融合」が、最大にして最悪の禁忌である――という事柄から、無自覚に、マルドジェイミ家とその走狗組織もまた【精神】魔法をそういうものとして扱っている、そのような勝手な思い込みを俺はしていたのだ。
だから、リュグルソゥム家の基準で【精神】魔法に”対策”した、と言えるレベルで満足をしてしまった。
――よもや、自らの精神を他者と”混ぜ”て、自分が元々誰であったのかさえ曖昧にさせてしまうような「遊び」が『罪花』の娼館で、それもカタギを含めたVIP客達まで巻き込んで、堂々と、大々的に、人目もはばかること無く(気づかれていたかどうかはわからないが)行われていようとは。
そしてその技能システム上にあらわれていた。
”魔法の才”が――【継承技能】においてではあるが、後天的に植え付けられていたのである。ただの乙女達はおろか、そうであると認識させられていた客やVIP達にもまた、それが生えていたのであるから。
斯様にして『罪花』は”枯れた井戸”から後天的に【魔法】の才を汲み出し、また、既に【魔法】の才を持っていた者に対しては、その毒とも言える蜜を混ぜ込む形で己等の――『蜂』の群れを形成する一部に組み込んでいたのである。
そしてその核となる技術が、既に副脳蟲ども、特に【楽師蟲】アインスによって解析・翻訳はされた『蜂の踊り』というわけであった。
結果、俺は『染みの桃花』店の抵抗の強度を完全に見誤った。
――シーシェという「情報提供者」から与えられた”情報”は、まるで間違ってはいなかった。だが、間違っていなかったからこそ、俺のこのボタンの掛け違えのような根本的な認識の違いが強化されたような側面が、ある。
果たしてそれが、狙って行われたことであるのかどうか。
何らかの思惑を持って、ル・ベリに、そしてこの俺の迷宮に近づいてきたことそのものは確定していると思えたが……彼女の処遇については、後で論じよう。
……結果として想定を超える被害を出してしまったのは、決して、善いことではない。
この俺の迷宮の今後の勢力伸長にとって、それは、得にはならないというのに。
眼前、ソルファイドの剣圧に追い込まれるようにして連携を寸断されていくヴァニシッサらの最後の抵抗が、ルクとミシェールの”連携”によってばらばらに解体され、一人また一人と組み伏せられていく。そして、ダリドの操る彫像の内部から取り出した『臓漿製』の”魔法封じ”の手枷で全員を戒めていき――完全なる制圧が完了して、ようやく、この「ごった煮」の如き奔流のようだった襲撃戦は落ち着きを見せ、後始末の段階に移っていた。
――だが、この”後始末”こそが、ある意味で一番の本命でもある。
物理的な混沌は収束しても、彼女らと彼らと彼らと彼女らと乙女と客どもの「精神混合的闇鍋」に関しては、それをどうにかして仕分け選り分ける……という繊細なる破壊作業を、まさにこれからがぶっつけ本番で開始するところだったからだ。
***
「いとも容易く、混ざり合っている……父上が、先代達がずっと【歪夢】家と直接戦うことを避けてきたのは、」
「まさに”これ”が理由だった、ということですね、ルク兄様。そして我が君――御覧ください
「「己が何者であるかさえ曖昧に煮崩されたか、この連中を」」
【情報閲覧】を発動する。それも副脳蟲達による代理行使を、あえてこの俺自身に被せて多重起動的に強化発動するように……だ。
そこまでした理由自体は単純である。
――揺らいでいたからだ。
およそこの異世界へ転移し、並の迷宮領主であっても容易には獲得し得ない、この世界の法則の裏側をも見通すことができたこの俺の【情報閲覧】技能。
それは、迷宮領主同士の間でのその発動ルールの存在や【人世】における【加護】系技能といった”対抗策”も用意されてはいたが、基本的に、通しさえすればそこで得られるのは、その者が自分自身でさえも知り得なかった各種の「分類」を知ることができる。
本人さえも意識せずに「そう」であると生き方を”誘導”されていることをメタ的に読み取るような、さながらその者の人生の「台本」……は言い過ぎでも、彼彼女の認知と判断や決断に重要な影響を与えうる情報の宝庫。
それを掌握することができるという、極めて強力な技能である、のだが。
『罪花』の乙女達の「連携」がこの俺に知らしめたのは、それがあっけなくも”煮崩れ”ている様だった。
【情報閲覧】で視るたびに、変わっているのである。
名前も、職業も、称号も、状態も、その身分と所属を示すような『項目』などについても。
……それでも、大まかにではあるが、『彼』が「客」で、『彼女』が「花」で、と見分けることができたのは、むしろ物理的な外見であるだとか装いであるだとか、身体の鍛えられ方などによって普段どのような動きをよくしているのか――などといった観察によって得られた情報からだったのである。
――それはこの世界における『位階・技能点システム』が、一体どういう類の性質を有する法則であるのかについて、この俺に更なる再考察を求めるものでもあった。
【情報閲覧】によって”特定”された情報そのものが、真実ではない可能性がある、と言えばその脅威が十全に伝わるだろうか。
極論、【情報閲覧】によってその素性や――彼彼女の運命に関する”神の意図”さえもが、マルドジェイミ家の工作員がこの俺の懐に忍び込むための自己認識であったとしたら? あるいは、この俺に対する情報撹乱であったとしたら?
だが、驚くべきではないのである。
この俺自身が、既に「その作用」を利用していたからだ。
副脳蟲どもを、その本来の性質が”部下きゅぴ”であったはずのものを、最初の6体に限っては――この俺の心の分身のようなものとして、俺は、自分自身の認識を再定義したのだから。
どうして、似たようなことをどこかの他の超常を扱う集団が実行していない、と油断できたであろうか。
それを、このタイミングで思い知ることができたのは、むしろ僥倖であったか。
『罪花』と、彼らをそれこそ”ごった煮”である可能性の高いマルドジェイミ家の危険性が、当初の想定より数段上であると知ることができたが……だからといって、予定しなかった犠牲を重ねたことと引き換えにするわけではないが。
「……だからこそ、この”処置”が、この度明らかになった御方様のご不利を打ち消しうる、というわけですな」
リュグルソゥム一家と彼らの”守護者”となったサイドゥラ青年の合流により、本格的な魔法戦は一方的にこちら側に傾いて、『2階』から『3階』にかけてはほぼ崩落していた。
その中で、ミクロンら「地中班」による【土】属性の土壌操作と、臓漿嚢に接続された混合臓漿達の自律的蠕動により、泥波と泥破によって混沌の坩堝と化していた1階は、静けさを取り戻したと言って良い程度には整頓されていた。
そこに、『蜂』と『花』の乙女または乙女であると自己認識している者達が集められている。ヴァニシッサを中心に、司祭蟲ウーノらによって救命措置を施された、かろうじて息がある状態に過ぎない”生存者”達もまた同様にである。
いずれも臓漿製の「魔法封じの手枷」で戒められており、加えて、主要な属性が網羅された複数の属性障壁茸による魔法妨害の多重陣の下に置かれている。
この俺の従徒達と”名付き”の中でもデルタ、三連星、ニューなどといった即応に長けた者達が目を光らせており、もはや抵抗や逃走どころか指一本さえも動かすことはできない有り様だが――それでも、これが過剰な見張りであるとは思わない。
――それどころか、より徹底的に俺は、彼女らを包囲させていた。
第一に黒瞳茸である。
実質的な【精神】属性の障壁茸あるいは砲撃茸の役割を果たす存在だが、この俺自身が五感のいずれかによってでも直に接触をしようものなら、たちまちのうちに正気を掻き乱され、この俺自身の存在そのものが撹拌されかねない――そのような危険性を示す、俺の迷宮のアンチテーゼのように誕生したエイリアン系統であった。
≪あははは、これしか無いってのはわかってるけれど……僕にも黒瞳茸さんにも、近づいちゃダメだからね、創造主様≫
アルファ以下、ガンマ、シグマなどの図体がでかい”名付き”達が、物理的な意味で俺の周囲を固めている。
そして副脳蟲どものうち、その異常な治癒能力によって見た目の脆弱さに比べて遥かに死にづらい司祭蟲を除いて、唯一、この場に出現しているのが道化蟲モノであった。
言うまでもなく黒瞳茸の監視役である。
だが、その迷宮全体に対する撹乱作用は、どういうわけか、黒瞳茸がこの俺に及ぼしかねない悪影響を避雷針の如く誘導して逸らしているようであることが、迷宮領主としての感性によって直観された。
――『罪花』の乙女達の【精神】連携を解体するには、この黒瞳茸を引っ張り出さねばならなかったのである。
その魔法という概念を超えた「浸透する」という強烈な”意思”の存在は――賢者蟲アンを通して黒瞳茸に短時間だけ同調させた小醜鬼の得た感覚を【弔辞の魔眼】によって間接的に体感したル・ベリからの従徒献上とかいう何重にも厳重に迂回させた上で俺にもたらされた情報――破壊的な感応波となって、乙女達のゆるやかなる精神的”連携”を千々に引き裂く。
この状況下では、たとえ自己防衛本能的なものであったとしても、僅かな【精神】属性魔法さえも発動させることはできないだろう。
しかし……その”連携”は、溶け崩れていたが故に、いささか粘ついたものであった。
一様に精神的な衝撃が伝播して、同期したかのように雷に打たれたが如くもんどり打つ『乙女』達であるが、それでも、くるくると内容が変容して切り替わる【情報閲覧】状況から察するに、まだ、彼ら彼女らが各々の本来の自己と自我を取り戻すには到底足りている様子が無いのである。
だが、これで良い。
粘ついたスライムの塊を限界まで拡げたとすれば、たとえ千切ることはできずとも、その厚みは確実に薄められ、まるで蓮根のような「穴」が、その粘ついた”連携”の間に開けていた。
言うなればそれは半癒合しかけた、どろりと煮崩れかけた【精神】と【精神】の間に開いた「穴」である。
ダメ押しで小醜鬼の『瓶詰め脳』による【精神】誘導作用を、さながら鋲で止めるように作用させて、その「穴」を開いたまま保ち――。
「では、僕達の出番だね。行こうか、子供達……それから、サイドゥラも」
拓かれ、再び元に縮んで戻り混じらないように”鋲止め”された、その【精神】の狭間の”道”に向け――賢者蟲アンがその圧倒的な【同調】能力を発動する、と同時に、ルク以下リュグルソゥム家の面々が『止まり木』への精神転移を行ったことを俺は知覚する。
入ったのだ。
……いや、逆か。
引きずりこんだのだ。
おおむね『乙女』である者達を、リュグルソゥム家の共有精神空間の中に。
既に、彼らはサイドゥラ青年という部外者を【皆哲】という号を冠した元頭顱侯一族としては初めて取り込み、その『守護者』とした。現世とは異なる時間が流れるその精神世界では、文字通り瞬く間に、ダリドら第二世代を中心にサイドゥラとの交流が数年、十数年と行われているのである。
その故の、異様なまでの速さでの意気の投合であったと言える。
――つまり、方法論は確立されていた。
そのまま、時折「魔法封じの手枷」に戒められた両手首を振り回すように、がくがくと痙攣する様子を見つめて待つこと『数分』。
【精神】空間において、どのようなリンチが行われたかは定かではない。
だが、時計の針音の擬音語のつもりなのか、ウーヌスが≪きゅっぴたっくきゅっぴたっく≫と刻み始めてから十秒ほど。
ルクらが戻ると同時に。
役割を終えた黒瞳茸が【領域転移】技能を代理行使した道化蟲モノと共に俺の眼前、感知範囲から消え失せる。
そして、まるで上級の対個人の【雷】属性魔法に打ち据えられたかのように痙攣したのは――ヴァニシッサ、ではなく。
彼女の部下として、俺とル・ベリらを一番最初に応接の間に案内した『蜂』の乙女。
彼女が弾けるように跳ね、”夢”から覚めたというにはいささか過激すぎるほどに身体をひねって、滝のような汗を流しながらほとんど上半身の筋力だけで飛び起きる。
その瞳に宿る感情の色合いと、そして、ようやく「安定」した【情報閲覧】に映された結果にいささかの安堵を覚えつつ、それでも、わずかな警戒は保険のように保ちつつ――俺はその『乙女』に声をかけるのであった。
「あんたが、本当の、真の、紛うことも偽ることもない、本物の『ヴァニシッサ』さんだった――ってことでいいんだよな?」
達観し、成熟した淑女然であった当初の『ヴァニシッサ』と彼女は、言ってしまえば全くタイプが違う若い”乙女”であった。
それこそ『蜂』の部下の一人か、まさにまだ未熟な小娘であるかのように、当の『ヴァニシッサ』が自分だと思い込んでいた『彼女』が顎で使役していたうちの一人である。
それは1階にミクロンら『地中班』が泥の柱の噴射とともに攻め込んで【領域戦】が開始した後に、戦闘の合間で俺が【情報閲覧】をした上でも、そうとしか確認されなかった情報である。
だが、今の彼女のメタ的な素性をも示す青白き仄窓には、改めて、化けの皮が剥がれたかのようにその『役職』に【執事蜂】が、項目として、ぼうっと表示されていた。
吐血し、しかし、自らの吐瀉物混じりの血に濡れた真っ赤な舌で、口紅を塗りたくって飾り立てて見せつけ煽るかのような凄絶な笑みを浮かべる、真のヴァニシッサたる彼女は、しかし。まるで不安の種であるかのように、出来の悪いホラー寓話のラストで豹変する登場人物であるかのように。
ぐひっ、ぐひっ、と引きつるような笑みを浮かべて俺をまっすぐに、情熱さえ感じる眼差しで見つめ返してきてみせたのであった。
――そして、俺は違和感を覚えた。
まさか、こいつも――?





