0250 蜂が踊るは泥魔土香が混じる鍋中(かちゅう)(4)
4/13 …… 前半部分のエイリアン=パラサイトの取り扱いについて、そこそこ加筆しました。
――してやられた。
それも2つの意味でだ。
ヴァニシッサらの相手をル・ベリ以下に任せ、まさにこの館を攻撃した主要な用事の1つを”奪い”に動くべく、レクティカの補助を通して迷宮側の眷属心話ネットワークと深く繋がりながら『応接の間』の調査を開始した俺は――積み重なった違和感の正体をようやく把握することができた。
『罪花』は【精神】魔法に対する対抗への対抗という研究を重ね、とうに、その実践を【染みの桃花】店という”現場”に適用していたのである。
俺の”用事”とは、この館の常連となっている【VIP】達を確保すること。
そのために、ナーレフでの工作期間でル・ベリを通して、あらかじめ小醜鬼達を”珍味”として【染みの桃花】店に納品させたのである。
シースーアにおける『人間種』に、つまりいわゆる亜人種まで含めた存在に対して強力な支配力を持つ【歪夢】のマルドジェイミ家の走狗組織『罪花』が、精神構造の研究的な意味でも強い興味を持つだろうこと自体はルク達も読んでいた。
その「元にされたであろう人間」からは大きく変質しきった小醜鬼をさらに変質させた、この俺の迷宮で培養された小醜鬼”もどき”どもには、当然ながら種々のエイリアン=パラサイトが仕込まれている。
そして、まだエイリアン=パラサイトに関する情報が『長女国』の魔法使い達の間で十分に研究も共有も把握さえもされていないこの間隙に、リュグルソゥム家とサイドゥラ青年による十分な「製品テスト」をくぐり抜けた個体だけを選別したわけである。
ただし、通常はエイリアン=パラサイト達は回収した情報を一旦母胎蟲に戻さなければならないという制約がある……のだが、実は限定的な条件下においてではあるが、それを即時とすることができる手段が現状一つ存在した。
副脳蟲より進化したうちの1体賢者蟲アンである。
【領域】化された空間である限り、アンは寄生小蟲の個体に対してさえ高度な同調と共鳴をすることができ――このこともまた、今回の『制圧』による【領域戦】的な【染みの桃花店】攻略の戦術構築に影響を与えたわけである。
斯くして、言うなれば限定条件下での「トロイの木馬」のように扱うことができる小醜鬼もどきの中に仕込んだ寄生小蟲らから、アンを経由して、副脳蟲どもの【共鳴心域】ネットワークにもたらされたVIPの所在に関する情報を得た。
どうも、彼らは『3階』の特別な遊戯室で日々酒池肉林じみた歓待を受け、どろどろのぐでんぐでんに、茹だるかのように漬けこまれる勢いで、もはや監禁と実質変わらない状態にある様子。
――それが仕込んだエイリアン=パラサイトどもの、いや、正確には彼らが感覚と認識を吸い取っている宿主たる小醜鬼達が実際にその五感で収集した情報なのである。
≪今更ですけれど、小醜鬼達が実は【精神】魔法にかけられていたってことは、無いんですよね?≫
≪無いねぇ、それはないない。でも、これって確かにリュグルソゥム家の皆じゃ気付けなかった対抗手段だよね≫
心配性な次男坊アーリュスの心話に応えたのは、リュグルソゥム家の”守護者”として取り込まれたサイドゥラ青年であった。
彼の言う通り、小醜鬼もどき達が【精神】魔法の影響を受けた可能性は皆無と言って良いだろう。
名付けて【気付け寄生蟲】。
少なくとも、専用に亜種化した母胎蟲を通して【精神属性適応】の因子をつけた上で、リュグルソゥム家に緻密な作業によって「微細魔法陣」まで刻み込ませた寄生小蟲にまでそれが通ることはない。
万が一、この短期間の間に小醜鬼達の【精神】構造が『罪花』に解析されて洗脳を食らったとしても、気付け寄生蟲がそれを阻止するか、最終手段としては脳幹を刺して絶命に至らしめるのである。
だが、その万が一の証拠隠滅のための役割を全うさせるには「長持ち」させねばならないため、アンによる広汎な感覚ジャックをするための個体は、実際に「液状化」戦術によって物理的に臓漿混合物を、つまり【異星窟】由来の物質によって塗り潰して【領域】化するまでは、残しておいたわけであった。
ターゲットが館内の”どこ”にいるまでかはわからない。
それは実際に踏み込んだ際に、アンを通して明らかになる、という前提条件の下で、俺とル・ベリやソルファイドとユーリルという必要最小限かつ踏み込んで囮とも楔となって敵戦力を釘付け可能な戦力だけで踏み込み、いくつかの【転移】技術を使い分けて”名付き”達や、リュグルソゥム部隊を分けて臨機応変に動かす――という制圧する戦術展開を副脳蟲達らに構築検討させ、それで臨んだというわけであった。
――その中での最初の違和感。
それは、アンから確定としてもたらされた情報と、踏み込んだ館内構造との間の矛盾である。
どこからどう見ても、ヴァニシッサによって案内された『2階』は、建築構造上の最上階だったのだ。
当初は小醜鬼達が『偽情報』を掴まされていると思ったが――少なくとも「『2階』から『上って』『3階』にたどり着く」という情報は保たれたまま。そしてそれは『遊戯室』における『花』とVIP達との会話からも裏付けは取れるものであった。
このため、例えば【空間】魔法技術による『隠し部屋』などが存在するか――頭顱侯同士がその最重要の秘匿技術で安易に協力し合うことはないのが通説であったのは確かだが、その前提もリュグルソゥム家の誅滅事件で崩れてはいる――と考え、こうして『2階』の中心に位置する『応接の間』に乗り込んだタイミングで、改めてアンには、レクティカ内に仕込んでいた超覚腫にリンクさせ、一気に館内を視渡させた。
――そうしてあっさりと『真実』が判明する。
『3階』――この『2階』の応接の間に辿り着くために、1階ホールから案内される過程で通り過ぎた、館内に左右1対で存在する大きな螺旋階段の中腹のあたりから、分厚い踏み板と、魔力灯の陰影に隠れるようにして、それらの下側に存在していた『隠し扉』から、ヴァニシッサにとっての”援軍”となる待機戦力が出撃してきたのがわかったのだ。
……ウーヌスどもの部下きゅぴの何割かが≪造物主様は何言ってるのだきゅぴ?≫という顔をしている気がしたが、俺も、瞬時には理解できなかった。理解できなかったが――すぐに、構図と構造を理解した。
非常にシンプルな話だ。
この館においては『3階』は『2階』の下にあるのだ。
……無論【空間】魔法技術が裏で提供されていた、とか、連携されていた、だとかで館内の構造が物理的空間的に歪んでいた、というような話などではない。
その証拠は、館内に乗り込んでから『応接の間』に辿り着き、適当に話を引き伸ばそうと思っていたら、予想よりもずっと喧嘩っ早いヴァニシッサ女史が蹴りつけてくるまでの間に「解析完了」していた【蜂の踊り】にも現れていたのだ。
――ヴァニシッサからの他の『蜂』達の、戦闘行動の中に織り交ぜられた「踊り」の中でも。それに答える部下どもの「踊り」の中でも。
なんと彼女ら自身が、「『2階』の『上』に『3階』がある」という”認識”で、それを事実として前提化したやり取りを行っていたのであるから。
≪この”巣”には『公主蜂』がいません。マルドジェイミ家の血族に連なる、本当の管理者が。どうしてそのような”巣”があるのか、≫
≪これでやっとわかりました、我が君。我らの分析と解析が、甘かったことをどうかお許しください≫
非常に簡単な話だ。
【精神】魔法が通じない相手に、どう【精神】魔法で対策すれば良いか?
――相手ではなく自分達に【精神】魔法をかけてしまえば良い。
【染みの桃花】店では、あらかじめ、従業員たる『花』や『蜂』達はおろか一見常連問わず「客」にさえも【精神】魔法がかけられ、館内構造に関する”認識”が書き換えられていただけのことであったのである。『2階』と『3階』が入れ替わっていたこと、その空間的な違和感さえもがごく普通のことであるかのように。
だから、俺が送り込んだ「トロイの小醜鬼」どもも騙された。
彼ら自身が【精神】魔法の影響を受けることはなくとも、エイリアン=パラサイト達はあくまでも感覚と脳波的思考を同調させて小醜鬼が「見聞きした」情報を読み取っているに過ぎない。
もしも、その周囲の全員が『3階』と『2階』の認識が入れ替わったまま行動し、思考し、会話し、それが当然であるかのように日々振る舞い、意識と認識の根っこの部分においてまでそれが普通であるとして過ごしていたならば――それは少なくとも『偽』情報ではないのである。
故に、してやられた、と俺は感じたのだ。
小醜鬼から寄生小蟲へ、その一部は賢者蟲アンを経由して副脳蟲どものエイリアンネットワークを経由することでようやくこの俺にたどり着く【眷属心話】の情報は、限定条件下における情報伝達の即時性をカバーできるルートであったし、「エイリアン波長」によって情報密度自体は高い。それこそ『蜂の踊り』のような暗号技術さえも解析して見破ってしまう程度には「嘘発見器」的に働くことができるのであるが――「真実」とされる情報を、どうして、合理的根拠も無くただちに「嘘」と断じれようか?
……踏み込んだ瞬間の違和感が無ければ、むしろ、気づくのはもう少し遅れていたかもしれないがな。
≪あのー、創造主様。それでも、時間の問題さんじゃありませんでしたか? 最終的には制圧してしまうんですから~≫
【泉】で”御神体”としてもうしばらく旧ワルセィレの民達と交流する役割があるため、この作戦に参加していない(そもそもあまり戦闘要員として期待しているわけではない)ユートゥ=ルルナがそう問うてくる。
真っ当な指摘ではある。
多少驚かされはしたが、むしろ、その隠されていた『3階』から隠されていたはずのVIPどもまでもが出撃してきているという意味で、むしろ俺の目的は大きく達成に近づいている。そしてそうでなかったとしても、ヴァニシッサを含めた『蜂』達を無力化した後に、改めて館内を物理的に捜索すれば、最終的には『3階』を見つける事自体はできていただろう。
≪ははは、麗しの半魚レディさん。それは確かに貴女の言う通りだね、この作戦自体はどうあってもオーマ閣下が負けることも損をすることも無い。でも……閣下はマルドジェイミ家どもの走狗の意外な恐ろしさを、学ばれたんだろう? ――おっと、そろそろ僕らも出番だね≫
マルドジェイミ家が【精神】魔法の本家にして大家であり、リュグルソゥム家に対して特別な天敵性を備えていることは十分に理解していた。
そのため、リュグルソゥム家の投入タイミングや、肝心のこの俺と従徒達自身が【精神】魔法によって洗脳されないようにする対策は、万全にして臨んだつもりである。そして、それらは見事に嵌ったし、ヴァニシッサらは抵抗しているだけで、手も足も”羽”さえも出すことはほとんどできていない。
だが――【精神】魔法というものが対策されること、それ自体に対する「対策」を『罪花』側が備えており、そして、最終的な勝利条件や戦力前提の差によって救われているだけで、この俺の【エイリアン使い】の技術を結集した情報収集策がその「対抗対策」に引っかかった事実を見過ごすことはできない。
非常に単純な話だ。
【染みの桃花】店では、その実質的な館主さえもが自らに【精神】魔法をかけることで、敵対勢力が得ることのできる【情報】を誤らせているのである。本人が「真実」と信じ込んでいる情報に関して、その行動や生体反応や発言の違和感や矛盾やらから看破することは非常に難しい。
――もしも、今後もっと異なる場で、異なる勝利条件が絡む際に、今回と同じように力押しで押し切れるかはわからない。
つまり俺は【領域戦】を仕掛けたわけだが、最初から『罪花』側の【情報戦】において、相手の手札がただで展開することを、既に許してしまっていたということなのである。
≪まぁ、それを今学ぶことができたんだからヨシってことにしましょう! オーマ様。それでは、あたし達も出撃しますねー!≫
そして、そこまで理解できたからこそ。
生じたる第二の違和感が際立つこととなる。
「どうして貴女が驚いているんだろうな? ヴァニシッサ殿。まさか下側から”援軍”が来たってことにか? ……その様子だと、違いそうだけれどな」
『3階』から現れたるは、まさに俺が確保しようとしていた『VIP』達だった。
それも、リュグルソゥム家が「そこまで居たならば望外の戦果」とまで言っていた「他の走狗組織の連絡員」達を含んだ、魔法戦闘に心得のある者達。一般人などと比べても、戦闘要員としては十分に期待できるし、殺されてしまえば口封じにもなるから即席の捨て札としても活用するのが合理的であるだろう。
だが――まさに彼らをこそ相手取り、捕縛するためにこそ、この局面まで控えさせていたリュグルソゥム一族プラス守護者ら『長女国』組が【領域転移】によって出現。こうして「2階」と思わされていた場に、双方の”援軍”が出揃ったわけである。
「【付呪術士協会】に【美酒耽食會】、【瑠璃瓶商会】に【『祝り鋼』専売連】……【クロイウェル宝飾職人会】の連中まで囲い込んでいたとは。オーマ様の読み通りじゃないですか」
「同時に、ハイドリィ=ロンドールが目指していたものと『罪花』の、【染みの桃花】店が目指していたものが一致していたことも示していますね、ルク兄様」
「ははは、ご当主夫妻。あと『ハンベルス鉱山支部』の元老人のお二人のことも忘れていらっしゃるよ? ――あの二人が持っていた”視点”も、同じと言えるでしょ」
望外ではあれど、このこと自体は予期していたことではあった、のだが。
何故『彼ら』が戦闘に参加しているのだ? と、ポーカーフェイスのつもりで、もろに『蜂の踊り』の方では動揺しまくり部下に状況を確かめさせまくりのヴァニシッサ。
”認識”が書き換えられ、それが「普通で当然」のこととされているならば、動揺などするはずがない。およそ、人が動揺するというのは、まさに「普通で当然ではない」ことが起きたことに対する反応だからである。
「でも、オーマ様の”本命”が現れていないよ?」
「あとあのジェロームとかいうちょっとヤバいおじさんも……あれ? この人達――」
つまり、ヴァニシッサにとって、この「籠絡した他組織の連絡員」達が”援軍”として現れたということ自体が【異常】と映っている。
「ほんと『罪花』って面白いよね、オーマ閣下。なにせ、客と花を、入れ替えて遊んだりしているんだからさ」
より正確に述べよう。
既に一時【領域】化が完了した2階、応接の間やその他複数の部屋がぶち抜かれ瓦礫とともに廊下との境界が曖昧になった、魔法が飛び交う「市街戦」の様相を呈する戦場において、俺は【情報閲覧】により、確かにその”援軍”どもを視認することができた。
彼らは――確かに他組織の連絡員でありながら、何故か『花』の乙女の格好をさせられている者。
そして、リュグルソゥム家からの従徒献上知識による特徴を備えた各走狗組織の所属者の特徴を備えた外見でありながら、【情報閲覧】上は『蜂』や『花』の乙女と断定できる者の混成部隊だったのである。
ならば、ヴァニシッサにとっての【正常】な状態とは、そもそもどういうものだったのであろうか?
「――まさか」
その可能性に気付くや刹那。
即座に、俺は1階で暴れる”名付き”達に全力での戦闘停止命令を発した。
***
「なん……ッなんッだこれは……!? はぁッッ……はぁッッ……!?」
まるでもう潰れてしまったかのような気管支から、引き絞るように吐き出すかのような喘鳴。
生理的本能そのものがギリギリと絞り上げられるかのような”恐怖”の再絶頂の中で、ガタガタと奥歯ごと全身を震わせながら、”次期”ナーレフの『代官』であるはずのジェロームは、液状化した土砂が毒と火と灰燼を魔力を孕みながら飛び交い漂う混沌の中を必死に這い逃げ惑っていた。
これが”正気”を取り戻したのは、記憶が混濁しているが、つい先ほどのこと。
ここ数分から十数分あまりのことでしかない。
ナーレフへ到来して後に、この地にあると噂の『罪花』の”娼館”を訪れるようになった――そこまでは記憶が継続している。そこでならば、どんな人に言えないような癖でさえも満たされるという。
――廃嫡子とはいえ、あまつさえも頭顱侯家の、それも敵対派閥の走狗組織と接触を持つことなど普通ならば許されようはずも無かったわけだが、半ばの自棄によるものか、はたまた、捨てられたことによる解放が機会に思えたかは、もはやジェローム自身にも定かではない。
だが、どうせ――当初の予想通り――ナーレフの代官邸は”臨時”執政を務めるエリス=エスルテーリの周りを固める幕僚・吏員どもに固められており、さらにジェロームが事前に予想したよりも数段強固な形で掌握されていたのである。
訪れてわかったことであったが、長年ロンドール家を悩ませてきた(と報告されてきた)征服以前の旧住民集団までもが街の統治に組み込まれて合一している当たり、付け入る隙がない。
そこに、やはり若き女指差爵を背後から操る存在の影が窺えるが、ジェロームの”お目付け役”として同行してきた本家直属の廷臣達がなんとかその牙城を突き崩さんと、業務の引き継ぎという戦場に身を投じていったが――さてはて、半日も経たぬうちに、1名が行方不明となったらしい。
そうしたわけで何もかもが嫌になったジェロームは、巡り回ってこの館内にいたわけである。
幾度目かの剛爪と、そして吹き出される強酸の塊を、かろうじて生み出した【風】魔法で払い除ける。そして自身の体が記憶しているはずがない体捌きによって――ろくに鍛えても居なかった中年の体には無茶な動きで――かろうじて避けたは良いものの、既に、泥と『罪花』の青い魔力灯が砕けて散らばった香木の砕けた欠片どもが織りなす饐えた生理的嫌悪を催す臭いが立ち込め、粉塵だけで視界がぼやける空間の中で、彼の体は悲鳴を上げつつあったのだ。
「ば……化けッッものッッ……! ひいぃ……あぐ……ッッ! み、見たことがッッ……ないぞ……魔獣でもない……!?」
喘鳴は嗚咽に。嗚咽は痙攣に。
食べたもの飲んだものは無論、胃液はおろか、内臓の一部ごと吐き出しそうなほどに、全身が『恐怖』の感情によって貫かれるジェロームは、張り詰めた眼圧を自覚できるほど、目を見開いて、この生理的恐怖を体現する『化け物』達の姿を視認していたのである。
つい先ほどか、果ては数日前か、時間感覚がおかしくなってからはもはやわからなかったが――そういう意味での「つい先ほど」まで、当たり前のように談笑し、交流し、あるいは交渉し、戯れ合った『乙女』達が、死屍累々のように巨大な混沌の”鍋”と化した1階だった場所の各所で飛び散っている。
息のある者も多いが、激しく抵抗しすぎたために明確に抹殺されている者も多い。
おお、恐ろしいことに、生きたまま容赦なく剛爪によって引き千切られ、まさに文字通りの意味で両断され、刺し貫かれ、焼き溶かされ――それだけではない。
そのような斬殺を成した『化け物』のうち、一部は、なんと、なんと、なんと、なんと。
「あ……ひゅ……かはッッ……あの『可愛い子』……ちゃん達がッッ……!? お、同じしゅ……種族がッッ……ひぃい、恐ろしいッッ……!」
”門”を形成してアルファ以下の”名付き”達を【領域】と化した1階に呼び出したる表裏走狗蟲達を見ながら、幾度も切り結びながら、間近でその「小醜鬼部分」を見ながら。見紛いようのない――別の意味で結びながら過ごした「つい先ほど」の中に埋もれてしまいそうな夢の如き数日か数週間かも定かではない『物語』の中でのまどろみの感覚を思い出しながら、そしてそれを一気に恐怖に侵し潰されながら。
そのまま硬直し、剛直して、苦悶と恐怖とでもいうタイトルを名付けられそうな肉の彫像めいた引きつった顔をガリガリと引っ掻きながら、わなわなと打ち震えながら、ただの運のみによってこの地獄の時間を――『化け物』達の使役者たるオーマが『2階』から「停止命令」を出すまでの間、耐え抜いて、崩れ落ちるように泥土の中に膝をついたジェロームは、一切眼を逸らそうとはしなかったのである。
このわずかな時間の間に、彼に合切の『恐怖』を与え続けた『化け物』達――それもそれらの中でも暴の極地として切り込むことを主から役割として望まれ、その通りに、無個性の中から個性を尖鋭的に発達させたる”名付き”達――と、実際に”戦っていた”のだから。
だが、それは決して彼の『癖』だけのせいではなかった。
今は「ジェローム」という人格を取り戻したこの四十男は、同刻、【染みの桃花】店の『2階』――否、真の3階において、ヴァニシッサの様子から彼女達に施されたさらなる【精神】魔術による”認識”の改変を察知したオーマが、まさに予測した通りの『状態』となっていた。
露出の高い『罪花』の『花』が身にまとうような歌妓の装束を身にまとい。
全身を絞られてわずかでもそのシルエットが彼女らに近づくように「整形」され、そして『蜂の踊り』を仕込まれた、即席の『罪花』の戦士の出で立ちという姿で。
最初から【精神】魔法という領域において敵対して守勢を貫いていたリュグルソゥム一族はこれに気付くことができなかった。
「放蕩者」として『罪花』の事情を過去に”客”として知っていた風な態度を仄めかした”守護者”サイドゥラ=ナーズ・ワイネンは、その可能性に気づきつつも確信が持てずに示唆に留めていた。
故にオーマは、副脳蟲達が『蜂の踊り』を”意味のある動作の連鎖”を利用した暗号技術であることをあまりに短時間で解析して看破してのけたことで、逆に、『蜂の踊り』を使う者こそは全て訓練されたる『花』や『蜂』であるに相違ない――という先入観によって無意識に解釈を縛られてしまっていたのである。
【染みの桃花】店では最初から乙女達と、VIPを含む客らが、その役割と人格ごと、混ぜに混ぜられて綯い交ぜとなっていた。
彼らは【精神】魔法数種による半共有束縛的連携によって、いわばその小脳に『蜂の踊り』を焼き付けられる形で、最初から『蜂』の”群れ”の一部として組み込まれていたのだ。
まさに強奪対象としてオーマの勝利条件の1つでもあったVIP達こそは、まさに1階が泥の柱によってぶち抜かれ吹き飛ばされそこにありったけの災厄を叩き込まれて煮詰められるその以前から、既に、既に、既に、欲望が渦巻いてかき回される『闇鍋』の中で、その精神はぐちゃぐちゃに掻き混ぜられていたのであった。
――そしてそれは、この”巣”にはいないはずの、いないことにされた、本当の『公主蜂』が仕掛けた盛大な「隠滅」の一貫だった。
オーマ自身は、そもそも、抵抗が激しくない限りは無力化と捕獲を優先しろと従徒らとアルファ以下に厳命していた。
ル・ベリが拘束技を優先し、ユーリルが殺傷力の高い戦闘を控え、軽々に投入できないリュグルソゥム一族の代わりに【魔法戦】に専念していたのもこのためである。
この意味で、奇跡的なほどに、1階で発生した『罪花』側の犠牲者数は【報いを揺藍する異星窟】にとっての許容範囲内に収まっていた。そして戦闘停止命令後、即座に「回収」と「捕獲」に命令が切り替わったアルファら”名付き”達と、泥の柱に乗って次々に飛び出してきた『地中班』のワーカーたる鉱夫蟲らの確認作業により、オーマの本命であった『VIP』達においても、犠牲は許容範囲内であることが確認される。
……その恐怖の性質のために、あらゆる体液を失禁した状態で座り尽くしながらも、失神をすることができないで、自らをぎちりぐちゃあじゅるりと拘束していく触肢茸を凝視し続けているジェロームもまた、そうして回収された『VIP』の一人である。
だが、この回収が成功したことで、オーマは正体のわからぬ”巣”の「公主蜂」がヴァニシッサら全員を引き換えにしてでも隠蔽・隠滅しようとしたのが、自らの目的であり勝利条件の一つとも位置づけていた「VIP」――他の走狗組織から洗脳して取り込んだ連絡員達や、さらに、『長女国』の諸家との交易を担当する『次兄国』の商人達――達であると判断した。
ヴァニシッサの【異常】への驚愕を、そのように解釈したわけである。
――だが、最後まで姿を見せなかった「公主蜂」が本当に「隠滅」しようとしていたものは、実際のところ、もっと些細なものに過ぎなかったのだ。
斯くして、ナーレフの地下社会をも掌握しようとする【エイリアン使い】オーマによる『罪花』の支部攻略戦は、再び「2階とされていた場所」での応酬へと、その最終局面を移すこととなる。





