さあ、泣けよ
「先に様子を見てこよう」
「どうして?」
「この近くに敵がいないか見てくる。不意打ちの危険がある」
「ミツお得意の自己犠牲?」
「…………」
「あたしの身体で?」
「…………」
岡田笹と柳生光良は気まずい沈黙の中にいる。
いつからだろう。
柳生は考える。
岡田笹の気持ちが分からなくなったのは。
「まあ、いいわ。信用してあげる」
「……そうか」
「うん、あんたは強いもん。あたしと違って」
「…………」
柳生は岡田の前では寡黙になる。ならざるを得ない。
道場で馬鹿話できたあの頃が懐かしい。
「でもね、一つだけ忘れないで」
「……何だ?」
「今、あなたは女なのよ」
「……………………分かった」
柳生は“女”の身体で戦いの場へと向かう。
※※※
部室棟の廊下を音がしないように歩く。
いつもとは違う感覚。
一歩一歩。歩くごとに自分が女だということを認識する。
一つに纏められた髪が背中をくすぐる。スカートの裾が足をくすぐる。足の長さも、手の長さも、腰つきも、筋力も、何もかもが男とは違う。
「…………」
柳生は歩く。黙ったまま。岡田のことを考えて。
どの武道においてもすり足は基本だ。
音を立てずに歩くのなんてわけない。
押し殺す。
息も。
足音も。
自分も。
気配。
黒い気配。
柳生は神経をとがらせる。
油断はしない。
今は特に。
自分の身体ではないのだから。
傷つけてはいけない。
負けてもいけない。
自分が勝つということこそが、“岡田”が強いということの証明。
柳生光良は勝たなければいけない。
岡田笹のため。
幼馴染のため。
愛する女のため。
贖罪のため。
※※※
『男』と『女』は、いつ、『男』と『女』になるのだろうか?
少なくとも、柳生と岡田が出会ったあの頃、二人の間にはそんな名前の壁はなかったはずだ。
鬼ごっこをするのも、かくれんぼうをするのも、ままごとをするのも、縄跳びをするのも、そして剣道を始めようとしたのだって、二人はいつも一緒だった。
岡田笹が女だということははじめから知っていた。同じ幼稚園から帰ったある日、一緒に風呂へ入った時、岡田の身体には、自分にはついているものがついていないということを、幼い柳生光良は知った。
けれど、そんなものは関係なかったはずだ。柳生は柳生で、岡田は岡田だった。それは他の友人たちとの関係と、本当は、何も変わらないはずだったのに。
いつの間にか、気が付くと、二人は二人である前に、一人の女と、一人の男になっていた。
それは、彼女の胸が膨らんできたからだろうか? 自分の喉ぼとけが出てきたからだろうか? 彼女の髪から良い匂いがするようになったからだろうか? 自分が彼女のことに、友達には感じない気持ちを、感じてしまったからだろうか?
柳生光良には、分からなかった。
二人の間には、幸いなことに、剣があった。
打ち合いをしている時間は、二人の間に、確かな絆を感じられた。
しかし、それも長くは続かなかった。
同じ年頃の男女が中学を卒業して、そして高校生になって、同じ運動を、同じような条件で、同じように戦うことは、どれだけ難しいことだろうか?
岡田笹が自分より多くの練習をこなしていることを、柳生は知っていた。知っていて、だからこそ、柳生は彼女に対して一切の手加減というものが出来なかった。
彼女は彼に勝てなかった。どれだけ練習しても勝てなかった。
岡田は悔しかった。女に生まれた自分のことが憎いとも思った。自分が、もし、男であったならば。柳生光良に、勝てるのに。自分は彼に勝てるのに。そう涙を流した。
※※※
「殺しはせん、それはお前の身体ではなく、源頼香のものだからな」
「は、お優しいこって。俺は遠慮なく、お前のカノジョさんの頭を勝ち割らせてもらうがねえ!!」
北条【源】と柳生【岡田】はお互いに、昨日までの自分とは違う身体を抱えて戦う。
源の身体は長い黒髪。後ろに一つで束ねている。平均より少しだけ高い身長。規則通りの長さのスカート。整った眉。それなりに大きな胸。
岡田の身体は小柄。平均より三センチほど低い身長に短い髪。いくつかのニキビが見えるデコ。化粧っ気はない。
似た雰囲気を纏う二人の少女。弓道部と剣道部。しかし、今の二人からは全く別の印象を感じる。
「オラぁぁぁ!!」
源頼香の身体を持つ北条政義は鉄パイプを勢いよく振り下ろした。一切の遠慮なく“岡田笹”の頭へ。“彼女”の身体が後ろに避けると、隙を与えぬよう、すぐにそのパイプを今度は跳ね起こすようにして敵に向ける。
その表情には残虐性が溢れていた。まだ“命”をしらない子供がアスファルトの上に転がる虫を勢いよく踏みつぶすときの表情。
「――フンッ!!」
岡田笹の身体を持つ柳生光良はそれを木刀で横からはじく。鉄パイプは軌道を変え、柳生【岡田】の顔数センチ横を抜ける。
一瞬、北条【源】の重心が崩れたのを、剣道部、柳生光良は見逃さなかった。
「胴!!」
勢いよく、木刀を、北条【源】の胴体へ叩き込む。
そのはずだった。
しかし、身体に木刀がぶつかる瞬間、北条はその振りの方向へと勢いよく跳んだ。
予想よりも随分軽い手ごたえ。
今の自分の身体が元の身体よりも随分小さいということを忘れていた。物理的にリーチが短いのだ。北条に攻撃をいなされたのも、打ち込みが浅かったからだ。一瞬のうちに、柳生はそう反省する。
「痛えなあ、糞があ!」
“源”の声。しかし、声の調子からさっきの攻撃にはあまり効果がなかったことが伝わってくる。
「テメエ、マジで、殺されてえようだな、おい!?」北条が口元の涎を拭う。「どういう了見だ、おいテメエこら、テメエもゲームに乗った口何だろうがあ? ならよお、殺す気でかかってこいよ、オラア!!」
柳生は、そんな北条の様子を眺めながら、冷めた表情で語る。
「俺は、確かに、このゲームに乗っかった。だが、根本で俺とお前は違う」
「あぁ?」
「俺はこのゲームでクラスメートを殺すことはしない。たとえそれがお前のような度し難いクズであってもだ」柳生は再び木刀を構える。「俺は、例の指輪を見つけて、このゲームを抜ける。それが俺の目指すクリア条件だ」
北条【源】は腹を抱えて笑う。
「なあに、言ってんだオメエ? 指輪を見つける? その途中に俺みたいなのと会ったらどうすんだ? 殺さず、気絶だけさせて、その間に宝探しか? 馬鹿かテメエ。殺した方が何倍も早えじゃねえかよ、おい」
「それでもだ。俺は殺さない」
と、
北条【源】が鉄パイプを柳生【岡田】に向かって投げつけた。
ふいをつかれた柳生はそれを寸でのところではじき落とす。からん、とそれは地面に落ちる。しかし、
目の前にはすでに北条の姿が――。
鼻先にまず熱さを感じた。次の瞬間、柳生は自分が床に倒れていることに気が付いた。そしてその顔に拳がとんでくるのを見た。痛み、熱さ。感じる。もう一度、痛み、熱さ。それが数度繰り返された。
「はははははああああ。オラオラオラ。テメエの甘さがテメエを殺すぜ、オラア!?」
“岡田”の上に“源”が馬乗りになっているのを柳生は見た。しかし、もはや彼にはそれを跳ね除けるだけの力は残っていなかった。
「さあて、どう調理してやろうかねえ、ああん?」
「…………」
「おい、なんか言えよ、おい!」
わき腹に痛み。殴られた。
女の身体。相手も“女”だが、しかし、自分の今の身体より、大きい。目の前の“女”の顔が歪んだ。
「ははは、綺麗な顔が鼻血で汚れてるぜ、拭ってやろうか?」
北条は言うと、その“源”の舌で、“岡田”の顔を舐め始めた。
柳生は今まで感じたことのない憎悪を感じた。それは殺意と言ってもいい。どろどろに溶かした気持ち悪さの塊のようなものが胸の内から湧いてきた。
「よく見れば“岡田”の顔も、案外イケてんじゃねえかよ。汗くせえ剣道部の女なんて興味なかったけど、はっはっは、十分ヤレルぜ、こりゃあ、おい」
「……やめろ――」
「あああああ、“俺”の、男の身体だったら、今すぐ、ヤッテやんのによお。惜しいなあ。きっともうギンギンだぜ、本当ならなあ。まあ、しっかし、女の身体でも女をヤッチまうことくらい出来んだろう? おおお、第二の初体験ってやつだ、なあ、興奮すんなあ、おい、おい、なあ、なんか言えよ、おい。“岡田笹ちゃあん”!?」
“源”の手が“岡田”の胸を勢いよく掴む。柳生【岡田】は今まで味わったことのない種類の痛みに顔を歪めた。
「ははは、やっぱり小せえなあ剣道女の胸はよお。こんくらいのサイズじゃなきゃあ、運動すんのには邪魔だよなあ。見ろよ、それに比べて“俺”の方を」今度はその手は“源”の胸へと伸びていく。「ほら、でっけえだろう? はっはっは、やっぱりどうせ女になんならでっかいほうがいいもんなあ。お前も触ってみるか? 今ならタダで触らせてやるよ」
「……下衆め」
圧倒的有利な状況にいる北条【源】にとって、今は少女の声で紡がれる自分への罵倒はむしろ心地よくさえあった。
北条は間違いなく興奮していた。今までの人生でめぼしいことは一通りやってきたつもりだった。
しかし、このゲームでは、未知なる体験をできる。
クラスメートの女が目の前で抵抗の出来ない状態で倒れている。自分はその上に跨っているが、その身体は自分のものではない。この身体は今まで自分の嫌っていた女の身体で、その女はセックスにもドラッグにも興味のなさそうな面をしている、ときた。その身体で煙草を吸い、そして今から目の前の女をオカす。そう思えば思うほど、この身体は熱くなる。今まで本当の自分では感じなかった部分が興奮により変化する、その感じが気持ちいい。初めて酒を飲んだ時の様だ。
「さあ、そろそろヤッちまうか」
北条は“岡田”の服に手を掛ける。柳生【岡田】はそれから逃れようと必死に身体を動かすが、再び顔面に拳を受けて、動かなくなった。
「まずは上からだな」
制服のボタンを無理やり外していく。朝日が差し込む廊下でそれは行われている。“女”が“女”の服を引ん剝くように脱がす。
「ほら、出てきたぜ小さいのがよお」
それを掴む。
何より北条の満たすのは、征服。
「じゃあ、下だ」
“源”の声が色に染まる。
今自分の身体に“ソレ”はついていない。けれど、そんなことはこの際関係ない。指でも、そこに転がっている木刀でも、“ソレ”の代わりは何にだって勤まる。
重要なのはこのいけ好かない男が惚れているであろう女の身体を凌辱することこそによって、直接的にも間接的にも、この男に最大限の効果を与えることになる、というその一点のみだ。
北条は、“岡田”の下着に手をかけた。
「さあ、泣けよ」




