第三十二章:先生の『所見』と、雪降る校舎の宝探し ー #2
私たちは、クラス中の通知表(の写メ)を、旧視聴覚室のホワイトボードに集約した。
全40人分の、謎のメッセージ。
「掃除用具」「廊下」「白鳥」「仔猫」「歯車」……。
「……一見、バラバラに見えるな」
写楽くんが、腕組みをして唸る。
「……だが、法則があるはずだ。出席番号順に頭文字を読むとか?」
「……いえ、それでは意味が通りません」
愛瑠来さんが首を振る。
「……『あ・い・し・て・る』のような、単純なメッセージではないようです。もっと、空間的な……」
そこで、王、根露くんが、ホワイトボードの前で足を止めた。
彼は、チョークを手に取ると、いくつかのキーワードに丸をつけ始めた。
「……見ろ。こいつらのメッセージには、共通点がある」
* さらん(仔猫):『高い場所』
* 写楽(歯車):『噛み合う機械』
* ある生徒:『時を刻む足音』
* ある生徒:『一番星に近い窓』
* ある生徒:『文字盤の裏側』
「……高い場所、機械、時、文字盤」
私が、その単語を繋ぎ合わせて、ハッとする。
「……これって、まさか……!」
「……ああ。校舎の頂上にある、『大時計』だ」
根露くんが、窓の外、雪の中にそびえ立つ時計塔を指差した。
「……他の生徒へのメッセージは、撹乱か、あるいはその場所への『道案内』だ。……『廊下を走るな』は、時計塔への渡り廊下。『掃除用具』は、塔の入り口にある用具室の鍵のことだろう」
厳格な源田先生は、クラス全員の「個性」に合わせて、時計塔へのヒントを散りばめていたのだ。
さらんには「高い場所(好奇心)」、写楽には「歯車(技術)」、そして根露くんには「王冠(頂点)」。
「……行くぞ。老人の『忘れ物』を回収しにな」
***
私たちは、人気のない校舎を走り抜けた。
渡り廊下を抜け、特別棟の最上階へ。
そこからさらに、普段は施錠されている「時計塔」への螺旋階段を登る。
(鍵は、ヒント通り掃除用具入れの裏に隠されていた)。
冷たい風が吹き荒れる、時計塔の内部。
巨大な歯車が、ゴウン、ゴウンと重たい音を立てて回っている。
その中心。
巨大な文字盤の裏側に、古びた「ブリキの缶」が置かれていた。
「……あった」
写楽くんが、凍えた手でその缶を開ける。
中に入っていたのは、金銀財宝でも、テストの解答でもなかった。
それは、一冊の分厚い「手帳」と、数枚の「写真」だった。
「……これは……」
愛瑠来さんが、写真を手に取る。
そこに写っていたのは、体育祭で泥だらけになって笑う私たち。文化祭で居眠りしている写楽くん。授業中に隠れて弁当を食べている早乙女くん。
どれも、先生がこっそりと撮っていたであろう、生徒たちの「飾らない日常」だった。
そして、手帳には、びっしりと、万年筆の文字で、こう記されていた。
* 『写楽。授業は聞かんが、独創性は誰よりもある。その技術を正義に使え』
* 『愛瑠来。完璧すぎるのが欠点だ。もっと泥臭く生きてもいい』
* 『さらん。お前の明るさが、クラスを救っている』
* 『根露。孤高を恐れるな。だが、友を頼ることを忘れるな』
それは、通知表の狭い枠には書ききれなかった、生徒一人一人への、溢れんばかりの「本当の所見」だった。
いつも「廊下を走るな!」「ボタンを留めろ!」と怒鳴ってばかりいたゲンコツの鉄。
けれど、彼は誰よりも生徒のことを見ていたのだ。
厳しい言葉の裏側に、こんなにも温かい眼差しを隠して。
「……ずるいな、あのジジイ」
写楽くんが、鼻をすすった。寒さのせいだけではないだろう。
「……こんなの、最後に読ませるなんて、反則だろ」
「……ええ。本当に、不器用な方です」
愛瑠来さんも、目を細めて写真を見つめている。
根露くんは、手帳をパタンと閉じると、時計塔の小窓を開けた。
そこからは、雪の降る校門が見下ろせる。
ちょうど、一人の老人が、荷物をまとめて校門を出て行くところだった。
背筋をピンと伸ばし、一度も振り返ることなく、雪の中を歩いていく、小さな背中。
「……王よ。見送りの言葉は?」
愛瑠来さんが尋ねる。
根露くんは、しばらくその背中を見つめていたが、やがて、フッ、と小さく笑った。
「……必要ない。……王の言葉などなくとも、あの背中は十分、雄弁だ」
彼は、窓枠に肘をつき、去りゆく恩師に向かって、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……大義であった。……達者で暮らせよ、鉄造」
ゴーン、ゴーン……。
ちょうど午後五時の鐘が、頭上で鳴り響く。
それは、先生の退職を祝う鐘であり、私たちの二学期の終わりを告げる音でもあった。
雪は、音もなく降り積もり、校庭に残る先生の足跡を、優しく埋めていった。
【第三十六章:先生の『所見』と、雪降る校舎の宝探し - 了】




