02 イベントダンジョンβ版
「あんたたち死ぬよ」
その傷だらけの騎士は、疲れ果てたように床に座り込んだまま彼らに云った。
彼ら、バンダと付き従うふたりの戦士は、その胡散臭げな騎士を見下ろしていた。
乾いた血を鎧にこびりつかせた騎士は言葉を続ける。
「ここに入っちまった以上、もう逃げられやしない。潔く諦めな」
騎士の言葉に3人は顔を見合わせた。
その3人の様子に、騎士は顔をしかめた。
「いますぐ死にたくなけりゃ灯りを消しな。それが嫌なら他所へ行け。お前らの巻き添えで俺まで死にたくない」
騎士の醸し出す異様な雰囲気に呑まれ、3人は腰に下げていた携帯用ランタンの火を消した。
たちまち周囲が闇に覆いつくされた。
「どういうことだ?」
バンダが問う。
「奴らは灯りの範囲にいる生き物を攫う。しかも奴らは光から光へと転移して来る。捕まりたくなきゃ闇に潜みな」
「その化け物ってな、なんなんだ?」
「知らん。真っ白い影みたいなヤツだ。亡霊みたいな感じだが、実体がある。この屋敷の主が呪術に狂って生み出した化け物だ。あんたら、外で剣は貰ったか?」
「あぁ。なんか役人から安っぽい出来のショートソードをな」
「大事にしな。粗雑な見てくれだが、そんなんでも祝福の施された武器だ。そいつじゃないとあの化け物にはダメージを与えられん」
バンダたちは息を飲んだ。
「教会が全力で祝福した代物だ。冗談じゃなしに神の加護を得た武器だよ」
暫しの間、沈黙が続く。
「あんた、俺たちは死ぬっていったな?」
「あぁ。もちろん俺も死ぬ。部隊の仲間も攫われちまった。残った仲間と屋敷の中央にまでは辿り着いたが……ははっ。この屋敷の主は、侯爵様はなにを生み出したんだか。みんな捕まった。殺されちまった」
「それでここまで逃げてきたってわけか。なんで逃げなかったんだ? 出口はすぐそこだぞ」
真っ暗でわからないが、バンダは後ろを指差したようだ。その仕草を感じ取ったのか、騎士が乾いた笑い声を上げた。
「ははっ。逃げる? 試してないのか? 外への扉は開かないぞ。当然、壊すのも無理だ。この屋敷がダンジョンだってのは聞いてるだろ? 呪術でダンジョン化した屋敷だ。中央の術式を破壊しない限り、ここから出ることはできないぞ」
「そうか。それはいいことを聞いた。礼を云う」
直後、金属の擦れるような音が聞こえ、そして――
肉を割く音と騎士のくぐもったような声が僅かに響いた。
★ ☆ ★
「あー、やっちゃったねぇ」
映し出されている真っ暗な画面を見ながら、お母様が呆れたようにも取れる声を上げました。
記憶を一時的に改竄され、彼らは冒険者協会よりダンジョン攻略の為に派遣されたと思い込んでいるとのこと。
ですから、今の彼らの行いは、普段通りの素の行いであるということ。
バンダが剣を抜き、騎士を殺害。その後のガチャガチャとした音から察するに、みぐるみを剥いでいるのでしょう。
「剣を奪ったってことは、化け物を殺して回る気みたいだね。忠告されたのに、こいつらどんだけ脳筋なのよ。このダンジョンをハクスラまがいの調子で進むのは、悪手でしかないのに」
お母様はそういうと、口に小さなシュークリームを放り込みました。先日、お母様が双菜姉さんと一緒に作ったもの――のコピー品です。
確か、プロフィトロールという名称のお菓子です。
お母様は「クロカンブッシュを作ろうかと思ったんだけど、面倒臭くなったからこれで完成」と、突然いいだして、双菜姉さんを戸惑わせたとのことです。
ここは【はじまりのダンジョン】の拠点にある談話室です。拠点といっても、お母様の住まう場所ではなく、ドワーフさんたちが生活をしている区画のほうにある談話室です。
壁一面を覆う大型モニターに、冒険者協会より送り込まれてきたバンダとかいう禿げ親父と、その配下2名が魔物と戦っています。えぇ、彼らは魔物を探し、見つけ次第殺すというダンジョン攻略を行っています。
わざわざ入り口近くにいた騎士が、殺して回るのは悪手であるとヒントをだしたにも拘らず。
彼らの相手にしている魔物。その魔物には名称が付けられておらず、ただ“影”とだけ呼ばれています。
その姿は首のない人型。身の丈は約2メートル。白い影のような姿で、頭部に当たる部分、胴体の上に瘤のように盛り上がった部分に黒く丸い眼のようなものが見えるだけ。人型以外にも、四つ足の獣型のモノもいくらかいるようです。
そしてそれの持つ能力はドレイン。触れられると体力を奪われるのだそうです。
お母様曰く――
「あれを倒すには“強力な祝福の施された上質な武器”が必要なんだよ」
とのこと。
まぁ、その武器はこのダンジョンに入る前、クエストを与えてきた役人より貸与されるわけですが。
尚、この武器はダンジョン攻略を完遂できた場合の報酬となるそうです。
なんでも、担い手の魔力を吸うことで魔剣となる銀の剣だそうです。
「魔法触媒にもなるから、基本的に魔法使い用の装備かな。サイズも取り回しの良いショートソードになってるよ。まぁ、連中は騎士を殺して祝福バスタードソードを強奪してるけど。経験が浅いのかな? あの歳で。室内で振り回すには長すぎるのに」
と、お母様は呆れていました。なにせ連中がやっていることはただの強盗ですしね。
さて、いまこの談話室にいるのはお母様と姉様にメイド様。そして私、人夜と一宕。お茶とお茶菓子の準備を行っている双菜姉さんに護衛役というよりは付き人となっているマリア姉さん。人美という名を頂いたのに、マリアと呼ばれる方を好んでいるようです。……いえ、頂いた名前を大事にし過ぎているという感じですね。
そして教会から、【黒教】からは【神託の巫女】、【赤教】からは【探索の巫女】のヴィルマさんが来ています。お母様は教会を巻き込んで、冒険者協会に嫌がらせをこれでもかとするつもりのようです。
その証拠に、ドーベルク王国の王女であるエルゼ姫もここにいますから。このお姫様は、暫く前にお母様と十夜姉さんがドーベルクへ赴いた際に、ドーベルク王国からついて来ました。いわゆる人質ということだそうです。
エーデルマン子爵家のことで、ドーベルク王国は我々にどう対応するか苦慮した結果でしょう。
そのエルゼ姫はというと、画面に映し出されている状況に絶望したような顔をしています。
まぁ、国として冒険者協会にはかなりの便宜を図っているようですからね。そこの代表として来た者がこんな強盗行為を喜んで行っている様をみれば、そうもなるでしょう。
更にはお母様が神であることをエルゼ姫は知っていますからね。
「連中は中央までちゃんと辿り着けるのかな? 一応、あのダンジョン、ヒーリング効果が常時発動しているから、怪我とかは回復するんだけれど。うーん……ちょっと心配だなぁ」
「あの? お母様? なぜそんな仕様にしたのですか?」
不思議に思い訊ねました。
「呪術の中心である中央の部屋にはトーテムがあるんだ。そのトーテムを生かしておくためだよ。まぁ、連中が辿り着いたら映るから、それでわかるよ。
あ、そうそう、さっきの騎士、一応、生きてはいるよ。一応はね」
え? さっきバンダが装備を奪うために殺しましたよね?
「うん。ヒントを全部聞く前に首を斬ってるし、あの調子だと途中でリタイアしそう。ちゃんと最後まで行ってくれないとこっちも面白くないよ。まったく手間が掛かるなぁ。デメテル、何も考えずに道なりに進めばヒントを拾えて中心に辿り着けるように、寄り道の扉は閉めといて」
《かしこまりました、マスター》
あぁ、連中のことをもう完全に無能扱いにしていますね、お母様。
★ ☆ ★
屋敷の中は基本的に暗く、いくつかの部屋の開け放たれた扉から溢れる灯りだけが通路を照らしていた
だが3人はその灯りを避けることもなく、堂々と廊下を歩いていく。多くの扉は閉まっており、開けようとしてもビクともしない。
玄関ホールから一番近くの部屋、そこで彼らは騎士と遭遇した。
そこを出てから屋敷内を警戒することもなく突き進んでいく。屋敷はとにかくおかしな構造となっていた。
いきなり通路が壁で分断されていたりするのは当たり前。ある部屋を通ってからでないと辿り着けない部屋、つまり通路と隣接していない部屋などがあるのだ。もちろん、その部屋は寝室などではない。
3人が幾つ目かの部屋へと入る。歩いている距離は、確実に屋敷の広さを超えているが、3人はそのことに気がついてもいないようだ。
入った部屋は執務室のようだ。煌々とした灯りが灯された部屋。一番目につく立派な執務机の上には、羊皮紙が乱雑に散らばっていた。
それらの羊皮紙にはこの屋敷に施されている呪術のヒントが記されていたが、彼らはそんなものには一切興味を示さず、ただ金目の物だけを物色していた。
そして問題が起こる。
突然灯りの下に“影”が現れた。だが、物色に夢中であった彼らはそれにまるで気付かない。
影は一番近くにいた取り巻きのひとりをしがみつくように捕らえると、諸共姿を消した。口元を押さえつけられていたために、取り巻きは声を出すことも出来なかった。
ややあって、ひとり消えたことに残されたふたりは狼狽えた。慌てて声を出して捜そうとしたが、バンダがそれを止めた。
ここで騒いでは化け物を呼び寄せることになると判断したのだ。
その判断は正しいが、あまりに遅すぎた。だがそれ以上に、騎士の言葉を無視していたことが問題だった。
奴らは光のある所に転移してくるのだ。だからこそ騎士は闇に潜めと忠告したのだ。
だがそんなことを気にも留めず、すっかり忘れているふたりはいまだに灯りの下にいた。
ふたりはそのまま暫く引き攣らせた顔を見合わせていたが、やがて妙に慎重な足取りで次の部屋へと向かった。
僅かながらにポケットを膨らませて。
そしてそれから数分後。いつの間にかバンダはひとりとなっていた。
気付くやバンダは剣を構え、背を壁に張り付かせた。
緊張に荒くなる息遣いの音を忌々しく思いながら、周囲をみやる。
あの騎士はなんと云っていたか?
いまさらながらに騎士の忠告を思い出そうと無駄な努力は始めた。
ソロリソロリと、極力足音すらも立てないように注意しつつ、バンダは進み始めた。
障害物で塞がれた通路。開かない扉。どこも進める場所はひとつだけ。一度、戻ろうとしたものの、いつの間にか閉じられた扉はどうやろうと開かなかった。
いまにも泣き出しそうな顔になりながらも、バンダは引けた腰のまま進んだ。
明るい中を選んで進む。だが、もう化け物は現れない。それも当然だ。バンダには屋敷の中央、最深部に到達してもらわなくてはならないという、ダンジョンマスターの意図によるものだ。
あまりの無能さに、完全イージーモードとなったダンジョンを、異常に警戒しながら進むバンダはあまりにも滑稽だ。
そしてその遅々たる歩みながらも、やっと目的の部屋へと辿り着いた。
「なんだ……こいつは……」
屋敷の中央。その部屋は異常だった。
目についたのは部屋の中央にある、串刺しにされた男。天井にまでも届きそうな先の尖った丸太に、立派な服装の中年男性が串刺されていた。
そしてその丸太に縋りつくかのように、何人もの人間が折り重なっている。
その中に、自身の護衛であったふたりの姿もみえた。
「なんなんだよこれはっ!」
バンダが叫んだ。
すると、近場の死体? から、“影”が這い出してきた。部屋の奥からも“影”が現れた。
逃げようとバンダは後退さるが、すぐに背がぶつかった。
いつの間にか扉が閉まっていた。
一瞬口元を引き攣らせるものの、バンダは“影”を睨みつけると、叫ぶように声を上げて斬りかかった。
その部屋は酷い有様だった。
辺りには刻まれた死体が多数転がり、床は血で真っ赤に染まっていた。
そんな中、肩で息をしながらバンダはひとり立っていた。
周囲にいた化け物はもはや一体もいない。そして化け物を生み出していた死体もすべて斬り裂いた。
バンダは両手で血塗れた剣を握ったまま、ギョロギョロと周囲に視線を巡らせていた。
動くものはなにもいない。物音もなにもしない。聞こえるのは自分の荒い息と、ドクドクと騒がしい心臓の音だけだ。
終わった。すべて終わった。
安堵し、バンダは大きく息を吐いた。
構えていた剣を降ろし、あらためて室内を――
ゲホッ!
急に咳き込み、胸に妙な疼きを覚えたバンダは、胸を押さえ、俯くように身をかがめた。身体が痺れ、力も抜けていく。
胸の中をカリカリと引っ掻かれているような感覚に、咳き込みつつ表情を歪める。
次の瞬間、押さえている胸から腕が飛び出してきた。
白い、靄のような腕。それはいまさっきまで、自身が斬り殺していた化け物のものと一緒だ。
「お、おい、嘘だろ……止めてくれよ……」
そう云った直後、“影”がバンダの胸から這い出した。
★ ☆ ★
「はい。クエスト失敗。禿げバンダは贄となりましたとさ。
ま、こうなるだろうことは分かっていたよ。人は殺せても自分は殺せないからこうなる。もっとも、そのことにも気がついてなかったみたいだけど。うん。評価は“問題外”だね」
「あ、あー……そういうことですか。マスター、また嫌らしいダンジョンを作りましたね」
「そう? でもコンセプトを【英雄】としたダンジョンだからね。これくらいが丁度いいでしょ。本質を見るために、わざわざ記憶も一時改竄したんだしね」
「あの、どういうことでしょう?」
エルゼ姫が問いました。
「あのダンジョンは“場”そのものに強力な呪術が施されていて、生きているモノがいる限り、呪術が発動することになっているんだよ。そして贄を触媒として化け物が生み出される。
その贄を生かし続けているのがさっき云ったヒーリング効果。
化け物が生み出されることを止めるためには、呪式を保全するトーテムを破壊し、そしてあの場に生きているモノが存在しない状況を作るしかないんだ。その状態で一定時間経過で呪術の術式が維持をできずに崩壊するっていう仕組み。
だから、ダンジョン挑戦者は中央のトーテムとモンスターの媒体を全て破壊した後、自害しなくちゃならない。それが出来ない場合は――あの禿げみたいに自身が化け物の苗床となって終わることになるよ」
な、なんてえげつないダンジョン! お、お母様、さすがにそれはあんまりなのでは?
「マスター、ひとつ疑問が。対象は長時間ダンジョンにいましたが、それが化け物化しなかった理由は?」
「術式の強度の問題。中央の部屋、トーテムのあったあの部屋ね。あそこに入らない限りは、生きている状態からは化け物になることはないよ。だから“影”が人攫いをしているわけだし。で、あの部屋にはいって、化け物になるまでのタイムリミットは5分。それまでに中にいる化け物を殺して、トーテムを破壊。最後に自害っていうのが、クリアまでの流れだね。化け物は一撃で確殺できるんだから、そんなに難しくはないよ。扉は開かなくなっているから逃走不能。だから、本当に死ぬしかないんだよ」
「酷すぎませんか?」
「さっきも云ったけど、このダンジョンのコンセプトは【英雄】だよ。知力、胆力、決断力の3つを試すものだよ。戦闘能力はついで。
連中みたいに全てを薙ぎ払って突き進むのもいいし、闇に隠れて中央を目指しても構わない。でも最後にさっきの3つが試される。
中央の部屋に至るまでに得られたヒントから、ダンジョンを崩壊させる方法に気がつき、自害することを決断し、そしてそれを実行する。
英雄には“自己犠牲”の精神はつきものだよ。それを試すにはいいダンジョンになったと自負しているんだけれど」
あ、あの、マスター? みんなドン引きしているようなのですが!?
「はぁ……。なんというか、雷花ちゃんらしいダンジョンを作ったわね。人を試すにはいいんじゃないかしら? VRだから実際に死ぬわけじゃないし、入った際には絶対に死なないという事実を知らせなければ、国家としては最高の試しの場になるわね。そう、近衛の選定試験とかにぴったりじゃないかしら」
ため息をつきつつ姉様がエルゼ姫に視線を向けます。エルゼ姫はと云うと……あぁ、さすがに真っ青な顔をしていますね。
まぁ、こんな嫌らしくもえげつないダンジョンなど、この世のどこにも存在していないでしょうしね。
「私らしいっていうけど、このダンジョン、一応、元ネタがあるんだよ。だから私が1から考えたわけじゃないよ。ちなみに元ネタのトーテムは心臓の山。
まぁ、それはいいとして。エルゼ姫、ドーベルクが騎士の試験に使うっていうなら、イベント後もこのダンジョンは残しておくけど、どうする?」
良い訓練場、いえ、試練場になるよとばかりに、お母様がエルゼ姫に云いました。
「さ、さすがに私の一存では決められませんので、本国と相談の上と云うことでよろしいでしょうか?」
「あー、そりゃそーだね。うん、いいよ。
さてと、連中はドーベルクの冒険者協会へと放り出そう。旅費も浮いてお得だし、きっと感謝してくれるね」
お母様が珍しくいつもと違う表情をしています。口元にニタリとした笑みを浮かべた姿など、初めて見ます。
「それじゃオモイカネ、私が連中を向こうに放り出したら、ワールドアナウンスをお願いね」
《お任せください。アナウンスと同時に、冒険者協会幹部、並びに職員の加護を剥奪します》
……あぁ、可哀想に。彼らは街についた途端に、自分たちの行いが世界に知られることになるのです。神を隷属しようとしたということが。
きっと、大変なこととなるでしょう。特に協会は加護を、個々人の名付け効果を失うことで、職員たちが紛糾することは間違いありませんから。
まぁ、己のしでかしたことです。責任を取ると良いでしょう。
そんなことを思い、私は妹とふたりでほくそ笑んでいたのです。




