07 雪歌と雷花
兄弟姉妹間における嫉妬心というのは、ごく普通にあるものだろう。
大抵は両親からの待遇の違いによって起こるものだ。
下の子は上の子のお古を着せられる。親が手のかかる下の子ばかり構う。
まぁ、そんなことが原因だろう。
私たち姉妹も似たようなものだったのではないかと思う。
少なくとも私が妹に嫉妬心を持っていたのは事実だ。
妹は健康な体であったし、なにより聡かった。小さい子であるならば、あれこれ我儘をいうものだろうに、空気を読んで大人しくしていることが多かった。
私の虚弱さのために、両親はなかば妹を放置していたにも拘らず、あの子は一切文句をいわなかった。
私の妹への嫉妬心は、私自身の身体的な問題に寄るところが大きい。アルビノであるうえに虚弱体質であったこの体は、呆れるほどに脆弱なのだ。
子供の頃は熱を出して寝込んでいる記憶の方が多いくらいだ。
まぁ、そのせいで雷花ちゃんは遠慮がちな子になってしまったわけだけれど。
今にして思えば、あの子はもっと我儘をいってよかったのだと思う。
恐らくは、互いにそういった思いはあるものの、私たちは概ね仲の良い姉妹であったと思う。
あの子は私を疎むこともなく、私を支えてくれた。
だというのに、私はあの子の健康な体と聡い頭をうらやむばかりだ。
脆弱な体である以上、自身の自信、誇れるものとできそうなものは頭くらい。でも私の地頭は極めて普通であった。
ガリ勉といえるほどに勉強をして、学年順位でどうにかこうにか10番前後に食い込む程度。
中学に入り、成績のランクが如実に分かるようになり、私は絶望したものだ。
でもできることと云えば、勉強くらいだ。必死で勉強し、宿題に悩む妹に教えるということで、私はなんとか自身のアイデンティティを保っていたのだ。
でもきっと、そう遠くないうちに、私は追い抜かれることだろう。
私は怖れていたのだ。
優秀な妹に見限られはしないかと。優秀な妹がいることで、両親から見放されたりはしないかと。
そんなことはないだろうに、私はいつからかずっと怖れていたのだ。
そんな陰鬱とした暗い思いをこじらせた私が変わったのは、13歳の時だ。
中学に上がり、自転車通学となったことで、私の行動範囲は大幅に広がった。とはいえ、通学路以外のところへと行くことはまずなかったが。
自身の体力の無さは嫌というほど思い知っている。でもそれでも、通学路途上にあるお店を知ることはできた。
シャッター街というほどには陥っていないが、近場に大手スーパーができたせいで、多くの店が店じまいをしてしまった商店街がある。閉店の理由はスーパーの他にも、後継ぎがいないという理由もあったようだが。そんな歯抜けのようになってしまった商店街の外れに、洋菓子店が開店した。
折しも母の誕生日も近いこともあり、私はケーキを買いに行くことにしたのだ。
そして母の誕生日。私は学校から帰るや、すぐにその洋菓子店へと向かった。移動は徒歩だ。自転車だと、折角かったケーキが崩れると考えたからだ。私の運転する自転車よりは、ひ弱ながらも安定して進める自分の足の方が信頼できる。
片道約2キロ。さすがの私でも問題なく歩いていける距離だ。
洋菓子店へは妹も一緒に向かった。母へのお祝いのケーキを買うのだ。私だけというわけにはいかない。
この後に起こることを考えれば、妹を連れて行かなかったほうが良かったのだろう。
恐らくは、彼女にとって最悪の日となったのだろうから。もっとも、私ひとりで行ったのなら、私は殺されて、行方不明となっていただろう。
なにが起きたのかと云うと、商店街に入った直後、私と妹は拉致されたのだ。
いや、拉致というほどのことでもないのだろう。
目的の洋菓子店は、自宅方面から行くと商店街を抜けた先にある。そして商店街は半ばが閉店し、空き家となった店舗が無数にある。そんな商店街の路地に引きずり込まれ、そのまま、恐らくは精肉店か生魚店であっただろう建物に連れ込まれた。
私と妹を連れ込んだのは大柄な男。大柄と云っても私や妹から見ての話で、恐らくは180程度の背丈だろう。顔はマスクで半ば隠れていたため、年の程はよくわかならかった。
ぞんざいに刈られた黒髪短髪の筋肉質な男。東洋系の男だが、なんとなく日本人ではないのは分かった。
もっとも、これらは後になって思い返して理解したようなことだ。
この時はただ、変質者、もしくは性犯罪者的な者に捕まったとしか思っていなかったのだ。
私は大振りのナイフで脅され、全裸にさせられた。
妹は今にも泣き出しそうな顔で、ただオロオロとしていた。
服を脱ぎ終わった時、男の目を見、私は顔を引き攣らせた。
男は性的行為を行うために私に服を脱ぐことを強要したのではなかったと、そこで分かったのだ。
男は、解体するのに邪魔だから、私に服を脱ぐことを強制したのだ。
私は長生きはできないだろうなと、漠然と思ってはいたが、まさかこんな形で人生を終えることになるとは思ってもいなかった。
男が私を殺すべく手を伸ばして来た時、急に妹が間に割り込んできた。
それこそ、私を護るかのように。いえ、私を護るために。
それに苛立ったのか、男は妹を押しのけるようなことはせず、手にした刃物を横殴りに振った。
妹が身を護るように前にだした手が、右掌がざっくりと斬られた。
男はそのまま私ではなく、斬られ、尻餅をついた妹を殺そうと向き直った。
妹が殺される。そう思った私は、妹に覆いかぶさった。
今度は私が斬られた。
指先を紙でスパッ! っと切った時のような感触が背中に生まれ、途中でゴリッという嫌な音が体の中に響いた。
漠然としていた死が、その痛みで突然現実的なものとなり、あまりの恐怖に私はパニックを起こした。
でも体は竦んで云うことを利かず、ただガチガチと歯が鳴るだけ。
男は無造作に私を引き起こすと、放心したような妹を無視して、私に刃物を向けた。
首を掴まれ、半ば息が詰まる中、私は殺されるのを待つだけとなった。
見える男の目には苛立ち以外の感情は見えなかった。
するとそこへ、にゅっと血まみれの小さな手が現れ、男の顔に張り付いた。
途端、男が絶叫し、その小さな手、妹の左手を振り払った。
そう、妹が、私を押さえつけるために身をかがめていた男の左目に親指を突き込んだのだ。
男の叫び声に驚いたおかげか、竦んでいた私の体が云うことをきいてくれるようになった。
私は逃げた。
そう、よりにもよって逃げたのだ。
妹を置いて。
鍵の壊れた扉を開け、路地へと転がり出る。
その時に振り向き見えた光景は、激痛に呻く男の首に、妹が手にした刃物を刺し込む姿だった。
私は路地から通りに出たところで倒れた。
先の男の叫び声のせいだろうか。近くの閉まった住居兼店舗から年配の女性が出て来たのを見た所で、私は気を失った。
気がついたのは病院だった。
怪我自体は軽傷で、私は数日の入院で済んだ。とはいえ、仰向けに寝ることはできなかったが。
私よりも妹の怪我のほうが酷かった。右掌の裂傷は骨にまで達していた。
入院中の最初の数日は休まる時はなかった。
警察が病室に押しかけての事情聴取に、病院が用意したカウンセラーとの対話。
正直な話、ちゃんと休ませて欲しかった。
そういえば、あの男は自殺扱いとなっていた。私たち姉妹を拉致し、殺害しようとしたところ逃走されたことで、死を選んだということになっているらしい。
退院してしばらくして、父から事件に関しての話を聞いた。捜査をしていた刑事さんから教えてもらったことだそうだ。
ロクでもないものだった。
私たちを襲ったあの男は、いわゆる人身売買ブローカーの者だった。私が、彼らの商品リストに加えられていたということだ。それも、私が生まれた直後から。
ある程度の年齢に達するまで、私のことはマークされていただけで、放置されていたらしい。
人身売買といっても色々とあるようで、私の場合は体のパーツそれぞれであったとのことだ。
アルビノ信仰というものがある。アルビノを神の使いなどというものだ。日本だと白蛇や白鹿なんかがそうだ。海外でもライオンや虎でそういった信仰がある。
だがアルビノ信仰にはそれとは別の信仰がある。
兎信仰というのがヨーロッパの方にはある。兎が多産であることから生まれた信仰だ。
出産は命がけだ。現代でさえも出産時に命を落とすことは多々ある。母体であったり、新生児であったり。それが昔であるならば尚更だ。
そんな中、多産である兎は幸運と豊穣の象徴とされたのだ。死と隣り合わせの出産を乗り越え増えゆく姿に。そしてそれは信仰となった。
だがその信仰の仕方は崇め奉るのではなく、その体の一部をお守りとするようなことだ。
“兎の足”という幸運のお守りなんかがそうだ。切り落とした兎の前足を、そのままお守りとしたものだ。
アルビノ信仰にもこれに似たものがあるのだ。特に人のアルビノに関しては、これしかないと云ってもいい。
解体して、その一部をお守りとする。食材とすることで、健康だか幸運だかを得るというもの。他には、これはアフリカの方の風習なのだろうか、呪術の触媒、もしくは贄として使われている。
これらの話を聞かされ、あまりの荒唐無稽さに私は気の抜けたような笑い声をあげたのを覚えている。
だが、自分で調べてみて、それが絵空事ではないことを知った。どこぞの5歳のアルビノの男の子は、両親とデパートに買い物に行った際に迷子? となり、見つかった時には両眼をくりぬかれていたなんていう事件も起きたりしていた。そして他にも似たような事件をネットで拾うことができた。
需要があるのであれば、供給すれば金儲けはできる。
私に目をつけていた人身売買組織は、よほど大きなものなのだろう。人がひとり死亡したというのに、報道は一切されなかったし、なにより警察は捜査を途上で打ち切った。
父はかなり深いところまでその刑事さんから話を聞いたそうだ。それに対し、捜査情報を漏らしてよいのかを聞いたところ、記録上事件はなかったことになっているから、話している内容は捜査情報じゃないと云ったそうだ。
警察の類は頼りにできない。そう、知らされたということだ。
事件後、妹が変わった。
学校に通うことなどで離れ離れにならざるを得ない場合以外は、私にべったりとなった。
それこそトイレの前にまでついてくる始末だ。
少なくとも、妹の右手の怪我が完治するまで、その状態は続いた。
他にも、食生活に関していろいろと両親に注文を付け始めた。我儘ではあるが、その内容はやたらと健康的と云うか……どこのアスリートだと問い質したくなるようなものだった。
健康面を考えるならば悪いことではないが、なんというか、食生活があまりにもストイックなものに変貌した。
そのおかげもあってか、私の虚弱な体質が多少改善されたので、感謝すべきなのだろうが。
なんでこんなことを始めたのか、妹に問うたことがある。
彼女は私の目を見て、まっすぐに答えたのだ。
「お姉ちゃんは私が護るの」
妹は答えた。
だから誰にも負けない体を作るのだと。
私は泣いた。
色々な意味で泣いた。
妹の言葉は嬉しかった。同時に私に突き刺さった。
妹は言葉通りにあの時、私を護っていたのだ。そのためにその手を汚してまで。だというのに私は妹を見捨てて逃げた。逃げたのだ。命惜しさに。
私は薄汚れた人間だ。
見た目は真っ白だが、その中身はドロドロとした薄汚いものが詰まっている。
これほどまでに自己を嫌悪したことはなかった。
私は薄汚れた生き物だ。きっと、妹のように綺麗な者にはなれはしないだろう。でも。きっと私でもその真似事くらいはできるはずだ。
例えその動機が、自己満足なだけの汚いものだとしても。
だから私は決めたのだ。
私はもう、絶対に妹を裏切りはしないと。この子のためならなんでもしようと。
そう決めて10年。
両親の三回忌に向かう途中、コンビニで命を落とす時まで、私はうまくできたと思う。
それから3年。
なぜか私はこうしてまた生きている。
それが妹が望んだこと。
今にして思えば、あの事件の時に妹は壊れてしまったのだろう。
妹に取って、信じられる者は家族だけになってしまったのだ。それ以外を信用することはなくなってしまったのだと思う。
実際、あの事件後も怪しげな外国人につけ回されたりしたこともある。商材として人身売買組織のリストに載っている以上、常に用心しなくてはならなかったのだ。
そういった事柄が彼女を完全に人間不信としてしまったのだと思う。
“神”と成ったいまでも、彼女は絶対に“信じられる”者しか側においていない。
ひとりを除いて、その全てが自身が創り出した者で周りを固めている。
「コダマちゃんとローちゃんに期待するしかないかしら?」
私は思う。ふたりのこと思い出し、首を振る。
きっとダメだ。あのふたりは完全に妹のシンパだ。狂信者というほどではないが、少なくとも正しい人間関係を築くということにはならないだろう。
まぁ、神などという大層なものになってしまった以上、正しい対人スキルなど不要なのかもしれない。
「まぁ、なるようにしかならないわね」
私はため息をつくと、眠る妹の髪を撫でた。
「ん……」
妹が微かに声をあげ、薄く目を開けた。
私なんかを生き返らせるために無茶をして、このひと月、ずっと眠っていた妹。
私は笑みを浮かべ、寝ぼける妹に声を掛ける。
「おはよう、雷花ちゃん」
これにて第10章は終了となります。
明日より閑話を2本投稿します。
第11章は暫しお待ちください。




