02 雪歌と地上
地上へとやってきました。
姉様は塔から出た途端にトンボ返りをしましたが。どうもマスターは変なこだわりをもったのか、それとも記憶のままにそうしたのかは分かりませんが、姉様の受肉した体は丈夫ではあるものの虚弱なままというような、おかしな有様でした。
「ダメ! 外眩しい! 熱い! 暑いじゃなくて熱い! 耐性が昔のまんまだわ! どういうことなの!?」
光がダメというのは聞いていましたが、直射日光を浴びると、すぐに重度の日焼けをおこして火傷するとのこと。
いえ、たしかに砂漠地帯で長時間肌を晒して歩こうものなら、普通の人間でも酷い場合には火ぶくれを起こしますからね。砂エルフはその辺りの耐性が高いのですが、アルビノである姉様には厳しい環境でしょう。
というか、マスター、なぜこのような状態で復活をさせたのですか!? いえ、消費DPとマスターの疲弊具合からして“容れ物”がこの状態であるのはおかしいと思うのですが。
《謝:我が神の姉君の復活に関しては、想定外の不具合が発生したため、その対処に多大な存在質量が消費されました。そのため、姉君の肉体生成に関してはグレードダウンせざるを得なくなりました》
「……え?」
「管理システム、どういうことでしょう?」
《地球の神により付加された主無き信仰力により、復活シークエンスに置ける力場構成に問題が生じました。その問題の対処に多大な存在質量が消費されたためです。それ以上の消費を行えば、我が神に多大な障害が起きかねなかったため、一時の処置として真人級にまで肉体をダウングレードさせました。そのため、現状は神体の“容器”としては著しく不足しているという状態です》
「えっと、それは大丈夫なの? タッパーに核廃棄物を放り込んであるようなものよね?」
「姉様、その例えは……。まぁ、云い得て妙なのかもしれませんが、ご自身を核廃棄物に例えるのはいかがなものかと」
「私は気にしないわ! ところで、雷花ちゃんの体の方はどうなっているの?」
《我が神の進化もかなりのイレギュラーでありました。人として復活途上で我が管理惑星に転移、その上で祖竜と戦闘において莫大な存在質量を取得。生物としての位階をあげることとなりました。本来、生物が神の位に至る事は有り得ないのですが、なぜか世界がそれを審査し、認めました》
「え? それは初耳ですが」
「んんっ? 審査なんて、私にはそんなのなかったわよ」
《姉神様においては、別の方式となっています。信仰を元とした神となります。酷い言い方をすれば、“人”が望み創りあげた“神”に等しきモノです》
「かつて生み出された破壊神ですね」
私も断片的な情報でしかこの破壊神に関しては知りません。実際の所、破壊の神というわけではなく、“唯一絶対の神”として生まれたために他の神を滅ぼし始めた厄介な存在ということだけです。
《ひとりよがりで不完全な願いより生み出される神です。狭量で融通の一切が利かないモノとしからならないものです。ですが、姉神様に関しては、核として間宮雪歌の魂が使われたことにより“神に等しき人”となっています》
なるほど。厳密には“神”というべきものではないと。
《世界の定義する神とは違いますが、存在的には神と同等です。我が神の当初の目的、並びに姉神様の有り様見るに、まったく問題ではありません》
管理システムの言葉に、姉様が首を傾げました。
「雷花ちゃんの当初の目的って何?」
「姉様が不老不死の状態での復活ですね。ただ復活させただけでは、姉様が年老いて死ぬのを見ることになるため、それを拒否した結果です」
姉様が頭を抱えました。
「どうされました?」
「雷花ちゃん、そこに執着してるの? いろいろと心配なんだけれど。お父さんとお母さんが事故で死んだときに、かなりおかしくなってたけれど――」
姉様が呻き声をあげます。
「壊れたまんまなのかしら? いえ、おかしくなったのって、8歳の時のアレがはじまりよね? でも雷花ちゃん、その時の事は全然覚えていないって云ってたし――」
あ、あの、姉様? マスターが8歳の時分になにがあったのですか?
「雷花ちゃんがいないところであれこれ考えても無意味ね。とりあえずは保留よ。で、管理システムちゃん、私のこの状況は大丈夫なの?」
《今後、存在質量が増加次第、順次本来の肉体へとアップグレードします。現状の肉体では不足ではありますが、日常的には問題ありません。もとより、我が神の姉神様に関しましては、神たる本質部分は万全としてありますので、“器”に異常をきたしたところで問題はありません》
「あぁ、そういえば神様って、精神生命体というか、意識を持った概念みたいなものだったわね。というか、私もそうなったのか。まったく実感がないわね」
《実感を抱いていただけるまでは、強固な外殻での防護措置をとってあります。なにぶん、“容れ物”が脆弱な代物でありますので。自己の境界を認識できなければ、世界に溶け、雲散霧消してしまうため、それを防ぐためです》
「あぁ、やっと合点がいきました。復活シークエンス中のそのアナウンスが謎だったのですよ。
姉様。一応その体は虚弱ではあるようですが、真人と同様のものであるとのことですから、基本スペックはいわゆる超人といえるものです」
「超人って、お日様に負けるのよ!?」
「恒星に勝てる生物はまずいません」
「違う、そうじゃない! そうだけどそうじゃないわ!!」
姉様がぶんぶんと腕を振り回します。
体格のせいもあって、やたらと可愛らしいです。
「姉様。いくら騒ごうとも現状を変えることは叶いません。潔く諦めましょう」
「くっ。仕方ないわね。それじゃ目的のボナート商会へと行くわよ!」
「姉様、こちらをどうぞ」
本日の護衛役であるマリアが、姉様に日傘とサングラスを渡しました。
サングラスは、とある映画の宇宙人犯罪者を取り締まる黒服が身に着けているような、いかにもな形のサングラスです。そして日傘はもちろん、縁にフリフリのついたファンシーな代物。
姉様がサングラスはともかくも、日傘をみて辟易としたような顔をしています。
「ねぇ。私、この恰好でこんな淡いピンクの日傘だと、どこぞの吸血鬼幼女のコスプレをしているみたいになるんだけど」
「蝙蝠羽でも背中にくっつけますか?」
「違う、そうじゃない!」
姉様が畳まれたままの日傘を振り回します。
「私がそういうコスプレすると洒落にならないのよ!!」
……な、なんだか切実そうですね。生前、なにかあったのでしょうか? この様子だと聞くことも憚られそうです。
とにかく、目的のボナート商会へと行くとしましょう。
★ ☆ ★
え、えーっと……どうしましょう? マスターになんと申し上げればよいのか。
オラフさんとの話し合いは簡単に終わりました。金本位制の通貨と信用通貨の両替ですからね。これをどうにかしようというのは難しいものです。ですが、今回の条件ではGPをこの周辺で使われている公用通貨への一方通行の両替です。
ですので、なにかしらの商品を基準として、それにあわせての換金となりました。
基準としたのはこのあたりの国の主食である黒パンです。えぇ、あの硬い黒パンです。食すためには、スープ等に浸してから食べるのが基本のあれです。
マスターが以前、「これがカチカチのフランスパンだったら、ふたり共死んでた」なんていう台詞のあったドラマを見せてくださいましたが、こちらの黒パンは焼き上がり直後でも人を撲殺できそうなくらいに硬い代物です。やたらと軽いのですけれどね。一晩おいて、空気からやや水分を吸ってからでないと歯が立ちません。 そうなってもボソボソとしていて、美味しい代物ではありませんけれど。
そんな黒パン1個の値段は銀貨1枚。……なのですが、いかんせん、物価基準を考えると頭を抱えたくなるところです。結果、銀貨1枚500円としました。
実際、公用銀貨1枚の地金の価値を地球基準にすると3000円くらいになるんですよね。まぁ、ここは日本基準を忘れることにしましょう。
姉様も少しばかり口元を引き攣らせていましたが、ここは価値基準をこの世界に合わせるべきですからね。そのことをしっかりと理解しているのでしょう。
50GP=銀貨1枚、というレートを基準に両替を行うこととなりました。
尚、公用貨でGPを買うことは出来ない一方通行の両替となります。
……あれ? となると、ダンジョンに出現させるGPの調整をしないといけませんね。
GPはニッケル貨、銅貨、真鍮貨(白)、真鍮貨(金)の4種類を用意してあります。そしてダンジョン内にはニッケル貨をのぞいた3種を、金、銀、銅貨に見立てて撒いてあるわけです。
それぞれ、1GP、10GP、100GP、1000GP硬貨です。
要は、10円玉、100円玉、1000円玉、10000円玉です。
高すぎませんかね? 桁をひとつ落としてもいいかもしれません。現状はまだ試験運用中ですから、そのあたりの変更は効きます。
硬貨に関してはこちらの問題ですから、それは後で姉様と相談しましょう。ダンジョンに撒く硬貨を変更すればいいだけのことですからね。
ひとまず、問題であったGPの換金基準はこれで確定としましょう。
そして問題となったことというのは、ラウルさんのことです。
簡単にいいますと、ラウルさん、姉様に一目惚れしました。
これには姉様も苦笑い、オラフさんとアマデオさんが頭を抱え、マリアがやや殺気立ち、オラフさんの奥方であるハイディさんが激怒する有様です。
「こういうのは定期的にあったのよね。合法ロリだから問題ないっていうけど、幼女趣味であることには違いないのよ。正直、結婚相手として見るというのは無理ね」
「ちなみに、その考えに至った理由は」
「娘ができたときにどうなるのかわからなくて怖い。というか、できる未来予想が恐ろしすぎるわ」
「……始末しますか?」
マリア、物騒なことを云わない。そもそも姉様が気にしていないのですから、殺気をこれみよがしに出さないように。
「あの感じだと、多分無害よ。
……あ、奥様、大丈夫ですよ。こういうことははじめてではないので。あぁ、またか、というようなところです。こちらにはその気はありませんのでご安心くださいな。わざわざ行き遅れを貰う必要もないでしょう? 私、みてくれはこの有様ですけど、とうに20を過ぎていますからね」
真っ青な顔で謝って来るハイディさんに、姉様がニコニコしながら対応しています。まぁ、23歳なら、こっちではもう確かに行き遅れですが。
というか、みなさんが慌てふためいているのは、姉様=姉神と認識されているからですよ。ちゃんと最初にそう紹介しましたからね。
ラウルさんは、オラフさんとアマデオさんが責任をもって矯正するとのこと。いや、矯正できるのでしょうか? 性的な嗜好というものはそうそう変えられるものではないと思うのですが。……【赤教】へと放り込むと。性根を叩き直すのとはまた別と思いますが、その決定に私たちが口を出すことではありませんね。
そのような事もあり、私たちは早々にボナート商会を後にしました。
その際、姉様が「だからいったでしょう。私がこんな恰好をすると洒落にならないって」と云っていたのが印象的でした。
まさかこんなことだなんて、想定していませんよ……。
★ ☆ ★
さて、予想外に早く換金関連の話が終わりましたので、町を回ることにしました。
正直、サングラスを掛けた姉様が日傘を片手に歩いているのは、この世界においては非常に異質です。
なにしろ、サングラスにしろ日傘にしろ存在していませんからね。眼鏡はありますが、着色したものはありませんから。
……ガラスの製法が悪くて、やや濁ったものが粗悪品として存在しているくらいです。
「メイドちゃん。こうして歩いてみて思ったのだけど、交通関連ってどうなっているの?」
「交通ですか?」
私は首を傾げました。
「そう。この町って、確か5キロ四方の広さなのよね?」
「正確には約5.7キロ四方です」
「なんでそんな半端なサイズに!?」
「もともと一辺4キロの正方形の形の町にする予定だったのですが、整地後、急遽円形に変更したのですよ」
「……また行き当たりばったりでやってるのね、雷花ちゃん。そんな調子でパルクールと護身術をミックスして、得体の知れない体術作ってたし」
なんですかそれは!? いえ、なぐやきゅー子があっさりとあしらわれているのを見ていますから、マスターが妙に近接戦に強いのは知っていますが。
「それは置くとして。交通機関よ。なにかしらあったほうがいいでしょ。数値でみると狭そうだけれど……多分、私たちが住んでいた町より広いわよ。さすがにそこを徒歩で移動するのは地味に時間が掛かると思うわ。
それにここは完全に孤立しているわけだし、外部から馬車の類が入ってくるわけでもないでしょう? それなら、なにかしらの交通手段はあったほうがいいと思うのよ」
「なるほど。確かに。日本に比べれば、こちらはのんびりしていますが、かといって無為に時間を使うことを良しとしているわけではありませんしね。誰しも余裕は欲しいものです」
馬車でも巡回させた方がいいでしょうね。料金設定などはどうしましょう?
「料金ねぇ……。無料でいいんじゃないかしら? ここに住んでいるだけでDPを落としてくれているんだし」
「それは問題にならないでしょうか?」
「大丈夫じゃないかしら。もっとも、公共の施設、設備をなんでもかんでも無料にすると、ロクでもない輩が湧いて出るから、程度ってものも必要よ」
「そういえば、マスターが公衆浴場等は有料にすると云っていましたね」
「現状は町がまともに回っていないから無料にしているのよね?」
「えぇ。まだ経済活動が行われていませんから。テスターをしている8人がGPを僅かばかり稼いでいるくらいです」
できるかぎり早めにダンジョンの情報をほうぼうに流したいところですが、まだいろいろとやらなくてはならないことが多いですからね。
なにより要のマスターが寝込んでいる状態ですから、どんなに早くともひと月はこの状況が続きます。実際、マスターが目覚める時分がおよそひと月後ですから、さらに遅れることになるでしょう。
「それじゃ、丁度話も出たことだし、冒険者さんたちのところへ行くわよ」
はい?
「姉様? 目的はいったいなんでしょう?」
「市場調査……かしらね。とはいっても、ボナート商会との兼ね合いがあるから、塔で売るものは慎重に検討しないといけないでしょう? まぁ、支援を目的としたお店じゃなくて、軽食喫茶みたいなものでも作った方が無難だと思うけれど」
まぁ、食事関連は町の方に作ると云うか、できるでしょうからね。コックさんがやる気になってますし。
「だから食のタブー関連も知っておかないと。原材料に豚が使われていた調味料を使ったというだけで、戦争になりかけた事案だってあるのよ! ……本当かどうかはしらないけど」
「種族によっては、忌避している食材もありますし、確かに調べておくことは必要ですね。
こちらの“人”に分類される種族は皆、おそらくはアボカドは食べられないでしょうし」
姉様が目をぱちくりとさせました。
「え、どういうこと? というか、こっちにもアボカドってあるの?」
「いえ。マスターが出しました。コダマ曰く、猛毒です。実際、地球では人間以外には猛毒なのでしょう? こちらではほぼあらゆる生物に害をもたらすようです。ちなみに、アボカド数個でレッサードラゴンの成体を死に至らしめることが可能だそうです」
「凄いなアボカド!
いや、それはいいとして。そんなこともあるだろうから、きちんと調べることはは必要なのよ!」
なぜ斜め上を指差すのですか、姉様。……マリア、そっちを真剣に凝視しなくても大丈夫です。空しかありません。
「で、メイドちゃん。そろそろお昼だけれど、この時分だと冒険者さんたちはどこにいるのかしら? あぁ、もちろんダンジョンに入っていない方の人たちのことよ」
「食堂ではないでしょうか? マスターが昼食の概念を押し付けましたから。そこにいなければ、塔の施設の何処かでしょう」
「それじゃ、せっかくだから食堂でお昼にしましょう。冒険さんたちがいなくても、コックさんから食のタブーを聞けるわ!」
そういうと、姉様は大股で歩き始めました。
あの、姉様? その子供っぽく見える所作は、わざとやっていますよね?
こうして私たちは、大衆食堂へと向かったのです。




