01 ある青年の半生
第8章の投稿を開始します。
本日より毎日0時更新。
全7話+閑話となっています。
よろしくお願いします。
彼に両親の記憶は無い。せいぜい、食べ物をくれる女の顔を朧気に覚えているだけだ。恐らくは、それが彼の母親だったのだろう。
それもある時を境に姿を見せなくなった。
その頃には彼はひとりで出歩くには問題ないくらいには成長していた。恐らくは、5、6歳程度であろうか。
故に、彼は空腹を満たすために薄暗いその場所から街へと向かった。
かつては樵か猟師の小屋であった廃墟を出、その廃墟のある森にほど近い町へと入った。
町の出入り口には兵士が立っていたが、壁は町全体を覆っていたわけではないため、中へと入ることは容易かった。
壁の覆われていない場所。そこは貧民街。例え魔物災害が起こったとしても、そこなら被害を受けても構わない。そんな考えが透けて見えるような町の造りではあったが、幼い彼にはそんなことを考えつくことも無かった。
彼はそこで路地裏を回ってはゴミ漁りをし、埠頭にいっては、売り物に成らぬと廃棄された魚を拾い、なんとか命を繋いでいた。
実際の所、町中よりは埠頭のほうが彼にとっては安泰であった。廃棄された魚の大半は“食用にならない”、即ち“毒魚”と思われていた魚であったため、彼が持って行ったところで誰も気にも留めなかった。
だが、それらはえてして美味なものも多いのだ。本当に毒を持っているものもあるが、運よく彼は致命的な毒を持った魚を食べたことはなかった。
彼は真っ当な人間に成長していたかというと、そうではない。まともな教育など一切されていないのだから、それも当然だろう。会話はできるが、文字はわからない。計算もできない。いわゆる一般的な平民と同レベルかそれ以下だ。その上、道徳的倫理観も持ち合わせていない。
彼が漁師に断って魚を貰っていたのは、面倒事を避けるという理由だけだ。路地裏でのゴミ漁りは、その一帯を縄張りにしている宿なしの孤児のたちとのトラブルの元だ。
一度、孤児たちによって私刑に遭っている少女の姿を見たことがある。その凄惨な有様に、彼は無用な危険には手を出すまいと決めた。きっとあの7、8歳の少女は殺され、もしかしたら連中の胃袋を満たすことになったのかもしれない。
路上生活児の組織にも属さず、通いで森と埠頭を往復するような生活を続けること約10年。漁師の手伝いなどをして覚えも良くなった。漁師たちの元締めからも、漁師にならないかという誘いがくるようになった頃、彼はやらかした。
彼の住む森に、身綺麗な少女が足を踏み入れた。どこか良いところの娘に違いない。恐らくはよくあることで、親に反発し家を飛び出して来たのだろう。
大抵は護衛やお付きの者がいるのだろうが、彼女は運良く、いや、悪くもその者たちをも撒いてしまっていた。
彼は立派な大人と云える歳になり、体もそこらの路上生活者などよりもしっかりとしていた。もっとも、それでもまだ貧弱ではあったが。
そして身体的に成熟もすれば、性的欲求もまた、年相応に生まれていた。
まともな道徳的倫理観を持ち合わせていない男が、見目麗しい無防備な娘を見つけたらどうなるか? そんなものいわずもがなだろう。
彼は少女を襲い、犯し、そして殺した。
最初、彼は昔見た孤児たちと同じように少女の死体を処理しようと考えたが、結局は森の外れに少女を打ち捨てた。
理由は道徳的なものではない。そんなものを彼は欠片も持ち合わせていない。単に、自分の体液で汚れた肉を食いたくなかっただけだ。
そしてこれが大事件をもたらした。
この娘はこの地方を支配する領主の末の娘であった。
娘の惨状に領主は激怒した。娘の見つかった場所は、塀の無い貧民街側の森の入り口。当然、娘は貧民街の者に襲われ、そこに打ち捨てられたのだと考えた。
即日、領兵と傭兵による混成軍が起ち上げられ、貧民街には火が放たれ駆逐された。
この様を見た彼はあまりのことに恐ろしくなり、そしてそれを引き起こしたのが自分であることも知り、慌てて逃げ出した。
領主は怪しげな者を皆殺しにしていた。それがたまたまこの町に立ち寄っていた行商人であろうと冒険者であろうと。当然、この辺りに住んでいる自分の事もいずれ知るだろう。
そう思い、彼は如何にして領主に見つからない所へと逃げるかを考えた。
考えた結果、彼は町からでている西の大陸へと向かう船へと密航することを考えた。
別の国へと逃げてしまえば、領主でも手を出せないだろうと考えたからだ。
彼は運が良かった。
町はずれで起きた大騒動もあってか、船乗りたちは野次馬根性を起こし、船から離れている者が多かった。おかげで、警備の薄くなったその船に忍び込むのは容易かった。
彼は運が悪かった。
船は予定通りに出港した。食糧や水をくすね、まるで鼠のように貨物の奥の隙間に隠れ潜んでいた。排泄物やゴミは隙を見て、夜中に海へと捨てた。
そうして数日。船は海賊に襲われた。
衝角を取りつけた海賊船は船の側面に突撃し、船体に大穴を開けた。
たちまち海水が流れ込んでくる中、彼は出来うる限りの水と食糧を確保し、開いた大穴から逃げ出し、船体に張り付くように隠れた。
上の方からは戦いの音が聞こえてくる。悲鳴と共に、不用意に殺すなと喚く声が聞こえる。
その中に、デラマイルだ! という声も聞こえた。
デラマイルのことは漁師たちから何度も聞いたことがある。数年前から暴れまわっている海賊だ。人を片っ端から攫うということから、人狩りの異名を持つ海賊だ。
もし攫われれば、殺されるよりも酷い目にあうという噂を聞いている、それこそ、悪魔の生贄にされるのだと。
彼は見つからないようにと祈りながら、船体に張り付いていた。
やがて、パチパチと炎の爆ぜる音が聞こえてきた。船に火が付けられたのだろう。
炎は勢いを増し、ごうごうと音を立て始めた。さすがに、ここまで燃え上がれば、海賊船も側にはいないだろう。
彼は船体に添って泳ぎ、船の反対側を見た。
デラマイルの海賊船であろう船は、もう大分離れた場所を航行していた。
彼は危険を承知しながらも、再度沈みゆく船へと戻り、いくらか残されていた物資を確保した。そして樽のひとつにしがみつきながら、海を漂流することとなったのである。
それから数日。どうにか確保して置いた水と食糧のおかげで、彼は島へと流れ着くことができた。途中、狂暴な海棲生物に襲われなかったのは、運が良かったと云うべきか。
島へと辿り着き、彼は探索を開始した。ここがどこなのかを知らなくてはならない。とにかく、人里近くにいかなくては、ひとり生きていくには厳しいことを知っているのだ。
食糧はともかく、衣服はどうにもできないのだから。今着ているものも、船の貨物からくすねたものだ。
島をひと回りし、そこが無人島であることが分かった。彼は絶望感に襲われたが、少なくとも湧水を発見し、食用となる木の実や果実もみつけた。そして魚を取る技術は、漁師たちから教えてもらってもいた。あのままいけば、自分も漁師として受け入れられていたのかもしれない。
まぁ、いまとなっては後の祭りだ。
彼はその島で暮らし始め、そしてある時、その洞窟を見つけた。
島のほぼ中央にひとつ突き出した大岩。そこにぽつんと口を開いた穴。
中を覗くと、すこし先に階段があった。
薄暗い中を進む。
壁に手をつき、足元に注意をしながら階段を降りていく。
階段を降りた先は一直線に伸びた通路があった。暗く先は見通せないが、近場は微かに明るく、歩いて進むには申し分ない。
彼は暫し逡巡したが、決意したように歩き始めた。
★ ☆ ★
この島に落とされ、以来、ダンジョンマスターを得ることもなく、ただひたすらにダンジョンを構築してきただけのダンジョン・コアは、初めて訪れたまともな侵入者に歓喜した。
ダンジョン・コア単体では、まともにダンジョンを機能させることはできない。
最低限の魔物と罠の配置をすることはできるが、やはりダンジョンマスターがいるのといないのとでは、出来ることが違う。
ダンジョン・コアはすぐさま通路の設定を変更した。侵入者は丸腰だ。ここに直接誘導したところで、自身を破壊することは不可能だ。
ここの最奥部へと続く最短ルートにのみ灯りをつけ、それ以外の通路の灯りは落とす。そして隠し扉の全てを解放する。
もちろん、ダンジョン内を徘徊しているモンスターは、ルート外の玄室に待機させる。
当然のことながら、進み終えた道の灯りは順次消していく。ドワーフやエルフであったのなら暗闇などものともしないだろうが、人間であれば暗闇を見通す能力はない。
灯りのある方向へと進み続けるだろう。
こうしてダンジョン・コアの望みどおりに彼はダンジョンを進み、そしてダンジョン・コアに触れた。
かくして、予定通りにダンジョン・コアは彼との意思の競走に勝ち、絶対支配下に置いたダンジョンマスターを得た。
ダンジョンマスターを得ることで、ダンジョン・コアは本来の機能を十全に発揮することができる。
いままで行ってきたことは、陸に向けてのダンジョンの拡張。そして海洋生物を囲い、僅かながらのDPを稼ぐという涙ぐましいものだ。
だが今はそれに加え、モンスターの種類を制限なく自由に生み出し配置することができる。それは機能を用いてのダンジョン拡張以外に、モンスターを用いた人海戦術でのトンネル工事もできるということだ。
この孤島のダンジョンでは、刻まれている任務を遂行することができない。そう、広義的な意味合いでの“人”を惹き寄せるということを。故に、ダンジョン・コアは大陸へとダンジョンを繋げるべく、延々とトンネルを掘り続けているのだ。
そして開通したひとつ目は、別のダンジョンへと繋がった。それどころか、ベージュ色の巨大な蟻が溢れていた。
慌ててトンネルに蓋をした。だが、僅かながらに遅れ、大牙砂蟻の侵入を許してしまった。その数2匹。
ダンジョン・コアは慌てふためき、自身の場所に辿り着けることのないように、通路の一部を狭くし、侵入を阻んだ。大牙砂蟻が飢え死ぬまでの数日間、生きた心地がしなかった。
ダンジョン・コアはそのトンネルを諦め。別方向に伸ばしたトンネルに希望を託した。
やがて、そのトンネルも開通した。そして開通した先はまたしてもダンジョンであった。
ダンジョン・コアは頭を抱えた。
なぜどちらのトンネルもダンジョンに当たるのかと。
だがそのダンジョンに居たのは100体程度のゴブリンのみだった。それもほぼすべてが使い捨てのタイプであった。
それに対し、こちらの戦力はトンネル堀を行っていた作業用のゴーレム。とはいえ、つるはしを装備し、岩の体は十分以上の防御力、耐久力を持ったもの。なにより、戦闘外のことを行わせるために、実体を持たせたゴーレムだ。
こうなるともう、ダンジョン・コアは自棄になった。
ゴブリンを殲滅するには、このゴーレム土方たちでも十分可能だ。このダンジョンを制圧してしまえ、と。
幸い、ダンジョンマスターとした者は学は無かったが、こうした戦闘においては容赦がなかった。敵はもとより味方に関しても。
如何にすれば勝つことができるか。それだけを求め、実行した。ただ、それが効率を求めてであったのかというと、そうではないが。
かくして、罠があればゴーレムを突き進ませ全てを発動させ、それを無効化し突破。ゴブリンの攻撃は、もちまえの防御力でのゴリ押し。
上位種のゴブリン、ホブゴブリンやゴブリンジェネラルも存在したが、たかだか1、2体しかいないのでは脅威にならない。ゴーレムが1体破壊されている間に、囲んで殴り潰せばよいのだ。
こうしてダンジョンを制圧し、ダンジョン・コアを支配下においた。これでこのダンジョンマスターであるリザードマンも必然的に配下となる。
リザードマンの優秀さに僅かながら嫉妬を覚えると同時に、安堵もした。少なくとも、自身のダンジョンマスターである人間は自身の身の安全に関しては非常に臆病であり、叛意を起こす心配がないのだ。
配下としたダンジョン・コアより情報を得る。
残念なことに、そのダンジョンも“人”との関わり合いはなかった。リザードマンが数度侵入したことがあるようだが、そのリザードマンたちはすでに警戒をしており、ダンジョンには寄り付かなくなっているらしい。
ここでも任務遂行は難しい。
だがその任務よりも問題事がひとつある。このリザードマンのダンジョンの前に、大牙砂蟻が大量に生息するダンジョンに穴を空けてしまった。これは明確な侵略行為と受け取られかねない行動だ。
現状、あのダンジョンの反応はないが、いつこちらに進軍して来るかもわからない。
実際、自身が行ってみて理解したのだ。他ダンジョンを攻略することが、どれだけ“美味しい”かを。
そしてダンジョン・コアは決意した。あのダンジョンをも制圧してしまおうと。
ただ、安全の為に自身のダンジョンからではなく、リザードマンのダンジョンからアプローチすることを決めて。
そしてまたもやトンネルを掘る作業へと取り掛かったのである。
★ ☆ ★
実に幸運であった。かのダンジョンへと向けてトンネルを掘り始めたところ、途中で魔力溜まりを掘り当てたのだ。その量は自然回復するDPにして約1万年分に相当する。
他のダンジョンを攻めるためには実体、肉体をもったモンスターが必要となる。自身のダンジョン内を徘徊させる使い捨てモンスターでは、自身のダンジョンから出た場合、魔素で固めた実体を維持できずに雲散霧消してしまうからだ。
当然、実体持ちのモンスターの方が生産にはコストがかかる。自ダンジョンで採用しているゴーレムなど、リザードマンのダンジョンのゴブリンの倍以上のコストだ。
そしてそのゴブリンは非常にコスト的に優秀であったりする。まず、生産コストが高い。そしてゴブリン(♂)1体に対し、ゴブリナ(♀)を数体用意して置けば、かなりの速度で繁殖する。そして成長速度も速い。5年程度で一人前のゴブリンorゴブリナとなる。
もちろん、ゴブリンたちを維持するために食糧の類は必要となる。だがそれらは、自身のダンジョンの周囲にある海から、魚を得ればいいだけだ。
海底部から海面までもダンジョンの範囲とすれば、そこを通過する魚を採取することなど容易い。
それから数年。ついにトンネルが開通した。
ゴブリンを数体送り出し、状況を確認する。
……。
……おかしい。前回は溢れんばかりにいた大牙砂蟻がまるで見当たらない。
慎重に時間をかけて確認をする。
調査に出したほぼすべてのゴブリンが未帰還だが、おそらくもう大牙砂蟻は存在しないと思われた。ゴブリンの死亡原因も、スライムに捕食されたからだと判明した。
戦力は十分に整えた。この物量で制圧できぬダンジョンなどないだろう。例え相手がドラゴンであろうとも、狭い玄室内に大量のゴブリンが送り込まれなどすれば、まともに戦うこともできなくなるはずだ。そう、ゴブリンという名の肉に溺れることだろう。
ダンジョン・コアは勝利を確信していた。それだけに突如として現れたその反応に思考が停止した。
ダンジョン内に侵入者。その数50。




