05 とある商人の幸運?
なにごとも、物事が上手く行っている時ほど、落とし穴が待っている。
ある意味、これは世の中の真理と云えるだろう。もっとも、これは調子に乗って、足元をおろそかにするなという意味なのだが。
要は“初心忘るべからず”ということだ。
だが、正直いまのこの状況は、その“落とし穴”に嵌ったなどということではなく、単純に不運、不幸といった類のものだろう。
俺の名はラウル・ボナート。
あぁ“ボナート”なんて大層な名がついているが、貴族というわけじゃない。ボナート商会の次男坊だ。
このほど、ついに一人前と祖父に認められ、商会の支店をひとつ任されることになった。
更には“支店をだす町からなにから自分で決定して仕切れ”と、無茶なことを親父がいいだした。
親父よ、支店を出す町くらい決めておいてくれ。じっちゃんが凄い目で睨んでいたのを気付いていないのか? まぁ、やってやるけど。
そんなわけで、長年の友人であり、自分の側近となることが決まっているアマデオと共に、いくつか選定した町を視察して回ることになったのだ。
そして最後の視察地であるトラスコンの港町からドーベルクへと戻るために乗船した旅客船が、よりにもよって海賊の襲撃を受けたのだ。
それも“人狩りデラマイル”の海賊団だ。
奴等と遭遇して戻ってきた者はほぼいない。大抵の海賊共は、金品を奪取後、乗客乗員は船に放置(マスト等は破壊)して撤収。或いは皆殺しにして撤収するというのがほとんだ。
だがデラマイルは金品人員根こそぎ持って行くことで知られている。攫われた者がどうなっているのかは不明。有力者の身内なども攫われているが、身代金の要求があるわけでもない。また、奴隷商に被害者たちが流されることもない。そのため、もっとも得体の知れない海賊団と噂されているのだ。
一説には、悪魔、魔神の類への生贄にしているなんて話もあるくらいだ。
実際、連中の装備の充実さをみると、その話も納得できそうだ。
下っ端の海賊でさえ魔剣持ち。さらには身に着けている鎧も上等なものだ。何人かの鎧は魔鎧であるのだろう。金属鎧の魔鎧はそれなりにダンジョンから産出されているが、革鎧の魔鎧となると希少なものだ。
鎧そのものの防御力を考えると金属鎧の方が人気ではあるが、国の間諜部門、いわゆる暗部と呼ばれる組織では喉から手が出る程に求めていると聞く。
そんなダンジョンでも稀にしかでない希少な革製の魔鎧を装備している者がいるという時点で、かなり異常な連中であるとわかる。海賊行為を繰り返しているとはいえ、揃いの魔剣だの魔鎧だのを集められるとは思わない。
俺たちは襲撃を受け、護衛や戦闘に長けた船員たちがあっさりと制圧された後、海賊船へと移された。
俺たちが移された後、いままで乗っていたあの連絡船は燃やされたらしい。
俺たち囚われた者、およそ200名は、海賊船の船倉に押し込められた。
この時までは、まだなんとか逃げ出すチャンスがあるかもしれないと、ありもしない希望に縋りついていた。
だが、船倉にはいるや、そこにソレをみて、俺たちの希望はあっさりと砕け散った。
そこにいたのは首のない人間。死体ではない。魔物だ。
よく見ると、胴体部に顔が、目鼻がついているという、気味の悪い魔物だ。
デラマイルはならずものの船乗りだけでなく、魔物さえも配下としていたのだ。
どれほど時間が経っただろうか。狭苦しい船倉から我々は出された。閉じ込められている最中に、反撃を企てた若者――恐らくは冒険者か傭兵だと思う――がいたが、事を起こそうにも我々を監視しているあの化け物の前では何かを出来る訳もなかった。
船の外は巨大な洞穴だった。
船が丸ごと入るほどの洞穴内に港があった。
なんだこれは。まるでおとぎ話にでてくるような、海賊の秘密港そのものじゃないか。
俺たちは船を降ろされ、海賊と化け物たちに港に並んでいる建物へと連行された。人数が人数のためか、分けられた。女、子供、そして男。そして年寄り。年寄りは建物へと向かう列からはずされるや、即座に殺された。
俺たちの見ている前で。
わけがわからない。
何故この場で殺す? それならば何故、襲撃した際に船上で殺さなかった?
悲鳴、命乞い、罵声、そして海賊共の笑い声。それらを聞きながら俺たちは建物へと押し込まれた。
いったい、これから何があるというのか。
最悪だ。
なにが悲しくて男である自分が男に、或いはあの首のない化け物に犯された挙句に殺されなくてはならないのか。殺されるにしても、これはあんまりじゃないか。
拷問の末に殺されるよりはマシかもしれないが、死に至る最悪の事情などを頭の中で網羅して“自分はまだ幸運なんだ”などと思い込んだところで、殺されることには変わりないのだ。
アマデオはなんとか逃げるための算段を建てようとしているが……まず無理だ。逃げるといってもどこへ逃げればいいんだ。
海へと飛び込んだところで、逃げ切れるものではないだろう。バチャバチャと必死に泳いでいるところを、魔法の的にされるのがオチだ。
ここに来てようやくここが何であるのか分かった。
ここはダンジョンだ。
デラマイルたちは拉致した者で獣欲を満たしたのちに殺していた。殺し、ダンジョンの糧としていたのだ。
最初に犯され殺された男の死体。まだ若かったが、確か船長であったはずだ。部屋の隅に放り出されていたその死体は、いつのまにか消えていた。
奴等が死体を運び出していないのは分かっている。ならば、言葉通りに消えたと、地面に吸収されたという他にない。
そもそも、燃料となる薪も油もないのに燃え続けている篝火がある時点で異常であったのだ。
「……若」
「悪いな、アマデオ。最悪なことになっちまった」
さすがにアマデオの目にも絶望の色に染まっていた。
護衛として雇っていた傭兵たちはもうすでに処分されていた。船上での戦闘で手ひどくやられ、腕、あるいは足を斬り飛ばされ無力化されてしまった。戦力差がありすぎたのだ。この現状、彼らを責める訳にはいかないだろう。なにしろ、傷が元で死ぬのも時間の問題であった彼らは、まっさきに化け物共の慰み者になって食われたのだから。
こんな死に方は嫌だと喚く彼らの悲鳴は耳に残っている。そしてあれが俺たちの末路だと分かっても、ただ歯を食いしばることしかできない。
舌を噛んで自害する? はは、情けない話、俺にはそれができるほどの度胸はない。なにせ、あの姉が舌を噛んでの自害がいかに苦しいものか事細かに、5歳であった俺に云って聞かせたのだ。舌を噛み切っての自害は窒息死だ。舌を噛み切ると、残った舌の部分が喉奥へと引っ込み、喉を詰まらせるのだそうだ。
噛み切った舌の痛みに加え、息ができなくなった苦しみ。当然ながら、即死ぬなんてことはない。痛みがない分、溺れ死ぬほうがまだマシというところだろう。
もちろん、これが事実かどうかなんて知らない。当たり前だが、試したことなんてないからな。
「了解。状況を開始します」
突然、妙な女の声が聞こえた。
同時に破裂音が聞こえたかと思うと、俺たちを監視していた化け物が血を噴き出して死んだ。
この音に気づき、まだ成人したばかりであろう船員を犯していた海賊が、慌てたように尻から離れて振り向いた。
またしても破裂音。それも連続して。
たちまちの内に海賊が倒れ、動かなくなった。見ると、胸のあたりが真っ赤に染まっている。
辺りにいた海賊共は、瞬く間に殲滅された。
「首を回収しろ」
「了解」
急に何もない場所から、奇妙な恰好の者が現れた。斑模様の砂色の服装の人物。簡易な兜と覆面から顔をみることはできないが、声から女性であるとわかる。
「現在、敵海賊共を殲滅中だ。諸君らはここで大人しくしていろ」
奇妙な……杖? いや、絡繰りか? それを手にした彼女が我々に命じた。
どこぞの同業者が彼女に命じていたが、冷たく対応されていた。彼女曰く、彼女たちの目的は海賊共の殲滅であり、我々の救出は命令外であるとのことだ。
云い換えれば、彼女たちにとっては、俺たちは生きていようがいまいがどうでもいい、ということだ。
建物の外では、魔法でも聞いたことのないような爆発音が響き、同時に小さな破裂音が聞こえてくる。
それからどれほどの時間が経っただろうか。さして待ちもせず、俺たちは建物から移動させられた。
港中央の倉庫の前には、分断された女性陣がもう集まっていた。倉庫の前にはメイドがふたりと、妙におどろおどろしい雰囲気の黒い鎧の人物がひとり。なぜか彼の足には、俺たちと一緒に捕らえられたと思われる幼女がしがみついていた。
そのふたりのメイドのうちのひとり、子供のメイドが現状と我々のこれからに関しての説明をしてくれた。
彼らはデラマイルたちにより被害を受けていた者たちであり、その報復の為に彼らを襲撃、殲滅したとのこと。
そこに俺たちがいたことは想定外であったとのことだ。
俺たちの処遇であるが、連絡船の船員がそれなりに生き残っており、なにより航海士が存命であったことから、海賊船に乗って、自力で国、ドーベルクへと帰れとのことだった。
このことに、助けたのならば最後まで責任を持てだのなんだのと喚き散らした阿呆(先ほど、俺たちを救出した女性兵に命令していた、いけ好かない商人)がいたが、次の彼女らの会話ですっかり口を噤んでしまった。だが、まぁ、一度吐いた言葉は戻せないということを、そいつは俺にしっかりと教えてくれた。
「メイド様、処分いたしますか?」
「それではあなたたちがわざわざ助けてやった意味がなくなるというものですよ」
「そのような些細な事を気になさる必要はありません。我らがマスターの慈悲を当然のことと受け止め、更なる要求を口にするような厚顔無恥な輩など、この場で息をしていること自体烏滸がましい」
「ふむ。では連絡艇を用意しましょう。彼らにはそれに乗って退場してもらうとしましょうか。連絡艇とはいえ、帆船を一艘差し上げるのです。彼の者の要求に対しても過分な施しでしょう」
「御意。すぐに放逐いたします」
そして愚か者たちは喚き散らしていたが、あっというまに、どこからか用意された船に乗せられて港から、まだまだ暗い海へと流されてしまった。
メイド様と呼ばれていた少女は、ハンカチをもった手をフリフリとさせて彼とその仲間を見送った。
連中は船の上からギャアギャア騒いでいたが、その見送りを喜んでいたわけではないようだ。
彼らの乗った船だが、魔法で自動に航行し、外洋にでたところでその魔法効果が消えるのだそうだ。
「水も食料も過分に渡しましたし、念のため、オールだって2本も差し上げました。これで恨まれるいわれもありませんね。そもそもデラマイルに囚われたにも拘らず命を拾えたのです。文句もないでしょう。
さて、皆様。皆様にはあの海賊船に乗って、自力でドーベルクに戻って頂きます。船員の数は十分といえませんが、乗客である男性陣が助力すれば、問題なく港に辿り着けると存じます。
もちろん、必要となるであろう水、食糧に関しては十分な量を提供を致しますのでご安心を。それと、彼の海賊共に奪われた皆様の金品に関しては、これより返却いたします。その際、本当に当人のものであるのかを魔法にて確認させていただきますことをご了承ください」
その後、彼女のその言葉どおりの事が実行された。それどころか、怪我人の手当はもとより、女性たちのケアまできちんと行われたらしい。
ここまでの施しを受けて、誰が文句を云えよう。そもそも、公僕でもない彼らには、我々を街へと送り届けるいわれなどないのだ。
そうして海賊船は出港した。
俺たちふたりと、彼らの主にしがみついて離れなかった幼女を除いて。
残った理由は、メイドの少女より商談の提案をされたからだ。普通ならそんな言葉には乗ったりはしない。
だが、彼女たちの装備はあまりにも異常な代物だ。そんな彼女たちからの商談と成れば、話ぐらい聞こうというものだ。いや、商売人たるもの、聞かないという選択肢は有り得ない。
結論から云うと、支店を出さないかという話だった。
まず彼女たちだが、ダンジョンに属する者たちだそうだ。海賊共の有するダンジョンより侵略を受けており、今回、その報復として海賊共のダンジョンを滅ぼしたということらしい。
そして彼女たちだが、地上に町を作る予定であるという。いわゆるダンジョン町というやつだ。さらには、そのダンジョン町用のダンジョンをあらたに作るというのだ。
この時点で驚くと云うか、呆れると云うか、とにかく、俺とアマデオはかなり間の抜けた顔をしていただろう。
そして更に驚くことには、探索の主となるダンジョンの生還率を100%とするという。
命の危険のないダンジョン!? なんだその夢のような場所は!
「もちろん、ルールに違反した者は命を落とす可能性はありますが」
「ルール違反ですか?」
「はい。最終的にダンジョンマスターの元に辿り着くわけですが、そこでダンジョンマスターに危害を加えた者は、問答無用で殺意しかないダンジョンへと放り込みます」
俺とアマデオは顔を見合わせた。
「なぜ町を作ろうと? ダンジョンまで用意して」
「マスターの娯楽です」
メイドの少女は淀みなく云った。
「持て余す暇は、毒のように心を蝕みますからね。娯楽……適度な忙しさは必要なのです。かといって、他所のダンジョン同様に殺し合いなどをしては、無駄に恨みを買うこととなり、面倒でしかありません。故にこのような仕様にした次第です。
あぁ、もちろん、即答を求めてはいません。商会へと持ち帰り、ご検討ください」
俺とアマデオは再度顔を見合わせた。
この話が事実であるならば、確実に人は集まる。それこそ異常なほどに賑わうだろう。ダンジョン探索は基本的にハイリスク・ローリターンだ。一攫千金を掴む者など、それこそ千人にひとりいればいいほうだ。
探索がうまくいかず、落ちぶれる者も多い。そういった連中が集まってくるはずだ。そして、死ぬことがないということは、頑張ればほぼ確実に稼げるということだ。
本当に、そんな夢のような場所たりえるのかは疑問だが。それが本当であるならば、冒険者御用達の商品を扱う商店は、放っておいても儲かるという物だろう。
とはいえ、さすがにこの言葉に対し即答するわけにもいかない。
さて、どうしたものか。
とりあえずは帰ってから、やり手の姉と相談するとしよう。




