気抜きのシャワー
君はきちんと体をきれいにしている自信があるだろうか?
「失敬な! こちとら毎日風呂に入って体を洗っているわい!」と力強く反論したい人も、きっと大勢いるだろう。
しかしその使われている湯なり水なりは、本当にきれいなのか? というところを私は問いたい。たとえ同じ家族内であったって、神経質な人は先に入った家族の残り湯を気にしてしまうこともあるだろう。
風呂は数少ない、身体全体へいっぺんに影響を与える場所。それも、ほぼ毎日のようにだ。
温泉などへ視野を広げれば、これが健康を支える要因のひとつになるのは、ほぼ疑いないところだろう。
それだけに気を抜いて、あるがままに身を任せたい……となりがちだけど、こまごまとした注意もまた、しておきたいもの。
僕が数年前に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?
シャワー。
19世紀に開発されたという、この水まきヘッドは一人暮らしの水道代を浮かすのには効果的な面もある。おおよそ浴槽に入れるお湯の半分程度で済ませられるとか。
もちろん、家族が増えていったらそうはいかない。湯船に漬かるスタイルのほうが、使うお湯は少なくなるだろうさ。それでも頭や体を洗う際に、シャワーがあるとおおいにはかどるのは、そうそう疑いないはずさ。
僕も夏場は特に、シャワーのみで入浴を済ませるタチだった。習慣や生理現象みたいな、避けがたい時間消費を最低限のものにしたい、とも考えていたしね。
冬でもやるときにはやるが、シャワーオンリーで済ませられる日はそう多くない。暖房をガンガンにつけた部屋ならできなくもないけどね、そうして寒暖の差がでかくなりすぎて自律神経をやられた経験もあった。
以降、できる限り人工的な温度調整控えめで、暮らすように努めていた僕だったが、あの冬の日はなんとも奇妙だった。
その日は午後から、異様に気温が上がってくるときだったよ。
最初は風邪でも引いたかと思って体温を測ってみるも、平熱。まわりの人も暑い、暑いと漏らしていたから僕だけの錯覚でもなかったのだろう。
家へ帰ってコート類を脱ぐと、たっぷり汗をかいている自分に気づく。安らぎの空間へ戻ってきた分の緩み具合もあるのか、これは一刻の猶予もなかった。
一人暮らしの利点がひとつ。人目を気にしない着替えができるということ。僕はぱぱっと脱いで浴室へ向かった。
――お風呂につかる気にはなれない。ひとまずシャワーだけで。
温度調節をしながら、シャワーの出を待つ。最初に前回まで溜まっていた、ひんやりとした水を出してしまうためだ。
いきなりぱっと浴びて、その冷たさに飛び上がりそうになったこと、だれしも一度は経験のあることじゃないか?
手でさわりながら温度のアップを確認。ほどよくなったところで、頭から一気にかぶりにいった。勝手知ったる浴室の中、その気になれば眼をつむったままでも石鹸、シャンプー、リンスなどはおさえることができる。
ゆえに、気を抜いていたのかな。髪の毛ごとぬくんでいく頭のこと、手ぐしでほぐしていくそのときも、僕はまだ感づいていなかった。
いったん、シャワーを戻す僕。これもまた、長年の感覚から目隠し状態でやれた。
ぽとぽとと、髪から水が垂れ落ちる感触を覚えながら、いつもあるだろうあたりを探って……ない?。
そんなバカなと、手をそこらへんで泳がせたものの、それらしい手ごたえがないんだ。
先に眼をつむったままでイケる、と話したけれど、このときばかりは例外だった。前の晩に使い切ったシャンプーの容器を、すでに別の新しい容器に変えていたのだから。
しかも、なんの気まぐれか。設置されたシャンプー入れの段のうち、いつもと違う段に入れてしまっていた。ゆえにすぐには気づくことができなかったんだ。
だが、怪我の功名ってやつかな。シャンプーの位置を確かめようと目を開いて、気づいたんだ。
音と共に、床へ垂れていくのは水ばかりじゃなかった。濡れて固まった僕の髪の毛たちも一緒だったんだ。
その抜けた髪たちの後釜におさまり、頭にくっついてうねっていたのは、赤みがかった細身の糸たち。そのてんでばらばらな動きっぷりは、生き物のそれとしか思えなかった。
シャワーの口からも、そいつらが身を乗り出している。その痩身は水の流れをほとんど邪魔せず、さりとて存在ははっきり認知できるほど目に見えていて。
そこからはもう夢中で連中を処理したよ。やつらがいなくなるまで何分間もシャワーを流し、頭に刺さった連中も次々に抜いた。けれどもそのままでいることは気味が悪いにもほどがあって、一時期丸坊主にしたっけなあ。
ヒル、というのが一番有力かと思うが、ああもシャワーの中にひそむなんて僕も想像してはいなかった。
もし、ちゃんと目を開いていたなら奴らの出もすぐ気づけたろうに……やはりどこでも油断はできないものだねえ。




