銀トンボをまけ
才能。生きていて、誰でも一度は気にすることがらのひとつじゃないかと思う。
この世の中で評価されるかされないか。もし後者だった場合は、非常につらいことになるだろう。才能がない、という言葉は「この社会において」の枕詞が省略されたものだからね。
中には趣味ゆえに、とてつもない技量を持つことがあるかもしれない。たとえ世間的には下世話に過ぎる内容だとしても、このタイミングや力加減、出来栄えに関しては誰にも負けない……そう自負しているもの、誰にでもあるんじゃないかな?
優れた技、というのはとある社会で求められずとも、別の場で求められることもある。それが自分にとって都合の良い場所ならいいけど、そうとばかりとも限らないかもね。
僕の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?
トンボの目を回す、という行いも聞いたり、やったりした人が多いのではないだろうか。
葉の先などへ止まったトンボの目の前に、指を突き出してくるくる回すと、その動きが鈍くなってしまう。そうなると、楽に捕まえられるようになるんだ。
トンボの視覚が広く、敏感であるがゆえに人の指の動きに情報処理が追い付かなくなるためだ、と一説に聞いたことがあるけれど、実際のところはどうだかわからない。
とにかく、僕はこのトンボの目回しに関しては絶対の自信を持っていたんだ。狙ったトンボはいったん掴んだあとに、すぐリリースするけれど、誰かやなにかに横やりを入れられない限り、必ずとらえることができたんだ。
その日も、僕はトンボを捕まえようと家の近所にある空き地の野原へ来ていた。秋になると、ここでトンボたちが飛び交い、しばしば羽休みに敷地内に生えた草にとまることがままある。
彼らを狙うのが僕のお約束なのだけど、今回はその中に見慣れない色のトンボがいた。
僕の地元では赤系のトンボがよく飛んでいるのだけど、そいつは彼らに交じって、非常に目立つ銀色の輝きを放っていた。
そいつはまるで、挑発するかのように僕のすぐ近くの草へ止まり、おあつらえ向きにこちらをにらむかのような体勢。
――おもしろい。やってやろうじゃないか。
袖をまくって、僕はかがみこみ、トンボと目線を合わせる高さに調整すると、そっと指を突き出した。
僕のやり方は、一方向に指を回すのとは少しタイプが違う。
左に三回、右に二回、ちょいと止めてさらに右四回、左七回……と、回転式のダイヤル錠を思わせる動きで、相手を惑わせていくんだ。
こいつがてきめんに効く。少なくとも僕の場合は。
そして、ただ回数を重ねれば確実かというと、そうとも限らない。本当に惑わされたなら、トンボたちの口元が猛烈な早さで動く。
ほんのちょっとの間だから、気を抜いていると見逃すだろう。でも、慣れている僕はその刹那を見逃さない。
どれほど回転させたか。ようやく、その銀のトンボの口がせわしなく動いてね。すかさず、空いているほうの指でもって、羽の後ろ側からにゅっとつかんだのだけど。
とたん、周囲の景色が一変した。
家々に囲まれた、空き地の野原の景色があっという間に消え失せる。あたりはいっぺんに暗くなったものの、夜になったという風ではなく、いっせいに証明を消されてしまったかのよう。
その中で、あの銀色のトンボたちが飛んでいる。先ほどの赤いトンボたちなど、見る影もない。いや、この暗闇の中にあっては、彼らの姿など見られようはずもない。
この銀色のトンボたちは自らで光を放っているからこそ、僕の視界に入った。そして僕の指の中にあったトンボもまた光を放っているものの、他のトンボたちよりもはるかに強く輝いている。まるで新品の電灯であるかのように。
さっと指を離すと、輝くトンボは闇の向こうへ遠ざかっていき……かわりに、別のトンボが僕のもとへ寄ってくる。暗くてよく見えないが、おそらく草はあるのだろう。先ほどのトンボと同じように、僕の前で相対するように腰をおろす。
同じことをしろ、と言わんばかりにね。
――それからどうしたかって?
結局、僕はその鈍い光のトンボたちの目を片っ端から回しては捕まえていった。そのたびに、彼らはその新品の輝きを取り戻すんだ。
はじめは逃げようとも考えたけど、ちょっとでも目を回して捕まえる動作から外れそうになると、ぐっと腕をひねりあげられるんだ。見えない何かにさ。
あっという間に、曲がってはいけない方向一歩手前までねじられてね。こいつが痛いのなんの。逆らったら、たぶんそのまま肉も骨も砕かれると思った。
それも向こうにとってはなんでもない。赤子の手をひねるようなものだと直感したね。もし従わなかったら、たやすくこの身体はバラバラにされてしまうと。
そうしてトンボたちをみんな輝かせるとともに、僕は空き地へ戻ってきていた。
その直後も、後日もいろいろ探ってみたけれど、あの空間のことはいまだよく分からずじまいなんだよ。




