水草のある夢
こーちゃんは、夢の記憶ってどれくらい残っている?
不思議だよねえ、一瞬前まではくっきり鮮明に見ていた景色なのに、目が覚めるとたちまちに失せていってしまう。脳内の神経の影響とみられているけれど、ああやって引き出しては消えていく……ということをやらないと、頭が整理されないんだそうだ。
ほら、幻覚や幻聴のたぐいでもあるでしょ。その場にないものが見えたり、聞こえたり。こいつは寝不足が原因のひとつだったりする。頭の中が整理されきれていないから、本当に夢と現実の区別がつかなくなってしまっているんだ。
夢の中のできごとは、突拍子もない内容がままある。そりゃ見る幻覚の内容だって、にわかには信じがたいようなものが飛び出すだろうさ。
たいていは、その人の頭脳整理の産物。けれど中には単なる夢と片付けずに、対処をしたほうがいいタイプの夢もあるらしい。
最近、父から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
父が中学校へあがったばかりのころだ。
近所の一軒家が、一夜にして水浸しになってしまった事件があったという。
戸や窓のすき間からどんどんと水が漏れ出していて、中へ入った人の話では地上数十センチほどの冠水だったという話。もしすき間から水が漏れていなければ、どれほどの高さになっていたかわからない。
はじめは、開きっぱなしの蛇口と詰まった排水口のコンビネーションかとも思われたけれど、その水というのが単なる水道水ではない。
大量の水草と、それにからまる種々の生き物の卵。散見される生きた小魚たちの姿……とまるで河の水をそのまま持ってきたような状態だったんだよ。
一軒家に住まっていたのは、中年の男性がひとり。彼自身もまた冠水した家の一階で眠っており、発見されたときにはすでに心肺の活動が停止していたという。その身を河水の中へ横たえたままね。
身寄りがないこともあって、彼の普段の行動について知る者は少なかった。父もごくたまに外出している瞬間に居合わせるか、という程度でしか接点をほとんど持たない。
今回の事件に対しても、河水を家の中へ溜め込むという奇行などがないととても達成できそうにない。仮に外から害を加えたにしてもこれだけ大量に、しかも一晩という短時間で、夜明けまでに誰にも気取られず、ことを終えるなど、よほどの大人数で計画的に行わねばならないだろう。
かかわる大勢が頭に疑問符を浮かべていく中、祖母がぽつんとつぶやいたのだそうだ。
「ひょっとしたら、水草のある夢を見たのかもねえ」と。
水草のある夢。
父が訪ねてみると、連想夢の一種であるとされた。
連想夢とは、体の内部で起こることや、外部から入ってきた情報によって起こる、夢内容の変化のこと。たいていがストレスに起因するためか、ややもすれば忘却しやすい夢たちの中でも比較的内容を記憶しているもののことが多い。
代表例が水にかかわる夢を見るとき、体はトイレに行きたがっている、というもの。夢に水気が出てきたら、自分の尿意を疑えというやつだ。
水草のある夢の場合、多くは「河」が近くにある証だとされる。
河べりに暮らしていて、常日頃から視界に入れているという人の夢でも、その中にある水草までは自分の意識が及ばないことが多い。たいていは雑に省略されるか、あったとしても記憶に残らないような、あっさりとした感触で済まされる。
しかし、それが現実とそん色ない丁寧な姿と肌触りとなって現れた場合は、注意しなくてはいけない。先ほど話したように「河」が近くまできているからだ。
そうして、たどり着いた結果が、あの一軒家のごとくだという。
父は話を聞いてから警戒を続けていたが、水草のある夢を見たのは過去に一度だけらしい。
中学校三年生の秋ごろ。すでに外が涼しくなりだしていたころに見たその夢は、川を泳いでいるところから始まったそうだ。
夏場の川泳ぎは父の好むところであったし、先のトイレ行きたがりの危険こそあれ、夢の中では気ままに泳いでいたらしい。水温はまったく感じることがなかったから、父も珍しく「あ、これ夢だな」と自力で気づけたとか。
でも、自由に操作できるタイプではなく、しばらくは夢の中で泳ぎたいがままに任せていたのだけど。
さわり、と不意にわき腹をくすぐってきたものがある。
オオカナダモだ。円筒に近い形に、ふさふさと四方へ細長い葉をはやして垂らす様子は、水槽の中でよく見かけたことがある。
しかし、その強烈な繁殖力でもって自然の中での生育は、生態系への影響を踏まえて規制されることしばしばという、パワフルな草だ。
けれどもそれ以前に、父は水温もあいまいなこの川水の中で、異様に鮮明な接触を果たしたこのオオカナダモの存在に、はっと「水草のある夢」のことを思い出す。
無理矢理に覚醒した自分の部屋は、すでに布団のみならず、その下の畳までぐっしょり水気を帯びていたらしい。
その自分の布団の四隅には、夢で見たようなオオカナダモが突き立っている。水の浮力などない環境のはずが、彼らはいずれもピンと背を伸ばすだけでなく、その全身から音を立てて水を「放流」していたらしい。
そう、放流。細い体躯をしとどに濡らすばかりでなく、そのあちらこちらからホースがやらかしているのかという太い吐水でもって、早くも父の部屋に水たまりを作りつつあったんだ。あの河川独特の水の香りを漂わせながらだ。
父は夢中になってオオカナダモを引き抜く。畳から引っこ抜かれると、彼らは機械仕掛けであるかのようにぴたりと水を吐くのを止めてしまい、足元に寝かせても再び動く様子を見せなかったという。
ことをおさめて祖母を起こした父は、その指示に従って四本を縄でぐるりとひとまとめにしてビニール袋へ詰めると、家の裏手の物干しざおに引っかけておいたらしい。
地面から一日以上話していると、この水草たちは勝手に姿を消す。祖母にそう教えられたからで、実際に24時間がたつと、誰もいじってないはずなのに水草たちは袋の中からすっかりいなくなっていたのだとか。




