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虫たちの知恵

 虫の知らせ、というのはよく耳にする概念ですよね、先輩。

 第六感とも称されるような、ふとした拍子の予感。それは結果として正しいものと証明されたとき、神秘的な効力として私たちに知らされます。

 ほかにも「腹の虫がなる」とか「虫の居所が悪い」とか、私たちは虫という言葉を使った言い回しをすることが多いですね。

 これは外で目にする虫のことではなく、体の中にいる虫のことを指しています。中国の道教では天帝に体の主を報告する三匹の虫の存在。日本では意識をつかさどる九匹の虫の存在が昔から言い伝えられてきました。

 似たような発想に行き着くあたりは、国を隔てても共通する、人間の種としての感覚みたいなのを覚えますね。

 純粋に体へ害をなす虫、寄生虫の存在も科学的によく知られたものですが、まだまだ私たちの間ではマイナーな虫の存在もいるでしょうね。思いのほか、身近なところでも。

 私も少し前に、親戚のおじさんから聞いた不思議な話がありましてね。耳に入れてみませんか?


 かつておじさんが通っていた高校での話です。

 一年に何度かある定期試験は、多くの人が人生の中で経験する初期の節目でしょう。そこをめぐって、様々な時間の過ごし方を学びながら悶々とするわけです。まあ、頭の回転が速くてテスト勉強しなくてもできる、というタイプの人にはいまいちな印象かもですね。

 そうして費やした時間が結実するテストの瞬間は、なんとも力が入るわけです。ときに頭が真っ白になりかねないくらい。

 おじさんもそのとき、テスト用紙を見たとたんにちょっと記憶が飛びかけてしまったようで。ひとまず、自分の名前を書いた後に気を落ち着かせようと、そっと顔をあげて周囲をうかがったそうです。カンニングする気はありませんでしたから、疑われないレベルにそうっとですね。


 そうして試験監督をする先生をちらりと見て気づいたのですが、先生が眼鏡をしていたのだそうです。

 確かに数分前のテスト直前までは、眼鏡をかけていませんでした。それがテストを始めたとたんの装着。

 教卓に座ってテスト用紙の確認とか採点とかお仕事とかはじめるなら、まだ分からなくもありません。しかし、先生は黒板の脇へ立って油断なく周囲を見回していました。それに合わせて眼鏡のレンズもきらりと光ります。文字通り、目を光らせるといったところでしょうか。


 ――な~んか、やりづらいなあ。


 思っている間に、おじさんも思考がまとまってきて、くみしやすい問題から片づけていきます。先生はしばしば机間巡視も行い、みんなが黙りこくる空間には鉛筆類を書きつける音とテスト用紙をこする音、机の間をめぐる先生の足音が響くばかりでした。


 一科目、二科目、三科目……。

 テストは淡々と過ぎていきますが、おじさんの頭はどうしても先生方の眼鏡を気にしてしまいます。

 科目により監督してくれる先生方が入れ替わるのですが、みな普段、眼鏡をつけずに教務へ臨んでいる方ばかり。それがテストを実施している最中だけ眼鏡をかけて、こちらのまわりをうろうろしてくるものだからたまりません。

 おじさん自身、当初に比べていくらか集中力を取り戻さんと頑張ってきましたが、ここまでの科目は終了直前になって、ようやく学習成果のほとんどを思い出すことができる、という体たらく。

 見直しの時間もろくに取れず、空欄こそないけれどどこまで正解であってくれるか……と不安がつきまとってしまい、気が気でなかったとか。


 その三科目目の終わり10分前くらいのこと。

 眼鏡をかけた先生の机間巡視が、やたらとおじさんまわりに集中しているのに気付いてしまいます。

 普通は全生徒の机の間を回りながら、監視していくものでしょうが、なぜかおじさんの近くをうろうろ。


 ――おいおい、カンニング疑惑か? 勘弁してくれよ~、カンペは頭の中にしかね~よ。それもけっこう白紙で悩んでるのによ。


 そう思いつつ、問題用紙とにらめっこを続けますが、先生の足音は気になるばかりでちらりとそちらを見やってしまい、気づいたそうです。

 眼鏡をつける以外に、先生のネクタイの色が変わっていたのだとか。テスト前は確かに赤色だったのが今は青色になっていたのです。

 まさか、このテスト中にネクタイを変えたのか? とおじさんが思う間に、先生がネクタイピンを外し、背広から先を出すと、大きく左右に三度振ったんです。

 とたん、おじさんは自分の頭の中にかかっていた靄が、ぱっと晴れるような心地がしたといいます。残り時間では解答できるか微妙だった、後回しの問題たち。それらの解答が次々にひらめき、鉛筆がとまらなかったとか。


 テストが終わったあと、おじさんは先生に一連の事情を尋ねてみました。

 すると先生が話してくれたのは、「知恵熱」をいただく虫の存在。先ほどの変色したネクタイを、おじさんは先生の眼鏡を借りて見つめてみたみたいです。

 青色の変色は緑色へと変じました。のみならず、ネクタイの表面には糸くずを思わせる、無数の小さい虫がうごめいていたそうです。

 昔は知恵熱と称していましたが、おそらくは人間が思考する際に出るホルモンなりを、外部からいただくすべを得た連中なのだろうと分析されています。

 人が知恵をしぼるテストというタイミングにときおりあらわれ、ど忘れの現象を引き起こしていくのだと。それをちょっとでも防ごうと、ああいう対処をしているみたいなんですね。

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