惜しむは休み
ふうう~明日に仕事を控えた休みの日って、どうにも心から楽しみづらいんだよなあ。
どうしても明日に疲れを残しちゃいけねえ、と考えたら、あれやるのもこれやるのも心が二の足を踏む方向へ動いちまう。若いうちはそうでもなかったんだが、何が控えているかの見当がついたり、自分の回復力を把握してきたりと、いやに先が見えてきたがためかもしれない。
そうしたおり、ふと自分でない者たちのことが気にかかったりする。別の人かもしれないし、人とは異なる生き物かもしれない。「ああ、あんなふうに振る舞って気楽でいいな」と、ふと気を向けてしまう。
とはいえ、それらも勝手な俺たちの想像。ひょっとしたら彼らもまた、こちらをうらやましがるほどの窮地に立たされている可能性もあるかもな。
ちょっと前に、いとこから聞いた話なんだが耳に入れてみないか?
その日のいとこは、部活の片付け当番だったらしい。
ローテーションで前もって決まっているとしても、いざそれをこなすときは面白くなさが勝る。待っていてくれる友達がいるでもなく、下校時間に至るまでに淡々と片づけていって顧問の先生に報告。そこから帰路へ着く。
夏場だから、まだ陽は長くて明るさはそれなりに残っていたものの、のんきに道草を食っていられる時間でもない。このまま真っすぐ家に帰ってご飯を食べたはいいものの、そこから先は元気も出ないまま、風呂入って、ぐだぐだして、やがては眠りこける一日の終わりが目に見えるようだ。
――ああ、たまにはお気楽な立場になりたいなあ。
当番でまわってきた、今日一日かぎりのことにもかかわらず、いとこはそのようなことを考えながら、足取り重く通学路を歩いていたところ。
不意に、猫の一声が浴びせられて、顔を上げる。
そばの一軒家の屋根の上に、ちょこんと乗っかった黒い子猫が、こちらを見下ろしながら口を開けていたんだ。
すでに声は聞こえないというのに、口を閉じずにしばらくそのままでいる。どこかの狛犬の真似っこでもしてるのか? 一瞥をくれてやった直後に、また「にゃ~」と来るものだ。
思わず、また見上げるいとこだったが、猫の様子が違う。いとこが見つめる前で、目線がどんどんと浮いていく。下から上へ、何かを見やっているかのようだ。
ひょっとして先ほども、目を向けていたのは自分ではなく、自分の背後にいた何かではないのか。
いとこもその視線に釣られて、後ろを振り返ってみた。
おそらく、見た中ではカエルが一番近いような気がした。
いとこの広げた手のひらほどの大きさのそれが、大いに手足を広げてばたつかせながら、空を這い上っていたんだ。
そう、這い上っていた。いとこの背後数メートルは用水路になっていて、せいぜいいとこの身長程度までのフェンスが立っているが、そこより上はすがれるような箇所は一切ない。
その空中を、カエルもどきらしきものは、まるで水槽の壁でもあるかのようにお腹を見せながらせっせと上り続けていく。先ほどの猫は、この動きを追いながらときどき声をあげているらしかった。
いとこもその様子をぽかんと見上げている。さすがにこいつは、めったに見られない光景だったし、どこかそのカエルもどきをうらやましく思ったのかもしれない。
ある意味、クライミングへ熱心に取り組む人間の姿と似ているように思えたからだ。どのような仕組みでこうしているかは置いておいて、自分の楽しみに打ち込んでいるかっこうをうらやましく思ったとか。
すでにカエルは猫のいる一軒家の高さを大きく越え、なお止まる様子がない。仮に自分が石などを投げても、すでに妨害されそうにない高さにまで至っている。
このまま、自分の気の向くまま空を行けるところまで行くのかな……と思っていたとき。
ぼこり、と用水路側から音が立つ。
ん? と顔を向けたときには、泡立ちはさらに激しいものとなり、やがてひゅっとそこから伸びたものがある。
根か、ツタか、長いひも状のものだと、いとこは思った。用水路から顔を出したそれは、たちまちフェンスを飛び越えて、天高く昇っていく。
先ほどのカエルもどきの上り方に比べたら、月とすっぽんもいいところだ。実際、根が飛び出してからまた引っ込むまで、何秒とかからない短い間だったらしい。
だが引っ込むとき、その先端にはあのカエルもどきを捕まえているのをいとこははっきりと目にした。その身体は根っこごとフェンスの下へ引っ込んでいき、ほどなく水音が立ったとか。
猫が再び鳴く。
今度は屋根から飛び降りて塀へ、そこからも飛び降りて地面へ。いとこが帰る方向とは別のほうへ歩いていき、もう用水路のほうを見やることもなかった。はじめから、いとこに興味などなかったのだ。
帰るまでの間で、いとこは思う。
あのカエルもどきは、ああして根っこらしきものに追われることが分かっていたんじゃないかと。
根本から逃げたいと思っていたのかもしれない。あるいは捕まると分かっていて、それでもわずかな時間を自分のやりたいことにあてたいと、考えたのかもしれない。きっとあのカエルには水に引き込まれたあとも、生きてやることがあるのだろう。
ならば自分も、いずれは「やれ」と咎められるまでの間も、どうにか有効に使えないかと考えるようになったとか。




